home > 通信 >『アセンション館通信』第796号:予感:『ダイレクトパス』



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/7/21(第796号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
 苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
 れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
 (『ダイレクトパス』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在810名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.予感:『ダイレクトパス』

2.編集後記
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■ 1.予感:『ダイレクトパス』
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降っているのかいないのか

わからないような細かい雨です。

だいぶ蒸し暑くはなってきました。

もうちょっとドライなほうが楽ですが。

でも、ちょっとハイ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この身体を自分だと思いこんで以来、

幸福と不幸をたくさん体験しました。

幸福はたちまち当然になって

注意の視野から消えていきましたから、

注意はもっぱら不幸と不幸の可能性(心配)に

向けられました。

そうなると人生の大部分は

不幸と不幸の可能性で

埋め尽くされるように感じられました。

どうしてこんなものがあるのか?

こんなものは要らないではないか。

いったいなぜ宇宙は始まったのか?

そんな微かな疑念が兆したのです。

ほんの一瞬の想念にすぎなかったのに、

どういう経路をたどってか

それはいつか、

<何故にすべては始まってしまったのか?>

といった観念として凝固していきました。

何がこんぐらかったために

こんな観念が発生したのか?

夢の登場人物にはわかりませんが、

間違いなくそこにあったと思われるのは、

この観念を重要と感じる誤解だったでしょう。(*^_^*)

そしてその誤解の中核にあったのは

一種の【実在論】ともいうべき観念でした。

つまり現象世界の森羅万象は

客観的に存在していると想像する誤解です。

(ここで“誤解”と断定していますが、

 もちろんこれは地上の常識なので、

 日常生活ではわれわれのほぼ全員が

 この実在論が紡ぎ出す物語の中で
 
 生きていることは言うまでもありません。)

この根本的な誤解を台風の目として、

その周辺に膨大な物語の種が吐き出され、

それがこの大宇宙を形成しているのでした。

現象世界の森羅万象が実際に

個々の実体として客観的に存在している。

そう思うからこそ、

われわれはその前提の上で

優劣・善悪といった比較の物語を紡ぎ

その想像のなかで不幸にもなるわけです。

ニサルガダッタはこう言います。

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 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、
 あなたの想像のなかで
 すべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく
 想像に夢中にさせられてしまったため、
 どれほど実在から遠く離れて
 さまよい歩いたのかさえ
 わからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、
 想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、
 それらはみな空間と時間、
 過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。

 『私は在る』(p306-307)
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マハラジのこういう言葉に、

真実を直感することは起こりえます。

わたしもそれを感じました。

しかし、だからといって

この【実在論】的リアリティーが

簡単には崩壊しないのも事実です。

最近、遅ればせながら

ヒロさんの訳したレオ・ハートンの

『夢へと目覚める』を読んで、

それが素晴らしい本だと知りました。

それでヒロさんが翻訳した本で

自分がまだ読んでいない本が気になりました。

たぶん、ご存知かと思いますが、

『ダイレクトパス』
(グレッグ・グッド著, 古閑博丈訳)

という本です。

以前ヒロさんが訳された

同じグレッグ・グッドの赤本とも言える

『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?』

という本を読んだときは、

自分なりにすっかりわかったような気で、

吹聴までしていたのですが。

さて何を理解したのか、

今思い出そうとすると……。

(*-_-*)

ま、そういうわけで、(^_-)

今度『ダイレクトパス』を

手に入れてみたわけです。

ヒロさんは『気づきの視点に……』

の翻訳が終わった時点では、

誰か別の人が『ダイレクトパス』を

翻訳してくれるのを期待していたようです。

でも、おかげさまで今我々は

この両方を読むことができます。

なんかとてもいいんです。

まだ読みはじめたばかりですが、

「第一部 世界」の

「素朴実在論」のあたりを読んで、

凝り固まっていた実在論の核を

根っこの部分からほぐしてもらえるのでは

という気がしています。

これならいけるかも……、

久しぶりにそんな可能性を感じています。

シュリ・アートマナンダ・クリシュナ・メノン

(1883-1959)という方が説かれた教えに沿って

グレッグ・グッドによって書かれた

この『ダイレクトパス』という本の意図は、

現象世界の森羅万象が

客観的に存在しているという

人間世界に広く流布している通念を、

実際の体験を具体的に吟味することによって

根底から突き崩すことです。

とても楽しみじゃないですか。(*^_^*)

「はじめに」の一節を引用します。

(無断引用というよりは、

 無料宣伝になりますように。(-||-))

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 分離──客観性という虚偽の主張
 
 ものごとは気づきにまったく依存することなく、
 それ自体で存在してるように見える。
 客観的に存在しているように見える。
 どれほど具体的であっても抽象的であっても、
 ものごとはそれ自体で
 客観的に存在しているように見える。
 万里の長城や、
 そこまで物質的ではないとしても
 微分や道徳的な正しさも、
 心とは違うものとして、
 気づきとは別に
 本当に独立して存在しているように思える。
 「客観的」なものとは、
 それ自体として存在しているものであり、
 それとは別に存在する
 「主観的」な知覚主体がそれを発見し、
 立証することができるものだ
 と私たちは考えている。
 客観性という考えそのものが、
 いくつもの二元性を一気にもたらす。
 主観と客観、
 気づきと対象、
 気づきを含む複数の容器 。
 その容器の内側と外側、
 「正」と「誤」、
 あるいは「正確」と「不正確」のあいだの
 二元性といったものだ。
 それ以外にも数多くの二元性が
 客観性という考えを土台にしている。
 
 『ダイレクトパス』(p32-33)
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> 「客観的」なものとは、
> それ自体として存在しているものであり、
> それとは別に存在する
> 「主観的」な知覚主体がそれを発見し、
> 立証することができるものだ
> と私たちは考えている。

この「実在論」的観点が

われわれを様々の二元性に引き込むのです。

言い換えれば、

この「実在論」的観点によって

実際は存在もしない“我々”という個人が

姿を現すというわけです。

> 客観性という考えそのものが、
> いくつもの二元性を一気にもたらす。

現象世界を満たす森羅万象が

客観的に存在すると思うばかりに……、

> 主観と客観、
> 気づきと対象、
> 気づきを含む複数の容器 。

「私」「他者」「われわれ」が姿を表し、

「自分のもの」と「他人のもの」が現れて、

> その容器の内側と外側、
> 「正」と「誤」、
> あるいは「正確」と「不正確」のあいだの
> 二元性といったものだ。

比較とサバイバルの劇が展開される

夢が始まるわけです。

> それ以外にも数多くの二元性が
> 客観性という考えを土台にしている。

森羅万象として現れる諸物・諸事象が

客観的に実在しているという想像のなかで

あらゆる二元性が花開くのです。

これが壊れたら嬉しいですよね。

楽しみです。(*^_^*)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日は明るいうちに終えました。

明日は選挙ですね。

選挙は行きますか?

山本太郎さん、ずいぶん頑張ってますね。(*^_^*)

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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