home > 通信 >『アセンション館通信』第787号:自分が決めなくても次の画面になる



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/5/19(第787号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あなたがしなければならないことは、
 真我でない他のものごとに注意をはらうのをやめることだけだ。
 もしそれらに気づくのをやめれば、純粋な覚醒だけが残る。
 それが真我である。(『あるがままに』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在813名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自分が決めなくても次の画面になる

2.いただいたお手紙から:ぶらっくばにーさん

3.編集後記
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■ 1.自分が決めなくても次の画面になる
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今日は晴れたり曇ったり。

外に出ていると

時には日差しが強くなりましたね。

デッキの補修が残っていたので

今日はだいぶ身体を動かしました。

これは暑いかもと思ったときは、

首に濡れたタオルを巻いたりでした。

一区切りのところまで行ったので、

外仕事は今日はこれまでです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

いつ頃からかはわかりませんが、

気がついたら、

ありもしない抽象的な問題をあえて作って

悩むということはあまり起こらなくなっています。

過剰な思考エネルギーが枯渇したのでしょうね。

自慢するつもりもないですが、

こんなの普通はあまりにも当たり前で、

はじめから自慢の種になる話でもないですね。(^^;)

でも自分的には、

なんだか穏やかになったなぁ、という気もします。

どういうのが普通かはわかりませんが、

人間の部類としては、

ごく平均的な状態になったのかもしれません。

普通に生活上の心配はします。

だいたい曜日でやる仕事が決まっているんです。

いつもやっている作業って

できるという自信があるので結局できるんですよね。

それ以上のことをそれほど考えなくなりました。

というか、

やらなきゃならないことが順番に来るので

それに対応していたら一日は終わります。

他の人のことは知りませんが、

だいたい誰でも結局はそんなものなんでしょうか。

昔は、そういうことがすべて、

問題だったような気がします。

いったい、なんのためにこんなことがあるんだ、なんて。(*^_^*)

そんなの、考えたってわからないですよね。(^_-)

理屈なんて、いくらでも湧いてくるんですから。

それで、

そういうことがすべて問題だった状態の人間が、

そういうことが問題にならなくなると、

まあ平和にはなりますよね。

ふふ。

そのことについて、

自分の手柄など何一つ無いことも自明です。

だって、

自分がやったことなど何一つ無いですから。

自分がやっていると思っていたことが

昔はたくさんあったはずですが、

気がついたら自分でしていることなど

何もありませんでした。

実際、自分って、そんな能力ないですよね。(*^_^*)

昔は何でも自分でやっていると思っていたんですけどね。

だから、ずいぶん苦しかったんだと思います。

でも、いろいろ賢者の意見など聴いているうちに、

自分がやっていることなんて何も無いということが、

とてもはっきりしてきてしまいました。

とはいえ、

自分が決断しなきゃと思っている状態があるなら

まあ、そうしか思えないわけですが。

でも、

自分が決断してもしなくても、

次の画面はあるということが事実として歴然とすると、

いつの間にか別に決断なんかしなくても

ちゃんと次の画面になっていることが増えるかも。

本当は、昔もそうだったんですね。

心配していたとき以外はすべて、

特に問題もなく流れ去っていたのでしょう。

でも自分が何かができると思うあいだは、

やっぱり、

自分に何ができるかを思い悩むしかないです。

いずれにせよ、

そのとき起こることが起こるわけです。

それでですね、

たぶん年を重ねて処理能力が劣ったからですが、

自分では、あ、あれ決めなきゃ、と思ったはずなのに、

なんと、それを忘れて、

決断が間に合わないことが多くなる。

そしたら、

それでもやっぱり次の画面になるんです。

なんだ、別に悩まなくても同じなのか、

ただ起こることが起こるだけじゃん、

なんてことが事実としてわかってしまいます。

自慢できるような話でもないですが。

人間の苦しみって、

比較という観念操作による部分が大きいですよね。

ところが、

比較が単なる虚構の想像にすぎないことが

あまりにも自明になってしまうと、

いつの間にかあまり起こらなくなりますね。

するとそれだけで、

あったはずの苦しみが激減してしまいます。

つまり何もないところに

あえて何かを想像していたそのことが

気がついたら消えてたというだけですけど。

頑張って問題を発明しても

たいして役には立たないことが

経験的に知悉されてくると、

いつの間にか無駄な抵抗が少なくなるんでしょうね。

一種の省力化です。(^_-)

何ひとつとして自分の手柄ではない。

ただ自然現象が起こっているだけです。

この前、

NHKスペシャル「人体II 遺伝子(2)」

「“DNAスイッチ”が 運命を変える」

という番組を見ました。

メインのテーマは

最近遺伝子研究の世界に起こっている

「エピジェネティクス(後成遺伝学)」

と呼ばれる最もホットな話題の話でした。

従来遺伝子というのは

肉体の誕生時点ですでに100%決定されいて

後天的にはどうにもならないものでした。

そしてたとえば、

ヒトゲノムのDNA配列の場合

日米英など6カ国の国際研究チームによって

2003年に99%が精度99.99%で解読されて

終了したわけですよね。

でもこれはただ塩基配列が確定しただけで、

その配列が具体的にどんな機能を定義しているのかは

まだ2%くらいしか解読されていないのだそうです。

ヒトゲノムのDNA配列の残り98%の機能は

わかっていないわけです。

これまでのところその役割のない塩基配列は、

ジャンクDNAと呼ばれていたわけです。

ところが最近この遺伝子研究の世界に、

一種のパラダイムシフトが起こった。

それぞれのDNA配列の機能を

オンにしたりオフにしたりする

DNA「スイッチ」のような仕組みが

備わっていることがわかったというのです。

その切り替えで遺伝子の働きが

がらりと変化する可能性があるようだと。

体質や能力、病気のなりやすさまで変わり、

人間の運命や人生までも左右するらしい。

いままで何の機能も果たしていなかったために

ジャンクDNAとみなされてきた配列は、

単にスイッチがオフだったにすぎないらしい。

というわけで、

現在の地球人類はどうやら本来の能力の

わずか2%しか使っていないらしいということになった。

スイッチをオンすることさえできたら、

人類はこれからその50倍もの能力を

開花させられるかもしれないのだと。

遺伝子研究者の世界に

「トレジャーDNAを探せ」という

いわば遺伝子バブルが起こっているというのです。

……そう言えば。

もうだいぶ昔になりますが、

精神世界本に夢中になっていたころ、

この地球という

宇宙でも稀有な貴重な不動産を巡る

宇宙戦争に破れたシリウス星人が、

地球から退散する前に地球人への贈り物として、

地球人のDNAにある仕掛けをほどこした、

という話を読んだことがありました。

その贈り物とは、

戦いに勝った征服者がルーシュ採取の

地球牧場の稼働効率を上げるために

地球人のDNAの大部分を無効にするために

施した遺伝子ロックが

ある時期が来たら自然解錠されて

遺伝子機能がオンになる仕掛けを施したというのです。

それが今という時代なんでしょうかね。

それで……、

このNHKスペシャルを視ていて感じたんですが、

すべてが物質で表現されていて、

自分なんてどこにもいないということが

こんなにまで明白になったんだなと思いました。

解説者も、またコメンテーターたちも、

それを視聴している自分も、

すべて素粒子レベルの動きで反応を決定されながら、

決定論の世界を演じさせられている。

いやそもそも、れる・られるで、

受動態で表現されるべきどんな実体も存在しないのです。

ただ見かけ上の動きがあるだけです。

それを<意識>が見ている。

現象の中のどこにも

自分などいようはずもない。

湧いてくる想念の中で

一見、見かけ上の比較が起こって

舞い上がったり、

落ち込んだりしているように見えても、

実際はそれは物質の動きであって、

そこに誰かがいるわけではない。

ただ超高精細・超高速のRPGゲームのなかで

自然現象が起こっているだけです。

それを<意識>が見ている。

今こういう言葉がモニター上に現れていても、

どうやってこんなことを実現しているのか、

そんなことを一切わたしは知らない。

すべては謎です。

想像上の比較優位を演じて舞い上がるとか、

想像上の比較劣位を演じて落ち込むとか、

そんなことが起こるときは起こる。

でも、なぜ、どうやって

そんなことを起こせるのか、

そんなことが起こっているのか、

そんなことを知っている人は誰もいない。

誰にとっても、

その人が知っていると思っていることが

起こっているだけです。

──────────────────
 意識の光のなかで、
 ありとあらゆることが起こる。
 人はそのどれにも
 特別な重要性を与える必要はない。
 花の眺めは神のヴィジョンを見ることと
 同じように奇跡的なものだ。
 それはそれとして放っておきなさい。
 なぜ思い出し、
 その記憶を問題にしなければならないのか?
 それを片寄りなく見ることだ。
 高い低い、内側と外側、
 永遠と一過性を区別してはならない。
 彼方へと超えていきなさい。
 源に戻りなさい。
 何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
 あなたの弱点は、
 あなたが世界のなかに生まれたと
 確信していることだ。
 実際には、
 世界はあなたによって、
 あなたのなかで、
 つねに再創造されているのだ。
 すべてをあなたの存在の源である光から
 出現したものとして見なさい。
 その光のなかに、
 あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。

 『私は在る』(p215)
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(-||-)

──────────────────
 人間はいったい、いつになったら
 ひとつのことを別のことに
 対立させるのをやめるのか?

 あらゆる対立を棄て去りなさい
 何が起ころうと幸せでありなさい
 そして、あなた自身を満たしなさい

 『Ashtavakra Gita』(p77-79) 
──────────────────

(-||-)

ただ、

今の瞬間こんな言葉が語られていても、

それはただ想念上の癖として

起こっているにすぎないことも確かなのでしょう。

いっさいの想念に興味がなくなって、

ただその源だけが関心の焦点になる、

そういうことが起こる必要があるのかもしれませんね。

そして時が満ちてシフトが起こる。

そうしたら、

すべての想念は

発生時に塩漬けにされるのでしょうね。

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

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■ 2.いただいたお手紙から:ぶらっくばにーさん
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▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見や単なるメールなど、

ご自由にお書きください。


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前回に続いて今回も、

ぶらっくばにーさんからご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】:ありがとうございます
──────────────────
  先週は投稿の掲載をありがとうございました。
  今回は、あるスピリチュアルコースに参加した時の体験です。
  そのコースの最終段階でラングフォードさんの著書の「どんど
 ん放出法」のようなことをするのですが、私はそれを終えた後、
 どんな言葉でも表現できない意識状態になりました。おそらくそ
 れは「無限の気づき」とも、あるいは脳科学者なら「変性意識」
 と呼ぶものなのかもしれません。
  何を見ても聞いても、あえて言うなら「至福」しかないように
 感じるのです。個吾の私はその時、廃車置き場になっている空き
 地で割れたガラスの破片や雑草や太陽が素晴らしいものに感じま
 した。
  それからその状態でぶらぶら散歩をし、10分くらいが経った頃
 です。自分の周りの全てが、ただの蜃気楼のような白昼夢のよう
 に見えてしまったのです。(この当時は見えておりました)これ
 は、1分くらいの短い間でしたが、とても奇妙で若干の恐怖も感
 じました。心の中で「これは嘘だ!嘘だ!さっきの至福はどこへ
 いったんだろう。」と言う内に、またあの至福が戻り、その日は
 寝付くまでその意識状態が続きました。
  アドヴァイタの言葉に触れられる今になって考えますと、あの
 時の白昼夢は、そちらの方がリアルだったのかとも思えてしまい
 ます。
  真我の探求とは来ては去ってゆく体験ではないと言われます
 が、覚者といわれる方々は、こんな風に世界をとらえているのか
 とも思います。
  私は小さい頃から宗教や神秘的なものに魅かれ、青春時代には
 バシャールから精神世界に興味を持ち、上記にあげたコースに夢
 中になり、しばらく正面から個人を演じ、そう言えばアセンショ
 ンと騒ぐ2012年の暮れだけどそれってどうなの?とネットを散策
 していたところ「アセンション館」に出会った訳です。
  それで、Pariさんのメルマガを一気に読み漁り「マハラジすご
 い!アセンションあったわ!」と衝撃を受けた訳です。
  ぶらっくばにーパターンはPariさんパターンに出会うシナリオ
 だったのでしょう。
  何せこのパターンは絵やデザインばっかりやってきたので、言
 葉で表現することに困難さを感じるのです。でも、半盲になった
 からには、こちらの能力もサバイバルには必要のようです。
  長文になってしまいましたので、今回はこのへんで。
  乱文をお許しください。 
──────────────────

>  先週は投稿の掲載をありがとうございました。

こちらこそ、ご投稿いただき嬉しかったです。

>  今回は、あるスピリチュアルコースに参加した時の体験です。

はい。

>  そのコースの最終段階でラングフォードさんの著書の「どんど
> ん放出法」のようなことをするのですが、私はそれを終えた後、
> どんな言葉でも表現できない意識状態になりました。おそらくそ
> れは「無限の気づき」とも、あるいは脳科学者なら「変性意識」
> と呼ぶものなのかもしれません。
>  何を見ても聞いても、あえて言うなら「至福」しかないように
> 感じるのです。個吾の私はその時、廃車置き場になっている空き
> 地で割れたガラスの破片や雑草や太陽が素晴らしいものに感じま
> した。

そうですか。

ぶらっくばにーさんには至福体験があるんですね。

わたしは昔から至福体験に憧れているんですが、

どうやら、そういう道具ではないようです。(*^_^*)

>  それからその状態でぶらぶら散歩をし、10分くらいが経った頃
> です。自分の周りの全てが、ただの蜃気楼のような白昼夢のよう
> に見えてしまったのです。(この当時は見えておりました)これ
> は、1分くらいの短い間でしたが、とても奇妙で若干の恐怖も感
> じました。

なるほど。

> 心の中で「これは嘘だ!嘘だ!さっきの至福はどこへ
> いったんだろう。」と言う内に、またあの至福が戻り、その日は
> 寝付くまでその意識状態が続きました。

きっとホッとなさったでしょうね。

>  アドヴァイタの言葉に触れられる今になって考えますと、あの
> 時の白昼夢は、そちらの方がリアルだったのかとも思えてしまい
> ます。

そういうふうにも思える体験だったのですね。

>  真我の探求とは来ては去ってゆく体験ではないと言われます
> が、覚者といわれる方々は、こんな風に世界をとらえているのか
> とも思います。

ありえますよね。

>  私は小さい頃から宗教や神秘的なものに魅かれ、青春時代には
> バシャールから精神世界に興味を持ち、上記にあげたコースに夢
> 中になり、しばらく正面から個人を演じ、そう言えばアセンショ
> ンと騒ぐ2012年の暮れだけどそれってどうなの?とネットを散策
> していたところ「アセンション館」に出会った訳です。

おー、そうでしたか。

>  それで、Pariさんのメルマガを一気に読み漁り「マハラジすご
> い!アセンションあったわ!」と衝撃を受けた訳です。

あ、もしそう言えるのなら、

このメルマガが今も

『アセンション館通信』を名乗っているのも

まんざら間違いとも言えないかもですね。

わたしの場合は、

マハラジに出会う以前に書いていたアセンション情報が

素晴らしい世界に行けるという類の受け止め方だったので、

ニサルガダッタの話はアセンションとは

無関係な話のように受け取っていました。

でもまあ、これまでの地球人類の観点から言えば、

どちらも大差ないかもしれませんね。

>  ぶらっくばにーパターンはPariさんパターンに出会うシナリオ
> だったのでしょう。

光栄です。

>  何せこのパターンは絵やデザインばっかりやってきたので、言
> 葉で表現することに困難さを感じるのです。でも、半盲になった
> からには、こちらの能力もサバイバルには必要のようです。

すべて全体がやっていることですものね。

>  長文になってしまいましたので、今回はこのへんで。
>  乱文をお許しください。 

ぶらっくばにーさん、

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:
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今日のデッキ補修は楽しかったです。

畑というのはどうもうまくできません。

わたしはタイミングとかリズムとか

そういうことが必要なものをうまく扱えないようです。

まあ、

ある時期から理屈ばかり考えてきましたから。

でも、その理屈エネルギーも

少しずつ退潮しているのかもしれません。

自然現象が起こっているのでしょう。

今日はすっかり昏くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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Copyleft(C)2019 paritosho
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