home > 通信 >『アセンション館通信』第794号:すべてが一体性の完璧な表現



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/7/07(第794号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。


 あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
 苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
 れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
 (『ダイレクトパス』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在813名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.すべてが一体性の完璧な表現

2.編集後記
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■ 1.すべてが一体性の完璧な表現
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今年の梅雨はわりあい真面目ですね。

去年に比べると涼しいし。

昔は夏の暑いのは苦になりませんでしたが、

このごろは涼しいほうがいいです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

今朝がた布団の中で微睡んでいて、

ちょっと不思議な感じを味わいました。

本当にわかっていることなど

何ひとつ無いような気がしたのです。

そうしたら、

ああ、そうか、

「私は在る」ことだけが確かなのか……

という思考がきました。

自分が存在していることは否定できない。

それだけですね、確かなのは。

何がどう実現されているのか

などということは一切わかりません。

すべては神秘なんですね。

昔、

無意識の物理過程から意識生命が誕生した

という可能性は万にひとつもない、

というテーマをムキになって

論証しようとしたことがありました。

そのこと自体は

疑う余地が無いように思えました。

でも、

ではそれが何を意味するのかは

わかっていませんでした。

この眼前に展開している現象世界は

物理次元から立ち上がったものではない。

この意識世界には

物理的根拠(物質的起源)は無い。

それは確かだと思われたけど、

それがもし本当なら、

それがどういうことか、

わかっているつもりでいても、

その包含がわかっていなかった。

最近改めてそういうことを

意識するようになっていました。

そんな経緯があったせいでしょう。

今朝がた布団の中で微睡みながら、

本当に確実にわかっていることなんて

何も無いんだなということが

妙にリアルに迫ってきたのです。

人間の“日常感覚”は

物理過程というか

物理的根拠に依拠している度合いが

けっこう大きいみたいですね。

物理的根拠が失われたくらいで、

何もかもわからなくなってしまう。

「意識は誕生できない」

ということを論証したと思ったとき

その論拠としたのは、

もし物質過程が無意識の過程なら、

その無意識の物質過程が

どうやって意識に憧れられるのか?

ということでした。

そんなことがありえないのは自明でした。

意識が無意識の物質過程から誕生したのなら、

どこかの時点で無意識の物質過程は

意識に憧れたに違いありません。

でも

そんなことがありうると思いますか?

物質過程が意識に憧れたのなら、

そこには最初から意識があったわけです。

つまり「意識は誕生できない」のです。

物質過程は

最初から<意識>のなかに現れているか、

または

物質過程とは<意識>の一部なのです。

また

現象世界が物理的起源からは

発祥しえないのなら、

無意識的過程というようなものは

元々ありえないということです。

存在するのは「意識」だけです。

物理過程とは

「意識」の表現的側面のことです。

色即是空です。

だから

こういった理屈はすべて

「意識」の表現的側面です。

この眼前に展開している現象世界と

そこに起こってくる様々な思考が

物理次元から誕生したものでないのなら、

残る可能性は

わたしが見ているこの現象世界は

〈意識〉が見ている夢です。

現象構造体のなかに

分離した実体など存在できません。

【見かけ】のなかの虚構の「私」が

<気づき>を所有しているのではない。

常在である<気づき>のなかに

「私」という思考が湧いていのです。

絶対的主観性を

あえて「気づき」とか

〈純粋意識〉と表現するなら、

わたしが〈純粋意識〉であることに

なんの疑問があるでしょう?

わたしが〈純粋意識〉なのです。

とはいえ、

こんなことが明瞭になったからと言って、

何が変わるわけでもありません。(*^_^*)

ネイサン・ギルは言います。

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 登場人物としてのこの現れは、
 すでに一体性の完璧な表現であり、
 完璧になるために何かを変える必要はない。
 目覚めも悟りも要らない。
 そういうことはすべて
 劇の中のストーリーにすぎない。
 一体性としての目覚めだけがすでにある。
 それはイメージが作り出す劇の
 催眠にかかっているかどうかや、
 自分の本質の認識に
 くつろいでいるかどうかには関係なく、
 すでにあるのだ。

 『すでに目覚めている』(p16)
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> 登場人物としてのこの現れは、
> すでに一体性の完璧な表現であり、

この表現が

ネイサン・ギルとして顕れた

一体性の完璧な表現ですね。

> 完璧になるために何かを変える必要はない。

完璧にそうです。

何かを変えようとする努力もまた

一体性の完璧な表現なのですから。

> 目覚めも悟りも要らない。

目覚めも悟りも要らないけれど、

目覚めたい悟りたいというのもまた、

一体性の完璧な表現なのです。(*^_^*)

> そういうことはすべて
> 劇の中のストーリーにすぎない。

はい、まさに。

> 一体性としての目覚めだけがすでにある。

はい、だから

【見かけ】のなかで起こることを

変更できるような誰も存在していない。

これは一体性が見ている夢、

一体性の完璧な表現なのですから。

> それはイメージが作り出す劇の
> 催眠にかかっているかどうかや、
> 自分の本質の認識に
> くつろいでいるかどうかには関係なく、
> すでにあるのだ。

これがネイサン・ギルとして顕れた

一体性の完璧な表現ですね。

──────────────────
 この劇全体に、
 今の見かけ以上の目的はないし、
 意味もない。
 それは〈あなた〉の壮大な娯楽だ。
 あなたはあなたの劇なのだ。
 この劇が〈あなた〉から分離した状態で
 存在することはない。
 
 『すでに目覚めている』(p17)
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> この劇全体に、
> 今の見かけ以上の目的はないし、
> 意味もない。

それはpariとして顕れた

一体性の表現から論理的に言うなら、

この劇全体に、

今の見かけ以上の目的は存在できないし、

意味も存在できないからです。

> それは〈あなた〉の壮大な娯楽だ。

これが娯楽かぁ。

> あなたはあなたの劇なのだ。

こだわってこだわって

そして明らかになるのがここかぁ。

> この劇が〈あなた〉から分離した状態で
> 存在することはない。

たしかになぁ。

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 あなたは〈意識〉だ。
 〈あなた〉が今どう現れていようと、
 あなたはすでに完璧だ。
 「私」との同一化という現れも、
 「私」を取り除こうとする探求もすべて。
  
 『すでに目覚めている』(p18)
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> あなたは〈意識〉だ。

認めるしかないっしょ。

> 〈あなた〉が今どう現れていようと、
> あなたはすでに完璧だ。

そう、

完璧症として表現された

一体性の完璧な表現。

> 「私」との同一化という現れも、
> 「私」を取り除こうとする探求もすべて。

そう……そう。

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 登場人物としての生は
 気づきの中に現れる劇にすぎないし、
 目覚める必要もない。
 はじめから目覚めだけがある。
 
 『すでに目覚めている』(p19)
──────────────────

> 登場人物としての生は
> 気づきの中に現れる劇にすぎないし、
> 目覚める必要もない。

これがネイサン・ギルとして顕れた

一体性の完璧な表現なんだなぁ。

> はじめから目覚めだけがある。

はじめから目覚めだけがある。

レオ・ハートンは言います。

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 探求者の旅における宇宙的冗談は、
 探求の燃料になっているエネルギーこそが
 まさに探していたものだったということだ。
   
 『夢へと目覚める』(p183)
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すべてが完璧。

すべてが一体性の完璧な表現。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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明日は集落の草刈りがあるはずですが、

一日雨が降るような天気予報ですね。

それで草刈りなどできるかな?

まあ起こることが起こるでしょうが。

すべては自然現象です。

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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