home > 通信 >『アセンション館通信』第848号:私たちは夢見られた登場人物です



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/07/19(第848号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。

 私があなたに言えるたったひとつのことは、
 あなたができるたった一つのこともないということです。
 なぜなら、その「あなた」は消えなければならないからです。
 『意識は語る』(ラメッシ・バルセカール)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在517名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.私たちは夢見られた登場人物です

2.編集後記
──────────────────
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■ 1.私たちは夢見られた登場人物です
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今年は本当によく降りますね。

三歳苦難の前半は水攻めなのか?

となると後半は

火山の噴火でもあるのかしら?(*^_^*)\ゴン

ッテエ。(;_;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と“「私は在る」噺”に

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

11次元の意識体とおっしゃる

アシュタールさんの場合も、

惑星地球での夢から目覚めた

ラメッシ・バルセカール師の場合も、

言葉でわれわれに伝えてくださることが

すべて観念であることは同じです。

またアシュタールさんも

ラメッシ・バルセカール師も、

そう名乗るご自身がそれぞれ

ひとつの意識の中の夢のひとつ

であることに異論はないでしょう。

もちろん、お二人それぞれに、

持ち合わせる知識も違えば、

担おうとする役割もスタンスも異なります。

それにもともと、

立場をもたずに何かを語ることなど

できない相談なわけですし。

何かの観念を語るということは、

語る当人の立場を表現することでしょう。

ミナミAアシュタールさんの

メッセージを聞くようになって、

何かにつけ

「あなたはどうしたいですか?」

という言葉が浮かぶようになりました。

こんな趣旨のメッセージです。

──────────────────
 自立してください。
 
 自分で考え、自分で選択し、
 すべての責任は自分で取る・・
 
 それが自立です。
 
 責任を取るというのは、
 何かしたら誰かに罰を受ける・・とか
 そういうものではありません。
 
 自分で作りだした現実を受け入れる・・
 ということです。
 
 あなたの前(未来)には何もないのです。
 
 今のあなたの思考が、
 次の未来になるのです。
 
 あなたの前にはたくさんの選択肢
 (可能性、道、タイムライン)が
 たくさんあります。
 
 そのうちからどれを選ぶかで、
 あなたの未来が変わって来るのはわかりますね。
 
 その選択をするのは、あなたです。
 
 そして、
 その選択によって見る現実は変わってきます。
 
 その選択で創った現実を、
 しっかりと受け取る・・
 
 これが責任を取るということです。
 
 私たちは、
 可能性をお伝えすることはできます。
 
 でも、これにしなさい・・
 などと決めることは絶対に出来ません。
 
 それは、
 自由への介入になってしまいます。
 
 
 自分で決めることに慣れてください。
 ……
 http://5am5.blog.fc2.com/blog-date-20180617.html
──────────────────

まあ、意味はわかりますよね。(*^_^*)

ミナミAアシュタールさんは、

大きな意識の夢の中でその分身として

永遠の生命を保証されているわれわれに、

自分が選んだゲームの中で

自分が望んだ展開を創造してください!

とわれわれを鼓舞する役割を

自ら選んでいる方です。

おっしゃることはわかりますし、

ゲームの時節もそのとおりなのでしょう。

ただ、

惑星地球上での

肉体年齢というものもありますよね。(^_-)

ミナミAアシュタールさんは、

本当は年齢など関係ないとおっしゃる。

そうなのかもしれません。

自分はどちらの方を向きたいのか?

と自問すると、

「あなたができるたった一つのこともない」

と呼びかけてくれる

ラメッシ・バルセカールの声が

何やら嬉しいんですよね。

変なものですね。(^_-)

それは

「じつは何ひとつ起こっていない」

というマハルシやマハラジのメッセージが

いちばん嬉しくて、

いちばん納得がいくからかもしれません。

というわけで、

今日の気分でまたまた

ラメッシ・バルセカールの

『意識は語る』

の内容からご紹介しましょう。

今回はこの本の最初の方にある

「夢と夢見」という一節の

後半部分をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、
 
 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 【質問者】
 個人的には、個人的夢が夢の状態だという
 ことを受け入れることができます。でも、
 私の目覚めた状態が夢であると受け入れる
 ことは、私には難しいことです。
 
 【ラメッシ】
 はい、
 そうですね。
 あなたの言いたいことはわかります。
 でも、
 あなたの個人的夢の中では、
 お互いに話す登場人物がいて、
 彼らはここでのあなたと同じような種類の
 問題を持っています。
 
 【質問者】
 私はそのことを恐れていました(笑)。
 
 【ラメッシ】
 この人生に存在している問題は、
 あなたの個人的夢の中でも
 存在しているのです!
 
 【質問者】
 では、いつ私はこの世界から
 目覚めるのでしょうか?
 
 【ラメッシ】
 これは夢だという理解、
 気づきがあるとき、
 もはや疑いがないないときだけ、
 あなたはこれから目覚めます。
 
 『意識は語る』(p141-142)
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──────────────────

> 【質問者】
> 個人的には、個人的夢が夢の状態だという
> ことを受け入れることができます。でも、
> 私の目覚めた状態が夢であると受け入れる
> ことは、私には難しいことです。

(このコメントのなかでの、
 
 質問者の「個人的夢」という言葉には、
 
 少し曖昧なところがあります。
 
 というのは、
 
 もし「個人的夢」という言葉を
 
 “睡眠中に見る夢”の意味で使っているなら、
 
 それが「夢の状態」であることは
 
 言うまでもないことなので、
 
 もともと「受け入れる」必要などないわけです。
 
 つまり質問者は
 
 「個人的夢」という言葉を、
 
 われわれが現象世界に対するときの
 
 “エゴ的観点”のような意味合いで
 
 使っているのだと思います。

 とするとこのコメントの主旨は、
 
 われわれの生活上の“エゴ的観点”を
 
 「夢の状態」だと言うなら、
 
 それは自分としてはまあ理解できます。
 
 でも、
 
 自分の日常の目覚めた状態そのものが
 
 夢なのだと言われると、
 
 それを受け容れることはできません。
 
 ……といったような意味合いだと思われます。)
 
> 【ラメッシ】
> はい、
> そうですね。
> あなたの言いたいことはわかります。
> でも、
> あなたの個人的夢の中では、
> お互いに話す登場人物がいて、
> 彼らはここでのあなたと同じような種類の
> 問題を持っています。

たしかに、

この現実が夢だと言われても、

簡単には受け入れられないのはわかります。

しかし、

あなたが睡眠中に見る夢の世界の中でも、

お互いに話している登場人物たちは、

そこでの会話が

実際には存在しない夢の中のことだとは

きっと受け容れられないでしょう。

でも、その夢から覚めてみれば、

あなたには

それらの夢の中の登場人物たちや

そこで交わされていたそれらの会話すべてが、

実際には存在していなかったことが、

はっきりわかるわけです。

> 【質問者】
> 私はそのことを恐れていました(笑)。

そう言われるのではないかと、

恐れていました。(*^_^*)
 
> 【ラメッシ】
> この人生に存在している問題は、
> あなたの個人的夢の中でも
> 存在しているのです!

あなたが直面している

この人生が夢だとは信じられない、

というその信じがたさの問題は、

睡眠中の夢の中の登場人物たちが

それが夢だとは信じられないと言うのと

同じことでしかないのです。

> 【質問者】
> では、いつ私はこの世界から
> 目覚めるのでしょうか?

では、

どういう状態になれば、

この世界から目覚めたと言えるのですか?

> 【ラメッシ】
> これは夢だという理解、
> 気づきがあるとき、
> もはや疑いがないないときだけ、
> あなたはこれから目覚めます。

それは、

この人生が夢だということが

はっきりわかったときです。

この人生が夢だということに、

まったく疑問がなくなったときです。

そのときあなたは

この人生を夢として見るわけです。

──────────────────
 【質問者】
 あなたご自身は、
 私自身も今その中にいるこの夢から
 目覚めているように感じているのですか?
 
 【ラメッシ】
 はい。
 基本的には、
 悟りはたった一つのことを意味しています。
 現実に見えたことが、
 実は非現実であるという突然の理解です。
 そのときあなたは
 非現実を現実として経験します。
 突然の超越の感覚、
 超越のヴィジョンがあるのです。
 すべては夢であるということが、
 もはや観念ではないのです。
 それは現実になります。
 仮に肉親の死別があったとします。
 その死別に対する
 肉体精神機構の反応がありますが、
 深いところで、
 その死別もまた夢だという理解があります。
 
 【質問者】
 私が自分の夢から目覚めるとき、
 私は夢の中の他のすべての物体や人々だけでなく、
 「自分」の著者であることにも気づきます。
 でも、私がこれらの著者であるためには、
 私はそのレベルの夢の中で
 対象物とはなりえないのです。
 ですから、
 私がこの目覚めた夢から目覚めるとき、
 それは小さい「私」ではありえないのです。
 目覚めるのは
 
 大きな「私」のはずでしょう。
 
 【ラメッシ】
 はい、そのとおりです。
 それが全ポイントです。
 それゆえ、
 すべてが夢だという理解は、
 「自分」には起きないのです。
 事実、
 この突然の理解とは、
 常に自分自身を分離した実体だと
 みなしているこの「自分」が、
 ただその幻想の一部でしかない
 ということです。
 
 【質問者】
 私はここに逆説を発見したと思います。
 
 【ラメッシ】
 実にそうです!
 
 『意識は語る』(p141-142)
──────────────────

> 【質問者】
> あなたご自身は、
> 私自身も今その中にいるこの夢から
> 目覚めているように感じているのですか?

あなたご自身は、

今の会話の相手である私がいるこの夢には

所属していないと感じておられるのですね?

(こんな質問も、

 ちょっと覚醒者に聞いてみたいですよね。(^_-) )

> 【ラメッシ】
> はい。
> 基本的には、
> 悟りはたった一つのことを意味しています。
> 現実に見えたことが、
> 実は非現実であるという突然の理解です。

はい。

基本的に

「悟り」が意味することはたった一つです。

それまで現実だと思っていた現象世界が

じつは非現実だったということが

突然わかることなのです。

> そのときあなたは
> 非現実を現実として経験します。
> 突然の超越の感覚、
> 超越のヴィジョンがあるのです。
> すべては夢であるということが、
> もはや観念ではないのです。
> それは現実になります。

そのとき夢から覚めたものは

その夢の非現実性をリアルに経験します。

突然、超越の感覚があり、

超越のヴィジョンが開示されます。

現象とはすべて夢であることが、

もはや単なる観念ではなく、

リアルな現実になるのです。

> 仮に肉親の死別があったとします。
> その死別に対する
> 肉体精神機構の反応がありますが、
> 深いところで、
> その死別もまた夢だという理解があります。

たとえば、現象世界の中で

肉親との死別があったとします。

そういう状況に遭遇した場合、

現象世界の登場人物としての通常の反応は

もちろんその肉体に起こります。

しかし深いところでは、

その別れもまた夢の中のことだという

理解があるのです。

> 【質問者】
> 私が自分の夢から目覚めるとき、
> 私は夢の中の他のすべての物体や人々だけでなく、
> 「自分」の著者であることにも気づきます。
> でも、私がこれらの著者であるためには、
> 私はそのレベルの夢の中で
> 対象物とはなりえないのです。
> ですから、
> 私がこの目覚めた夢から目覚めるとき、
> それは小さい「私」ではありえないのです。
> 目覚めるのは
> 大きな「私」のはずでしょう。

睡眠中の夢から目覚めると、

夢に登場する「自分」も含めて、

夢の中の状況や人々すべての著者が

自分だったことに気づきます。

しかし、もし私が

睡眠中の夢の内容物すべての著者だとすれば、

私は睡眠中のその夢の内容物では

ありえないことになります。

だとすれば、

もし私が日常の現象世界という

起きているときに見る夢から目覚めたら、

その目覚めた「私」は

この日常世界を生きる小さな「私」では

ありえないわけですよね。

目覚めるのは

意識という大きな「私」のはずです。

> 【ラメッシ】
> はい、そのとおりです。
> それが全ポイントです。
> それゆえ、
> すべてが夢だという理解は、
> 「自分」には起きないのです。

ええ、そのとおりなのです。

それが要点のすべてです。

そういうわけで、

それまでの「自分」には

現象世界がすべて夢だという理解は

起きることができないのです。

> 事実、
> この突然の理解とは、
> 常に自分自身を分離した実体だと
> みなしているこの「自分」が、
> ただその幻想の一部でしかない
> ということです。

そして実際、

その瞬間に突然明瞭になるのは、

それまで環境から分離している実体と

思われていた「自分」が、

実際は現象世界という幻想の一部だった

ということなのです。

> 【質問者】
> 私はここに逆説を発見したと思います。

これはパラドックスですね。

> 【ラメッシ】
> 実にそうです!

ええ、まさにパラドックスです。

──────────────────
 【質問者】
 再び夢との類似の話に戻りますが、

 悟った人は眠りの夢から目覚めて、
 それから夢の中で人々と会話をするために
 夢に戻って行くことを決め、
 それからまた戻ってくるという具合に、
 入ったり出たりするわけですか?
 
 【ラメッシ】
 はい。
 今この瞬間でのあなたの困難は、
 「自分」が
 この目覚めた夢を見ている人であり、
 一人の「自分」が
 この個人的夢を見ているものである
 という観点で考えているからです。
 どんな夢も「自分」の創造ではありません。
 
 【質問者】
 わかりました!
 
 【ラメッシ】
 あなたの個人的夢は意識の創造です。
 そして、
 この目覚めて見る夢もまた意識の創造です。
 夢を見る唯一のものは意識だけです。
 
 【質問者】
 はい、わかります。
 どんなものも、どんな個人も、
 あるいはどんな分離も、
 それ自身が理解の障害であることが、
 本当にわかりました。
 
 【ラメッシ】
 そのとおりです。
 ですから、
 夢を見るのは意識だけです。
 「個人的自分」という観念が
 あまりに強力なので、
 あなたは「私が夢見ています」と言います。
 夢を見ることができる
 どんな「自分」もういません。
 ですから、
 あなたの個人的夢の中だけでなく、
 この目覚めた夢の中でも、
 「夢見るもの」は意識だけです。
 意識以外はまったく何もありません。
 個人的夢は、
 個人の心を通じて創造され、
 それが一体化された意識です。
 
 『意識は語る』(p142-143)
──────────────────
 
> 【質問者】
> 再び夢との類似の話に戻りますが、
> 悟った人は眠りの夢から目覚めて、
> それから夢の中で人々と会話をするために
> 夢に戻って行くことを決め、
> それからまた戻ってくるという具合に、
> 入ったり出たりするわけですか?

ところで、

再び夢とのアナロジーに話を戻すと、

悟った方というのは、

現象世界という夢から目覚めたのち、

また夢の中にいる人々と会話をするために

夢に戻ることを決めたり、

それからまた戻ったりというふうに

出たり入ったりするわけですか?

> 【ラメッシ】
> はい。
> 今この瞬間でのあなたの困難は、
> 「自分」が
> この目覚めた夢を見ている人であり、
> 一人の「自分」が
> この個人的夢を見ているものである
> という観点で考えているからです。
> どんな夢も「自分」の創造ではありません。

はい。

今この質問をしているあなたが

陥っている困難の原因は、

現象世界という夢を見ているのは

「自分」だと思っているからです。

一人の「自分」がこの夢を見ている

という観点で考えているからです。

睡眠中の夢も、

起きているときの夢も、

それを創造しているのはあなたではありません。

> 【質問者】
> わかりました!

そういうことですか。

わかりました。

> 【ラメッシ】
> あなたの個人的夢は意識の創造です。
> そして、
> この目覚めて見る夢もまた意識の創造です。
> 夢を見る唯一のものは意識だけです。

睡眠中に見る個人的夢を創造しているのは意識です。

起きているとき見る夢もまた意識が創造しています。

すべての夢を見ているのは

ただひとつの意識です。

> 【質問者】
> はい、わかります。
> どんなものも、どんな個人も、
> あるいはどんな分離も、
> それ自身が理解の障害であることが、
> 本当にわかりました。

わかりました。

あらゆる意味で

今の私が理解の障害でしかないことが

よくわかりました。

> 【ラメッシ】
> そのとおりです。
> ですから、
> 夢を見るのは意識だけです。
> 「個人的自分」という観念が
> あまりに強力なので、
> あなたは「私が夢見ています」と言います。
> 夢を見ることができる
> どんな「自分」もういません。

そうなのです。

夢を見ているのは意識なのに、

「個人的自分」という観念があまりにも強いために、

私たちは「自分が夢を見ている」と思うのです。

実際は、

夢を見ているのは意識です。

見ることができるような

どんな「自分」も存在しません。

> ですから、
> あなたの個人的夢の中だけでなく、
> この目覚めた夢の中でも、
> 「夢見るもの」は意識だけです。
> 意識以外はまったく何もありません。
> 個人的夢は、
> 個人の心を通じて創造され、
> それが一体化された意識です。

なので、

睡眠中の個人的夢だけでなく、

現象世界という目覚めた夢も

夢見ているのは意識です。

意識以外にはまったく何も存在しません。

睡眠中に見る個人的夢は

個人の記憶を使って創造され、

それに意識が一体化したものです。

──────────────────
 【質問者】
 あなたが「個人的夢」と言うときは
 「人生の夢」について話しているのですか?
 
 【ラメッシ】
 いいえ、違います。
 個人的夢は、
 あなたが眠っているときに見る夢です。
 でも、私が言っているのは、
 数十億の人間の個人的夢と
 この一つの大きな全体の生きた夢の
 両方の中で、
 どちらも「夢見るもの」は意識であり、
 私たちは皆、
 夢見られた登場人物です。
 私たちが自分自身を
 「夢見るもの」と考えるとき、
 誤解と幻想が深くなります。
 私たちは「夢見るもの」ではなく、
 夢見られた登場人物にすぎません。
 
 【質問者】
 あなたは「夢見られた」と言いましたか?
 私たちは夢見られているのですか?
 
 【ラメッシ】
 はい。
 私たちは夢見られた登場人物です。
 私たちは登場人物にすぎません。
 私たちは自分が
 自分の人生を生きていると思っています。
 でも、
 私たちの人生は生きられている人生です。
 私たちは夢見られた登場人物です。
 
 【質問者】
 夢見ているとき、
 人が自分の夢に気づくのは何なのでしょう?
 
 【ラメッシ】
 人々はこれを「明晰夢」と呼ぶそうです。
 それは奇妙なことのひとつです、
 たとえば、ある人たちは
 夢の中で過去世の記憶をもつそうです。
 彼らが言っている意味は、
 過去世のある出来事の記憶を持つ
 ということですが、
 彼らはそれを
 自分の過去世だと誤解しています。
 ある人たちは
 そういった記憶を引き出すことができます、
 あなたが話していることは、
 私が推測するにはこの種のこと、
 明晰な夢のようなものだと思います。
 でも、
 明晰夢に関する技術的については、
 私は何も知りません。 
 
 『意識は語る』(p143-144)
──────────────────

> 【質問者】
> あなたが「個人的夢」と言うときは
> 「人生の夢」について話しているのですか?

あなたが「個人的夢」と言っているのは、

この人生という夢のことですか?

> 【ラメッシ】
> いいえ、違います。
> 個人的夢は、
> あなたが眠っているときに見る夢です。
> でも、私が言っているのは、
> 数十億の人間の個人的夢と
> この一つの大きな全体の生きた夢の
> 両方の中で、
> どちらも「夢見るもの」は意識であり、
> 私たちは皆、
> 夢見られた登場人物です。

いいえ、

私が「個人的夢」と言っているのは、

睡眠中に見られる夢のことです。

ただ、ここで私が言っているのは、

何十億という個人的夢も、

それらすべてを包含した

現象世界という大きな全体の夢も、

その両方を夢見ているのは意識であり、

私たちはすべて、

夢見られた登場人物だということです。

> 私たちが自分自身を
> 「夢見るもの」と考えるとき、
> 誤解と幻想が深くなります。
> 私たちは「夢見るもの」ではなく、
> 夢見られた登場人物にすぎません。

私たちが

自分を「夢見るもの」と考えるとき、

誤解と幻想が深まるのです。

私たちは夢見る主体ではなく、

夢の中の登場人物という

夢見られた対象物にすぎません。

> 【質問者】
> あなたは「夢見られた」と言いましたか?
> 私たちは夢見られているのですか?

私たちは夢見られているのですか?

> 【ラメッシ】
> はい。
> 私たちは夢見られた登場人物です。
> 私たちは登場人物にすぎません。
> 私たちは自分が
> 自分の人生を生きていると思っています。
> でも、
> 私たちの人生は生きられている人生です。
> 私たちは夢見られた登場人物です。

ええ、私たちは

自分が夢を見ているのだと思っていますが、

夢見られた夢の中の登場人物にすぎません。

私たちは自分が

人生を生きていると思っています。

しかし、実際は

私たちは夢見られた登場人物です。

私たちの人生は

意識によって生きられている人生なのです。

> 【質問者】
> 夢見ているとき、
> 人が自分の夢に気づくのは何なのでしょう?

夢を見ているとき、

これは夢だなと気づくことがありますが、

気づいているのは何なのでしょうか?

> 【ラメッシ】
> 人々はこれを「明晰夢」と呼ぶそうです。
> それは奇妙なことのひとつです、
> たとえば、ある人たちは
> 夢の中で過去世の記憶をもつそうです。
> 彼らが言っている意味は、
> 過去世のある出来事の記憶を持つ
> ということですが、
> 彼らはそれを
> 自分の過去世だと誤解しています。
> ある人たちは
> そういった記憶を引き出すことができます。
> あなたが話していることは、
> 私が推測するにはこの種のこと、
> 明晰な夢のようなものだと思います。
> でも、
> 明晰夢に関する技術的については、
> 私は何も知りません。 

そういうのを「明晰夢」と呼ぶようですね。

不思議現象の一つだと思います。

たとえば、

夢の中で過去世の記憶をもつという

人たちがいます。

その人たちは過去に実際に起ったことの

記憶をもつわけですが、

彼らはそれを自分の過去世だと誤解しています。

過去に起こったことの記憶を

引き出せる人たちがいるのは確かです。

推測ですが、

あなたが言っていることは、

明晰夢のようなものではないでしょうか。

とはいえ、

明晰夢について

私は実際のところはよく知りません。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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   ………○…………○…………○………


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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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今年の7月は記録的な長雨ですね。

今はもうやんでいますが。

今日は暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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