home > 通信 >『アセンション館通信』第811号:「私は在る」という知識



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2019/11/03(第811号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
 苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
 れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
 (『ダイレクトパス』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在832名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「私は在る」という知識

2.いただいたお手紙から:komalaさん

3.編集後記
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■ 1.「私は在る」という知識
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秋らしい天気じゃないですか。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

こんなもの何のためにあるんだ?

こんなもの全然要らないじゃないか……。

いつのころからか

この人生、あるいはこの世界について

そんなふうに感じるようになっていました。

かといって、

そういう思いが絶対的真理だと

確信していたわけでは無論ありません。

むしろ、

いや、いくらなんでもそんなはずはないだろう、

という思いが勝っていたかもしれません。

ところがある年齢の時期から

「一切皆苦」といような言葉が

釈尊の言葉だということを知ります。

もし人生というものがすべて苦しみなら、

それはまったく要らないものです。

まったく何も無かったほうがましなわけです。

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 質問者 仏陀は、人生は苦しみだと言いました。
 
 マハラジ
 彼はすべての意識が苦痛に満ちたものだと
 意味していたのだ。
 それは明白だ。
 
 『私は在る』(p400)
──────────────────

と同時に、それと前後して

「サット−チット−アーナンダ」という

「真我」を表現する言葉にも出会います。

「一切皆苦」と「存在−意識−至福」とでは

もちろんずいぶん懸隔がある。

同じ「存在」「意識」を表す言葉としては

ギャップが大きすぎるわけです。

同じ「存在」「意識」という言葉を使って

まるで別のことを言っている。

少なくともこの二つの表現が

同じものを指していないのは確かです。

いっさいの「存在」は

はじめから無いほうが良かった、

というのは何かが違うのかもしれない。

まあそんな思いも湧くわけです。

そしてもちろん、

そして当然のこととして、

それが自分の思いだと思っている。

つまりその思いを

“自分”だと思っているわけです。

その思いが自分だと理解しているかぎり、

そういう言葉の意味を追求することになります。

調べずに放っておくことはできない。

探求は命令形でつづきます。

こういう言葉はすべて概念だったのですね。

「真理」は概念ではない。

「実在」、つまり存在するものは、

概念ではないのですね。

概念は一瞬の現れにすぎない。

ということは、

真理は概念化されたとたんに虚偽なのです。

そういうことに気づくほどに

覚者たちの言葉をなぞっているうちに、

「真理」とか「実在」というのは

「現れ」の背景に在る「静寂」とか「空間」

のことらしいとわかってきた。

「静寂」とか「空間」といったら、

これはもう「無」と同じです。

つまりは何も存在しないというのが事実になる。

いっさいの「存在」は

はじめから無いほうが良かった、というのは

まんざら間違いというわけでもなさそうなのです。

ただ、

文句を言っている「自分」は

明らかに存在しているわけです。

これが「私は在る」の一面です。

「自分」は存在していると勝手に自認しながら、

その一方で、勝手に

「いっさいの「存在」は

 はじめから無いほうが良かった」と
 
主張しているわけです。

プ!(>_<)

これはめちゃくちゃジョークです。

「お前が存在しとると誰が決めたんじゃい?

 誰かがお前にそうのたまったのか?」

というわけです。

『意識に先立って』のなかに

聞いた話からの理解を述べようとする質問者を

マハラジが遮る場面があります。

──────────────────
 質問者 でも、私がギーターから聞いたこと
     から理解したことによりますと……
 
 マハラジ
 それを投げ捨てなさい!
 あなたが何を理解したとしても、
 それは真実ではない。
 それは船外に投げ捨てるべきものだ。
 あなたは何かを掴んで、
 それにしがみつこうとしている。
 私があなたに話していることを、
 そのそのまま受け入れなさい。
 概念に流されてはいけないし、
 どんな言葉も採用してはいけない。
 ただ自分のありのままを見なさい。
 ほとんどの人が、
 私が何を言わんとしているかを理解しない。
 
 あなたは正しく注意を払っていないし、
 存在性が現れたあとのことばかり話題にしている。
 存在性がそこにある以前の状態、
 それを見て、
 その状態になさい。
 もしあなたが私を無神論者と呼びたいなら、
 私は一日に四回もバジャンをやっていることを
 思い出すがいい。
 
 あのマーヤーはあまりに強力なので、
 あなたは完全にそれに包み込まれている。
 マーヤーとは、
 「私は在る」
 「私は存在することを愛する」という意味だ、
 それは愛以外のアイデンティティをもっていない。
 「私は在る」という知識は最大の敵であり、
 最大の友人だ。
 それはあなたの最大の敵であるかもしれないが、
 もしその機嫌を正しくとれば、
 それは向きを変えて、
 あなたを最高の状態へ導いてくれることだろう。 
 
 『意識に先立って』(p35-36)
──────────────────

> 質問者 でも、私がギーターから聞いたこと
>     から理解したことによりますと……

(この人はわたしのために質問してくれている。)

> それを投げ捨てなさい!
> あなたが何を理解したとしても、
> それは真実ではない。
> それは船外に投げ捨てるべきものだ。
> あなたは何かを掴んで、
> それにしがみつこうとしている。

あなたは自分が理解できる概念を掴んで

それにしがみつこうとしている。

> 私があなたに話していることを、
> そのそのまま受け入れなさい。

何十年と無知の壁に語りかけてきた意識が

この瞬間はこのような言葉として溢れてきた。(^_-)

> 概念に流されてはいけないし、
> どんな言葉も採用してはいけない。
> ただ自分のありのままを見なさい。
> ほとんどの人が、
> 私が何を言わんとしているかを理解しない。

私が何を言っているのかを

ちゃんと聴こうとする者がほとんどいない。

> あなたは正しく注意を払っていないし、
> 存在性が現れたあとのことばかり話題にしている。

あなたは神が創造した世界といった

聞いた話ばかりを問題にしている。

> 存在性がそこにある以前の状態、
> それを見て、
> その状態になさい。

私があなたの注意を喚起したいのは、

世界が誕生する以前のあなたの状態に向けてだ。

> もしあなたが私を無神論者と呼びたいなら、
> 私は一日に四回もバジャンをやっていることを
> 思い出すがいい。

そんな無神論者のような話は聞きたくないと思うなら、

私が一日に四回も神を称える歌を

歌っていることを思い出しなさい。

> あのマーヤーはあまりに強力なので、
> あなたは完全にそれに包み込まれている。

あなたは強力な魔法の催眠にかけられて、

その幻影の虜になっているのだ。

> マーヤーとは、
> 「私は在る」
> 「私は存在することを愛する」という意味だ、

あなたがかかっている魔法の催眠は

「私は存在する」、

「私は存在するのが大好きだ」という暗示だ。

> それは愛以外のアイデンティティをもっていない。

それは存在への愛のみに自己同一化している。

> 「私は在る」という知識は最大の敵であり、
> 最大の友人だ。

「私は存在する」というその知識は

ある意味ではあなたの最大の敵であり、

別の意味ではあなたの最大の味方だ。

> それはあなたの最大の敵であるかもしれないが、
> もしその機嫌を正しくとれば、
> それは向きを変えて、
> あなたを最高の状態へ導いてくれることだろう。 

自分が存在すると知っているその知識は、

文脈次第ではあなたを最大限に苦しめる。

だがその文脈を正しく整えるなら、

その知識は向きを変えて、

あなたを最高の状態へと導くだろう。

あなたは自分が存在することを

知っている必要はなかった。

あなたは存在する必要のない状態にいた。

あなたは自分が無であるとすら知らなかった。

どんな知識にも制限されていなかった。

だが今あなたは自分が存在することを知ってしまった。

自分が存在することを知っている今、

あなたが存在することは確かだ。

だがその知識が保証しているのは、

あなたが存在していることだけだ。

じつはあなたは何者でもない。

なぜならあなた以外に

何かが存在するわけではないからだ。

存在しているのはあなただけだ。

だからある意味ではあなたは無だ。

ある意味ではあなたは存在しない。

しかし今、

あなたは自分が存在することを知ってしまった。

そしてその自分の存在をこの上なく愛している。

これはなかなか恐ろしい状況でもある。

なぜなら

自分が存在することを知っているあなたは、

自分が何者かを知りたくなるかもしれないからだ。

もしあなたが

自分が何者かを知りたくなったら、

どういうことになるか?

あなたは途方もない想像をめぐらして、

ありえる自分の姿を創造するかもしれないのだ。

そして今、

あなたはその無間地獄に陥っている。

あなたはありえる自分の姿を求めて

自分のまわりに

途方もない多様性の宇宙を創造してしまった。

あなたのまわりにあるすべての現れは、

すべてあなたの想像にすぎない。

「そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、
 あなたの想像のなかで
 すべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく
 想像に夢中にさせられてしまったため、
 どれほど実在から遠く離れて
 さまよい歩いたのかさえ
 わからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、
 想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、
 それらはみな空間と時間、
 過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。」『私は在る』(p306-307)

あなたは今

自分が想像した「見かけの宇宙」という煙幕で

まわりじゅうを覆い尽くされている。

一見あなたの状況は絶望的にさえ

見えるかもしれない。

だがけっしてそうではない。

あなたは存在する。

あなたがもっている知識のなかで

「私は在る」だけは真実なのだ。

だがその知識は容易に無知にも転換しかねない。

あなたがまわりに充満する

「見かけの宇宙」という煙幕のなかに

自分の姿を発見したら

あなたの苦しみは約束される。

なぜなら、

あなたがもっている知識のなかで

真実なのはあなたが存在することだけだからだ。

あなたは何者でもない。

あなたは何者にもなれない。

というのも

あなたは簡単に何者にでもなれるからだ。

ただしあなたは

何者かで在ることはできないのだ。

その何者かはただ

あなたが夢の中でとったつかの間の姿にすぎない。

「あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない」『私は在る』(p421)

悪夢のなかで溺れそうになっている

あなたがもつ唯一の命綱は

「私は在る」だ。

この蜘蛛の糸はあなたを救出できる。

あなたがもつ知識が保証しているのは

あなたが存在することだけであるのを

忘れないことだ。

あなたが知覚しているものはすべて夢だ。

あなたの知識のなかで

「私は在る」だけが真実だ。

その唯一の命綱に掴まりなさい。

──────────────────
 「私は在る」という感覚のなかに
 深く入っていきなさい。
 そうすればあなたは見いだすだろう。
 忘れ去ってしまったものを
 見つけだすにはどうするだろう?
 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 「私は在る」という存在の感覚が
 最初に現れる。
 それがどこからやってくるのか、
 自分に尋ねなさい。
 あるいは、
 それをただ静かに見守りなさい。
 「私は在る」という感覚のなかに
 マインドが動じることなく定まったとき、
 表現不可能な、
 しかし体験可能なひとつの境地へと
 あなたは入っていく。
 何度も何度も試みることだ。
 そうすれば、
 「私は在る」という感覚は、
 つねにあなたとともにある。
 あなたが身体、感情、思考、
 観念、所有物などを
 それに付随させてきただけだ。
 こういった自己同化は、
 あらゆる誤解を招く。
 そのため、
 あなたは本当の自分ではないものを
 自分自身と見誤ってきたのだ。
 
 『私は在る』(p24)
──────────────────

> 「私は在る」という感覚のなかに
> 深く入っていきなさい。
> そうすればあなたは見いだすだろう。

時間があるとき

無用な知識や娯楽に費やすのをやめなさい。

何もせずにただ在る時間をもったらいい。

> 忘れ去ってしまったものを
> 見つけだすにはどうするだろう?
> 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。

忘れ物を探すときあなたはどうする?

見つかるまで探すはずだ。

いったい何者が「私は在る」と言っているのか?

> 「私は在る」という存在の感覚が
> 最初に現れる。
> それがどこからやってくるのか、
> 自分に尋ねなさい。

気づいているあなた以外に

誰かが存在するとでも言うのだろうか?

いるのなら見つけてみなさい。

> あるいは、
> それをただ静かに見守りなさい。

あるいはただ黙って

自分が気づいていることを知りながら

静かにしているだけでいい。

> 「私は在る」という感覚のなかに
> マインドが動じることなく定まったとき、
> 表現不可能な、
> しかし体験可能なひとつの境地へと
> あなたは入っていく。
> 何度も何度も試みることだ。

何の期待もなく

そうしていてもいいじゃないか。

起こることが起こるだろう。

起こらないことは起こらないだろう。

それでいいじゃないか。

> そうすれば、
> 「私は在る」という感覚は、
> つねにあなたとともにある。

自分が気づいていることだけは、

いつだって確かなのだから。

> あなたが身体、感情、思考、
> 観念、所有物などを
> それに付随させてきただけだ。

あなたの身体、感情、思考、

観念、所有物といったものは
 
すべて現象世界の内容物であり

あなたという気づきの対象物だった。

それをあなたは勘違いして

自分に付随させてきただけだ。

> こういった自己同化は、
> あらゆる誤解を招く。

そういうものをうっかり自分のものにすると

あなたは「見かけの宇宙」のなかで

何者かになれるような気がして、

無知を抱えることになる。

> そのため、
> あなたは本当の自分ではないものを
> 自分自身と見誤ってきたのだ。

あなたはそれだけで

「見かけの宇宙」で重荷を負い、

やがて身動きできなくなることだろう。

無駄な誤解を捨てなさい。

自ら好んで無知を抱えることはない。

今あなたが存在しているのは真実だ。

それは知識と言ってもいい。

だがそれを無知にまで変えることはない。

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………


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■ 2.いただいたお手紙から:komalaさん
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▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見や単なるメールなど、

ご自由にお書きください。


   ………○…………○…………○………

今回、komalaさんから

ありがたいご投稿をいただきました。(^^)/

さっそく、ご紹介します。

【件名】:単なるメールです(*^_^*)(*^_^*)
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 パリさまへ
 
 第810号「あなたは人間ではない」
 
 響きました。
 
 助かりました。
 
 「ありがとうございます」を超えています!
 
 『アセ通』既刊号が、
 また読めるようになって、よかったです。

  コマラより
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komalaさん

> 第810号「あなたは人間ではない」
> 
> 響きました。

ほんとですか。嬉しいです。

> 助かりました。
> 
> 「ありがとうございます」を超えています!

土曜日だけはついつい

実力以上のことを言ってしまいます。

> 『アセ通』既刊号が、
> また読めるようになって、よかったです。

ありがとうございます。

komalaさん、とても嬉しかったです。

<(_ _)>


   ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:
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気づいている自分が

存在していることは間違いありません。

「私は在る」わけです。

それだけで満足してもいいのですね。

気づきの対象物については

教えによっていろいろ扱い方が異なるようです。

なんかやっとおずおずスタートラインに

近づいているのか……。(*-_-*)

今日も暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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Copyleft(C)2019 paritosho
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