home > 通信 >“水の泡”の観念化:『アセンション館通信』第870号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/12/20(第870号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している夢の場面の報告です。

 非現象が私たちの本質であり、現象は意識の中で私たちが
 分離した対象物として見えるものである。
 (『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在508名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.“水の泡”の観念化

2.編集後記
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■ 1.“水の泡”の観念化
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冬枯れの景色は……やはりわびしい。

その侘しさにもまた

固有の季節があるようです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”にお付き合いいただく

今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

わたしたちが意識の海の

一つひとつの泡だということは

もう間違いのないことです。

その泡の中では

常に観念化が起こっています。

その観念化が終われば、

その泡は弾けて海の水に戻ります。

あらゆる意味や判断は、

一つひとつの泡の中から見た海の光景です。

それを正しいとか間違っているとか

判断できる普遍的な基準などありえません。

判断という働き自体が、

泡の中から見た海の光景だからです。

海の波しぶきの中のひとつの泡が、

泡でとどまるか弾けて消えるかは、

その泡の膜を作っている水の粘度で

決まるかもしれません。

いずれにせよ、

それは全体の海の自然で決まること、

その泡がどうかできることではありません。

その泡は水の粘度の本性が命ずるままに、

“水の泡”としてとどまったり、

あるいは弾けて海に消えるかするだけです。

そこに泡自体による選択の可能性が

あるわけではありません。

この泡の水の粘度は、

ある観念化の言葉の中では

「興味」などと呼ばれるかもしれません。

たとえいっときある泡の中に

弾けて溶けたいような

そんな気分が起こったとしても、

そのいっときの気分だけで

弾けて海の中に消えられるものでもない。

なにしろ。

その泡の棲息領域によっては、

たくさんの不純物を泡の中に取り込んで、

とても粘度の高い泡になっている

可能性もありますから。(*^_^*)

もし本当に泡としては弾けて

海の水として消えていきたいのなら、

まずは自分という“水の泡”の

粘度を下げる必要があるかもしれません。

がしかし、

自分という“水の泡”の中に

水の粘度を下げられるような

実体が存在しないことは

ご存知のとおりです。

その意味では、

【泡の粘度を下げる必要がある】、

というよりは、

【泡の粘度が下がる必要がある】、

というべきかもしれません。

言葉を換えると、

観念化への興味が消えていることが

必要なのでしょう。

観念化自体は

自分という“水の泡”の

補強・延命手段でしかありえませんから。

では、

観念化を止めるために、

何かできることはないのか?

「できることは何もない」、

というのはいつも聞かされる言葉です。

そして、

「しかし、ではどうしたら?」

というのもまた自然に起こる反応でしょう。

ラメッシ・バルセカールが描く

『ニサルガダッタ・マハラジが
 指し示したもの』の中に
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【22 自己覚醒は努力が要らない】

という一節があります。

ここで観念化を止める、

ということについての

マハラジの解答が語られています。

今回はここから少しご紹介しましょう。

──────────────────
 「人は観念化をやめるために、
  何をするべきか。
  どんな努力をしなければならないのか?」
 という質問に対するマハラジの答えは
 次のことです
 ──何もない。
 どんな努力もない。
 誰が努力をするというのか?
 母親の子宮の中で小さい精子から
 完全に成長した赤ん坊になるために、
 あなたはどんな努力をしたのだろうか?
 そしてそのあと、
 数ヶ月間であなたは無力な赤ん坊から
 幼児へと成長したが、
 あなたが自分の存在を感じるために
 どんな努力をしたのだろうか?
 そして今、あなたは
 自分がしなければいけない努力について
 話している!
 自分の本質を知るために、
 幻想的、観念的「私」に
 どんな努力ができるというのか?
 影がその本体を知るために
 どんな努力をすることができるだろうか?
 自分の本質に覚醒することは、
 現象的努力を必要としない。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p146-147)
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──────────────────

> 「人は観念化をやめるために、
>  何をするべきか。
>  どんな努力をしなければならないのか?」
> という質問に対するマハラジの答えは
> 次のことです
> ──何もない。
> どんな努力もない。

観念化をやめるために、

われわれにできることは何もない。

……と、

こう書くということ自体が、

知覚の対象物であるこの肉体を

すでに自分と前提しているわけです。

まずは、

このボタンの掛け違いを

再確認するしかないののです。

そのためにマハラジが指摘している

比喩は素晴らしい。

マハラジが何を伝えているのかを

理解したいものです。

> 誰が努力をするというのか?

いったい、

観念化をやめるために努力したい

と言っているあなたとは誰なのか?

> 母親の子宮の中で小さい精子から
> 完全に成長した赤ん坊になるために、
> あなたはどんな努力をしたのだろうか?

そのあなたは、

赤ん坊になるために

何か努力をしたのだろうか?

何かの自覚的な努力の結果、

あなたは今のあなたになったのか?

そこに少しでもあなたの自覚的な努力の

可能性があったのだろうか?

> そしてそのあと、
> 数ヶ月間であなたは無力な赤ん坊から
> 幼児へと成長したが、
> あなたが自分の存在を感じるために
> どんな努力をしたのだろうか?

そしてそのあと

あなたは何らかの自覚的な努力の結果、

今の自分の存在を感じる状態まで達っした

とでも言うのだろか?

そこの何らかのあなたの自覚的な努力の

可能性があったのだろうか?

> そして今、あなたは
> 自分がしなければいけない努力について
> 話している!

あなたはいつどんな自覚的努力をして、

今の自分になったのだろうか?

それについて

自分が何かを主張できるかどうかを

まず考えなさい。

たしかにそこに、

自分と考えられる思考過程は

起こっているかもしれない。

だがそこに何かの選択肢を持った

“あなた”という実体はあるのか?

これまでにどこかに“あなた”は

存在していたのだろうか?

にもかかわらず、

あなたはすでに“自分”が存在すると信じ、

その架空の“自分”の解体のために、

観念化を止めたいのだという。

そのために自分がしなければならない

努力の方法を知りたいのだという。

その思考過程そのもの、

その観念化がすべて、

機械過程であるのがわからないだろうか?

まずそのことを理解しなさい。

> 自分の本質を知るために、
> 幻想的、観念的「私」に
> どんな努力ができるというのか?

ある目的を実現するためのアルゴリズムが

自らの解体過程を構想できるだろうか?

どんな努力をすれば、

そのアルゴリズムが自らを解体できるのか?

> 影がその本体を知るために
> どんな努力をすることができるだろうか?
> 自分の本質に覚醒することは、
> 現象的努力を必要としない。

考えるという至上命令を履行するコンピュータが

考えることを止めるために何ができるか?

考えることが終われば、

背景はおのずから顕れる。

背景が顕れるのは

観念化を止めた観念の手柄ではない。

海の水が自覚されるのは、

揺らぐのを止めた波の手柄ではない。

──────────────────
 悟りは達成されることも
 強制されることもできない。
 それはそうする機会が与えられるとき、
 観念による障害が止まるときだけ、
 起こることができるだけだ。
 それは、
 それが現れることができる
 空っぽな空間が与えられるときだけ
 現れることができる。
 もし誰か他の人が
 この家に住んでいるとしたら。
 私はまずそれを
 空っぽにしなければならない。
 もし観念的「私」が
 すでに占拠しているなら、
 入って来る機会を悟りに与えよう。
 観念化を取り除く方法として、
 考えることを止めようと
 積極的に考えることをやめようと
 積極的に努力することも
 無駄な練習であるし、
 それ以外の
 他の種類の「努力」もそうである!
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p147)
──────────────────
 
> 悟りは達成されることも
> 強制されることもできない。

悟りを起こせるようなものは

知覚の対象物である

現象世界の中には存在しない。

> それはそうする機会が与えられるとき、
> 観念による障害が止まるときだけ、
> 起こることができるだけだ。

悟りを覆い隠していた

騒音が消えたときだけ、

背景にあった沈黙が

現れることができるというだけ。

> それは、
> それが現れることができる
> 空っぽな空間が与えられるときだけ
> 現れることができる。

現象への興味が皆無の空隙の中で、

それは起こりうるというだけだ。

> もし誰か他の人が
> この家に住んでいるとしたら。
> 私はまずそれを
> 空っぽにしなければならない。

背景が露出するためには、

まず前景(=観念化)が

消えていなければならない。

> もし観念的「私」が
> すでに占拠しているなら、
> 入って来る機会を悟りに与えよう。

尋ね人は

尋ねている当人なのだから、

まず尋ねる行為が

消えていなければならない。

> 観念化を取り除く方法として、
> 考えることを止めようと
> 積極的に考えることをやめようと
> 積極的に努力することも
> 無駄な練習であるし、
> それ以外の
> 他の種類の「努力」もそうである!

しかしだからといって、

観念化を止めようとするのは、

無駄な練習だ。

それではまるで、

止めようとする自分がいるかのようだ。(*^_^*)

どんな努力も同じく無駄だ。

(では、八方塞がりなのか?)

──────────────────
 唯一の効果的努力は
 真実を瞬間的に直感的に
 理解することである。
 偽物を偽物と見れば、
 残るものが真実である。
 今、不在のものが現れるのだ。
 それくらい単純である。
 実存するものの不在が
 その唯一の答えである。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p147)
──────────────────

> 唯一の効果的努力は
> 真実を瞬間的に直感的に
> 理解することである。

理解したのか?

それとも理解していないのか?

それだけ。

観念化が起こるのなら、

むろん、

理解していない。(*^_^*)

> 偽物を偽物と見れば、
> 残るものが真実である。

理解したのなら、

観念化は起こらない。

> 今、不在のものが現れるのだ。
> それくらい単純である。

観念化が起こっているなら、

偽物のあなたが実存している。

あなたは偽物を見ている。

見ているあなたには興味がない。

背景の実在は現れようがない。

話はそれほどにも単純だ。

> 実存するものの不在が
> その唯一の答えである。

あなたがいないことが、

背景が現れるための絶対条件。

それが唯一の答え。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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起こるべきことが起こっている。

いつでもそうなのだから。

もう暗くなりました。(*^_^*)

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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