━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2020/08/09(第851号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している夢の場面の報告です。
この今が唯一の今で、平安、幸福、愛のすべてが今ここに、
この状況にある。『プレゼンス―第1巻』(ルパート・スパイラ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在515名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇
1.三つの選択肢(ルパート・スパイラ)
2.編集後記
──────────────────
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■ 1.三つの選択肢(ルパート・スパイラ)
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外に出ると暑くなりましたね。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と“「私は在る」噺”に
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
マハラジのこんな言葉を
覚えていますか?
──────────────────
想像し、
決意したことが現実となる。
ここに危険性と、
また同様に解決の糸口があるのだ。
『私は在る』(p228)
──────────────────
> 想像し、
> 決意したことが現実となる。
もし自分が想像し、
そして決意したことが、
本当に現実になるのだとしたら、
恐ろしいことだと思いませんか?
だって、
想像して決意したら、
それが現実になってしまう!(@_@) ⌒★?
大変なことですよね。
ところがマハラジは、
事実はそうなっている
と言っているようなのです。
そして、
> ここに危険性と、
> また同様に解決の糸口があるのだ。
と。
それでは真実などというものは
存在しないのか?
ということになります……。
いや、
【ザ・真実】などというものが
現象として顕現することはない。
マハラジは言います。
──────────────────
どこであろうと、
それが導くところ、それは夢だ。
夢を超えていこうとする
考えそのものが幻想なのだ。
なぜどこかへ行かなければならないのか?
あなたはただ世界という夢を見ているのだ、
ということを悟りなさい。
『私は在る』(p135)
──────────────────
> どこであろうと、
> それが導くところ、それは夢だ。
とても単純。(*^_^*)
そしてこのこと
【想像し、
決意したことが現実となる。】
というこのことは、
最近このメルマガに登場しはじめた
11次元の宇宙存在とされる
ミナミAアシュタール情報も
保証するところです。
【思考が先、現実は後】と。
地球人類が纏っている人間の身体は
地球でのVRを体験するためにかける
ゴーグルのようなものだそうです。
このゴーグルのVRゲームソフトは
ゲーマーの思考がVR画面を創出するような
最先端AIを実装しているそうです。
文字どおり
【想像し、決意したことが現実となる】
ためのAIが実装されているわけです。
大谷翔平選手が大リーガーとしての
現在の活躍をしている前提に、
それを想像し、その実現を決意した
事実があることは疑いないでしょう。
それがなくて、たまたま偶然
そんなことが起こるはずがない。(*^_^*)
【想像し、決意したことが現実となる】
のです。
われわれが今こうして
人間をやっているのも、
【想像し、決意したことが現実と】
なっているわけでしょう。
その現実に至極満足であるなら、
何も言うことはないかもしれません。
しかしもしそうでもないのなら、
他の立場というのが
ないわけでもないようです。
そのことについて、
ルパート・スパイラは、
3つの選択肢があると言っています。
そしてそれしかないようです。
『プレゼンス─第1巻 安らぎと幸福の技術』
の最後の方に
「私は何ものかである、何ものでもない、
もしくは、すべてである」
という一節があります。
本文に入ってご紹介していきましょう。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長い引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
──────────────────
私は何ものかである、何ものでもない、
もしくは、すべてである
この繊細な気づいている現存(プレゼンス)、
この何ものでもないもの、
何ものでもないこと、
私たちが自己と呼ぶものこそが、
すべての要素、
現実であることをはっきりと理解しましょう。
「私は何ものかである」
という信念や感情は、
無知、
つまり、体験の真の性質を
無視することを前提として生まれます。
これは架空の立場です、
私たちは何ものでもない、
つまり物事ではなく、
開かれていて、
空で、
輝く気づきの現存(プレゼンス)であると
知っている立場は、
叡智と啓示の立場です。
そして私たちこそが
目に見えるすべての物事の要素、
心(マインド)、体、世界の
すべてのあらわれの要素であると
知っている立場は、
愛、純粋な親密さの立場であり、
ここにおいては内側の自己も、
外側の対象物、他者、
世界も存在しません。
私たちにはこの三つ、
「私は何ものかである」、
「私は何ものでもない」、
「私はすべてである」という
三つの選択肢しかありません。
そして、
あらゆる瞬間、
私たちは選びたい立場を選ぶことができます。
選択次第で、
私たちの体験は、
選んだ立場を反映するようになります。
体験は、
私たちの立場を裏づけるのです。
『プレゼンス―第1巻』(p267-268)
──────────────────
> この繊細な気づいている現存(プレゼンス)、
> この何ものでもないもの、
> 何ものでもないこと、
> 私たちが自己と呼ぶものこそが、
> すべての要素、
> 現実であることをはっきりと理解しましょう。
私たちが自己と呼ぶものは、
あらゆる現象に気づいていることです。
それ以外ではありえません。
すべてに気づいている自己があるから、
この現存があるからこそ、
あらゆるものが存在していることを
はっきりと理解しましょう。
この現存がすべてを現実にしているのです。
この現存はあらゆるものの要素です。
でもそれは何かではない。
このことを明確に理解することです。
> 「私は何ものかである」
> という信念や感情は、
> 無知、
> つまり、体験の真の性質を
> 無視することを前提として生まれます。
> これは架空の立場です。
一般的に私たちが抱えている
「私は現象として現れている何かだ」
という感情や信念は、
私たちの実際の体験を無視した
無知に基づく虚構の立場です。
知覚の対象物である「何ものか」は、
(自己である)現存が気づいているから
現れることができているのです。
“現存が気づいていない対象物”、
というのは自家撞着です。
実際には存在しえません。
(自己である)現存が、
対象物という「何ものか」の
現れを支えているのです。
対象物である「何ものか」が
(自己である)現存を
支えているのではないのです。
一方、対象物が存在しなくても、
「私は在る」という存在感覚は
在りえます。
つまり、現存は
「何ものか」に支えられなくても
存在しているのです。
しかし「何ものか」は
現存に気づかれることなしには
存在できない。
「何ものか」(=あらゆるもの)は
現存の中にあるのです。
個人(の身体)は、
自己(現存)に気づかれずに
存在することはできません。
個人(の身体)が
自己(現存)を支えている
のではないのです。
「私は何ものかである」
という信念や感情は、
このような体験の真の性質を
無視することで成り立っています。
つまり偽りの虚構の立場なのです。
> 私たちは何ものでもない、
> つまり物事ではなく、
> 開かれていて、
> 空で、
> 輝く気づきの現存(プレゼンス)であると
> 知っている立場は、
> 叡智と啓示の立場です。
自己である私たちは
「何ものか」ではありえません。
知覚の対象物にはなれないのです。
私たちの自己とは、
あらゆるものを拒否することなく、
すべてに対して開いているもの。
そしてそれ自体は空っぽで、
すべてに気づきの光を送り出す現存です。
そして、
そのように理解している立場は、
叡智と啓示の立場と言えます。
> そして私たちこそが
> 目に見えるすべての物事の要素、
> 心(マインド)、体、世界の
> すべてのあらわれの要素であると
> 知っている立場は、
> 愛、純粋な親密さの立場であり、
> ここにおいては内側の自己も、
> 外側の対象物、他者、
> 世界も存在しません。
目に見えるすべての物事には、
この自己の刻印が刻まれています。
湧いてくる思考にも、
この身体にも、
現れの世界のすべてに
この自己という要素が貫入しています。
見えている世界がすべて、
自己のものと知っている立場は、
愛と純粋な親密さの立場と言えるでしょう。
この観点からは、
内側の自己もなければ、
外側の対象物も、
他者も世界も存在しません。
> 私たちにはこの三つ、
> 「私は何ものかである」、
> 「私は何ものでもない」、
> 「私はすべてである」という
> 三つの選択肢しかありません。
> そして、
> あらゆる瞬間、
> 私たちは選びたい立場を選ぶことができます。
> 選択次第で、
> 私たちの体験は、
> 選んだ立場を反映するようになります。
> 体験は、
> 私たちの立場を裏づけるのです。
体験の真実に照らし合わせて、
私たちは
実際はこのすべてに開かれた
空なる自己(現存)に他なりません。
さて、
その観点から見るとき、
私たちには自分の立場として
次の三つの選択肢があることになります。
(1)「私は何ものかである」
(2)「私は何ものでもない」
(3)「私はすべてである」
この三つの立場です。
そしてこれ以外に選択肢はありません。
私たちはあらゆる瞬間に、
この三つの内のどれでも
自分の好きな立場を選ぶことができます。
そして驚くべきことに、
どの立場を選ぼうとも、
私たちはその選んだ立場を反映する世界を
体験することになるのです。
実際の体験が、
その選んだ立場を裏づけるのです。
──────────────────
私たちは体と心(マインド)であると
信じるなら、
対象物や他者、世界は
とてもリアルに見え、
それらは私たちの信念に一致し、
それを承認するように見えるでしょう。
もし、
私たちは開かれた、
空(くう)の、
気づきの現存で、
それに対して、
もしくは、それにおいて、
体、心(マインド)、世界が
現れるのだと考えるなら、
私たちの体験も
その立場に一致してあらわれます、
私たちは、
公平で偏りのない背景として
自分自身を知ります。
私たちが本来もっている自由、
そして、
体験の中心に横たわる平安、
幸福を知るのです。
そして、
もし私たちは
体験の目撃者であるだけでなく、
その要素でもあると知ると、
つまり、
「私はすべてである」という立場をとるなら、
見かけ上の他者や世界の体験は
この理解を裏づけ、
証明するようになります。
私たちは、
すべての体験の自然な状態として、
愛を体験するようになります。
言い換えるなら、
私たちの体験は常に、
私たちの理解一致する形で現れるのです。
この三つの可能性を順々に試し、
宇宙から何が返ってくるかを
確認してみてもよいでしょう。
私たちの実際の体験に返ってくるものが、
どの可能性が真実であるかを
立証してくれます。
では、
この裏づけは
どのように起こるのでしょう?
その立場が現実に沿っていると、
体験はどのような形で
私たちを納得させるのでしょうか?
非二元の知的な理解によってでしょうか ?
いいえ、違います。
私たちの理解、立場、態度が
真実のものであると
確信させるような体験は、
私たちが人生で最も価値を
置いている体験でなければなりません。
私たちの人生で最も大切な体験とは
何でしょう?
それは幸福の体験です。
幸福の体験を通じて、
私たちの理解が
真実であることを教えてくれます。
幸福、
もしくはそれと同義である
平安、愛、美などは、
最高の証です。
幸福とは、
体験が誤った信念や感情から
解き放たれたとき、
体験が体験自身を肯定する形なのです。
『プレゼンス―第1巻』(p268-269)
──────────────────
> 私たちは体と心(マインド)であると
> 信じるなら、
> 対象物や他者、世界は
> とてもリアルに見え、
> それらは私たちの信念に一致し、
> それを承認するように見えるでしょう。
私たちが従来からの
エゴの立場を踏襲するなら、
世界は見事なまでにリアルに
期待どおりの展開を示すことでしょう。
自分が信じた通りの世界を見て、
私たちは自分の信念の正しさを
再確認するのです。
> もし、
> 私たちは開かれた、
> 空(くう)の、
> 気づきの現存で、
> それに対して、
> もしくは、それにおいて、
> 体、心(マインド)、世界が
> 現れるのだと考えるなら、
> 私たちの体験も
> その立場に一致してあらわれます。
もし私たちが
自分がすべてに対して開かれた
空っぽの現存であると知っていて、
身体も思考も世界もすべて
自分の中に現れるのだと考えるなら、
私たちはその立場を裏づける体験を
することになります。
> 私たちは、
> 公平で偏りのない背景として
> 自分自身を知ります。
> 私たちが本来もっている自由、
> そして、
> 体験の中心に横たわる平安、
> 幸福を知るのです。
私たちは自分が
あらゆる現象の公平で偏りのない
背景であることを再確認します。
自己本来の自由を味わい、
体験の中心にあるものが
平安と幸福であることを知るでしょう。
> そして、
> もし私たちは
> 体験の目撃者であるだけでなく、
> その要素でもあると知ると、
> つまり、
> 「私はすべてである」という立場をとるなら、
> 見かけ上の他者や世界の体験は
> この理解を裏づけ、
> 証明するようになります。
> 私たちは、
> すべての体験の自然な状態として、
> 愛を体験するようになります。
そしてもし私たちが、
自分が体験の目撃者であるだけでなく、
その体験自体でもあると考えるなら、
つまり、
「自分はすべてだ」という立場をとるなら、
他者や世界に覆われていた体験は、
すべてが自己である姿を開示し、
その理解を裏づけ、
その立場が正しかったことを証明するでしょう。
そのとき私たちは
すべてが愛の体験であったという
本来の自然な状態を体験するでしょう。
> 言い換えるなら、
> 私たちの体験は常に、
> 私たちの理解一致する形で現れるのです。
いずれにせよ、
私たちが体験する世界は
つねに私たちの理解を確証する
姿で現れるということです。
> この三つの可能性を順々に試し、
> 宇宙から何が返ってくるかを
> 確認してみてもよいでしょう。
> 私たちの実際の体験に返ってくるものが、
> どの可能性が真実であるかを
> 立証してくれます。
もしあなたが望むのなら、
この三つの可能性をすべて順に試みて、
宇宙がどんな体験を返してくるのかを
確認してみるのもいいでしょう。
そうすれば、
その返ってくる体験によって、
どの可能性が真実であるのかが
立証されることでしょう。
> では、
> この裏づけは
> どのように起こるのでしょう?
> その立場が現実に沿っていると、
> 体験はどのような形で
> 私たちを納得させるのでしょうか?
> 非二元の知的な理解によってでしょうか ?
> いいえ、違います。
では、その裏づけとは
どのような形で起こるのでしょうか?
どの立場が現実に即していると、
体験はどのような形で
私たちを納得させてくれるのでしょうか?
非二元の知的な理解が
確認されることによってでしょうか?
いいえ、それは違います。
> 私たちの理解、立場、態度が
> 真実のものであると
> 確信させるような体験は、
> 私たちが人生で最も価値を
> 置いている体験でなければなりません。
> 私たちの人生で最も大切な体験とは
> 何でしょう?
> それは幸福の体験です。
> 幸福の体験を通じて、
> 私たちの理解が
> 真実であることを教えてくれます。
> 幸福、
> もしくはそれと同義である
> 平安、愛、美などは、
> 最高の証です。
自分の理解が真実だと、
自分の立場、態度が真実だと
確信できる体験とはなんでしょうか?
それは私たちが最大の価値を置いている
体験でなければなりません。
人生で最も大切な体験とは何でしょうか?
それは幸福の体験です。
あなたはそれによって、
自分の理解の真実性を確信するのです。
幸福、
あるいはその別表現である、
平安、愛、美などによって、
あなたは自分の理解の正しさを知ります。
それ以上の証明は存在しません。
> 幸福とは、
> 体験が誤った信念や感情から
> 解き放たれたとき、
> 体験が体験自身を肯定する形なのです。
幸福とは、
間違った信念や感情から
体験が解き放たれたとき、
体験が自らを肯定する形のことなのです。
そこであなたは
他の何ものも求めないことでしょう。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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暑い夏がはじまりましたね。
今日は暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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