━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/6/30(第793号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
(『ダイレクトパス』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在813名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.虚構の「自分」の素性探し
2.編集後記
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■ 1.虚構の「自分」の素性探し
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上半分の曇天。
雲の中に微かに青空が混ざっていたりして。
こういうのけっこう好きなんですよね。
だからどうということはありませんが。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
昔、二十代のはじめのころ
下宿の一室の布団の上で突然、
「これまであったことは
もう二度と戻ってこないんだ」
と痛切に気づいたことがあります。
こんなことを強く意識するのは
あまり健康的とは言えないかもしれません。
たぶんそんなふうに感じられたのは、
少年時代のある時期にひとり親元を離れて
それまでの生活空間から離れた所に移動したため、
何かの連続性がそこで断たれたせいかもしれません。
ホームシックは経験したことはありませんが、
潜在していた何かの感傷が浮上したのでしょう。
そして
「もう二度とあの時代には戻れない」ということが
一種哀切な喪失感として意識されたのです。
それが人生では
【すべては取り返しがつかない】ということを
強く意識させられた初めての経験でした。
この【すべては取り返しがつかない】という感覚は、
別の時期に、
「一度起こってしまったことは
けっして無かったことにはできない」
という別の側面の論理的感覚として
強く意識されたこともありました。
pariという夢の登場人物は
〈純粋意識〉がそういう感情論理を巡る探求を
展開する触手だったのかもしれません。
レオ・ハートンの『夢へと目覚める』のなかに
次の一節を見たとき、
その言葉の論理的な必然性とともに
そんな昔の記憶が一挙に蘇りました。
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今あるとおりにありながら、
生はそれ自体を超える意味を持たない。
『夢へと目覚める』(p184)
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> 今あるとおりにありながら、
> 生はそれ自体を超える意味を持たない。
起こってしまった生の一瞬一瞬は
けっしてそれ以外のありようがなく、
それがどんな意味づけをともなって体験されようと
それでこそ完全であり、
その瞬間に体験された以外の意味が
生のなかにあるわけではない。
それがどのような瞬間であろうとも、
生はその瞬間を超える意味を持つわけではない。
どんな落ち込みの瞬間も、
どんな自惚れの瞬間も、
どんな優美さの瞬間も、
どんな残酷さの瞬間も、
その瞬間はその瞬間のためにのみ顕現しており
それ自体が〈純粋意識〉の神聖遊戯……。
そこにそれ自体以外のいかなる目的も
いかなる超越的意味もあるわけではない。
【今あるとおりにありながら、
生はそれ自体を超える意味を持たない。】
なぜなら、
いかなる観点いかなる体験の瞬間も
その瞬間以外の瞬間によって
代替されることはありえないし、
いかなる観点いかなる体験の瞬間も
その瞬間以外の瞬間を代替することはできないから。
もしそれが起こってしまったのだとしたら、
それは起こってしまったの。
現象世界のすべては取り返しがつかない。
もしそれが起こってしまったのなら……。
現象世界とは多様性の世界です。
分離した個別主体の存在を前程する
ドラマの舞台とも言える空間です。
自分がいて他者がいる物語の世界です。
その前提となる分離幻想が崩壊するとき、
その物語世界は崩壊します。
他者が崩壊し、自分が崩壊し、
参照が崩壊し、比較が崩壊します。
二元性が定義する一切の意味が崩壊します。
もしも現象世界のなかに
自分がいないことがわかってしまったら、
いったいどういうことになるか?
しかしながら、では逆に、
現象世界のなかに自分の実体を
本当に確認できるのだろうか?
「自分」とは、
単なる集合名詞でもなく、
また単なる抽象概念でもない、
何らかの分離した実体が
現象世界のなかに存在するという意味です。
現象世界の中に本当に
そのような分離・独立した実体を
確認できるのでしょうか?
レオ・ハートンは言います。
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自我の背後の真実は、
あまりに近すぎて
調べることができない何もなさだ。
調べられないのは、
それこそがまさに調べようとする試みが
そこから生じている源だからだ。
このことがわかると、
自分の行動すべてを動かしている主体が
虚構の「自分」ではなく、
普遍のエネルギー、
または真の〈自己〉であることが明白になる。
「自分」が存在するという思い込みも、
悟りの探求をも、
この原初的活動エネルギーによる
面白半分の活動にほかならないことが
誰でもないものによって見抜かれる。
探求者の旅における宇宙的冗談は、
探求の燃料になっているエネルギーこそが
まさに探していたものだったということだ。
『夢へと目覚める』(p183)
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> 自我の背後の真実は、
> あまりに近すぎて
> 調べることができない何もなさだ。
こうして想念として浮上する気分を
われわれは自分だと思っている。
しかしそれを確認しようとするとき、
浮上する思考がその思考自体の素性を
思考のなかに思考として確認することはできない。
思考にとってそれはあまりにも近すぎて
調べることができないからだ。
> 調べられないのは、
> それこそがまさに調べようとする試みが
> そこから生じている源だからだ。
なぜなら、
そこで思考が調べようとしている思考の素性とは
そのとこその思考が生じている源そのものだから。
> このことがわかると、
> 自分の行動すべてを動かしている主体が
> 虚構の「自分」ではなく、
> 普遍のエネルギー、
> または真の〈自己〉であることが明白になる。
いったいこの浮上する思考以外の
どんな実体がこの思考を統御しているというのか?
この一瞬一瞬湧いてくる思考以外に
どんな独立した分離実体がありえるだろう?
そのことが動かしがたい事実となって暴露されたとき、
「自分」という主体が自分の行動を動かしているという
概念の虚構性は暴露され「自分」は崩壊する。
湧いてきているエネルギーは
虚構の「自分」が浮上させているのではなく、
そのエネルギーはそれ自体として普遍のものであり、
真の〈自己〉から現れていることが自明になる。
> 「自分」が存在するという思い込みも、
> 悟りの探求をも、
> この原初的活動エネルギーによる
> 面白半分の活動にほかならないことが
> 誰でもないものによって見抜かれる。
「自分」が存在する?
どこに? どんな「自分」が?
悟りを探求する?
誰が? どんな悟りを?
すべてはこの原初的活動エネルギーの戯れ。
何の目的もない神聖遊戯にほかならない。
誰が見抜くのでもなく、
ただそのことが見抜かれ、自明になる。
> 探求者の旅における宇宙的冗談は、
> 探求の燃料になっているエネルギーこそが
> まさに探していたものだったということだ。
すべてはこの探求のエネルギーの
自らの素性探しにすぎなかった。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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こうして土曜日だけは舞い上がっています。
だからといって
なにがどうなっているわけでもありませんが、
だんだん空気は抜けてきているかも。
エゴというものがあるのだとしたら、
いつの間にかパンクしているのかもしれません。
すべては自然現象なのでしょう。
今日も晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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