home > 通信 >『アセンション館通信』第824号:感情はハートの声(ミナミAアシュタール)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/02/02(第824号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
 苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
 れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
 (『ダイレクトパス』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在842名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.感情はハートの声(ミナミAアシュタール)

2.編集後記
──────────────────

      <<【連絡事項】>>

配信スタンド「メルマ」の様子を見ると、

【2020年1月末を持って一部を除きサービスを終了】

とあり、このメルマガはまだ配信できるようです。

もしかしたら、その【一部】に入っているのかもし
れません。(いつまでできるのかはわかりませんが)

配信がなくなったら、実際に読んでくださる方は

配信スタンド「まぐまぐ」にご登録ください。

mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.感情はハートの声(ミナミAアシュタール)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日はまた春のような温かさですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と「私は在る」噺に

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

昨年末に知ったミナミAアシュタール情報ですが、

あまりに面白いのでこのところ

もっぱらそればかりを吹聴しています。^^;;

アセンション情報というのはもちろん物語です。

ニサルガダッタの『私は在る』に出会って以来、

ラマナ・マハルシの『あるがままに』、

ネイサン・ギルの『すでに目覚めている』、

グレッグ・グッド『ダイレクトパス』、

ルパート・スパイラの『プレゼンス』と、

物語を排除する?感じの情報だけに傾倒してきました。

自分でもそれだけが真実を伝えているという

感じをもっていたからです。

グレッグ・グッドが

その著『ダイレクトパス』の中で言及している

「透明な観照」と「不透明な観照」についての言葉は

まさにその点を明確にするものでした。

ただ、それらの言葉を

わたしのようにただマインドだけでたどれば

それでそれらの言葉が真実となるわけではない

ことも明らかです。

最後に観照が消える前に、

自らの意識を観照に集中する時期があるでしょうし、

その意識を観照に集中する時期の前に、

充分に物語に浸る時期があるのかもしれません。

いずれにせよ、

意識がたどるそれらの経過すべてが

間違っているとか正しいとかいったことを超えて、

そういった二元性自体が幻想だったということが

自明になっていく道のひとつなのでしょうから。

マハラジはこう言っています。

──────────────────
 私を信じなさい。
 そこには目的地もなければ、
 それへ到達する道もまたない。
 あなたが道であり目的地になのだ。
 あなた自身を除いて、
 到達するようなものは何もないのだ。
 あなたに必要なのは理解することだけだ。
 そして理解はマインドの開花なのだ。
 樹が絶えることはないが、
 開花や結実は季節とともにやってくる。
 季節は移り変わるが、樹は変わらない。
 あなたが樹なのだ。
 あなたは無数の枝や葉を今まで育ててきた。
 そしてこれからも育てていくだろう。
 だが、あなたはそのまま残るのだ。
 あなたが知らなければならないことは、
 そう在ったことではなく、
 そうなるだろうことでもない。
 ただ在ることなのだ。
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、
 自由になりなさい。

 『私は在る』(p397-398)
──────────────────

ここでマハラジは

> あなたに必要なのは理解することだけだ。
> そして理解はマインドの開花なのだ。

と言っています。

マハラジが語っている相手は、

もちろん、物理次元で夢を見ているわれわれ人間です。

われわれは自分が見ている見かけの現実を

自分(の思考)が創造していることなど知りません。

しかも、マハラジが「あなた」と語るとき、

その「あなた」は一瞬一瞬、

文脈によってニュアンスが変わらざるをえない。

> あなたが道であり目的地になのだ。

この言葉はたしかに耳には心地よい。

> あなた自身を除いて、
> 到達するようなものは何もないのだ。

そうであって然るべきだとわれわれは思う。

しかし、

> あなたに必要なのは理解することだけだ。

この「あなた」が誰を指しているのかを

われわれは知らないのです。

そして次の言葉が

> そして理解はマインドの開花なのだ。

こう語られてはじめて、

理解する自分が「マインド」であったことが

察知されるのだろうと思います。

> 樹が絶えることはないが、
> 開花や結実は季節とともにやってくる。
> 季節は移り変わるが、樹は変わらない。

こう語られるとなれば

移り変わる季節は【見かけ】の現象で、

変わらない樹は真我を指しているのか?

すると、

> あなたが樹なのだ。

と語られるわけです。

> あなたは無数の枝や葉を今まで育ててきた。
> そしてこれからも育てていくだろう。

これはマハラジの言葉を聴いているその場の参集者や

本を読んでいるわれわれが自認する自分ではない。

> だが、あなたはそのまま残るのだ。

この「あなた」は身体に自己同化した

自覚上のわれわれではないので、

真我を指しているのでしょう。

> あなたが知らなければならないことは、
> そう在ったことではなく、
> そうなるだろうことでもない。
> ただ在ることなのだ。

つまりマハラジが言う「あなた」は、

つねに自我(マインド、想念)と

真我(常在、非顕現)を串刺しにしているのです。

> 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。

マハラジにこう告げられても、

まさか自分(の思考)が宇宙を創造しているとは

思わないので、

源の真我が宇宙を創造したのだろうと

自覚上のわれわれは想像するわけです。

> 世界はあなた自身の創造だと知り、
> 自由になりなさい。

だから最後になって唐突に、

宇宙創造の総責任を自分に突きつけられて

置いてきぼりを食わされるというわけです。

つまり、

マハラジはつねにマインドと源を串刺しにして

「あなた」と語りかけているのに、

聴いているわたしは自覚はマインドのままで

ただ自分が源であると想像しているわけです。

少なくともわたしは

そんなことを十数年やってきました。

実際の自覚上の自分はマインドなのに、

自分はマインド(思考)ではなく、

ハート(感情)でもなく、

それを見ている実在だと主張している

といったような想像上のアクロバットを演じて。

そうやって物語をすべて拒絶してきました。

自分があまりにも物語好きだったものだから、

その反動で、

ストーリーの中で盥回しされるのはもう懲り懲り

といった「羹に懲りて膾を吹く」状態でした。

しかし、

自認していようがいまいが、

自覚上の自分は実際はマインド(思考)なので、

物語なしには梯子を外されたみたいなもので、

何も理解できないわけです。

マインド(思考)が理解するには

どうやら比喩も物語も歴史も必要なようです。^^;;

そして身体とハートの声に耳を澄ますことも。

そのギャップを優しく埋めてくれたのが

ミナミAアシュタール情報だったというわけです。

今回は

【vol. 512 感情があなたのハートの声】

というミナミAアシュタール情報を

ご紹介したいと思います。

──────────────────
「こんにちは 
 こうしてお話し出来ることに感謝します。
 
 感情についてのお話しは、

 たくさんのストーリーがありますので
 どこからお話ししましょう。

 感情は、あなたに
 たくさんのことを教えてくれるのです。
 
 先ず、感情はあなたにとっての
 痛みのようなものだと思ってください。
 
 あなたにとって痛みはイヤなものですね・・
 
 でも、痛みを感じないと困るのです。
 
 痛みを感じないと、
 身体を壊すまで止めることが出来ません。
 
 痛みを感じるから、
 身体のことにフォーカス出来るのです。
 
 痛いからコントロールすることが出来るのです。
 
 痛みを感じないと、
 体中が傷だらけになってしまいます。
 
 そのような自分を
 守る役目も持っているということです。
 
 イヤなことがあれば、
 そこから逃げれるように感情が動くのです。
 
 自分の居場所でないところを察知できるように、
 
 感情が知らせてくれるのです。
 
 感情は、身体にも影響します。
 
 逃げたいというサイン(感情)が出ていても、
 
 それを無視すると身体に影響し、
 
 身体も不調を起こすのです。
 
 そして感情は
 あなたの人生を豊かにしてくれます。
 
 あなたのテラに転生した目的は、
 体験することです。
 
 体験するというのは、
 たくさんの感情を味わう
 ということでもあるのです。
 
 ただ身体だけを運んで、
 いろんな物を見たとしても、
 
 そこに感情が伴わなければ
 体験にはならないのです。
 
 感情があるから、たくさんの出来事を
 体験することが出来るのです。
 
 それから、感情はハートの声でもあります。
 
 感情に素直に従っていれば、
 
 あなたの現実はスムーズなものになります。
 
 感情に良い悪いはありませんが、
 重い軽いはあります。
 
 重い感情を感じたときは、
 そこから遠ざかってください。
 
 軽い感情は、
 あなたの波動を軽くしてくれます。
 
 
 感情があなたのハートの声なのです。
 
 感情にフォーカスし、
 耳をすませていれば、
 
 あなたのマインドの外の情報が入ってきます。
 
 ということは、
 感情はすべてと繋がっているということです。
 
 感情によって、
 すべての存在と繋がることが出来るのです。
 
 共振がそうです。
 
 感情の共振によって、
 お互いつながり合うことが出来るのです。
 
 感情も波動だということです。
 
 感情を止めることは出来ません。
 
 感情は、あなたですから。
 
 先ほども言いましたが、
 良い感情も悪い感情もありません。
 
 ですから出して良い感情と、
 出してはいけない感情はないんです。
 
 どちらも
 どんどん出して(表現して)ください。
 
 怒りを出してはいけない・・
 と無理に押し込めると、
 
 楽しい感情も
 押し込めてしまうことになるのです。
 
 感情を出すことを怖がらないでください

 (特に、
  怒りなどのネガティブと言われるもの)
 
 ただ、
 重い感情(波動、エネルギー)ですので、
 
 出し方を間違えないでくださいね。
 
 重いエネルギーは、
 破壊的なパワーを持っていますので、
 
 誰かもしくは何かの対象物に
 
 直接ぶつけないように気をつけてください。
 
 対象物をつくらずに、
 自分の感情を俯瞰で見ることが出来れば
 
 その感情は昇華されます。
 あ〜〜、私は今怒ってるわ・・って
 
 感情を冷静に見つめれば大丈夫です。
 
 感情に巻き込まれないように出来れば、
 いくらでも出してください。
 
 もちろん、楽しい、嬉しいの感情も
 どんどん感じてください。
 
 感情は、
 あなたにとってもとても大切なものです。
 
 感情を押し込めたり、
 イヤがったりしないで、
 
 たくさん感じ、感動してください。
 
 感情と上手に付き合えるようになると、
 
 あなたの人生は本当に豊かになります。
 
 
 あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 http://5am5.blog.fc2.com/blog-entry-1700.html
──────────────────

過去にも感情が大切だという話は

プレアデス関連のメッセージなどで

何度か聞いたことがありました。

でも、けっきょく

タイミングじゃなかったんでしょうね、

これまではキャッチしませんでした。

それよりは、

「感情」は「思考」と同じものだ、

というメッセージのほうが

より本質的だという気がしていたものです。

たしかに、それもひとつの観点ですから、

それはそれで正しいと思いますが。

でもその結果、わたしの場合は、

自分の感情に耳を澄ます

というようなことは起こりませんでした。

すべては絶妙なサジ加減で、

運んでいるものですね。

このメルマガを書くには

うってつけのバランスだったのだと思います。

間違いなくわたしの自分は

マインド(思考)だったわけです。

最初からこのメルマガは

<何故にすべては始まってしまったのか?>

という不満からはじまった探求の

経過報告みたいなものでした。

当人が自分は不満だと言っている。

これほど確かなことはありません。

当人が自分=不満と宣言しているわけです。

“語るに落ちる”とはまさにこのことです。

間違いなくわたしは

不満という思考(または感情)を、

自分だと自認しているわけです。

自分という言葉は

そのような具体的・現実的な意味で

使われるべきですよね。

そしてそういう具体的・現実的な意味では、

感情はとても大切な真実を

わたしに教えてくれていたようです。

ミナミAアシュタールはこう教えてくれます。

> 先ず、感情はあなたにとっての
> 痛みのようなものだと思ってください。

これ、すばらしいですね。(@_@) ⌒★?

こういう視点を知りませんでした。

わたしにとってはとても適切な比喩でした。

それは何かを護るための機能だというのです。

痛みに身体を保護する役割があるとしたら、

感情には

> そのような
> 自分を守る役目も持っているということです。
> 
> イヤなことがあれば、
> そこから逃げれるように感情が動くのです。
> 
> 自分の居場所でないところを察知できるように、
> 
> 感情が知らせてくれるのです。

(思わず納得ですね。(@_@) )

それから感情自身にも

身体を守る役割があるらしいのです。

> 感情は、身体にも影響します。
> 
> 逃げたいというサイン(感情)が出ていても、
> 
> それを無視すると身体に影響し、
> 
> 身体も不調を起こすのです。

なるほど。

ストレスを我慢しすぎたりすると、

それが身体の病気として

発症してくることさえあると。

それから感情は

人生体験の実質的内実という機能を担っているらしい。

> そして感情は
> あなたの人生を豊かにしてくれます。
> 
> あなたのテラに転生した目的は、
> 体験することです。
> 
> 体験するというのは、
> たくさんの感情を味わう
> ということでもあるのです。
> 
> ただ身体だけを運んで、
> いろんな物を見たとしても、
> 
> そこに感情が伴わなければ
> 体験にはならないのです。
> 
> 感情があるから、たくさんの出来事を
> 体験することが出来るのです。

またもや思わず納得。

なるほどです。(-||-)

そして最後に感情には

いわば魂の目的を自分に知らせてくれる

という役割もあるらしいのです。

> 感情があなたのハートの声なのです。
> 
> 感情にフォーカスし、
> 耳をすませていれば、
> 
> あなたのマインドの外の情報が入ってきます。
> 
> ということは、
> 感情はすべてと繋がっているということです。
> 
> 感情によって、
> すべての存在と繋がることが出来るのです。

そして感情は止められないらしい。

> 感情も波動だということです。
> 
> 感情を止めることは出来ません。
> 
> 感情は、あなたですから。

アチャ。(>_<)

なんだかんだ言っても、

現状での自分は感情だということです。

それをただ頭で無視しようとしても、

そうは問屋が卸さないわけですよね。(^^;)

なんかやっと

いまのあるがままの自分を

そのまま素直に認めているのかもしれません。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


   <<ご連絡:今度は見えます>>

「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見や単なるメールなど、

ご自由にお書きください。


   ………○…………○…………○………


▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


   ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

感情が自分だとは参りましたね。

でも実際、

わたしは不満だと言うのなら、

それはまさにわたしは不満という感情だと

宣言しているわけですから。

そしてそれを認めたら今度は

わたしは不満という感情に気づいている者、

つまり気づきだということにもなるし、

その気づきの対象物と気づきを合わせて

体験それ自体ということにもなってくるのでしょう。

旅を楽しみなさいということかもしれません。

今日も暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2020 paritosho
──────────────────

home】 【挨拶】 【本棚】 【映画】 【N辞書】 【R辞書】 【随想】 【仕事】 【通信】 【連絡