home > 通信 >『アセンション館通信』第786号:一体性とは一切のすべて



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/5/12(第786号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あなたがしなければならないことは、
 真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。
 もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
 それが真我である。(『あるがままに』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在814名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.一体性とは一切のすべて

2.いただいたお手紙から:まーさん、
                    ぶらっくばにーさん

3.編集後記
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■ 1.一体性とは一切のすべて
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今日は晴天。

一年のこのほんの短い季節は、

わが家の庭の東南端の一隅に

可憐な鈴蘭の群れが姿を表します。

嗅覚が劣ってきているので、

本当に地面間近まで鼻を寄せなければ

そのかすかな香りを嗅ぐことはできません。

あの鈴蘭の花たちには、

なんの思いもないのでしょうね。

人間もあれと少しも変わらないのに、

自分は違うと思う思いを咲かせるための

群生なんでしょう。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

庭の片隅であの慎ましやかな香りを放つ

可憐な鈴蘭に比べるなら、

われわれ人間という種は、

幻想第四次空間に観念の花を咲かせるために

多次元大宇宙の一隅に配置された細胞なのでしょうか。

この大仰で自惚れた細胞の恥ずかしさは、

配達されたすべての想念を“自分”と思い込み、

その想念として共振しながら

そこにあらんかぎりの自己同化エネルギーを

注ぎ込むことなのでしょう。

その大げさな自惚れと落ち込みは、

その背景に物語と構造を想定し、

そこでの理解と解釈を継続しているかぎり、

避けることはできません。

なぜなら、

そのような観念構造体の文脈の中では

それこそがこの人間という種に期待される

役割なのでしょうから。

つまり人間とは、

全体から分離した個別の自己というものがある

という幻想そのもののことなのでしょう。

人間を慰める言葉は色々あります。

たとえば、

Oshoはこんなふうに言葉をかけてくれます。

──────────────────
 悲しさ、落ち込み、怒り、
 絶望、不安、苦悶、惨めさ、
 そういうものについての唯一の問題は、
 あなたがそれを排除したいと望んでいることだ。
 それこそが唯一の障害だ。
 あなたはそれを生きる必要がある。
 そこからただ逃げるということはできない。
 それこそが、
 人生が統合し成長する必要がある状況なのだ。
 それこそが人生の課題だ。
 それを受け容れなさい。
 それは仮面をかぶった祝福だ。
 もしあなたがそれから逃げようとしたら、
 もし何とかして排除したいと思ったら、
 そのとき問題が起こる──
 なぜなら、何かを排除したいと望むとき、
 あなたは決してそれを直接には見ないからだ。
 そうなると、
 あなたがそれを非難しているものだから、
 それはあなたから隠れ始める。
 そうなると、
 それはあなたの無意識の中により深く入り込んでいく。
 あなたが見つけることができないような、
 あなたの存在のもっとも暗い片隅に隠れる。
 それはあなたの存在の地下室に入り込み、
 そこで隠れる。
 そして、もちろん、
 それが深く潜り込めば潜り込むほど、
 問題は大きくなる
 ──そうなっては、
 それはあなたの存在の知られざる片隅から作用し始めて、
 あなたにはまったくどうすることもできなくなる。
 だから第一のことは、
 決して抑圧しないということ。
 第一のことは、事態がどうであれ、
 それが現実だということだ。
 それを受け容れて、それに来させなさい。
 それが目の前に来るのを許しなさい。
 実際、単に「抑圧してはいけない」というだけでは、
 充分ではない。
 言わせてもらえるなら、
 私は「それと友達になりなさい」と言いたい。
 あなたは悲しみを感じているのかね?
 それと友達になりなさい。
 それに対して慈悲を持ちなさい。
 悲しみにも存在がある。
 それを許し、それを抱きしめ、
 それとともに座り、それと手を取り合いなさい。
 仲良くなりなさい。
 それと愛し合いなさい。
 悲しみは素晴らしいものだ!
 それに何も間違ったことはない。
 誰があなたに悲しむのは間違っていると言ったのか?
 実際は、悲しみだけが人に深みを与える。
 笑いは浅薄だ。
 幸福は皮一枚の深みしかない。
 悲しみはまさに骨まで、髄まで達する。
 何一つ悲しみほどに深くは行かない。
 だから心配することはない。
 それとともにとどまりなさい。
 そうすれば悲しみが
 あなたを最奥の核まで連れていってくれる。
 あなたはそれに乗って、
 これまで決して知ることのなかった
 あなたの存在のいくつかの新しいことを知ることができる。
 それらのことは悲しみの状態の中でのみ知ることができる。
 幸せな状態の中ではけっして開示されえないものだ。
 闇もまた良いもの、闇もまた神聖なものだ。
 昼だけが神のものではない。
 夜もまた神のものだ。
 私はこういう態度を宗教的と呼ぶ。

 The Art Od Dying(p247)
──────────────────

(-||-)

これがOsho(と呼ばれるエネルギー)が

分かち合った理解に至る文脈です。

Oshoは生が提供するものを

避けることなく全面的に生きなさいと教える。

この道を信頼することにしたのなら、

その道に沿って妥協なく進むべきものでしょう。

ただし、

理解に至る文脈がこれしかないわけでもありません。

たとえば、

マハラジ(と呼ばれるエネルギー)なら

こんなふうに言うかもしれません。

──────────────────
 多くの道があなたに差しだされてきた。
 それらはあなたをひと回りさせ、
 出発点に連れ戻すものだ。
 まずあなたの問題が、
 目覚めの状態にしか存在しないことを認識しなさい。
 それがいかに苦痛に満ちたものであっても、
 眠りについたとき、
 あなたはすべて忘れることができるということを
 認識しなさい。
 目覚めているとき、
 あなたは意識している。
 眠っているとき、
 あなたはただ生きているだけだ。
 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、
 すべてを超えていると知ることを妨げているのは、
 記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、
 それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、
 それは速度を落とし、
 その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、
 マインドが想像上の問題をつくり出すことを
 あなたは許さないだろう。

 『私は在る』(p494)
──────────────────

(-||-)

こんなふうに言うかもしれません。

マハラジは、

この悪戯な人生を手放す覚悟があるなら

この現象が捏造するすべての状況を無視しなさい、

と教えます。

もしこの道を信頼するなら、

その道に沿って妥協なく進むべきものでしょう。

ただし、

私たちにどの道を選択するかの選択の自由がある

というわけでもありません。

どれかの道を選択できるような

分離した個人が存在するわけではないからです。

たとえば、

pariパターンというエネルギーの場合

たくさんの指示をかき集める

“目乞食”として設定されていたようです。

彼がかき集めた情報の中には

バシャールのこんな言葉もありました。

──────────────────
 自分の信じることが
 自分の人生を作り出しているということを、
 100 パーセント申し上げたいと思います。
 ……(中略)…… 
 自分が体験する物理的な現象というのは、
 あなたが何を信じるかによって決まります。
 というのは、
 物理的な現実というのは幻想だからです。
 あなたが信じていることが創り出した幻想なのです。
 ……(中略)…… 
 あなた達の文化の中では、
 それぞれの意識の隔離というのを
 お互いの間で作ってきました。
 日常の意識と、
 その下の潜在意識というもの。
 またその下には無意識というものがありますが、
 この3つの意識のレベルというのも幻想なのです。
 ひとつの意識しかありません。
 そして、
 ひとつだけの意識を持った存在に目覚める時、
 自分の中にある無意識、
 潜在意識の中に出て来るものを
 隠して見えないようにすることができなくなります。
 つまり、
 潜在意識や無意識の中で押し殺しているものを、
 実際に見ても
 あなた方の価値観というものは減らないということです。
 このことに気づけば、
 いままであなた方が
 何千年も確固とした現実だと信じていたことが、
 実は夢だったということに気づきます。

 今、
 あなた方はこの夢から覚醒しているところです。
 夢の中で、
 自分の好きな夢を見て生きることができるようになります。
 見たくない夢を見るのではなく、
 見たい夢を見ながらこの生を生きることができます。

 『BASHAR』(p17-18)
──────────────────

(-||-)

このようないろいろな道、

いろいろな指示の言葉は、

路上に敷設された

路面電車の軌道のようなものかもしれません。

「そういう道があるのは知っている、

 そのような軌道を見たことがある」

と言っても、

それらの軌道はどんな働きもしてくれません。

それらの軌道が実際に力を発揮するのは、

どれかの軌道を信頼し、その軌道に乗って、

その軌道が導く方向に沿って進みながら、

要所要所で必要な転進ギアを入れるときです。

するとやがて、

どこかの地点で地上の常識との別れが起こる。

地上の常識の引力圏からの離脱が起こるのです。

地上の常識が外れるわけです。

pariパターンの場合、

地上の常識がしっかり人格に根づかないままに

ここまできてしまったようなところがあります。

そのため、

どこまでいっても何も変わらない。(*^_^*)

いつまでも同じように中途半端なままなのです。

わたしは自分なりの地上の常識を形成する以前に

親元を離れてしまいました。

中学二年生以降の人格形成、

シュタイナーの7年周期で言うなら、

第3期(14歳から21歳)以降の人格形成は

もっぱら読書で賄われたと言う他ありません。

なのでpariパターンは未成熟なまま、

どこが未成熟なのかを理解せぬままに

ここまで過ごしてきたようなところがあります。

長く自分がかなり常識から乖離していることを

理解していませんでした。

そのような変わり種の道具だったとも言えます。

まあ、人間はどんなパターンも固有種ですから、

変わり種という意味でも特別でもないと思いますが。

文字を読んで概念がわかれば、

それでいっぱしのことが理解できたと誤解するような

浅はかなタイプだったようです。

もし人間に成長というのがあるとすれば、

“自分”を特別視するメガネが

だんだん外れてくることかもしれませんね。

そのうちひたすら恥ずかしくなる。(*-_-*)

やがて恥ずかしいことが恥ずかしくなる。

そしてだんだんそのエネルギーも退潮する。

まあ、仕方がないことです。

で、このへんはすべて想念の扱いですが、

それで何かが完了したのでしょうか?

──────────────────
 あなたが知覚可能、想像可能なものは
 何ひとつあなたではありえず、
 何であれ、
 意識の領域に現れるものは自己ではないと
 ひとたび理解したなら、
 より深い自己実現への唯一の方法として、
 すべての自己同一化を断ち切ることだろう。
 否定することによって、
 文字どおりあなたは、
 まさにロケットのように進歩するのだ。
 あなたが
 身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、
 しかもその両方に気づいていると知ることは、
 すでに自己知識なのだ。

 『私は在る』(p537)
──────────────────

> あなたが知覚可能、想像可能なものは
> 何ひとつあなたではありえず、
> 何であれ、
> 意識の領域に現れるものは自己ではないと
> ひとたび理解したなら、

まさに知的には理解しました。

> より深い自己実現への唯一の方法として、
> すべての自己同一化を断ち切ることだろう。

これは自己と思われるものへの

関心がなくなるという意味なのでしょうか?

> 否定することによって、
> 文字どおりあなたは、
> まさにロケットのように進歩するのだ。

pariパターンが“ロケットのように進歩”して

いないことだけは確かに見えますが。

> あなたが
> 身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、
> しかもその両方に気づいていると知ることは、
> すでに自己知識なのだ。

うん。

わたしが

【身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、
 しかもその両方に気づいている】

ことは間違いないと思います。

ネイサン・ギルがこう言っていることです。

──────────────────
 僕たちは人間であるだけではなくて、
 人間にこうして気づいている
 ということでもあります。
 気づさであり、
 気づきの内容でもあるんです。
 一体性とは一切のすべてです。
 見かけ上の分離も一体性です。
 何かが変わらないといけない
 ということはありません。
 たった今すでに気づきがあって、
 今この瞬間にも内容を見ています。

 『すでに目覚めている』(p115-116)
──────────────────

> 僕たちは人間であるだけではなくて、
> 人間にこうして気づいている
> ということでもあります。

まさにこのことです。

わたしが人間であることも否定できないけれど、

同時にこうして

わたしが人間に気づいているということも

同じように否定できません。

わたしはこの物語の時空の中では

登場人物として間違いなく人間をやっている。

でも同時に、

わたしがpariという登場人物やその肉体に

気づいていることも確かです。

ということは、

> あなたが知覚可能、想像可能なものは
> 何ひとつあなたではありえず、
> 何であれ、
> 意識の領域に現れるものは自己ではないと
> ひとたび理解したなら、

の文脈に沿って言うなら、

わたしはpariという登場人物やその肉体に

気づいている「気づき」であって、

それらの「気づきの対象物」ではありえません。

しかしその両者を、

唯一の<意識>が現象として発現するための

<意識>の両側面とする観点では、

わたしは「気づき」と「気づきの対象物」の

両方ということになります。

> 気づさであり、
> 気づきの内容でもあるんです。

わたしは気づきの内容として

劇の中の登場人物を演じながら、

同時にその登場人物に気づいてもいます。

> 一体性とは一切のすべてです。

一体性とは気づさと気づきの内容を含む

<意識>の全体です。

今この瞬間に一切のすべてが在る、

それがネイサン・ギルの理解であり文法です。

> 見かけ上の分離も一体性です。

今起こっていることが起こっている。

見かけ上の分離が起こっているなら、

それも一体性が取っている表現です。

> 何かが変わらないといけない
> ということはありません。

それがそうあるべきでないというのは

劇の中の登場人物の一観点にすぎません。

> たった今すでに気づきがあって、
> 今この瞬間にも内容を見ています。

たった今この瞬間に

一体性である一切すべてのひとつの表現がある。

もちろん、

表現するからには何かを抽出し表現して、

それ以外を隠すしかない。

その他に表現の方法はありませんから。

しかし、

何かを表現し、

その表現に気づいていること、

そして表現するには

それ以外の方法がないことに気づいていることは、

一体性である一切すべての表現です。

つまるところは、

その表現に興味があるかどうかです。

そしてまた表現というもの

顕現というものに興味があるのなら、

苦情は言わないことです。

わたしはいまこの瞬間に

自分の執着を見ているのですから。

ふと、昔の一時期の思いが甦ってきました。

──────────────────
 あるとき、
 自分が生きているこのような宇宙の発生を
 是認できる方法があるものだろうか、
 と考えたことがある。
 ……
 その時、まるで冗談のように、
 “唯一納得できるとしたら、
  それはこの宇宙を創ったのがこの自分だった
  ということが分かった場合だけだろう”
 という思いが来た。
 無論、
 自分がこの宇宙を創ったなどということを、
 いささかでも信じたわけではなかった。
 ただ、
 単なるレトリックとしてであれ
 そんなことを思い至ったことに、
 何か神秘的な
 一種の驚きのようなものを感じたことも事実だった。
 それは、問いの解答とは、
 疑問を抱いた者自身に戻って来るのでなければ、
 本当らしくはないのではないか、
 という思いが来た初めての時だったかもしれない。

 そんなことがありえないのをよく知っていながら、
 しかも何故か、
 そこに何がしかの真理のかけらが
 あるような気がしたのだった。

 『21世紀への指導原理 OSHO』(p225-227)
──────────────────

それはこの瞬間に回想された

わたしの記憶であり、

この瞬間の宇宙の表現の一側面であり、

pariという道具の役割とも言えるでしょう。

しかしそういう言葉はすべて観念です。

単なる想像です。

わたしは自分の執着を見ている。

抱えた執着、問のエネルギーは、

それに見合った回答に出逢うまで

飛跡を描かなければならないことでしょう。

わかりきったこととです。

それらの何一つとして重要ではありません。

──────────────────
 意識の光のなかで、
 ありとあらゆることが起こる。
 人はそのどれにも
 特別な重要性を与える必要はない。
 花の眺めは神のヴィジョンを見ることと
 同じように奇跡的なものだ。
 それはそれとして放っておきなさい。
 なぜ思い出し、
 その記憶を問題にしなければならないのか?
 それを片寄りなく見ることだ。
 高い低い、内側と外側、
 永遠と一過性を区別してはならない。
 彼方へと超えていきなさい。
 源に戻りなさい。
 何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
 あなたの弱点は、
 あなたが世界のなかに生まれたと
 確信していることだ。
 実際には、
 世界はあなたによって、
 あなたのなかで、
 つねに再創造されているのだ。
 すべてをあなたの存在の源である光から
 出現したものとして見なさい。
 その光のなかに、
 あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。

 『私は在る』(p215)
──────────────────

> 実際には、
> 世界はあなたによって、
> あなたのなかで、
> つねに再創造されているのだ。

はい。

> すべてをあなたの存在の源である光から
> 出現したものとして見なさい。

わかりました。

> その光のなかに、
> あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.いただいたお手紙から:まーさん、
               ぶらっくばにーさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回、まーさんとおっしゃる方から

はじめてのご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】:
──────────────────
 素敵な記事でした。
 ありがとう。
──────────────────

> 素敵な記事でした。

あ、ほんとですか。(@_@)

あのニールス・ボーアがアインシュタインに

語った言葉あたりですね。

世界とはいつでもこちらの波動に応答する

無限のデータベースなのかもしれませんね。

でも娯楽に中毒すると出られなくなる。

こうして褒められると嬉しいです。(*^_^*)

> ありがとう。

こちらこそ。

エネルギー補給になりますので、

これからもときどき声をかけてくださいね。(^^)/

まーさん、ありがとうございました。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


もうお一方、ぶらっくばにーさんとおっしゃる方から

はじめてのご投稿をいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】:なるほどです。
──────────────────
 Pariさん、はじめまして。
 メルマガ購読は7年目になります。
 さて、私は中途失明により
 夢の中で夢を追いかけることを強制終了させられた
 視覚表現者です(夢の中でのこれまでの役割でした)。
 本の字が読めなくなり
 手元にあるマハラジの本も読めなくなり、
 アドヴァイタの情報は専らPariさんのメルマガを
 読み上げアプリで聞くことしかできておりません。
 盲人用の音声図書館には、
 アドヴァイタの本がほとんどなく、
 今年末にマハラジの「意識に先立って」と
 バルセカールの「意識は語る」(これは私のリクエストです)が
 音訳される予定です。
 最近いただいたバックナンバーを
 mp3ファイル化する作業をしていましたら、
 とても合点がいく言葉がありました。
 それは、
 「ネイサン・ギルの自死について」の回だったと思うのですが、
 記事の終わりの方で
 Pariさんの私見を語っていた部分だと思いますが
 「ホーキング博士は、
  これ以上何が望めるだろうか。」と言っていた
 と書かれておりました。
 なんだか今の私には
 この言葉がとてもヒットしたようで、
 いつの瞬間も私は最高の私なのだと、
 とても納得した次第です。
 マハラジの言葉を知った2012年から
 何度かの落ち込みを経験し、
 それでもこのメルマガを読むうちに
 知らなかったことにしておきたい言葉も
 腑に落ちるようになってきました。
 ラングフォードさんの「気づきに気づく瞑想」も
 なんとなく続けていると
 マハラジの言っていたことが解る感じがしてきます。
 なんだかんだで、
 長くとりとめもない文章になってしまい
 申し訳ありません。
 これからも、Pariさんのペースで続けてください。
──────────────────

> Pariさん、はじめまして。

ぶらっくばにーさん、はじめまして。

> メルマガ購読は7年目になります。

長いことお読みいただき

ありがとうございます。m(_ _)m

> さて、私は中途失明により
> 夢の中で夢を追いかけることを強制終了させられた
> 視覚表現者です(夢の中でのこれまでの役割でした)。

なんと。(@_@)

(「視覚障害者」と読みましたが、いいですね?)

> 本の字が読めなくなり
> 手元にあるマハラジの本も読めなくなり、
> アドヴァイタの情報は専らPariさんのメルマガを
> 読み上げアプリで聞くことしかできておりません。

ふーむ。(-_-;)

そういうお役に立っていましたか。

> 盲人用の音声図書館には、
> アドヴァイタの本がほとんどなく、
> 今年末にマハラジの「意識に先立って」と
> バルセカールの「意識は語る」
> (これは私のリクエストです)
> が音訳される予定です。

なるほど。

> 最近いただいたバックナンバーを
> mp3ファイル化する作業をしていましたら、

そういうソフトがあるのですか……。

> とても合点がいく言葉がありました。

はい。(@_@)

> それは、
> 「ネイサン・ギルの自死について」
> の回だったと思うのですが、
> 記事の終わりの方で
> Pariさんの私見を語っていた部分だと思いますが
> 「ホーキング博士は、
>  これ以上何が望めるだろうか。」と言っていた
> と書かれておりました。

ああ、あの言葉ですね。

あれは、

オックスフォード大学で

たまたま学生時代のホーキング博士や

それ以後の博士に接近遭遇したことがあるという

エックハルト・トール氏の本で知った言葉です。

> なんだか今の私には
> この言葉がとてもヒットしたようで、
> いつの瞬間も私は最高の私なのだと、
> とても納得した次第です。

そうでしたか。

では、あの言葉は、

ぶらっくばにーさんにお伝えするために

書かされた言葉だったのですね。

> マハラジの言葉を知った2012年から
> 何度かの落ち込みを経験し、
> それでもこのメルマガを読むうちに
> 知らなかったことにしておきたい言葉も
> 腑に落ちるようになってきました。

ありがたいことです。(-||-)

> ラングフォードさんの
> 「気づきを見守る気づき瞑想」も
> なんとなく続けていると
> マハラジの言っていたことが
> 解る感じがしてきます。

そうなんですね。

では、ぶらっくばにーさんには、

このメルマガが本当に役立って

いるのかもしれませんね。

ありがたいことです。(-||-)

> なんだかんだで、
> 長くとりとめもない文章になってしまい
> 申し訳ありません。

とんでもないです。

ぶらっくばにーさんのような方に

読んでいただいているとは、

まことに身に余る光栄です。

そのようなことは

まったく想像外のことでした。

そういう方の

役に立っているのかもしれないと思うと、

身が引き締まる思いです。

> これからも、
> Pariさんのペースで続けてください。

ありがとうございます。

ぶらっくばにーさん、

とても力をいただきました。

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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なんの変化も起こっていない、

とも言えます。

でも、

なんの変化も起こる必要がない

とも言えそうです。

あるいは、

進歩がなければ退歩が起こっている

のかもしれません。

要するに、

すべては自分に配達されてきた

想念にすぎません。

自分の思いなど自分以外には誰も気にしていません。

要するに、

ただの一人芝居、

どうでもいいことです。

【実際には、
 世界はあなたによって、
 あなたのなかで、
 つねに再創造されているのだ。】

(-||-)

今日はすっかり昏くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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