home > 通信 >『アセンション館通信』第784号:執着がすべての根底にある



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/04/28(第784号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あなたがしなければならないことは、
 真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。
 もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
 それが真我である。(『あるがままに』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在815名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.執着がすべての根底にある

2.編集後記
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■ 1.執着がすべての根底にある
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10連休が雨で始まりましたね。

正面のピンクの花桃はまだ盛りですが、

左手の桜はもう葉桜になったし

庭の下の方の白い桃の花も終わり近いです。

チューリップはまだまだ元気で、

ユキヤナギ、コデマリ、白い菖蒲やナルコユリなど

春は白い花が多いですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

眼前に広がる光景は自分の執着なんですね。

湧いてくる思考にフォーカスしているから

その観念も現象しているわけです。

よく、鏡に映る顔について

鏡に文句を言っても仕方がないと言われます。

そういうことだったんですね。

起こっている現象すべてについて、

現象に苦情を言っても仕方がなかったんだと、

だんだん納得されてくるようです。

わたしが見ている世界、

わたしが感じている世界は、

まさにわたしの執着そのものでした。

ただし、

執着している誰かがいるわけではない。

現象に対する関心の核がそこにあるのです。

その核となる思考へのフォーカスしているかぎり、

そこに一体化のエネルギーが注いでいて、

現象への執着は解けないわけです。

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 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定と分離の存在が
 悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、
 私たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、
 献身的なのだ。
 私たちは優しく子供の世話をする。
 そして子供を捨てもするのだ。
 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。

 『私は在る』(p434)
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> 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
> それは愛と苦痛の観照者なのだ。

ここでマハラジが

「愛と苦痛の観照者」と呼んでいるものが

いわゆる「わたし」なのですね。

> なぜなら限定と分離の存在が
> 悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、
> 私たちはそれを愛しているからだ。

悲しみに満ちた物語への愛着を捨てられない。

意識の波立ちという娯楽の引力圏から離脱して、

無事の安らぎという深海へ落ちていけない。

> 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。

自分の執着よりもさらに愚かしく感じられる

愛憎劇の鑑賞を趣味にするカウチポテトのように。

> 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
> そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、
> 献身的なのだ。

何かである自分にハマりすぎて、

誰でもない自分から

あまりにも遠く離れてしまった。

> 私たちは優しく子供の世話をする。
> そして子供を捨てもするのだ。

自分が誰かだと信じつづけて、

「優しく子供の世話をする」エゴも、

「子供を捨てる」エゴも、

ともに単なる思考にすぎないことを理解しない。

> 私たちの人生は矛盾で満ちている。
> しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
> この執着がすべての根底にある。

人生の劇が分離幻想という材料で捏造された

矛盾でしかないことを見ようとはしない。

それを見抜いたとたんに

それに執着することは不可能になるから。

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 すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
 すべての執着は恐れを暗示している。
 なぜなら、すべてのものごとは、
 はかない、つかの間のものだからだ。
 そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
 この執着からの自由は、
 修練によってもたらされるものではない。
 人が自己の真の存在を知ったとき、
 自然に執着から自由になるのだ。
 愛は執着しない。
 執着は愛ではないのだ。

 『私は在る』(p278)
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> すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。

けっきょくは、

いつこれを本当に理解したくなるか?

それだけみたいですね。

これはもう全然誤魔化せないみたいです。

すべて一人芝居なんだから、

はじめから誰が誰を誤魔化すというのか。(*^_^*)

> すべての執着は恐れを暗示している。

恐れなんですね、けっきょく。

> なぜなら、すべてのものごとは、
> はかない、つかの間のものだからだ。

すべて現象するものは

記憶の中にしかないわけだから。

> そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。

現象の中で永続を願うような無理筋を押せば、

“自分”はただ奴隷になるしかない。

> この執着からの自由は、
> 修練によってもたらされるものではない。

何かを達成するという話ではないですものね。

> 人が自己の真の存在を知ったとき、
> 自然に執着から自由になるのだ。

現象の観照者が

いかに現象に自己同化しても、

隷属状態にしか至れないことが自明になると、

はじめて自然に執着が離れてゆくのかなぁ。

> 愛は執着しない。
> 執着は愛ではないのだ。

すべてが自分だとわかってしまったら

もう執着は不可能になるのでしょう。

執着とは分離のドラマの中でしか

存在できない幻想ですから。

同じことを、

マハルシはこんなふうに語ります。

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 対象物へと向かう
 感覚の潜在的傾向が心のなかにあるかぎり、
 「私は誰か?」という探求は必要だ。
 想念が起こるなり、
 そのとき、その源で、
 探求によってすべての想念を根絶するべきである。
 真我以外の何ものも求めないことが
 無執着あるいは無欲であり、
 真我をけっして離れないことが智慧である。
 実際には、
 無欲と智慧はひとつなのだ。

 『あるがままに』(p105)
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> 対象物へと向かう
> 感覚の潜在的傾向が心のなかにあるかぎり、
> 「私は誰か?」という探求は必要だ。

想念が捏造するドラマが気になるのなら、

誰が気にしているのか?

という探求が必要だということだ。

> 想念が起こるなり、
> そのとき、その源で、
> 探求によってすべての想念を根絶するべきである。

想念が起こったらそのときその場で、

誰がそれを気にしているのかを探求して、

その想念の源をつきとめなさい。

> 真我以外の何ものも求めないことが
> 無執着あるいは無欲であり、
> 真我をけっして離れないことが智慧である。

「無執着」あるいは「無欲」とは、

ひたすら真実の自己であることだけを求めて

現象世界に何も求めないことだ。

そして智慧とは、

真実の自己からけっして離れないことだ。

> 実際には、
> 無欲と智慧はひとつなのだ。

それゆえ、

実際は「無欲」と「智慧」とは

まったく同じものなのである。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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わたしはこのような道具として

機能するように誕生した身体なのでしょう。

仕方がありません。

今日はすっかり昏くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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