━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2020/07/26(第849号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
私があなたに言えるたったひとつのことは、
あなたができるたった一つのこともないということです。
なぜなら、その「あなた」は消えなければならないからです。
『意識は語る』(ラメッシ・バルセカール)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在516名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.今朝方見た夢の中で
2.編集後記
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■ 1.今朝方見た夢の中で
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今も音を立てて雨が降っています。
豪雨というほどではないにしても、
強雨とは言えるかもしれません。
今日は当初予定されていた
オリンピック2020の開会式の日だとか。
開催されていたら、
その日は晴れていたのかしら?
見なかった夢の話です。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と“「私は在る」噺”に
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
今朝方見た個人的な夢の中で
わたしは若い男性と
連れだって歩いていました。
彼とはその日が初対面なのですが、
彼が遠縁の誰かであることは
その状況からわかっていました。
駅を出て通りを歩きながら、
いろいろ意見を交換していました。
その街の宿泊施設のようなところに
二人で入りながら、
「ところで、あなたとわたしの
縁戚関係というのは具体的には
どういう感じなんですか?
鶴間さんのおじさんは
知っているのだけれど……」
「ああ、
(あなたがご存知の)その鶴間の
一番末っ子のほうの孫に当たります」
こんなあたりで
パリトショ……という声が聞こえて、
目が覚めたというわけです。
目が覚めたら、
わたしとその鶴間さんの
末っ子のお孫さんとの会話は、
まったく存在していなかったことは
明らかでした。(*^_^*)
そしてもう一つ明らかなのは、
その夢のシナリオライターが
今これを書いている人間とも違うことです。
今これを書いている人間を
まあ「自分」としましょうか。
(この身体の運命に
結びつけられているという自覚を
「自分」と呼ぶことにして。)
固有名詞で言えば「pari」です。
で、「自分(pari)」には
その夢のシナリオを書いた
覚えがありません。
なので、
その今朝の夢の著者は
「自分」でないことは明らかです。
それはまったく疑いありません。
じゃ、その今朝方の夢を
見ていたのは誰か……ですが、
これは少し難しい。
われわれはついつい、
「自分(pari)」が見ていた、
と思うように条件づけられている。
言い換えれば、
【「自分(pari)」が見ていた】
という思考が配達されるわけです。
ここは少し、この
【「自分」が見ていた】
という思考を吟味する必要がある。
われわれが「自分」と言うとき、
その「自分」という観念には
すでにたくさんの属性が付属しています。
「自分」は身体と結びついている。
「自分」とはこの身体のことであり、
この身体に浮上する思考のことでもある。
「肉体精神機構」と言ってもいい。
「肉体精神機構」というのは、
ぶっちゃけ、
感覚器官+想念受信器官でしょう。
夢を見るという行為は、
「肉体精神機構」をつうじて起こる。
「肉体精神機構」がなければ、
夢を見ることは起こらない、
と言い換えてもいいです。
しかし、
「肉体精神機構」はあくまでも道具です。
夢を見る道具であって、
「肉体精神機構」が夢を見るわけではない。
ヴァーチャル・リアリティを見るための
ゴーグルのようなものです。
誰もゴーグルが
VRを見ているとは思わない。
VRを見ているのは
ゴーグルをかけた見物人です。
この肉体精神機構を介して
夢を見ているのは意識です。
ただ
【夢を見ているのは意識】
という表現もいささか紛らわしい。
意識という主体が、
それとは別に存在する
夢という客体(対象物)を見る
といった意味合いにもなりかねません
しかしご承知のように、
色即是空 空即是色
ですから、
現象というのは
それを映し出している空(くう)であり、
空というのは
現象をつうじてしか顕現できない。
意識が自らを表現するには、
対象物として何かを創造して
それを見る以外に方法はありません。
つまり、
「見る者」と「見られるもの」、
「知る者」と「知られるもの」
というのは、
現象として顕現するために
避けることのできない
気づきと対象物への
意識の機能上の分化です。
役割分担でしかありません。
クリシュナムルティが言ったという
「私は世界だ」とは、
私が見ている世界(対象物=顕現)は、
見ている私(気づき=非顕現)
以外ではない
ということでしょう。
今朝方の個人的夢の中で見られた
わたしと
鶴間さんの末っ子のお孫さんとの会話は、
目が覚めてみれば、
どこにも存在していないことは
明らかでした。
その夢は
わたしという
肉体精神機構(の記憶)を使って
意識が作成し、
わたしという肉体精神機構
(=感覚器官+想念受信器官)をつうじて
意識が見ていたわけです。
目覚めて想起された
個人的夢の最後の部分は、
おそらく、
この目覚めた夢の時間にして、
1分ほどでしかなかったかもしれません。
その一瞬の中でわき起こった夢の中に
わたしの過去の記憶(時間)が
構造として内蔵されていた。
そしてわたしは
パリトショ……という声に反応して、
それまで見ていた
個人的な夢から覚めて、
起きているときに見る日常世界、
目覚めた夢に入ってきたわけです。
そうして、
その起きて見る夢の中で
今この文章を書いているのです。
そしてこの夢に関して言っても、
わたし(pari)は著者ではない。
これを書いている今、
この先にどんな言葉が出てくるのか、
私は知らない。
そのとき出てくる言葉が出てくるだけです。
意図したり邪魔する思考が湧かなければ、
そのプロセスは滑らかでしょうが、
分相応のそんな思考が湧いて、
いくぶんギクシャクするかもしれない。
しかし、
それを意図できる「自分」が
実体として存在するわけでもない。
ただ、
そんな思考が
(湧いてくることになっていれば)
湧いてくるというだけです。
だから、
この起きているときに見る夢でも、
寝ているときに見る個人的な夢と
そんなに状況が異なるわけでもない。
たとえ、
自分(pari)が見ているつもりでも、
この肉体精神機構が
この現象を見ているわけではない。
肉体精神機構は
単なる感覚器官+想念受信器官であって、
現象を見るための道具にすぎない。
(ミナミAアシュタール情報によれば、
肉体精神機構というのは
当人が確信した思考
(つまり配達され、
受け容れられた思考)を
反映した現実が現象化するように
設計されたAIソフトを搭載した
超高級バージョンのVRゴーグルだとか。)
とはいえ、
通常そんなことは意識されません。
この肉体精神機構が
入力である思考を翻訳して
幻出する現実があまりにもリアルで
真に迫っているため、
このVRゴーグルを付けた者は、
見ている世界が現実としか思えなくなる。
それどころか、
見ているのがこの自分
(肉体精神機構と
そこに起こる感覚と想念)
だとしか思えなくなる。
この現実を体験しているのは
その「自分」だと信じるわけです。
その「自分」とは
【知覚対象である世界の一部で、
かつその世界から分離した実体】
という自家撞着の虚構の概念です。
まず、
現象世界の中に分離した実体
というものはありえない。
なぜなら、
それ(分離した実体)では
現象できないからです。
つぎに、
現象世界の中に顕現するのは
知覚の対象物ですが、
知覚の対象物が
知覚の主体となることも不可能です。
この二重にありえない状況を
一身に背負うのが
「自分」という虚構の概念です。
この虚構の概念が生みだすのが、
体験という苦しみです。
想像上の「束縛」という概念も
そこから派生するわけでしょう。
この状況で
“自分探し”が
始まらないわけがない。(^_-)
現象世界の中の「自分」に
同一化した意識が、
その脱臼状態の解除を求めて、
本来の状態を探し求めるのです。
寝て見る夢の場合と同じように、
この目覚めて見る夢も、
身体(感覚器官+想念受信器官)が
見ているわけではない。
肉体精神機構を使って
意識が夢を見ているのです。
意識がその夢から目覚めたら、
その夢の世界は
中の登場人物も含めて
まるごと存在しなかったことが
自明になるはずです。
今朝方の個人的夢の中で
わたしが
鶴間さんの末っ子のお孫さんと
交わしていた会話は
わたしが目覚めた瞬間に
見事に消えてしまいました。
それがどこにも存在していないことは
明らかでした。
あの夢の中のわたしが、
あの夢を終わらせるために
何かできる可能性は
はたしてあったでしょうか?
いや、
それはありえません。(*^_^*)
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私があなたに言えるたったひとつのことは、
あなたができるたった一つのことも
ないということです。
なぜなら、
その「あなた」は消えなければ
ならないからです。
でも、その「あなた」は
「あなた」を消せないのです。
『意識は語る』(p593-594)
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ラメッシ・バルセカールが
ここで語っていることは、
観念ではあるけれど矛盾がない。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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先程から何度か強雨が来ましたが、
いはまやんでいます。
今日は明るいうちに終えました。
それではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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