home > 通信 >『アセンション館通信』第834号:あなたの非依存性を主張しなさい



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/04/12(第834号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 同じところ(空間?)に、すべては存在しています。
 あなたのまわりには、3次元も、4次元(異次元)も
 5次元も、10次元も同時に存在しているのです。
 ある意味、絶対無限の存在もそこに存在しています。
 (ミナミAアシュタール)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在523名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.あなたの非依存性を主張しなさい

2.編集後記
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■ 1.あなたの非依存性を主張しなさい
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今日は日は照っているけれど

わりあい寒い日ですね。

眼前の光景は今が一年でいちばん華やかです。

正面の黄色いレンギョウの上手には

この庭で一番賑やかなピンクの花桃。

これをこそ桃色というのでしょうね。

それから眼前左手には満開の桜です。

その下手前にこれもピンクの海棠の花。

またここからは見えない右手の畦畔の下には

咲分けの白い桃の花が咲き誇っています。

いーい季節です。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と“「私は在る」噺”に

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

地上の誰もが

いわゆる探求者であるわけではないでしょう。

しかし地上の誰もが幸せになることを求めている。

そうは言えるかもしれません。

「すべての存在は苦痛に満ちているというのは
 本当でしょうか?」
 
というある質問者の問に

マハラジは次のように答えています。

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 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから
 快楽のなかに解放を探しているのだ。
 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、
 繰り返される快楽の保証なのだ。
 
 『私は在る』(p163-164) 
 http://tinyurl.com/s747u
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アシュタール情報的な観点からは、

これは宇宙一般の普遍的な現象ではなく、

一部のレプティリアンに支配されてきた

この惑星地球に固有の状況である……

ということはあるのかもしれません。

そのような地上人の中でいわゆる探求者となって

ボンベイの彼のロフトにたどり着いたある訪問者に

マハラジは次のように幸福の秘密を明かします。

──────────────────
 あなたの非依存性を自覚し、
 幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せが
 ものごとや人びとに依存すると信じることは、
 自己の真の本性に関する
 あなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、
 幸せとなるために必要なものは何もない
 と知ることが智慧なのだ。
 
 『私は在る』(p523)
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> あなたの非依存性を自覚し、
> 幸せでありなさい。

ここで【非依存性】と言われているのは

どのような事実なのか?

マハラジは別のところでこう語っています。

──────────────────
 思考と行為において、
 あなたの非依存性を主張しなさい。
 結局、
 すべてはあなたが見、聞き、考え、
 感じることが現実だと確信する
 あなた自身の信念にかかっているのだ。
 なぜあなたの信念を疑わないのか?
 この世界が意識のスクリーンの上に、
 あなたによって描かれたものだ
 ということは疑いないのだ。
 そして、
 それは完全にあなたの個人的な世界だ。
 たとえ世界のなかにあろうとも、
 あなたの「私は在る」という感覚だけが、
 世界に属さないものだ。
 どのような理論や想像による努力によっても、
 「私は在る」を「私はいない」に
 変えることはできない。
 あなたの存在を否定すること自体が、
 あなたの存在を主張している。
 ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、
 あなたはそれから自由だ。
 あなた自身の想像のなかにしか存在しない
 世界から自由になる必要はない!
 いかにその絵が美しくとも、
 あるいは醜くとも、
 それはあなたが描いたものであり、
 あなたはそれに束縛されないのだ。
 誰もあなたにそれを押しつけてはいない
 ということを悟りなさい。
 それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
 想像を想像としてみなさい。
 そして恐れから自由になるがいい。
 
 『私は在る』(p218)
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> 結局、
> すべてはあなたが見、聞き、考え、
> 感じることが現実だと確信する
> あなた自身の信念にかかっているのだ。
> なぜあなたの信念を疑わないのか?

こういう言葉は

探求が始まっていない人が聞いても

まったく何の意味もありません。

スピリチュアルな探求の旅の果に

追い詰められた人にのみ意味のある

言葉と言えるでしょう。

けっきょく、

あなたが悩んでいるすべての問題は、

見かけの世界に対する

あなたの解釈の中で起こっていることが

わからないだろうか?

なぜあなたの解釈の現実性を、

そしてその解釈の前提にある

あなたの感覚印象が構築する

この見かけの世界の現実性そのものを

疑わないのか?

あなたのすべての解釈は、

この見かけの世界が現実だとする

あなたの信念が呼び出した観念だ。

なぜその信念そのものを疑わないのか?

> この世界が意識のスクリーンの上に、
> あなたによって描かれたものだ
> ということは疑いないのだ。
> そして、
> それは完全にあなたの個人的な世界だ。

あなたが見ている世界は

あなたの信念と解釈が呼び出したものだ。

それについてはまったく疑問の余地がない。

あなたはその世界が現実のものであることを

疑っていないようだ。

だが見ているあなたの存在なしに、

その世界のみで存在できるだろうか?

そのことを考えてみなさい。

見ている者の存在なしに

見られた世界が独自に存在できるだろうか?

知る者がいなければ

知られるものが存在できないことは自明だ。

知られる世界はその世界を知る者に対して

現れているのだ。

たとえ百歩譲って、

ある世界が知る者なしに存在していたとしても、

その世界はどうやって現れるのか?

その世界は現れるために

その世界を知るものを必要とすることだろう。

またたとえそんな世界があったとしても、

あなたに現れない世界のことを

あなたが気にする必要があるだろうか?

見られる世界と見ているあなたと、

どちらが本当に存在しているかが

これでわかっただろうか?

あなたは存在している。

なぜなら、

あなたは自分が存在していることを

自分で知っており、

その自分の存在を自分以外の何者にも

保証してもらう必要がないからだ。

本当に存在しているのは

見られた世界ではなく見ているあなただ。

あなたの「私は在る」という感覚、

自分は存在しているというその存在感、

その【存在の感覚】こそが、

全現象を支える意識の中核なのだ。

すべての現れの世界、全現象宇宙は

その【存在の感覚】が呼び出した

想像の中にあるのだ。

> たとえ世界のなかにあろうとも、
> あなたの「私は在る」という感覚だけが、
> 世界に属さないものだ。

たとえあなたが

その想像の中で世界を構築し、

自分をその想像の世界に閉じ込められている

と想像していたとしても、

自分が存在するという【存在の感覚】だけは、

あなたが想像したものではない。

見かけの世界に所属するものではないのだ。

> どのような理論や想像による努力によっても、
> 「私は在る」を「私はいない」に
> 変えることはできない。

なぜなら、

あなたがどのように理屈を捻っても、

自分は存在するというその存在感を、

否定することはできないからだ。

> あなたの存在を否定すること自体が、
> あなたの存在を主張している。

あなたの存在感を否定しようにも、

その否定しようという意識的行為自体が、

あなたの存在を裏づけてしまう。

本当に存在しているのは、

見かけの世界ではなく、

それを見ているあなたのほうだ。

> ひとたび世界はあなた自身の投影だと悟れば、
> あなたはそれから自由だ。

確実に存在しているのは

(存在の感覚である)自分のほうであり、

自分が見ている世界は

自分が呼び出した想像だと悟れば、

あなたはその見かけの世界から自由だ。

> あなた自身の想像のなかにしか存在しない
> 世界から自由になる必要はない!

自分の想像の中にしか存在しない世界から、

想像している当人であるあなたが

自由になる必要はないからだ。

夢を見ているあなたは、

自分が見ている夢の世界から

解放される必要はない。

自分が夢を見ていると知ること自体が

夢からの解放だからだ。

> いかにその絵が美しくとも、
> あるいは醜くとも、
> それはあなたが描いたものであり、
> あなたはそれに束縛されないのだ。

どれほど切迫した場面の中にいようとも、

それは夢見られた劇の中で

登場人物が置かれた状況にすぎない。

実際にいま存在しているのは

存在感であるあなたのほうであり、

そのあなたがその状況を夢見ている。

その実在のあなたは

その夢の状況に束縛されていない。

> 誰もあなたにそれを押しつけてはいない
> ということを悟りなさい。
> それは想像を現実と見なす習慣によるものなのだ。
> 想像を想像としてみなさい。
> そして恐れから自由になるがいい。

あなたが自分の想像から目覚めて

その想像を想像として見たら、

誰も自分にその想像を強制していない

ことがわかるだろう。

あなたはただ

自分が想像したことを

現実と見なす習慣をもっていただけなのだ。

想像を想像としてみなさい。

そして自分が想像した恐れから

解放されるといい。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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夢の中でまたたっぷりと

理屈を言う時間をもてました。(^_-)

感謝するしかありません。(-||-)

今日は暗くなりはじめました。

ではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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