home > 通信 >求めている知識は知り得ない:『アセンション館通信』第871号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2020/12/27(第871号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している夢の場面の報告です。

 非現象が私たちの本質であり、現象は意識の中で私たちが
 分離した対象物として見えるものである。
 (『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在508名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.求めている知識は知り得ない

2.編集後記
──────────────────

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■ 1.求めている知識は知り得ない
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晴れた日は

遠くの山際の樹々の凹凸が鮮明に見えます。

ずっとこんなふうには見えていなかった。

ありがたいことです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”にお付き合いいただく

今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

現象世界に織り込まれた登場人物として

やるべきことに追いまくられて

毎日忙しい日々を送っています。

ただ大切なことがあるのかといえば、

もちろんあるんですが、

微妙に無いようでもある。(*^_^*)

そして現象世界の実質は、

とてもエンタメ的なものだ

という感を深くしています。

つまり。

心配ふうなものもありますが、

それは何かを望んでいるからのことで、

すべては習慣的なスタンスによるようです。

いま以上の何かの理解を

期待しているのでもないような。

ところが……最近また久しぶりに

朝方の夢を憶えていたのですが、

やっぱりインドのどこかの地を

彷徨っているんですよねぇ。

何を求めてあんなに彷徨っているのか?

今回はそこがインドであることが

はっきりしていましたが、

別にインドにはかぎらないのですが、

いつも夢の中ではどこかの地で、

何かを求めて彷徨っている。

それも事実なのです。

何を求めてあんなに彷徨っているのか?

夢の中に出口はないというのに。

──────────────────
 出口の必要はないのだ!
 出口もまた夢の一部分だということが
 わからないのだろうか?
 あなたがするべきことは、
 夢を夢として見ることなのだ。
 
 どこであろうと、
 それが導くところ、
 それは夢だ。
 夢を超えていこうとする考えそのものが
 幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、
 ということを悟りなさい。
 そして、
 出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、
 あなたが夢のなかのある部分が好きで、
 別の部分が嫌いだということだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、
 為すべきことはすべて為し終えたのだ。
 
 『私は在る』(p135)
──────────────────

> なぜどこかへ行かなければならないのか?

(-_-;)

> そして不平を言うのはやめなさい。

確かに不平は出てこないようです。

でも、終わりまで楽でいきたいとか。(*^_^*)

そんな欲望があるのでしょう。

> すべてを愛すがいい。
> あるいは何も愛さないことだ。

このへんの腰が定まらない。(^_-)

でもどうやら、

Life-afirmativeではないなぁ。

> あなたが夢を夢として見たとき、
> 為すべきことはすべて為し終えたのだ。

その意味では為すべきことは終えたか。

夢の中で彷徨っている

自分に伝えてやりたいこと、

そんなあたりに関連した言葉を

今回も少しご紹介したいでます。

まずは、

すべては思い応じて

呼び出されている現実(幻想)なのだということを

久しぶりに

ミナミAアシュタールの言葉から。

「意識は物質に影響を与える?」
https://www.youtube.com/watch?v=RCg6kmvtWYE

──────────────────
「こんにちは
 こうしてお話しできることに感謝します。
 
 簡単に言うと、
 意識(思考)エネルギーが
 現実を創造するということです。
 
 エネルギーは動かせるのです。
 
 それを動かすのが
 意識(思考)エネルギーなのです。
 
 ですから、
 意識エネルギーによって
 
 エネルギーは変わってくるのです。
 
 ????????・・・ですか?
 
 あなたが見ている現実は、
 しっかりとした
 固定されたものではありません。
 
 あなたが見ている現実は、
 ホログラムなのです。
 
 あなたが見たいホログラムを、
 あなたが創っているのです。
 
 あなたのまわりは、
 エネルギーで満たされています。
 
 すき間なくエネルギーが充満しています。
 
 でも、
 何もしなければ何も起きません。
 
 そこに、
 あなたの思考エネルギーが
 刺激を与えると
 
 まわりのエネルギーが動きだし、
 現実(ホログラム)になって
 あなたの前に出現するのです。
 
 
 そして、エネルギー場
 (エネルギーが充満してるところ)には
 時間も空間もありません。
 
 そして、
 意識エネルギーにも
 時間も空間もないのです。
 
 ですから、意識エネルギーは
 
 どこにでも
 影響を与えることが出来るのです。
 
 実験というものに、
 遠隔操作をすることが
 出来るということです。
 
 その前に、
 実験そのものが、
 実験している人の
 意識エネルギーによって
 操作されてしまうということです。
 
 実験している人が、
 こういう結果が出ます・・
 と思っていたら
 
 その意識エネルギーで
 エネルギー場を動かしますので
 そういう結果が出るということです。
 
 ですから、
 実験する人によって
 結果が変わってくるのです。
 
 証明というのは、
 自分が考えていることを
 証明するということです。
 
 自分がたてた仮説を、
 自分の意識エネルギーで
 
 現実にしているということです。
 
 仮説をしっかりとたてれば、
 たてるほど、
 実験は成功するのです。
 
 どうなるのかな?
 どういう結果になるのかな?・・
 というように
 
 自分の中で仮説がしっかりと
 たてられない実験は成功しない
 (結果が思わしく出ない)
 ということになります。
 
 実験の場所にいなくても、
 意識エネルギーを
 
 その実験の場にリンクさせれば、
 影響を及ぼすことが出来ますので
 
 結果を左右することも
 出来るということです。
 
 すべては波動エネルギーなのです。
 
 現実と呼ばれているホログラムも
 
 波動エネルギーで出来た
 スクリーンに映された
 意識エネルギーなのです。
 
 意識エネルギーが変われば、
 スクリーンに映し出される
 ホログラムも変わります。
 
 意識エネルギーがAと決めれば、
 Aの結果(ホログラム)になりますし
 
 Bに変えればBの結果(ホログラム)に
 なるのです。
 
 意識エネルギーを流したところに
  現実(ホログラム)が
  出来るということです。
  
  > 観察は何かを測定するだけでなく
  > 観測するものを生み出します。
  > 
  > 私たち自身が
  > 測定の結果を作り出しているのです
  
  というのはそういう意味です。
  
  意識エネルギーというのは、
  あなたが考えることです。
  
  考える、思う、
  何かを感じたときの反応
  
  ・・それがエネルギーなのです。
  
  あなたがこうなったらいいな、
  こうなったイヤだな
  
  ・・という思いが、
  エネルギー場を動かして
  
  あなたの前にホログラムを出している
  ということです。
  
  この実験と同じことを、
  毎日、毎瞬
  あなたはしているということです。
  
  物質というのも、
  意識エネルギーが創り出した
  ホログラムなのです。
  
  ですから、
  あなたの意識が影響を及ぼします。
  
  すべては、
  波動エネルギーなのです。
  
  あなたに愛をこめてお伝えいたします」

 http://5am5.blog.fc2.com/blog-date-20201224.html
──────────────────

もうミナミAアシュタールが伝える

ホログラムの話……。

細部の詳細はわからないにしろ、

納得です。

軽いような、深いような。

受け手によって響きが変わるのでしょうね。

> 証明というのは、
> 自分が考えていることを
> 証明するということです。
> 
> 自分がたてた仮説を、
> 自分の意識エネルギーで
> 
> 現実にしているということです。

われわれが

証明だと思っているものもまた

エンタメの材料にすぎない。

たしかに

このゲームを楽しみまくる

というスタンスはアリです。

すべては想像が見かけとして現れ、

それに形と名前を与えているだけ、

というゲームなのでしょう。

まず軽くジャブを入れてから、

つぎは少し重いかもしれないパンチを。

ラメッシ・バルセカールが描く

『ニサルガダッタ・マハラジが
 指し示したもの』
https://amzn.to/2J4Pbtr

終わり近くあたりに、

【56 最後の日々:最後の教え】

という章があります。

今回はその中の

ごく短い一節をご紹介します。

──────────────────
 
         ***
 
 別のセッションで同じテーマ、
 つまり、
 人々が何かを欲しがって
 彼のところへやって来ている
 というテーマの別の面を、
 マハラジは取り上げました。
 今回、
 彼は次のように質問しました。
 「あなたが欲しがっているこの『知識』、
  あなたがそれについて
  ノートを取っているこの
  知識とは何だろうか?
  これらのノートは
  何の役に立つのだろうか?
  その問題のこの面について、
  あなたは考えたことがあるだろうか?」
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p298)
 https://amzn.to/2J4Pbtr
──────────────────

> 別のセッションで同じテーマ、
> つまり、
> 人々が何かを欲しがって
> 彼のところへやって来ている
> というテーマの別の面を、
> マハラジは取り上げました。

つまり、

わたしpariは何かを欲しがって

毎週こうして

マハラジの言葉を

文字でなぞったりしているのか?

また、

あなたは何かを欲しがって

いまこうして、

この日曜日に配信されてくる

『アセンション館通信』を

読んでいるのだろうか?

というような

われわれに密接した質問を

マハラジはド直球で

投げてきたということです。(*^_^*)

マハラジの言い方では

こうだったようです。

> 今回、
> 彼は次のように質問しました。
> 「あなたが欲しがっているこの『知識』、
>  あなたがそれについて
>  ノートを取っているこの知識とは
>  何だろうか?
>  これらのノートは
>  何の役に立つのだろうか?
>  その問題のこの面について、
>  あなたは考えたことがあるだろうか?」

『アセンション館通信』を書くことは

わたしpariにとっては

何の役に立つのだろうか?

いまこうして、

この文面を読んでいるあなたにとって

この『アセ通』の情報は

何の役に立つのだろうか?

ある意味でとても的確な問いですよね。

だって、

わたしpariも

今読んでいるあなたも、

何かを知りたがって、

あるいは何かを獲得したがって

こうして何がなしに

もがいているのでしょうから。(^_-)

──────────────────
 彼は続けました──
  
  本当のポイントは、
  百年前どんな知識であれ、
  あなたはそれを必要としていたのか
  ということだ。
  あなたが知らないこと、
  あなたが知り得ないことが
  あなたの本当の状態である。
  対象化されることができるゆえに、
  現実だとあなたが考えているものは
  あなたがそう見えるものである。
  あなたは現在、
  自分の本質について
  どんな知識を求めているにしても
  それは知りえないものだ。
  なぜなら、
  あなたは自分が求めているものだからだ。
  あなたが
  知識として得ることができるすべてが
  観念的レベルにある
  ──
  あなたが対象的見かけとして
  得るだろう知識のことだ。
  そういった知識は、
  いかなる意味においても、
  「無知」と違わない。
  なぜなら、
  知識と無知は観念レベルにおける
  相互関連する正反対のものだからだ。
  言い換えるなら、
  マインドのレベルでの理解は
  観念化を意味し、
  それゆえ、
  完全に幻想である。
  そういった観念化された知識と、
  観念的レベルではない
  直感的認識の違いをよく理解しなさい。
  実際、
  直感的認識とは、
  全体を見ること、
  内側を見ることであり、
  それは単に知的に見ることは
  本質的に異なっている。
  いったん、
  直感的認識があれば、
  単なる知的理解の基本である
  正反対のものの二元性が完全に消える。
  そのとき、
  推論と理論を使って
  自分が何かを理解したと考える
  どんな「人」もいない。
  本当の理解は、
  自然に起こる認識であり
  それは直感的で無選択で
  完全に非二元的である。
  私が言ったことについて瞑想しなさい。 
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p299)
──────────────────

>  本当のポイントは、
>  百年前どんな知識であれ、
>  あなたはそれを必要としていたのか
>  ということだ。

いや、

百年前にも存在していたわたしがいるなら、

わたしは何も必要とはしていなかった。

>  あなたが知らないこと、
>  あなたが知り得ないことが
>  あなたの本当の状態である。

わたしの知らないこと、

わたしの知り得ないことが

わたしの本当の状態……。(?_?)

>  対象化されることができるゆえに、
>  現実だとあなたが考えているものは
>  あなたがそう見えるものである。

わたしが今まとっている見かけ。

わかります。

>  あなたは現在、
>  自分の本質について
>  どんな知識を求めているにしても
>  それは知りえないものだ。

??(?_?)

>  なぜなら、
>  あなたは自分が求めているものだからだ。

あ!(@_@) ⌒★?

おおおー。

わたしが現在、

自分の本質について

どんな知識を求めているにせよ

それは知りえないものだ。

なぜならわたしは今

それを求めているではないか。

その今も求めているのがわたしなのだから。

(@_@)

>  あなたが
>  知識として得ることができるすべてが
>  観念的レベルにある

了解です。

>  ──
>  あなたが対象的見かけとして
>  得るだろう知識のことだ。

わかります。

>  そういった知識は、
>  いかなる意味においても、
>  「無知」と違わない。
>  なぜなら、
>  知識と無知は観念レベルにおける
>  相互関連する正反対のものだからだ。

知識と無知は

単に観念レベルを両側から支える

正反対の両極にすぎない。

>  言い換えるなら、
>  マインドのレベルでの理解は
>  観念化を意味し、
>  それゆえ、
>  完全に幻想である。

わかります。

犯人を創造したから、

探偵の必要が出てくるだけのこと。

>  そういった観念化された知識と、
>  観念的レベルではない
>  直感的認識の違いをよく理解しなさい。

恣意的な発明でない

直感的に認識される全体像を見抜きなさい。

>  実際、
>  直感的認識とは、
>  全体を見ること、
>  内側を見ることであり、
>  それは単に知的に見ることは
>  本質的に異なっている。

意味を捏造することとはまったく違う。

わかります。

>  いったん、
>  直感的認識があれば、
>  単なる知的理解の基本である
>  正反対のものの二元性が完全に消える。

いったん直感的に全体像が見抜かれたら、

それ以上知的理解を捏造する必要からは

解放される。

>  そのとき、
>  推論と理論を使って
>  自分が何かを理解したと考える
>  どんな「人」もいない。

百年前にはいまこうして

混乱の中でもがいているわたしはいなかった。

いまも無から捏造されたわたしは

存在していない。

ただの束の間の見かけとして

この瞬間現れているだけ。

一瞬の混乱に対応するエンタメ画面として。

それを映し出しているのがわたしだ。

無限数の映画を映し出してきたスクリーンが

いちいちの映画の内容などに

関心を持つだろうか?

>  本当の理解は、
>  自然に起こる認識であり
>  それは直感的で無選択で
>  完全に非二元的である。

本当に求められている理解は、

完全に非二元的である。

>  私が言ったことについて瞑想しなさい。 

ありがとうございました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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求める意味まで奪われたようです。(*^_^*)

もう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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