home > 通信 >『アセンション館通信』第789号:想念は自分?それともエゴ?



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/6/02(第789号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
 苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
 れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
 (『ダイレクトパス』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在812名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.想念は自分?それともエゴ?

2.編集後記
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■ 1.想念は自分?それともエゴ?
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今日はわたしが夢見ている山里では

暑すぎもせず、寒すぎもせず、

ちょうどいい頃合いの天気です。

部屋の掃除をするとやっぱりスッキリしますね。

ありがたいことです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

土曜日は仕事をしなくていい日なので、

やっぱりゆったりしますよね。

ゆっくり新聞を眺めていたのですが……、

ふと、

気違い病院だなぁという感じが起こりました。

いや、もちろん見るわたしがバカなんです。

それは大前提なのですが……。

でも、その自分のバカさ加減を

本当にわかっているのかと言えば、

いや、それは言えないわけです。

だって、

こうしてそのバカを続けているわけですから。

人生の大部分をそうして浪費し続けている。

言い訳の余地などまったくありません。(;_;)

わたしが眺めている朝日新聞は

土曜日は読書欄が多い日です。

長い目乞食歴からまだ脱出していないので

ついつい新聞の下側にある週刊誌広告を

眺めたりもします。

ひとつ一つ、一行一行のメッセージが

注意を求めて叫んでいます。

こういうのはすべて意味を訴えて

読者の注意を引こうとしていることは自明です。

もしわたしが

人生に意味を求めているというのなら、

それを眺めるのはごく真っ当です。

終始一貫しています。

そこに目を晒していれば

何か新たな意味の端緒が見つかるかもしれない。

そこから新たな意味を紡げるかもしれないわけですから。

しかし、

もし人生に固有の意味などまったく無いと、

あるいは、

意味とはすべてただ捏造された観念にすぎない。

意識の中のある観点からの風景にすぎないと

心底納得が行ったのなら……、

それなら

意味を発酵させる麹菌でしかない情報に

これ以上目を晒す必要はないわけです。

エゴの差し出す撒き餌に、

ばんたび食いついていく必要はない。

もっとも、

もしこのpariパターンの愚かさに意味があるなら、

エゴに騙される愚鈍さの例を

とことん宣伝するサンドイッチマンとして

pariの身体が誕生したということかもしれない。

まあ、その可能性なら無きにしもあらず。

情報依存症という愚鈍さも

こうして薄めて演じれば一生だって使えます。

もちろんpariはそうやって

道具として使い倒されればいいわけです。

問題は、

わたしはpariなのか?

それともそれを見ている意識なのか?

ということですよね。(^_-)

pariなら勝手に道具として一生使い倒されればいい。

しかし、

pariという道具を見ている意識なら

そろそろ想念を拒絶し始めても早すぎない。

早すぎないのはわかっているけれど、

もしかして遅すぎもしないかもしれない。(^_-)

そういう愚かパターンもマハルシは見捨てません。

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 質問者 
 探求の初期段階では
 他の想念を拒絶しなければならないと、
 たびたびあなたは言われました。
 しかし、想念は果てしなく起こり、
 ひとつの想念を拒絶すると別の想念が現れ、
 際限がありません。
 
 マハルシ
 私は想念を拒絶し続けなければならない
 とは言っていない。
 あなた自身、
 つまり「私」という想念を固守しなさい。
 あなたの関心がそのひとつの想念に絞られたとき、
 他の想念は自動的に拒絶され、
 消え去るだろう。
 
 質問者
 では、想念の拒絶は必要ないのですね?
 
 マハルシ
 いいや。
 しばらくの間は必要となるかもしれない。
 想念が起こるたびに拒絶していくことには
 きりがないとあなたは想像している。
 それは本当ではない。
 終わりは来る。
 もし油断なく、
 想念が起こるたびに拒絶するよう
 断固とした努力をつづければ、
 すぐにも内なる自己のなかへ深く、
 より深く入っていくのがわかるだろう。
 この段階に至れば、
 想念を拒絶する努力は必要なくなる。
 
 質問者 そのときには、努力なしにただ在る
     ことも可能なのですね?
 
 マハルシ
 それどころか、
 ある限度を超えれば
 努力をすることが不可能になるのである。
 
 『あるがままに』(p103-104)
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> 質問者 
> 探求の初期段階では
> 他の想念を拒絶しなければならないと、
> たびたびあなたは言われました。
> しかし、想念は果てしなく起こり、
> ひとつの想念を拒絶すると別の想念が現れ、
> 際限がありません。

この方ほどにも

pariは真摯ではないかもしれない。(-_-;)

> マハルシ
> 私は想念を拒絶し続けなければならない
> とは言っていない。

いつまでもいつまでも永久に

想念を拒否し続けなければならないわけではない。

> あなた自身、
> つまり「私」という想念を固守しなさい。

あなたがもし

本当に想念を拒否したいのなら、

想念が湧いた何回かに一度くらいは

あなたはその想念に気づくことだろう。

想念があるのに気がついたら、

「この想念は誰に起こっているのか?」と尋ねなさい。

その答えはもちろん「私」だろうから、

その「私とは何か?」と尋ねたらいい。

そうやって「私」という想念を固守しなさい。

> あなたの関心がそのひとつの想念に絞られたとき、
> 他の想念は自動的に拒絶され、
> 消え去るだろう。

もしあなたがそれをやり続ければ、

あなたの関心は「私」という一つの想念に絞れられていく。

他の想念は自動的に拒絶されて消え去るだろう。

> 質問者
> では、想念の拒絶は必要ないのですね?

プ!(>_<)

この方はpariと同じほどにも甘い。(^_-)

> マハルシ
> いいや。
> しばらくの間は必要となるかもしれない。

マハルシの【しばらく】は、

pariの【一生】かもしれない。

あるいは、その解釈自体がエゴによる暗示かもしれない。

> 想念が起こるたびに拒絶していくことには
> きりがないとあなたは想像している。

そこまで想像するほど

pariは真剣にはならなかった……。(-_-;)

> それは本当ではない。
> 終わりは来る。

真剣に始めた者には

思考が湧くことの【終わりは来る】。

> もし油断なく、
> 想念が起こるたびに拒絶するよう
> 断固とした努力をつづければ、
> すぐにも内なる自己のなかへ深く、
> より深く入っていくのがわかるだろう。

【断固とした努力をつづければ】……。

これが始まっていないことには、

何も始まってはいない。

> この段階に至れば、
> 想念を拒絶する努力は必要なくなる。

【この段階に至る】ためには……、

【断固とした努力をつづければ】ならない。

> 質問者 そのときには、努力なしにただ在る
>     ことも可能なのですね?
> 
> マハルシ
> それどころか、
> ある限度を超えれば
> 努力をすることが不可能になるのである。

【断固とした努力をつづけ】、

【内なる自己のなかへ深く入っていく】のが

わかる【段階に至れば】、

【努力をすることが不可能になるのである】

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
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湧いてくる想念が

すべてエゴの言葉である可能性もある、

そういう可能性に思い至りました。

可能性どころかすべての想念がそうかもしれない。

その可能性を疑ってもいいかもしれない。

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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