━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2019/10/6(第807号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
(『ダイレクトパス』)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在822名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.構成要素で自分は定義できない
2.編集後記
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<<【連絡事項】>>
配信スタンド「メルマ」で読んでいただいている方、
「メルマ」のサービスは今年いっぱいで終わります。
実際に読んでくださっている方は
配信スタンド「まぐまぐ」のほうにご登録ください。
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■ 1.構成要素で自分は定義できない
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今日は今年最後の真夏日だそうです。
10月に真夏日なんて。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
グレッグ・グッドの
『気づきの視点に立ってみたら……』を
https://amzn.to/2O7s8Un
読み返しています。
このメルマガ『アセンション館通信』は
アセンション情報の吹聴誌を目指して
2004年2月29日に創刊しました。
しかしご存知のとおり
ニサルガダッタの言葉に出会ってから、
大きく方向を転換することになりました。
『私は在る』という本のタイトルが
初めてこのメルマガに登場したのは
創刊から一年半ほど後の
2005年10月30日(第88号)のことです。
しかしそのころはまだまだ
それがメルマガのメインカレントに……
といった自覚はなかったと思います。
2006,04/23の第113号で
【自由連想 写経ニサルガダッタ】という
シリーズを始めています。
その年2006/9/17の第134号を書いて、
そのまま下垂体腫瘍での入院・転院……。
二ヶ月後の2006/11/12(第136号)に
【再開の弁、あるいはマントラ「私は在る」】
というのを書いてます。
それからこうして13年ほど
ぶらぶら油を売っているんですねぇ。
とまあ、こんな書き方はしていますが、
能動態で書くからこういう表現になるので、
流れを左右できる個人がいるとは思えません。
やっぱり
スピリチュアル情報のなかでも非二元論は、
ちょっと異質ですよね。
結局、あらゆる物語情報が
嘘っぽくしか聞こえなくなったのだと思います。
物語情報というのは
つまるところはエンタメ情報だと思います。
だから悪いということではありませんが。
主人公がいてその視点から
ひとつの物語を紡いでゆく。
どれほどソフィスティケートされた物語でも、
物語は娯楽を供するための想像ですよね。
そして物語は結局、
物語中毒を生むしかないのだと思います。
でもこうして十年以上かかっても
その中毒の解毒作業が終わらないわけですから、
偉そうなことは言えません。
こういう想念すべてが
ただの一場の風景にすぎないわけです。
でもこうやって、
高速度カメラのウルトラスロー動画みたいな
知の浸透過程をお送りできるのも
悪くはないかもしれません。
読んでくださっている方々には
一目瞭然の過程をお見せできているはずです。(*^_^*)
その意味では役に立っているかな。
個人という実体は存在しないわけですけど。(^_-)
たとえば、
マハラジのこんな言葉に初めて出会ったときは
そこに圧倒的な真実を予感しながらも
それを自分の言葉として語ることなど
想像もつきませんでしたから。
──────────────────
そこには想像があるだけだ。
知性とエネルギーは、
あなたの想像のなかで
すべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく想像に夢中に
させられてしまったため、
どれほど実在から遠く離れて
さまよい歩いたのかさえ
わからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、
想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、
それらはみな空間と時間、
過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。
『私は在る』(p306-307)
http://tinyurl.com/s747u
──────────────────
でもいまこの言葉を見てみれば、
そこになんの違和感も感じません。
至極当然のことが述べられています。
わたしたちの経験の中身はといえば、
すべて観念と言って間違いないわけですものね。
その観念の束を物語というわけでしょうね。
そして彷徨い込んだその想像の虜囚となって
苦しみを創造するわけですよね。
誰がでしょうか?
誰が苦しむのでしょうか?
苦しむその人は夢の中にしかいないのです。
つまり、
そういう人は存在しないということです。
その夢を可能にしている観照意識は、
夢の中で苦しんではいません。
観照意識が夢の中で苦しんだら、
その夢は存在できません。
その夢は現実になってしまうから。(*^_^*)
その夢が夢と見破られたとき、
今度はその現実が崩壊するのでしょう。
では前回に続いて、
「意識は非二元的か」という対話の
後半部分を少し重複して写経します。
──────────────────
──自分は身体のようなものだと感じますが……
熟睡中に身体は見えません。
それに自分自身を見たり聞いたりすることも
ありません。
いいところに気がつきましたね!
でも私が尋ねているのは、
観照している
気づきとしてのあなたについてです。
それが、
あなたがさきほど言っていた
非二元的な意識なんです。
この観照する気づきは、
熟睡しているあいだはなくなってしまって、
目覚めるとともにまた蘇ったのでしょうか?
それともそこに連続性を感じますか?
──そう聞くと、連続性をたしかに感じます。
睡眠中も自分は
中断していないという感じです。
ということは、
自分という存在は中断していないけれども、
対象としての身体という経験は
中断していたということですか?
──ええ、そのときは
身体は経験されていないわけですから。
そう、
自分が何であるかということを
身体では定義できません。
なぜなら、
身体がないときでも自分はいるからです。
──なるほど。
そんなふうに考えたことは
一度もありませんが、実際そうですね!
これが、
自分は人間ではないと理解する
やりかたのひとつの例です。
構成する要素によって
自分という存在を定義することは
できないとわかるわけです。
構成要素は断続的に
現れたり消えたりするけれども、
自分がいないということは
絶対にないとわかります。
このことが腑に落ちると、
自分は人間だという観念が消え去ります。
自分は人間だという観念は、
自分がジーンズだという思い込みと同じくらい
無意味なものになるでしょう。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p106-107)
https://amzn.to/2O7s8Un
──────────────────
> ──自分は身体のようなものだと感じますが……
> 熟睡中に身体は見えません。
> それに自分自身を見たり聞いたりすることも
> ありません。
この質問者の言葉は、
われわれもそのまま自分の言葉として
語ることができると思います。
> いいところに気がつきましたね!
> でも私が尋ねているのは、
> 観照している
> 気づきとしてのあなたについてです。
> それが、
> あなたがさきほど言っていた
> 非二元的な意識なんです。
もしあなたが身体を体験していないときにも
自分が存在していたと認めることができるなら、
そのとき存在している自分とは何でしょうか?
それが
自分が存在していることを知っている意識、
つまり、あなたが言っていた
非二元的な意識なんです。
> この観照する気づきは、
> 熟睡しているあいだはなくなってしまって、
> 目覚めるとともにまた蘇ったのでしょうか?
> それともそこに連続性を感じますか?
この観照する気づきですが、
あなたはこれは熟睡中は消えてしまって、
目覚めと同時に
また突然出現したんだと感じますか?
それとも熟睡中にも
ずーっと連続して存在していたと感じますか?
> ──そう聞くと、連続性をたしかに感じます。
> 睡眠中も自分は
> 中断していないという感じです。
そう言われると、
連続して自分はいたように感じます。
眠っていたあいだも
自分は途切れなく存在していた感じです。
> ということは、
> 自分という存在は中断していないけれども、
> 対象としての身体という経験は
> 中断していたということですか?
というと、
対象としての身体の体験は
中断して存在しなかったときも、
自分そのものは中断なく存在していた
と感じられるということですか?
> ──ええ、そのときは
> 身体は経験されていないわけですから。
ええ、
熟睡中は身体の体験はなかったですから。
> そう、
> 自分が何であるかということを
> 身体では定義できません。
> なぜなら、
> 身体がないときでも自分はいるからです。
そうなんです。
身体が存在していなかったときも
あなた自身は存在していたのですから、
身体という要素で
あなた自身を定義することはできないのです。
身体がなかったときも
あなたはいたわけですから。
> ──なるほど。
> そんなふうに考えたことは
> 一度もありませんが、実際そうですね!
なるほど。
たしかに、そうですね。
この身体が自分だと思っていたので、
これまでそんなふうに考えたことは
ありませんでしたが。
言われてみれば、実際そうですね。
> これが、
> 自分は人間ではないと理解する
> やりかたのひとつの例です。
これが
自分は人間ではないと理解する
ひとつの方法です。
> 構成する要素によって
> 自分という存在を定義することは
> できないとわかるわけです。
これが自分だと思っている要素で
自分という存在を定義できるかどうか
確認してみると、
それができないとわかるんです。
> 構成要素は断続的に
> 現れたり消えたりするけれども、
> 自分がいないということは
> 絶対にないとわかります。
ふだん自分と見なしている構成要素は、
調べてみると現れたり消えたりしています。
でも、それらの要素が
現れたり消えたりするのに気づいている
観照意識自体が存在しないということは
絶対にないということがわかります。
> このことが腑に落ちると、
> 自分は人間だという観念が消え去ります。
> 自分は人間だという観念は、
> 自分がジーンズだという思い込みと同じくらい
> 無意味なものになるでしょう。
このことが心底納得がいくと
自分を人間だと思いこんでいた
その思い込みが崩壊します。
人間は観照意識のなかに現れる
対象のひとつにすぎません。
自分を人間だと思いこむのは、
自分をジーンズだと思いこむのと同じくらい
無意味だとわかるはずです。
──────────────────
──ああ、なるほど!
それから、どうしたらいいんですか?
つぎに心(マインド)も探してみます。
連続する思考のほかに、
心(マインド)というものを見つけることが
そもそもできるでしょうか?
探してみた結果を、
自分の経験に照らし合わせてください。
きっとこうなっているのだろうという
理論と照らし合わせるのではありません。
あなたはほんとうに
心(マインド)の存在を経験していますか?
もし心が見つからないのであれば、
心(マインド)が自分だということなど
ありえるでしょうか?
これが自分だという
「可能性がある」要素があったら、
そのすべてを同様に調べてみてください。
何がわかるか、
自分で確かめてください。
これが自己探求で、
自分がほんとうは何であるかを
見いだすということなんです。
『気づきの視点に立ってみたら……』(p107)
https://amzn.to/2O7s8Un
──────────────────
> ──ああ、なるほど!
> それから、どうしたらいいんですか?
なるほど。
それは素晴らしいことですね!
それが腑に落ちたら、
その先はどうしたらいいんですか?
> つぎに心(マインド)も探してみます。
よく自分のすべてを挙げて
という意味を表現するのに
「身も心も」なんていいますよね。
身体のほかに
よく自分の要素と見なされるには心です。
その心を調べて見るんです。
> 連続する思考のほかに、
> 心(マインド)というものを見つけることが
> そもそもできるでしょうか?
といっても
一瞬一瞬、現れる思考のほかに
そもそも心なんてものを
見つけられるでしょうか。
> 探してみた結果を、
> 自分の経験に照らし合わせてください。
> きっとこうなっているのだろうという
> 理論と照らし合わせるのではありません。
> あなたはほんとうに
> 心(マインド)の存在を経験していますか?
> もし心が見つからないのであれば、
> 心(マインド)が自分だということなど
> ありえるでしょうか?
つぎつぎと現れる思考は
ときには自分の考え、
あるいは感情または気分というふうな
気づきの対象でしかないでしょう。
自分の心というものがあるという
思い込みや常識に合わせるのではなく、
実際の経験に即して言うなら、
思考や気分は自分に対して現れていて、
それらが自分ではありません。
つぎつぎと現れる思考以外に
常時存在する心を経験しているでしょうか?
もしそれを見つけられないのなら、
存在もしない心が自分だなどということが
ありえるでしょうか?
> これが自分だという
> 「可能性がある」要素があったら、
> そのすべてを同様に調べてみてください。
こうやって、
ふだんこれが自分だと思いこんでいる
構成要素を一つひとつ吟味してみるのです。
> 何がわかるか、
> 自分で確かめてください。
そうやって自分で調べて、
得心が行くまで確認してみてください。
> これが自己探求で、
> 自分がほんとうは何であるかを
> 見いだすということなんです。
これが自己探求です。
自分がほんとうは何であるのかを
見つけるということなんです。
【構成要素は断続的に
現れたり消えたりするけれども、
自分がいないということは
絶対にないとわかります。
このことが腑に落ちると、
自分は人間だという観念が消え去ります。】
これくらいシンプルなことだったんですね。
現れそのものは永遠の神秘ですが、
自分が「気づき」であるということは、
今やこれほど自明のことになりました。
シュリ・アートマナンダ
(クリシュナ・メノン)の教えを、
グレッグ・グッドがここまで
わかりやすく噛み砕いてくださり、
ヒロさんがここまでわかりやすい日本語に
落とし込んでくださったおかげです。
個人は存在しないわけですが。
個人というのは
気づきが劇の登場人物に同一化して
見ている夢の中にしか存在しません。
一般的に「現れ」は
物質的なものだと考えられていますが、
高次の理性によると
どうやらそれは必ずしも物質的なもの
ということではないようです。
「物質」という言葉に
客観的存在を感じさせる意味合いが
含まれているからでしょうね。
まあ、夢の材料が物質かどうかを
識別しようというような話は、
いずれにせよただの観念です。
いっそ夢の材料は“夢”でできている
とでも言ったほうが正直かも。(^^;)
もし高位の理性が
「“物質”という観念は
囚われのある深層レベルで生じる
“客観的実在”という幻想につけた名前だ」
とおっしゃったとしたら、
黙って伺うしかないでしょうね。
「リーラ(神の戯れ)」か……。
たしかに、そうとしか言えないのかも。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/index.html
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見や単なるメールなど、
ご自由にお書きください。
………○…………○…………○………
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 2.編集後記:
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昨日、久しぶりに
ドーム・パラダイスのみおさんから
お便りをいただきました。
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pariさん、ご無沙汰してます。
今日は、ちょっと、みお寄り&耳寄りな情報を!(笑)
情報通のpariさんですからすでにご存知かもしれませんが・・・
お金は一切かかりませんが、登録のタイミングと
今後の広がりによっては携帯電話の一次代理店のような展開も
絶対にないとはいえないので、もし、毎日、ログインするのが
苦にならない方は登録しておくと、将来、
「これはアプリの宝くじや〜!」となるかもしれません(笑)
まだ、オープンして2日目で登録者も1万人くらいなので
今登録すれば十分アドバンテージはあります。
私がこのアプリの初期メンバーとして登録できたのも、
以前、pariさんが2年前にメルマガで紹介していた
佐藤みきひろさんの「ザ・ファイナル」という
ビジネスコミュニティに参加したからなのです。
その節は、良い情報をありがとうございました。
なので、もし、今回、pariさんがまだ
このアプリ情報を知らなければ、
これが本当の「ツールの恩返し」ですね!(笑)
心からの感謝とダジャレをこめて・・・・
みお \(@^O^@)/
──────────────────
みおさん、ありがとうございました。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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