home > 通信 >『アセンション館通信』第826号:死んでも何も変わらない(ミナミAアシュタール)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/02/09(第826号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あらゆる経験は透明な観照意識の中の現れにほかならない。
 苦しみはない。なぜなら何らかのラベル、つまり別の現れがなけ
 れば、何かが「苦しみ」であることはありえないとわかるからだ。
 (『ダイレクトパス』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在520名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.死んでも何も変わらない(ミナミAアシュタール)

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.死んでも何も変わらない(ミナミAアシュタール)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日は曇天ですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と“「私は在る」噺”に

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

相変わらず去年の暮に知った

ミナミAアシュタール情報を読んでいます。

なんというか……

とても心配性のわたしでしたが、

いつの間にか心配のしようがなくなります。

これは実質的に大きな変化かもしれません。

こうして言いたい放題のメルマガを書いて

一週間に一度はガス抜きをしているので、

怒りというのは

自覚的にはもうずいぶん体験していません。

そして他者に対する不満というのも

あまり起こらないようです。

でもやっても何の意味もない生活上の心配は

やめるにやめられぬ長年の癖でした。

それがだんだん抜けてきているようです。

この間どんな変化があったといえば、

ミナミAアシュタール情報に

触れたということ以外は思いつかない。

この情報はわたしにとっては

とても大きな意味を持っていたようです。

なにしろわずか一ヶ月半でこの成果。(*^_^*)

単なる情報、されど情報です。

ミナミAアシュタール情報は

はじめわれわれを地球の支配者の権力から

解放してくれる情報のように感じられました。

ところがどうやらそれだけでもないらしい。

触発されて起こってくるのは

権威からの解放感でもあるのかもしれません。

わたしは自分には

どうも地上のファン心理というのが

わからないと思っていました。

たしかに、巨人の誰々のファンだとか、

アイドルグループの誰々のファンとかには

あまりなれそうもありません。

でもファン心理には

まったく無縁だったのかと言えば、

必ずしもそうとも言えないと思い至りました。

グルを求めてそれを権威化したい気持ちも、

ファン心理の一種と言えないこともない。

それが良いとか悪いとかではないけれど、

何かを固定して安心したい

マインドの傾向のひとつなのは確かでしょう。

ミナミAアシュタールは言います。

「まず、いつも言いますが、
 “神”という存在はいません。
 
 あなたより偉い存在はいないのです。
 
 ワンネスということが理解できれば、
 そのことも理解できます。
 
 すべては、同じ存在であり、
 あなたは私、私はあなた・・みんな平等。
 
 誰かが特別などということはないのです。
 
 あなたに命令出来る
 特別な偉い存在もいないのです。」
 http://5am5.blog.fc2.com/blog-entry-2170.html

と……。

このメッセージが浸透してくれば

いろんなところが緩んできます。

わたしが過去に苦しんできたのも、

いまこうして楽な気分になっているのも、

すべて思考(概念)に反応しているだけのことです。

どんな情報を選び、解釈を信頼するのか、

その嗜好の傾向特性(またその記憶)を

“自分”と言うのでしょう。

もしその傾向特性(つまり記憶)である

“自分”を手放してしまえば、

あとはただ現れに気づいている

純粋な観照意識があるだけです。

そしてその純粋な観照意識がなければ、

どんな“自分”もありえないし、

どんな経験も起こりえないのは明らかです。

つまり“自分”という言葉を、

起こっている経験の質の意味だと見なせば、

情報選択のその嗜好の傾向特性(つまり記憶)こそが

“自分”だということになる。

しかし、

経験が起こっているその当体が“自分”なんだ

という観点に立つなら、

純粋な観照意識こそが“自分”だと

感じられることになるでしょう。

どちらの観点もありえるわけです。

わたしは論理的には

純粋な観照意識が“自分”だと思いましたが、

でもそれはマインドレベルの理解で、

実際に体験に連動して起こる感情を見れば、

情報選択のその嗜好の傾向特性を

“自分”と感じているらしい、

と認めないわけにはいきません。(*^_^*)

それがpariという体験主体(分身)の

現在地ということでしょう。

これは自慢する必要も恥じる必要もないことで、

この大宇宙にひとつしかない

比較を絶したpariという分身の「いま」です。

ミナミAアシュタール情報に触れつづけて

そんなことを感じるようになりました。

触れる情報はとても大切だと思います。

もちろん、それは

ニサルガダッタふうに言うなら

間違いなく「概念」にすぎないわけですが。

今回は、ミナミAアシュタールの

【vol. 876 死んでも何も変わらない】

という情報の全テキストをご紹介したいと思います。

──────────────────
「こんにちは
 こうしてお話しできることに感謝します。
 
 死ぬときは、死ぬんです。
 
 死なない時は、死にません。
 
 そして、死んでも何も変わらないんです。
 
 ここがわかれば、
 何も怖いものはなくなるのですが
 
 ・・あなた達は”死”に対して大きな恐怖を
 
 刷り込まれてしまっているので、
 これがなかなか理解できないのです。
 
 死んでも何も変わらない・・
 それがわかれば、生き方も大きく変わります。
 
 死ぬ=身体を脱ぐ=物質の身体から
 エネルギーが抜ける・・それだけのことです。
 
 車を運転していたドライバーが
 
 車を降りる・・それだけのことなのです。
 
 車を運転しているドライバーも
 
 車から降りたドライバーも
 何も変わりませんね。
 
 身体が車、
 ドライバーが意識だと思ってください。
 
 
 身体を脱いでも、
 あなたの意識は何も変わらないのです。
 
 あなたはあなたであって、
 記憶もそのままなのです。
 
 意識もそのままです。
 
 だから、時々自分が身体を脱いだことを
 
 理解できない人が出てくるのです。
 
 それが、
 ある意味幽霊と認識されてしまう人なのです。
 
 (幽霊については、いろいろありますので
 
  また別の機会がありましたら、
  その時お伝えいたしますね)
 
 そして、
 身体を持っている物理次元と
 
 身体という物質を持っていない
 
 エネルギーで存在する次元は
 重なっています。
 
 言葉で表現するのは難しいですね。
 
 同じところ(空間?)に、
 すべては存在しています。
 
 あなたのまわりには、
 3次元も、4次元(異次元)も
 
 5次元も、10次元も
 同時に存在しているのです。
 
 ある意味、
 絶対無限の存在もそこに存在しています。
 
 そのたくさん重なって存在している次元の
 
 どこに意識がフォーカスするかによって
 
 見えてくるものが違ってくるだけなのです。
 
 幽霊の存在している次元に
 
 フォーカスすれば(共振すれば)
 幽霊が見えます。
 
 あなたはいま5次元領域に
 フォーカスしていますので
 
 5次元領域の現実を体験しているのです。
 
 あなたがどこに意識をフォーカスするか・・
 
 それだけのことなのです。
 
 そして、
 どこにフォーカスしていても
 
 あなたのまわりには
 たくさんの存在がいるのです。
 
 いま物理的には
 一人でいるかもしれませんが
 
 違う目(フォーカス)で見てみれば、
 
 あなたのまわりには
 たくさんの次元の存在がいるのです。
 
 だから、
 あなたは一人ではありません。
 
 ただ、他の次元の存在を
 あなたが認識できないだけなのです。
 
 誰もいないのに、フッと誰かの存在を
 
 感じるということはありませんか?
 
 それは、その目に見えない存在を
 感じているときなのです。
 
 でも、それは怖いものではありません。
 
 あなたに何か危害を加えようと
 思っているわけではありません。
 
 ただ、そこにいるだけなのです。
 
 もしかしたら、
 その存在もあなたのエネルギーを感じて
 
 不思議に思っているかもしれませんね。
 
 
 身体を脱いで、
 物質ではない次元に共振すると
 
 そこにいる人たち(存在達)が
 見えてきます。
 
 (物質的な目はありませんが、
  エネルギーを見る
  感じる目のような物はありますので、
  見えてきます)
 
 だから、身体を脱いでも
 孤独を感じることはありません。
 
 たくさんその次元には存在しています。
 
 いまのあなたの世界(物質次元)に
 人(人だけじゃないですけど)
 
 がたくさんいるように、
 そこにもたくさんいます。
 
 
 話がそれてしまいましたので、
 もとに戻しますね。
 
 ですから、最初の話ですが・・
 死ぬときは死にます。
 
 死なない時は、死にません。
 
 そして、死んでもあなたの意識は
 何も変わらないのです。
 
 死ぬことを何も怖がる必要はありません。
 
 
 あなたに愛をこめてお伝えいたします」

http://5am5.blog.fc2.com/blog-entry-2068.html
──────────────────

どうですか?

だんだん心配のしようがなくなりませんか?

> 身体を脱いでも、
> あなたの意識は何も変わらないのです。
> あなたはあなたであって、
> 記憶もそのままなのです。
> 意識もそのままです。

どうですかこれ。

記憶もそのまま。(@_@) ⌒★?

意識もそのまま。

ただ身体がないだけです。

……。(-_-)

ここまで、起こったことは単に

ミナミAアシュタールの言葉に触れただけです。

死んで身体からエネルギーが抜け出ても、

この同じ意識・記憶がつづいていると。

いま、この言葉を聴いただけです。

あとは、それを信じるかどうか

ということがあるのかもしれません。

でも、わたしの場合は、

あまりそういうことはありませんでした。

聴いたらそれだけで、

何の疑問も起こらなかったから。

以前にもこういう情報を

聞いたことがなかったわけではありません。

そしてそんなものかとわかったような気もしていました。

でも、いま現在の腑に落ち方とは違いました。

今はこの言葉の響きが

ゆっくりと身体の隅々にまで浸透していきます。

> 同じところ(空間?)に、
> すべては存在しています。

すべては今ここに在ると。

> あなたのまわりには、
> 3次元も、4次元(異次元)も
> 
> 5次元も、10次元も
> 同時に存在しているのです。

あらゆる顕現チャンネルはいまここに在る。

> ある意味、
> 絶対無限の存在もそこに存在しています。

純粋な観照意識もいまここに在る。

> そのたくさん重なって存在している次元の
> 
> どこに意識がフォーカスするかによって
> 
> 見えてくるものが違ってくるだけなのです。

体験を委ねられたすべての個性エネルギーが、

自分がフォーカスする体験を

それぞれ自由に選択している。

> あなたはいま5次元領域に
> フォーカスしていますので
> 
> 5次元領域の現実を体験しているのです。

わかりました。(-||-)

> あなたがどこに意識をフォーカスするか・・
> 
> それだけのことなのです。

了解です。

> そして、
> どこにフォーカスしていても
> 
> あなたのまわりには
> たくさんの存在がいるのです。

なるほど。

> いま物理的には
> 一人でいるかもしれませんが
> 
> 違う目(フォーカス)で見てみれば、
> 
> あなたのまわりには
> たくさんの次元の存在がいるのです。

すべてがいまここに在るんですものね。

> だから、
> あなたは一人ではありません。
> ただ、他の次元の存在を
> あなたが認識できないだけなのです。

わかります。

> 身体を脱いで、
> 物質ではない次元に共振すると
> 
> そこにいる人たち(存在達)が
> 見えてきます。

そうなんですね。

> (物質的な目はありませんが、
>  エネルギーを見る
>  感じる目のような物はありますので、
>  見えてきます)
> 
> だから、身体を脱いでも
> 孤独を感じることはありません。

わかりました。

> たくさんその次元には存在しています。

はい。

> いまのあなたの世界(物質次元)に
> 人(人だけじゃないですけど)
> 
> がたくさんいるように、
> そこにもたくさんいます。

了解しました。

(-||-)

もうひとつ、死に関連して、

【vol. 1079 あなたは私、私はあなた】

というメッセージをご紹介しましょう。

──────────────────
「こんにちは 
 こうしてお話しできることに感謝します。
 
 何度も言いますが、死は消滅ではありません。
 
 死ぬと言われている現象は、
 ただ意識エネルギーが
 
 身体という物質から抜ける
 というだけのことです。
 
 あなたは身体ではなく、
 意識エネルギーなのです。
 
 身体があなたなのではなく、
 意識エネルギーがあなたなのです。
 
 主が意識エネルギーであり、
 身体は従です。
 
 分かりますね。
 
 ですので、身体を脱いでも
 あなたの意識は何も変わりません。
 
 身体を車、ドライバーを意識エネルギーだと
 
 イメージすると分かりやすいと思います。
 
 ドライバーは
 車から降りても何も変わりませんね。
 
 それと同じです。
 
 そして、
 身体を脱いだあと意識エネルギーは
 
 もともとである絶対無限の存在へと戻ります。
 
 身体を脱いだ意識エネルギーは、
 
 まだ個性のエネルギーとしての
 記憶を持っています。
 
 どういう事かと言えば、
 身体を脱ぐ前に体験したことを
 
 記憶しているということです。
 
 自分は○○という名前で、
 性別は女性で
 
 どういう環境にいて、
 どういう体験をしたか・・
 
 ということを記憶しています。
 
 この記憶を持っている状態が
 個性のエネルギーなのです。
 
 絶対無限の存在は
 大きなデータベースだと思ってください。
 
 大きな情報の海なのです。
 
 そして、
 身体を脱いだ個性のエネルギーは
 
 絶対無限の存在に戻るとき、
 その記憶を
 
 すべて絶対無限の存在の海に入れます。
 
 情報の海に自分の情報を入れた時
 
 その個性のエネルギーは
 素のエネルギーとなるのです。
 
 素のエネルギーというのは、
 
 ただ私は存在していると
 意識している存在です。
 
 自分がいると認識しているだけの存在です。
 
 名前も性別もどこの惑星にいたかも
 
 どこの次元に共振していたかも
 全部関係なくなります。
 
 ただ、自分がいる・・それだけです。
 
 自分がいると認識しているだけじゃ
 
 なんだかさみしいですね
 と思うかもしれませんが、
 
 ここからがまた、
 あなたの常識の外の情報になりますので
 
 ちょっと理解しにくいかもしれませんが、
 
 少しおつきあいくださいね。
 
 
 絶対無限の存在の情報の海にある情報は
 すべて共有されます。
 
 ですから、
 素のエネルギーとして
 絶対無限の存在に戻ったら
 
 すべての存在として認識するのです。
 
 ?????ですね(笑)
 
 アキさんだった人が体験した情報を
 
 ミサさんもアキさんとして
 体験できるということです。
 
 ミサさんの記憶も同じように
 アキさんとして体験するのです。
 
 アキさんとミサさんは同じ存在なのです。
 
 これがワンネスということです。
 
 絶対無限の存在の
 情報の海に戻った素のエネルギーは、
 
 すべてを共有します。
 
 すべての情報が自分のものになるのです。
 
 あなたは私、私はあなた・・・
 
 ですので、例えばあなたの社会で
 
 イジメる人とイジメられる人がいますね。
 
 いまの社会の中にいるときは、
 どちらか片方の体験しか出来ません。
 
 そして、個性のエネルギーとして
 どちらかの経験をします。
 
 Aさんはイジメられるという経験をし
 
 Sさんはイジメる方の経験をします。
 
 でも、絶対無限の存在に戻ったとき
 
 Aさんの経験
 (イジメられたときの感情など)を、
 Sさんもまったく同じように
 (Aさんになったように)
 感じることになるのです。
 
 Aさんも同じです。
 
 Aさんも、
 絶対無限の存在に戻ったときに
 
 Sさんになるのです
 (Sさんとして同じ経験をすると
 
 言えば分かりやすいでしょうか?)
 
 どちらの経験も共有するのです。
 
 ですから、よくあなた達が言うように
 
 やったもの勝ちということはないのです。
 
 いまの社会で勝った?
 良い思いをした?と思っても
 
 絶対無限の存在に戻れば、
 負けた?ツラい思いをした?
 
 人の経験も共有するのですから、
 やったもの勝ちにはならないのです。
 
 あなた達の社会では、宗教などによって
 
 善悪や復讐などの概念が
 刷り込まれてしまっていますので
 
 この話はちょっと難しいと思います。
 
 結局は、
 どちらも経験するということですので
 
 復讐などをしようと思うのは
 ナンセンスだということですね。
 
 いつか痛い目にあえばいいのに、
 罰が当たればいいのに
 
 ・・などと思うことがあると思いますが、
 
 そういう考えは、
 自分に向けているのと同じなのです。
 
 痛い目にあえばいい・・
 でも本当にその人が痛い目にあったなら
 
 自分もその人と同じ痛い目を、
 その人になって体験するのです。
 
 理解していただけましたでしょうか?
 
 
 話しが大きく逸れてしまいましたので、
 もとに戻しますね。
 
 自然死でも、自死でも、老衰でも、病死でも、
 
 戻るところは、
 みんな同じ絶対無限の存在です。
 
 じゃあ、どうして
 幽霊などと呼ばれるような存在が
 いるのですか?
 
 ということですが、
 それにはいろいろなストーリーがありますが・・
 
 先ず身体を脱いでも
 あまりに何も変わらないために
 
 自分が死んだということに
 気がついていないこともあります。
 
 もう一つは、執着です。
 
 個性のエネルギーの記憶に執着するあまり
 
 絶対無限の存在に戻り素のエネルギーとして
 
 存在することを拒否することもあります。
 
 どのストーリーにせよ、
 自分で選んでそこにいるということです。
 
 ですので、
 自分が身体を脱いだことを理解し
 
 戻りたいと思うならば、
 どんな脱ぎ方にしろ
 
 必ず絶対無限の存在に戻りますので
 安心してくださいね。
 
 あなたに愛をこめてお伝えいたします」

http://5am5.blog.fc2.com/blog-entry-2271.html
──────────────────

> 何度も言いますが、
> 死は消滅ではありません。
> 
> 死ぬと言われている現象は、
> ただ意識エネルギーが
> 
> 身体という物質から抜ける
> というだけのことです。

(-||-)

> あなたは身体ではなく、
> 意識エネルギーなのです。
> 
> 身体があなたなのではなく、
> 意識エネルギーがあなたなのです。
> 
> 主が意識エネルギーであり、
> 身体は従です。
> 
> 分かりますね。
> 
> ですので、身体を脱いでも
> あなたの意識は何も変わりません。

了解しました。

(-||-)

> そして、
> 身体を脱いだあと意識エネルギーは
> 
> もともとである絶対無限の存在へと戻ります。

はい。

> 身体を脱いだ意識エネルギーは、
> 
> まだ個性のエネルギーとしての
> 記憶を持っています。
> 
> どういう事かと言えば、
> 身体を脱ぐ前に体験したことを
> 
> 記憶しているということです。

そうなんですね。

> 自分は○○という名前で、
> 性別は女性で
> 
> どういう環境にいて、
> どういう体験をしたか・・
> 
> ということを記憶しています。

なるほど。

> この記憶を持っている状態が
> 個性のエネルギーなのです。

了解です。

> 絶対無限の存在は
> 大きなデータベースだと思ってください。
> 
> 大きな情報の海なのです。

はい。

> そして、
> 身体を脱いだ個性のエネルギーは
> 
> 絶対無限の存在に戻るとき、
> その記憶を
> 
> すべて絶対無限の存在の海に入れます。

そういうことなんですね。

> 情報の海に自分の情報を入れた時
> 
> その個性のエネルギーは
> 素のエネルギーとなるのです。

なるほど。

> 素のエネルギーというのは、
> 
> ただ私は存在していると
> 意識している存在です。
> 
> 自分がいると認識しているだけの存在です。
> 
> 名前も性別もどこの惑星にいたかも
> 
> どこの次元に共振していたかも
> 全部関係なくなります。
> 
> ただ、自分がいる・・それだけです。

わかりました。

ただの「私は在る」だけになると。

> 自分がいると認識しているだけじゃ
> 
> なんだかさみしいですね
> と思うかもしれませんが、
> 
> ここからがまた、
> あなたの常識の外の情報になりますので
> 
> ちょっと理解しにくいかもしれませんが、
> 
> 少しおつきあいくださいね。

はい。

> 絶対無限の存在の情報の海にある情報は
> すべて共有されます。
> 
> ですから、
> 素のエネルギーとして
> 絶対無限の存在に戻ったら
> 
> すべての存在として認識するのです。

ホー。

> ?????ですね(笑)

純粋な観照意識というより……

すべてが自分であることを知っている状態

そんな感じなんでしょうか。

> アキさんだった人が体験した情報を
> 
> ミサさんもアキさんとして
> 体験できるということです。
> 
> ミサさんの記憶も同じように
> アキさんとして体験するのです。
> 
> アキさんとミサさんは同じ存在なのです。
> 
> これがワンネスということです。

これはたしかに、

言葉で解釈するのは難しい状態ですね。(^^;)

> 絶対無限の存在の
> 情報の海に戻った素のエネルギーは、
> 
> すべてを共有します。
> 
> すべての情報が自分のものになるのです。
> 
> あなたは私、私はあなた・・・

伺っておきます。

> ですので、例えばあなたの社会で
> 
> イジメる人とイジメられる人がいますね。
> 
> いまの社会の中にいるときは、
> どちらか片方の体験しか出来ません。
> 
> そして、個性のエネルギーとして
> どちらかの経験をします。
> 
> Aさんはイジメられるという経験をし
> 
> Sさんはイジメる方の経験をします。
> 
> でも、絶対無限の存在に戻ったとき
> 
> Aさんの経験
> (イジメられたときの感情など)を、
> Sさんもまったく同じように
> (Aさんになったように)
> 感じることになるのです。

なるほど。

> Aさんも同じです。
> 
> Aさんも、
> 絶対無限の存在に戻ったときに
> 
> Sさんになるのです
> (Sさんとして同じ経験をすると
> 
> 言えば分かりやすいでしょうか?)
> 
> どちらの経験も共有するのです。
> 
> ですから、よくあなた達が言うように
> 
> やったもの勝ちということはないのです。

そういうことなんですね。

> いまの社会で勝った?
> 良い思いをした?と思っても
> 
> 絶対無限の存在に戻れば、
> 負けた?ツラい思いをした?
> 
> 人の経験も共有するのですから、
> やったもの勝ちにはならないのです。

そういうお話を以前も聞いたことがありましたが……。

そういう状態があるのでしょうね。

> 自然死でも、自死でも、老衰でも、病死でも、
> 
> 戻るところは、
> みんな同じ絶対無限の存在です。

天国も地獄もありはしないと。

> じゃあ、どうして
> 幽霊などと呼ばれるような存在が
> いるのですか?
> 
> ということですが、
> それにはいろいろなストーリーがありますが・・
> 
> 先ず身体を脱いでも
> あまりに何も変わらないために
> 
> 自分が死んだということに
> 気がついていないこともあります。

幽霊救助隊の方々のお話というのもありますよね。

> もう一つは、執着です。

やっぱり。

> 個性のエネルギーの記憶に執着するあまり
> 
> 絶対無限の存在に戻り素のエネルギーとして
> 
> 存在することを拒否することもあります。

そうなんですね。

> どのストーリーにせよ、
> 自分で選んでそこにいるということです。

はい。

> ですので、
> 自分が身体を脱いだことを理解し
> 
> 戻りたいと思うならば、
> どんな脱ぎ方にしろ
> 
> 必ず絶対無限の存在に戻りますので
> 安心してくださいね。

わかりました。

ありがとうございました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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   ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

身体を持って生きている間は

楽しく生きようと思います。

ありがたいことです。

変化は間違いなくこれからも続くでしょう。

どんな変化が起こってくるのか。

体験という意味では、

宇宙にたったひとつしかない今なんですよね。

まあ楽しみですね。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2020 paritosho
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