━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2020/10/25(第862号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している夢の場面の報告です。
車も人も道も建物もない、あるのはただスクリーンだけです。
現象がどんな状態でも、それは何も得たり失ったりしません。
そして同時に、気づきはまさにそれらすべての実質なのです。
(『プレゼンス―第2巻』:ルパート・スパイラ)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在511名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.意識の領域に現れるものは
2.編集後記
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■ 1.意識の領域に現れるものは
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今日は晴れたので、
しばらく一段抜けたままだった
デッキの階段を修理しました。
こんなふうに身体が動くのがありがたいです。
昔はこういう思いは
まったく思いつかなかったけど。(^_-)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく
今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
昔は思いつかなかった……といえば、
湧いてくる思いというのは
いつも変化しているものですよね。
これが変わらないということはありえません。
その絶えず変化し続けるものが
わたし?(?_?)
とはまあ……思えません。(*^_^*)
それに気づいているのがわたしですよね。
なんて言いながら、
実際はこの一瞬一瞬変化する想念が
あたかも自分であるかのように、
反応したり考えたりして
相変わらず毎日生きおります。(*-_-*)
この状態を
眠っているというわけですよね。
その眠りの中で誰がどうやって
それを自分だと認めるのでしょう?
少なくともその見かけ上で
変化し続けているものではない。
だってそれは見られているわけですから。
知覚の対象物なのですから。
自分はもちろんそれを見ているほうです。
こんな当たり前のことですが、
これって、世間一般の
通念ではないんですよね。
やっぱり世界というのは
夢の中にしか存在していないわけです。
そうなんですよねぇ。
昔と比べると
湧いてくる想念もずいぶん変わりました。
今の自分の言葉で、
昔の自分に話しかけても、
お互いまったく話が
通じないだろうと思います。
こっちもあまりに通じなくて、
ぎょっとするかもしれないけれど、
話しかけられた当時の自分も、
何を勝手なわからんこと言ってるのかと、
辛辣な目で見ていたことでしょう。
相手が自分の成れの果てだとは
夢にも思わず、
言ってる相手の言葉がまったく
理解できなかったことでしょう。
お互い連想野があまりに違って、
コミュニケーションが成り立ちません。
その“自分”の言葉の意味が
わからない青年が自分でしょうか?
いや、“自分”を認識できない
自分ってアリですかね?(?_?)
そういうのが“自分”でないこと、
これはもうキマリでしょう。
なんて言いながら
相変わらずこの想念が自分だと思って、
こうして熱心に紡いでいたりします。(*-_-*)
熱心に紡げばより上等な
想念が紡げるのでしょうか?
そしてそのより上等な想念なら
もっと自分なんでしょうか?(*^_^*)
呼び出される想念が
より上等になるかどうかはわからないけれど、
川の中を転がる石みたいに、
より丸くなることは確かかも。
とはいえ、
尖っていた昔の思いが間違っていたわけでも、
今の丸い思いが正しいわけでもないでしょう。
ただ湧いてくる思いが
どこまでも変化していくだけです。
ただしその変化は
一定の範囲で既知が累積されてゆく
という前提の上で起こるのでしょうね。
そうなると
その既知が増加してゆくかぎり
変化は不可逆的になると思われます。
経験値が増大しているのに、
その経験がなかった以前と
まったく同じ思考は湧かないでしょう。
既知の範囲に新たな経験が加わったら、
それ以降に湧いてくる思考には
その新たな既知も前提してくるので。
川の下流を流されている石が
急に上流の石には戻れないようなもので。
その意味では
この変化には不可逆性がありますよね。
不可逆的変化という意味では、
単に永遠の「変化」というよりは、
むしろ「進化」という表現のほうが
妥当なのかもしれません。
以前はなにか究極の真理に近づく
かのようなニュアンスに反発して、
「進化」などあるはずがない、
という感情が溢れてきたものです。^^;;
それで「進化」という言葉には
反発を感じていたのです。
「進化」さんには失礼してました。
まあ、エゴというのは、
この程度のものなんですよね。
とにかく事実としてこの種の変化には
進化という側面はあるわけです。
これは否定できません。
ただし、
その一連の変化(進化)がご破算になる
タイミングの可能性も否定できませんが。
というわけで、
マインド(思考作用)はとにかく、
何かかにかにかこつけて、
考えたがるわけです。(*^_^*)
トコトンその不毛性が腑に落ちるまでは、
他に仕方がないんですよね。
その思考以外には
その思考内容を気にするものなど
いないわけですけど。
似た者同士が、
似たような思考をお披露目しあって
お互いに慰め合うなどということも
けっこうあるのかもしれません。
いや、
現象世界はそんなのばかりかな。
他人を想像するのが世界ですものね。
これが夢ということですよね。
気づいているのが
気づきだけなのは間違いないのに。
現象に気づいているのは気づきだけです。
とりあえず、
現象を「気づき」の側面と
「対象物」の側面に分ける表現を採用するなら、
気づき以外が
現象に気づくことはありえませんから。
すべてに気づいているのは
ただひとつの気づきだけです。
では、それ以外に
気づきというのは存在する可能性は
ありえるのでしょうか?
もちろん、本当の気づきは
ただひとつの気づきしか存在しません。
じゃ、それ以外の気づきは?(?_?)
それは気づきのふりをしている
偽物の気づき。
実際は、気づかれている対象物ですよね。
このわたしみたいのね。(*^_^*)
気づいているものは
ひとつしか存在していない。
それが経験を可能にしている。
なのに現象という見かけの中で
演じられるこの神芝居を
まったく無視もできずに
一生を過ごすわけですよね。
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知性とエネルギーは、
あなたの想像のなかで
すべて使い果たされてしまった。
あなたはまったく
想像に夢中にさせられてしまったため、
どれほど実在から遠く離れて
さまよい歩いたのかさえ
わからなくなってしまったのだ。
想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
宇宙のなかの宇宙も、
想像によって構築されているのだ。
それにもかかわらず、
それらはみな空間と時間、
過去と未来のなかにあり、
実際は存在しないのだ。
『私は在る』(p306-307)
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マハラジの言葉が
こんなふうに
聞こえてくるようになるとはなぁ。
自分の知性とエネルギーが
すべていわゆる外界と言われる
知覚対象へと流れていく……。
見かけの中で上演されるドラマが
少しでも自分にとって都合良く
展開するように願って……。
こんなことがいつまで続くのか……?
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あなたはつねに、
「私は在るということを知っている」
と言うことができる。
そして「私はいない」という表明を
偽りとして退けることだろう。
だが、
何であれ描写できるものは
あなた自身ではありえない。
そしてあなたであるものを
描写することはできないのだ。
あなたは自己定義や
自己描写を試みることなしに、
あなた自身で在ることによってだけ、
自己を知ることができるのだ。
あなたが
知覚可能、想像可能なものは
何ひとつあなたではありえず、
何であれ、
意識の領域に現れるものは
自己ではないとひとたび理解したなら、
より深い自己実現への唯一の方法として、
すべての自己同一化を断ち切ることだろう。
否定することによって、
文字どおりあなたは、
まさにロケットのように進歩するのだ。
あなたが身体のなかにも
マインドのなかにも存在せず、
しかもその両方に気づいていると知ることは、
すでに自己知識なのだ。
『私は在る』(p537)
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(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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決められるわたしなどはいません。
「私はただ、
不変なるものと
至福に満ちたものを見いだすには、
変化するものと苦痛に満ちたものへの
あなたの執着を放棄しなければならない
と言っているだけだ。」(p457)
(-||-)
今日も暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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