home > 通信 >『アセンション館通信』第843号:「あなた」の消滅



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/06/14(第843号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 あなたの本質は
 あなたが自分でそう思っているものではない。
 (ニサルガダッタ・マハラジ)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在523名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.「あなた」の消滅

2.編集後記
──────────────────
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■ 1.「あなた」の消滅
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梅雨ですね。

今年は本格的な梅雨がありそうです。

梅雨もまたありがたい。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と“「私は在る」噺”に

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

過去半世紀以上にわたって

言葉によって何かを理解できる、

という観念のもとに

こうして長い人生を送ってきました。

誰が?

もちろん、

意識の中の見かけがです。(*^_^*)

こうして見られている夢の

その中の登場人物がです。

ジョークですよね。(^_-)

今回はマハラジが語る言葉を

じっくりと味わってみたいと思います。

マハラジの理想的な弟子

ラメッシ・バルセカールが描く

『ニサルガダッタ・マハラジが
 指し示したもの』
https://amzn.to/2J4Pbtr

の後半に

【49 「あなた」の消滅】

という一節があります。

今回はこの一節が

しっかり“自分”の中に沈みこんで、

“自分”の底でメルトダウンが

起こらないかと願っています。

誰が?

わかりません。(*^_^*)

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、
 
 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
 49 「あなた」の消滅
 
 
 ある朝、
 訪問者たちに話しかけながら
 マハラジが言いました。
 「あなた方の中には
  ここに何週間も
  通い続けている人たちがいる。
  私は特に、
  観光ではなく、
  私に会うためだけに
  ここにやってきている海外からの
  訪問者たちのことを気にしている。
  彼らは交通費とボンベイでの滞在費に
  多額のお金を使わなければならない、
  で、時々私は思うのだ。
  彼らは私が伝えようとしていることを
  本当に理解しているのかどうかと。
  では、
  私に言ってみてくれないか。
  パラマールタ
  ──至高の真理、人生の究極の意味──
  とは何なのか?
  あなた方一人ひとりにとって
  この究極の意味とは何なのか?
  答える前に、
  私が何について話し続けてきたのかを
  考えてみて欲しい」
 
 海外からの訪問者が
 大胆な答えを一つ出しました。
 「解放です。
  私はこの人生の束縛から
  解放されたいと思っています。
  あなたの話を聞いて、
  今なら私はそれを
  『意識の束縛』と呼ぶことでしょう」
 すると、すぐに他の数人から
 確認のつぶやきが聞かれました。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p267)
 https://amzn.to/2J4Pbtr
──────────────────

例によって

ラメッシ・バルセカールは

その日マハラジのロフトで起こった

対話の様子を簡潔かつ具体的に

読者の私たちに提供してくれます。

>  パラマールタ
>  ──至高の真理、人生の究極の意味──
>  とは何なのか?
>  あなた方一人ひとりにとって
>  この究極の意味とは何なのか?

煎じ詰めて言うなら、

私たちが求めているのは

まさにこれですよね。

“人生の究極の意味”とは

いったい何なのか?

いったい何のためにこんなものがあるのか?

誰がまた何のためにこれを望んだのか?

マハラジのこの促しに応えて、

ひとりの西洋人が発言します。

> 「解放です。
>  私はこの人生の束縛から
>  解放されたいと思っています。

こう聞いて、

あなたも同意するかもしれません。

解放されていないと想像しがちな

わたしもそうです。

>  あなたの話を聞いて、
>  今なら私はそれを
>  『意識の束縛』と呼ぶことでしょう」

たしかに、

それを『意識の束縛』と

呼ぶかもしれません。

マハラジから意識自体が束縛である

という観念を教わったのですから。

案の定、この発言を聞いて

マハラジは笑ったそうです。

──────────────────
 マハラジは笑って言いました。
 「ほら、なんとその条件付けは
  強力でありうることだろうか!
  その条件付けが両親から来ているのか、
  霊的指導者たちから来ているのかは
  どうでもいいことだ。
  この『束縛』と『解放』という問題は、
  存在するものの真の本質を
  充分に理解できるほど、
  知的レベルが高くない人々に与えられた
  伝統的教えの一部である。
  しかし、
  あなた方は霊性の幼稚園児ではない。
  あなたは自分がまるで
  現象的対象物であるかのように考え
  話すのを止めなければならないと、
  私は言い続けている。
  私はあなた方に、
  あなたは現象的対象物ではなく、
  意識そのもの、
  感覚ある存在に感覚を提供している
  生きた意識であると、
  語り続けている。
  さらにあなたは
  顕現の中でのみ意識であるにすぎず、
  しかし実際は、
  あなたは意識以前に存在するものである
  とも語り続けている。
  つまり、
  あなたは純粋な気づきなのだ」
  
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p268)
──────────────────

> 「ほら、なんとその条件付けは
>  強力でありうることだろうか!

「束縛」と「解放」という

霊的条件付けのなんと深いことか!

>  その条件付けが両親から来ているのか、
>  霊的指導者たちから来ているのかは
>  どうでもいいことだ。

あなたがこの受け売り話を

あなたの両親から聞いたのか

霊的指導者たちから聞いたのかは

どちらでもいいことだ。

>  この『束縛』と『解放』という問題は、
>  存在するものの真の本質を
>  充分に理解できるほど、
>  知的レベルが高くない人々に与えられた
>  伝統的教えの一部である。

(ふふ。

 「束縛」とか「解放」というのは、
 
 実在の本質を理解できるほどの
 
 知的レベルに達していない人々に提供された
 
 伝統的教えの一部らしいです。(*^_^*) )

>  しかし、
>  あなた方は霊性の幼稚園児ではない。

(好んでマハラジの言葉を読むわれわれも
 
 自分を霊性の幼稚園児とは思っていません。
 
 でも、いざとなると
 
 実際は霊性の幼稚園児と同じことを
 
 言い出すわけです。

 やられましたね。(^_-) )

>  あなたは自分がまるで
>  現象的対象物であるかのように考え
>  話すのを止めなければならないと、
>  私は言い続けている。

自分を現象世界の中にある

対象物であるかのように見なすのは、

いい加減にやめなさい。

私はずっとそう言い続けている。

>  私はあなた方に、
>  あなたは現象的対象物ではなく、
>  意識そのもの、
>  感覚ある存在に感覚を提供している
>  生きた意識であると、
>  語り続けている。

(マハラジの言葉を聞いてきて

 わたしも自分が
 
 この身体という現象的対象物ではなく、
 
 それに気づいている意識だと
 
 知的には重々承知しています。

 これほど承知しているのだから、
 
 そのような態度が定着しない
 
 理由などどこにもない。)

>  さらにあなたは
>  顕現の中でのみ意識であるにすぎず、
>  しかし実際は、
>  あなたは意識以前に存在するものである
>  とも語り続けている。

そのうえ私は、

あなたが意識であるのは顕現の中だけで、

あなた自身は

意識の存在に先立って存在しており、

意識の発生に気づくものだと

語り続けている。

>  つまり、
>  あなたは純粋な気づきなのだ」

あなたは

意識に先立って存在している

気づきなのだ。

──────────────────
 マハラジは語ります。
 「すべての肉体である単なる対象物、
  見かけが、
  独立した実体として
  何かの行為をおこなうことは
  不可能なことを理解するのは、
  非常に単純なことではないだろうか?
  個人的意識が
  その全機能において自分自身を対象化し、
  それぞれの対象物と一体化するとき、
  初めて
  個人的『私』という観念が生まれる。
  この観念が『束縛』の源泉であり、
  純粋な主体性である『私』を
  対象的『自分』として対象化する。
  想像的束縛とはこの『自分』、
  『私』観念ないしエゴであり、
  そこから解放が求められているのだ。
  解放を求めている感覚ある生き物を
  何が構成しているのかについて、
  明確な認識があれば、
  全概念がいかに 
  滑稽かがわかかることだろう。
  肉体それ自身は
  男性の精子が成長したものに他ならず、
  それは女性の子宮の中で受胎される。
  胎児は両親によって消費された
  食物のエキスであり、
  その中に意識が潜在している。
  もし私たちの見かけが
  食物のエキスに他ならないなら、
  あなたが解放したいと思うのは
  どの特定の食物の一粒なのかと
  私は尋ねたい。
  食物は五大元素の
  組み合わせのエキスであるが、
  あなたが自分自身を一体化したのは
  どの特定の食物の一粒なのか、
  あるいは、
  五大元素のどれなのだろうか?
  
  目覚めないし悟り、解放は、
  私たちの本質
  ──今−ここに−あるもの──は、
  想像可能な、あるいは、
  認識可能なものの絶対的不在である。
  つまりそれは、
  不可知な潜在可能性の絶対的存在と
  同じであることを
  直感的に深く理解することに他ならない」
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p268-269)
──────────────────

> 「すべての肉体である単なる対象物、
>  見かけが、
>  独立した実体として
>  何かの行為をおこなうことは
>  不可能なことを理解するのは、
>  非常に単純なことではないだろうか?

森羅万象であるあらゆる顕現が、

あなたという気づきの対象物であり、

単なる意識の見かけにすぎないことを

理解するのはそれほど難しいことだろうか?

ごく単純なことではないのか?

>  個人的意識が
>  その全機能において自分自身を対象化し、
>  それぞれの対象物と一体化するとき、
>  初めて
>  個人的『私』という観念が生まれる。

意識の基盤である存在感が、

意識の見かけである形態に一体化し、

形態の全機能に自分を対象化して

その対象物と一体化するとき、

個人的「私」という観念が生まれる。

>  この観念が『束縛』の源泉であり、
>  純粋な主体性である『私』を
>  対象的『自分』として対象化する。

この形態に一体化した「私」が

「束縛」という観念の源泉だ。

このありもしない「束縛」の観念が

すべてに気づいている純粋な主体を、

対象物の「自分」であるかのように

想像させるのだ。

>  想像的束縛とはこの『自分』、
>  『私』観念ないしエゴであり、
>  そこから解放が求められているのだ。

このありもしない「束縛」の観念が

いわゆる「自分」、エゴであり、

求められているのは

その架空の「束縛」の囚人である

虚構の「自分」からの解放だ。

実際は、この虚構の「自分」が

存在しないことの理解にほかならない。

>  解放を求めている感覚ある生き物を
>  何が構成しているのかについて、
>  明確な認識があれば、
>  全概念がいかに 
>  滑稽かがわかかることだろう。

それを理解するために

私が提供している方便が

感覚ある生き物の構成要素を

明確に理解することだ。

感覚ある生き物が実際は何かを知れば、

それが解放を求めているという話が

いかに滑稽かがわかるからだ。

>  肉体それ自身は
>  男性の精子が成長したものに他ならず、
>  それは女性の子宮の中で受胎される。
>  胎児は両親によって消費された
>  食物のエキスであり、
>  その中に意識が潜在している。
>  もし私たちの見かけが
>  食物のエキスに他ならないなら、
>  あなたが解放したいと思うのは
>  どの特定の食物の一粒なのかと
>  私は尋ねたい。

肉体が男性の精子の

成長した姿であることは自明だ。

精子が女性の子宮の中で受胎され、

その子宮の中の胎児は

母親の摂った栄養で成長する。

誕生する肉体が

両親が消費した食物のエキス

であることに疑いはない。

その肉体に意識が潜在している。

肉体が解放を求めていると言うなら、

肉体が消費したどの食物の

どの部分が解放を求めているのか?

>  食物は五大元素の
>  組み合わせのエキスであるが、
>  あなたが自分自身を一体化したのは
>  どの特定の食物の一粒なのか、
>  あるいは、
>  五大元素のどれなのだろうか?

すべてに気づいているあなたは

消費されたどの食物のどの要素に

一体化したのか言ってみなさい。

消費されたどの食物が

解放を求めているというのか?

>  目覚めないし悟り、解放は、
>  私たちの本質
>  ──今−ここに−あるもの──は、
>  想像可能な、あるいは、
>  認識可能なものの絶対的不在である。
>  つまりそれは、
>  不可知な潜在可能性の絶対的存在と
>  同じであることを
>  直感的に深く理解することに他ならない」

目覚め、悟り、解放とは、

「今−ここに−在る」という

私たちの本質そのもののことだ。

それは想像できるもの、

認識できるものの絶対的不在だ。

それは言い換えるなら、

絶対的に存在するのは

不可知の潜在可能性だと、

直感的に理解することなのだ。

──────────────────
 マハラジは続けて言いました。
 「少し考えてみなさい。
  個人的に見る見るとか見ないとか、
  理解するとか理解しないとか、
  するとかしないというような、
  個人としての
  一人の『あなた』や『自分』を
  その中心に持たない質問が
  起こることができるだろうか?
  関わっているのは常に『自分』である。
  物が見られるとか、
  物事が理解されるとか、
  起こる行為という見方はほとんどない。
  バラブリッティ(最高の行為)が
  あるときはいつでも、
  完全なる全面的な転換、
  『転向』が起こったのだ。
  その転換は、
  それ自身の意志をもった
  どんな実体によっても為されたり、
  達成されたりしたのではない。
  理解されていないことはこの事実だ。
  理解されていないのは、
  転換を直接意図的に引き起こした
  実体は存在しえないことだ!
  実際まさにこの事実の
  (個人によるのでない)直感的理解が
  探求者である『あなた』の
  本質的消滅をもたらし、
  ある種の真空状態、
  マインドの『断食』を達成する。
  そして、
  その状態が本当の『あなた』
  (『自分』ではない『私』)である
  存在を招くのだ。
  こうやって変容的適応が
  起こるかやってくるが、
  それは達成されることはできない」
 
 マハラジは結論として言いました。
 「だから、
  次のことをよく理解しなさい。
  対象物とそれらのグナ(属性)は
  主体ではなく、
  感覚によって認識され、
  マインドによって解釈される物であり、
  人間を含むすべての対象物は
  意識の中の単なる見かけである。
  そして最後に、
  それゆえ、
  対象物が解放されることはできないし、
  また解放される必要もない」
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p269-270)
──────────────────

> 「少し考えてみなさい。
>  個人的に見る見るとか見ないとか、
>  理解するとか理解しないとか、
>  するとかしないというような、
>  個人としての
>  一人の『あなた』や『自分』を
>  その中心に持たない質問が
>  起こることができるだろうか?
>  関わっているのは常に『自分』である。
>  物が見られるとか、
>  物事が理解されるとか、
>  起こる行為という見方はほとんどない。
>  バラブリッティ(最高の行為)が
>  あるときはいつでも、
>  完全なる全面的な転換、
>  『転向』が起こったのだ。

個人としての「あなた」や

個人としての「自分」がいないのに、

質問だけが起こることなどあるだろうか?

答えを欲しがっているのは

常に架空の「自分」なのだ。

その反対に、

最高の行為が起こるときは、

いつでも完全な全面的転換、

自己の完全な不在が起こっている。

>  その転換は、
>  それ自身の意志をもった
>  どんな実体によっても為されたり、
>  達成されたりしたのではない。
>  理解されていないことはこの事実だ。

その転換は

あなたが気づいている

対象的世界のなかの

自前の意志をもった

何らかの実体によって実現されたり

達成されたりしたものではない。

理解されていないのはこのことだ。

>  理解されていないのは、
>  転換を直接意図的に引き起こした
>  実体は存在しえないことだ!

理解されなければならないのは、

あなたが気づいている対象物の中に

この転換を直接意図的に引き起こせるような

実体は存在できないということだ!

>  実際まさにこの事実の
>  (個人によるのでない)直感的理解が
>  探求者である『あなた』の
>  本質的消滅をもたらし、
>  ある種の真空状態、
>  マインドの『断食』を達成する。

この事実が直感的に理解されたとき、

探求者である「あなた」は

本質的に消滅せざるをえなくなる。

そのときマインドの中に

一種の真空状態が生まれる。

>  そして、
>  その状態が本当の『あなた』
>  (『自分』ではない『私』)である
>  存在を招くのだ。
>  こうやって変容的適応が
>  起こるかやってくるが、
>  それは達成されることはできない」

その状態が

本来の「私」の存在を招来する。

かくして変容的な適応が起こるが、

それは達成できるようなものではない。

> マハラジは結論として言いました。
> 「だから、
>  次のことをよく理解しなさい。
>  対象物とそれらのグナ(属性)は
>  主体ではなく、
>  感覚によって認識され、
>  マインドによって解釈される物であり、
>  人間を含むすべての対象物は
>  意識の中の単なる見かけである。
>  そして最後に、
>  それゆえ、
>  対象物が解放されることはできないし、
>  また解放される必要もない」

見かけの中に現れるあらゆる対象物は、

主体ではありえないことを理解しなさい。

それらは感覚機能が認識し、

マインド機能が解釈する対象物だ。

人間を含め、

すべての対象物は意識の中の見かけだ。

それゆえ、

その対象物が解放されることもありえず、

また解放される必要もないのだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

マハラジは

「理解されていないのは、
 転換を直接意図的に引き起こした
 実体は存在しえないことだ!」

と言います。

気づいているのは唯一「私」であり、

「私」が気づいている対象物の中に

何かを為しうるような

実体は存在しえない。

理解されていないのは、

ただこれだけであるようです。

これって、

理解できないようなことでもないような。(*^_^*)

今日もすっかり暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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