━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/8/04(第798号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
(『ダイレクトパス』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在812名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.あなたは悟りを求めていなかった
2.編集後記
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■ 1.あなたは悟りを求めていなかった
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毎日暑いですね。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
今日は法事で東京に行ってきて
家に帰るとまもなく日も暮れました。
何か特に書ける気もしませんし、
消化のためのテキストを少し写経します。
それが道具としてのわたしの役割でしょう。
先日来写経している、
グレッグ・グッドの
『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう』
のテキストからの写経です。
この本を書いてくださった
グレッグ・グッドと
翻訳してくださったヒロさんに感謝です。(-||-)
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──そうですか、
じゃあ、彼らはいったい何について話したわけですか?
ニサルガダッタは癌にかかりましたが、
彼はこう言ったのはよく知られていますよね。
「私の世界に悪いことはない」。
これを聞くと、
自分も同じ境地にいたりたいと思うんです。
まさにそこです。
それは、
その言葉を聞く人がニサルガダッタの言う「私」を
どう解釈するかによるのです。
「私」がニサルガダッタを指していると考えるなら、
その世界には身体があって、
癌と痛みがあったでしょう。
もしニサルガダッタ
(あるいは誰であっても)が世界の中心であれば、
その世界には良くないことがたくさんあるでしょう。
でも「私」という言葉を、
世界に生じるものを
見ているそれを指すものとして捉えるなら、
その世界には悪いことは何もありません。
まったく何も起こっていません。
欠けていることもありません。
誰のものでもありません。
この「私」が、
ニサルガダッタ、
あなた、私、
そしてすべての人たちの本質なんです。
これが「私」がずっといるところです。
それは純粋で何にも影響されず、
いつでもでも届くところにあります。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p133-134)
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> 「私」がニサルガダッタを指していると考えるなら、
> その世界には身体があって、
> 癌と痛みがあったでしょう。
(-_-;)
> でも「私」という言葉を、
> 世界に生じるものを
> 見ているそれを指すものとして捉えるなら、
> その世界には悪いことは何もありません。
> まったく何も起こっていません。
> 欠けていることもありません。
> 誰のものでもありません。
的確で見事なまでに懇切丁寧な表現ですね。
(-||-)
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──その「私」を実際に見る、
あるいは理解する方法はあるんでしょうか?
「私」を見ることはできません。
それがあなたを見ているんです。
気づきがあなたを見ています。
それはいま起こっていることで、
ずっと起こっていたことです。
あなたが自分の腕を見るのと同じように、
気づきはこれが自分だとあなたが思っている
身体と精神を見ています。
目覚めた状態から熟睡へ移り、
そしてまた目覚めた状態に戻るという、
あなた自身の見かけ上の変化を見ています。
熟睡しているあいだ、
世界や身体があるということを示すものは
何もありません。
つまり。
そのあいだ身体があるとは言えません。
それでも「自分」がいちどでも
いなかったことがあるという感覚はありません。
あなたの真の「私」は、
行為が現象として起こっているかどうかに
関係なく存在しています。
じつを言えば。
あなたの本当の「私」は、
「存在しない」の反対の意味で
「存在する」わけではないんです。
そうではなく。
あなたの本当の「私」は存在そのものです。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p135-136)
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> 「私」を見ることはできません。
> それがあなたを見ているんです。
> 気づきがあなたを見ています。
> それはいま起こっていることで、
> ずっと起こっていたことです。
これ以上簡明な表現があるでしょうか。
> じつを言えば。
> あなたの本当の「私」は、
> 「存在しない」の反対の意味で
> 「存在する」わけではないんです。
> そうではなく。
> あなたの本当の「私」は存在そのものです。
(-||-)
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──でも、それがわかかっているように見える人たちと、
そうでない人たちがいます。
これは、
わかる必要があるようなことではありません。
というより、
このことをわかる人がいたり、
自分のものにできたりする人がいたりする
可能性はそもそもないんです。
人が理解するかどうかというようなことは、
現れては消えていく経験のひとつにすぎません。
機嫌や鼻水と変わりません。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p136)
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> このことをわかる人がいたり、
> 自分のものにできたりする人がいたりする
> 可能性はそもそもないんです。
ここが最大のキモなんですね。
(-||-)
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──それは自分でもわかっていると思うんですが、
わかかりたいという思いはそれでも消えないんです。
ええ、
この探求はわかるということに関するものです。
感じるとか、
自分のものにするということではありません。
特定の感情や欲求だけを感じて、
そうでないものは感じないということではないんです。
この本質的な知識を求めているのであれば、
これまでの多くの人達がやってきたのと
同じことをしてください。
つまり、
人間はこういうもので構成されているはずだ
という考えを徹底的に調べてみるのです。
生と死、
これが自分だと思っているもの、
それは何なのかということを調べてください。
「わかる」ことによって恩恵を受けるとされている
その主体は何なのかを調べます。
水中に沈められたときに
空気を求めて必死にあえぐほどの強烈な熱意で、
こうしたことを探るんです。
あらゆるところを調べてください。
困難に直面しても諦めてはいけません。
この探求は甘美なものですが、
人という名の組み立て品にとっては
必ずしも楽なものでも、
ほっとするものでもありません。
何が現れても怖気づかないようにしてください。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p136-137)
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> これが自分だと思っているもの、
> それは何なのかということを調べてください。
> 「わかる」ことによって恩恵を受けるとされている
> その主体は何なのかを調べます。
これがラマナの「私とは何か?」なんですね。
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──それからどうするんですか?
もし心から望んでいるのであれば、
自分で見つけることになるでしょう。
ふたつの皮肉があります。
ひとつは、
それが「起こる」と、
それが実際には送らなかったと気づくということです。
ふたつめの皮肉は、
この探求のあいだ、
あなたは悟りを求めていなかったということです。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p137-138)
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> もし心から望んでいるのであれば、
> 自分で見つけることになるでしょう。
疑問の余地はありませんね。
> ふたつの皮肉があります。
> ひとつは、
> それが「起こる」と、
> それが実際には送らなかったと気づくということです。
そうか……。
それが釈尊成道時の言葉とされている、
「山川草木悉皆成仏」
の意味だったんですね。
> ふたつめの皮肉は、
> この探求のあいだ、
> あなたは悟りを求めていなかったということです。
(*-_-*)
煙幕の最大限の抵抗にも関わらず、
光が差し込んでしまった……。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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ご自由にお書きください。
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■ 2.編集後記:
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まさに「何をか言わんや」という感じです。
すっかり晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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