home > 通信 >霊的進歩orマハラジのマッチ箱:『アセンション館通信』第874号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/01/17(第874号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している夢の場面の報告です。

 非現象が私たちの本質であり、現象は意識の中で私たちが
 分離した対象物として見えるものである。
 (『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在508名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.霊的進歩orマハラジのマッチ箱

2.編集後記
──────────────────

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■ 1.霊的進歩orマハラジのマッチ箱
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日もとても暖かくていい天気。

夢の中でとても恵まれている。

(*^_^*)


さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”にお付き合いいただく

今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

ときどき、

自分はなぜ

こうしてメルマガを書いているのだろう

という思いが周期的に訪れてきます。

さほどの内圧もない今は、

メルマガを書く必然性が

昔ほどはないのでしょう。

おそらく、

読んでくださっている方がいるから

書いているということかもしれませんが、

それとても実際は、

よくわからないわけですし。(^_-)

まあ、

夢の中の登場人物が

考えてわかるようなことでも

ないのでしょう。

ただ夢の中の登場人物としては

他にやりようもないことを

やっているのだろうと思います。

探求という劇のフェーズを理解する

いろいろな観念があるようです。

11次元の意識存在と言われる

ミナミAアシュタールの言い方では、

探求とは絶対無限の存在が

多様な分身となって自分が誰かを

探し求めているということなのでしょうし、

仏陀を含めた地上の覚者たちの言い方では

探求しているのは意識で、

分離独立した実体としての探求者はいない

という言い方になるのでしょう。

だとすれば、

一つの言い方としては、

夢の中の探求という劇のフェースは

エゴの撤退戦ということかもしれません。

撤退戦というのは

基本的には負け戦という消耗戦の中で

なんとか少しでも多くの本隊を生き延びさせ

次の戦に備えさせようとするものです。

実際にそこで意図?されていることは

ひたすらエゴの保存でしかありえません。

にもかかわらず、

エゴの自覚としては

自分はエゴの崩壊を望んでいると

本気で信じているという偽装戦でもある。

なんとも複雑怪奇な戦いです。(^_-)

まあ複雑な話にしたいわけです。

誰が?!(?_?)

誰かはいないのです。(*^_^*)

しかしそういうややこしい話も

本気で展開しているとそれなりの実質ができる。

かくて夢の中の撤退戦では

不意に相手からの急襲を受ける!

ということも起こりうるのです。

そしてこのメルマガを書かされている

夢の中の登場人物の探求にも

そういうことが起こりうる。

ラメッシ・バルセカールの筆を通して

聞こえてくるマハラジの言葉に、

不意を突かれることがあるのです。(*^_^*)

(とこんなふうに書くことで、

 エゴが受ける傷を少しでも浅くしようと

 あがいているのでしょうか……。(-_-;) )

なんと言ったらいいのか。

今回は

『ニサルガダッタ・マハラジが
 指し示したもの』
https://amzn.to/2J4Pbtr

の中から、

「52 霊的探求における進歩」

という短い章の全体をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────

 52 霊的探求における進歩


 マハラジはいつも探求者たちの疑いと困難に
 対処する用意があります。
 つまり、
 彼は探求者たちに
 質問をしてほししいと思っています。
 彼は特に海外からの訪問者たちに
 「あなた方はかなりのお金を使い、
  苦労して私に会いに
  インドへ来たわけだから、
  黙ったまま座って時間を無駄にしないで、
  ふさわしい質問をするべきだ」
 と言い続けます。
 彼はさらに
 「もし本当にするべき質問がないなら、
  それはつまり、
  あなたが真理をすでに
  理解しているということなので、
  だったら時間を無駄にせず、
  自宅へ帰ったらどうだろうか?
  その一方、
  もしまだ完全に明確でない
  探求の領域が何かあるなら、
  今ここでその明確さを手に入れるべきだ」
 と言います。
 しかし、
 彼はこうも警告します。
 「ただし、
  現象的対象物の中に重心を置く人間として
  質問をしないように。
  私は個人的実体に対して
  話をしているのではなく、
  意識が意識に対して
  意識について話しているからだ」

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p279)
 https://amzn.to/2J4Pbtr
──────────────────

マハラジはただこういう意図をもって

最後の死力を尽くして

探求者たちを毎日自分のロフトに

迎え入れているんですよね。

それ以外の目的はありえないわけですから。

だから他のグルからでも聞けるような

探求者としての探求方法など

語る余裕はもうないわけです。

この促しを受けて、

ある常連のウェスタンが質問します。

──────────────────
 かなり長い間
 マハラジのところへ通っている
 外国の訪問者の一人が
 静かに話し始めました。
 「多分私は
  肉体−マインドのアイデンティティから
  話しているのでしょうけれど、
  非常に長い間私を悩ましている
  質問というか問題があり、
  もはやそれを
  押し殺しておくことができません。
  私はここに来ている探求者の何人かと
  それについて話しましたら、
  彼らも同じ問題を持っていることが
  わかりました。
  しかしながら、
  今私は
  彼らのために話しているのではなく、
  ただ自分自身のために話しています。
  その問題とは、
  自分が霊的探求において
  進歩しているのかどうか、
  どうしたら自分にわかるか?
  ということです。
  時々、
  特に瞑想の最中に、
  自分が探し求めていることの一瞥を
  実際に得ることがありますが、
  しかし、
  それは非常にまれなことです。
  自分が進歩しているのかどうか、
  どうしたらわかるわかるでしょうか?」

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p279-280)
──────────────────

この方は普段瞑想している方のようです。

>  自分が霊的探求において
>  進歩しているのかどうか、
>  どうしたら自分にわかるか?

実際、何の基準もなくなると

自分が前進しているんだか

後退しているんだかも

わからないわけですものね……。

(撤退戦の常套手段として、

 エゴは探求者の温存を図るのです。)

さて、

このときのマハラジの反応です。

──────────────────
 マハラジはその訪問者が質問をしたときの
 その誠意と熱意を理解し、
 その質問者に同情を感じたにもかかわらず、
 自分が感じた失望を
 隠すことができませんでした。
 彼は、
 自分を衰弱させる病気の影響に加えて
 そんな質問をされた精神的苦悩を
 おそらく克服するために、
 しばらく黙って座っていました。
 それから、
 彼は静かに、
 怒るというより悲しんで話し始めました。
 「私はもう完全に話すのをやめて、
  その旨を通知するべき(!)だと思う。
  あなた方の多くが
  ここに習慣としてやって来るか、
  あるいは、
  友人たちがあなたがたに言ったので、
  新しい経験を求めて
  やってきていることがわかる。
  あなた方は本当には聴いていないのだ。
  もし聴いているなら、
  そんな質問は起こらないことだろう。
  そして、
  私が言ってきたことを
  あなたが注意深く聴き、
  それを理解していたなら、
  万一その質問が起こっても、
  それを自分自身で
  簡単に対処できたことであろう。
  代わりに私は、
  この質問があなた方の多くを
  実際に悩ませていることが分かった。

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p280-281)
──────────────────

> マハラジはその訪問者が質問をしたときの
> その誠意と熱意を理解し、
> その質問者に同情を感じたにもかかわらず、
> 自分が感じた失望を
> 隠すことができませんでした。

まあ、

この(おそらく)ウェスタンの方が

マハラジがいつも聴衆の中に見かける

常連の方であることを考慮すれば、

マハラジの落胆は推測できます。

> 彼は、
> 自分を衰弱させる病気の影響に加えて
> そんな質問をされた精神的苦悩を
> おそらく克服するために、
> しばらく黙って座っていました。
> それから、
> 彼は静かに、
> 怒るというより悲しんで話し始めました。

(-||-)

> 「私はもう完全に話すのをやめて、
>  その旨を通知するべき(!)だと思う。

(>_<)

>  あなた方の多くが
>  ここに習慣としてやって来るか、
>  あるいは、
>  友人たちがあなたがたに言ったので、
>  新しい経験を求めて
>  やってきていることがわかる。

実際、この本の説明では

最晩年のマハラジのロフトは

ますます有名になって、

ますます聴講者が多くなって

いたみたいですものね。

>  あなた方は本当には聴いていないのだ。
>  もし聴いているなら、
>  そんな質問は起こらないことだろう。

撤退戦のエゴだって、

そうやすやすと殲滅させられる

わけにはいかないわけですよね。

>  そして、
>  私が言ってきたことを
>  あなたが注意深く聴き、
>  それを理解していたなら、
>  万一その質問が起こっても、
>  それを自分自身で
>  簡単に対処できたことであろう。

とにかく

目の前にいるあなたたちの多くが

私の言葉を本気で注意深く

聴いていないことはわかった。

>  代わりに私は、
>  この質問があなた方の多くを
>  実際に悩ませていることが分かった。

またこの質問によって私は

あなたたちの多くを実際に

悩ませている質問を知った。

──────────────────
  問題は明らかに『進歩』についてである。
  さて、
  誰が進歩するのか、
  そして、
  何に向かっての進歩なのか?
  私は口を酸っぱくして繰り返し飽きもせず、
  あなたは
  現象的対象物に感覚を与えている
  意識している存在、
  つまり、
  活動中の意識であって
  ひとつの現象的対象物ではない
  と言ってきた。
  現象的対象物は、
  それを認識している人たちの意識の中の
  単なる見かけに過ぎない。
  いったい『見かけ』は、
  どんな目的に向かって
  どんな『進歩』ができるというのか?
  今、
  あなたはこの基本的理解を
  自分のまさに存在に浸透させる代わりに、
  あなたがやっていることは
  それを単なる観念的な理論として受け入れ、
  そして、
  質問することだ。
  観念的見かけは
  自分がその観念的解放に向かって、
  観念的進歩しているのかどうか、
  どうして知ることができるだろうか?」

 ここでマハラジはマッチの箱を取り上げ、
 それを持ち上げ、
 こう尋ねました。
 「これはあなただろうか?
  もちろん、
  そうではない。
  そのことを理解するのに
  時間が必要だろうか?
  この事実の直感的認識は
  即時ではないだろうか?
  それでは、
  あなたが肉体−マインドと呼ばれている
  その現象的対象物でないと
  直感的に認識することに、
  なぜ時間がかかるべきなのだろうか?」
 マハラジは続けて言いました。
 「どうか次のことを理解してほしい。
  直感的認識は
  知性の基本である意識の到着以前にある。
  直感的認識は漸進的練習の問題ではない。
  それは自然に起こることができるだけだ
  ──
  意図的進歩がなされるどんな段階もない。
  どんな進歩をするどんな『人』もいない」

 「進歩」の最も確実な兆候は、
 ──もし人がどうしても
 その観念を諦めることができないならは──
 『進歩』に関する心配の完全な欠如と、
 「解放」といったようなことに関する
 不安の完全な欠如、
 つまり、
 自分の存在の中のある種の「空っぽさ」、
 ある種の弛緩、
 何が起こっても
 それに対する非意図的明け渡しであると、
 おそらく言えるのではないかと、
 私には思われるのです。

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p281-282)
──────────────────

>  問題は明らかに『進歩』についてである。

あなたたちの多くは

明らかに霊的探求における

自分の進歩について気にしているようだ。

>  さて、
>  誰が進歩するのか、
>  そして、
>  何に向かっての進歩なのか?

ところで、

その進歩というのは、

誰の進歩で、

また何に向かっている進歩なのだろうか?

>  私は口を酸っぱくして繰り返し飽きもせず、
>  あなたは
>  現象的対象物に感覚を与えている
>  意識している存在、
>  つまり、
>  活動中の意識であって
>  ひとつの現象的対象物ではない
>  と言ってきた。

私がこのロフトで

毎日飽きもせずに繰り返し繰り返し

口を酸っぱくして言っているのは

ただひとつ、

「あなた」は、

「あなた」が知覚している

ひとつの現象的対象物ではない、

ということだ。

そうではなく、

「あなた」は、

その現象的対象物に感覚を与え、

その現象的対象物を意識している存在だ

ということだけだ。

あなたは今までここに通ってきて、

このことを聴いたことがないのだろうか?

>  現象的対象物は、
>  それを認識している人たちの意識の中の
>  単なる見かけに過ぎない。

あなたが霊的探求における

進歩を気にしているという

その“あなた”という現象的対象物は、

「あなた」の意識の中の

単なる見かけにすぎないのだ。

>  いったい『見かけ』は、
>  どんな目的に向かって
>  どんな『進歩』ができるというのか?

その『見かけ』でしかない

意識の中の観念的対象物が

どんな目的に向かって、

どんな『進歩』ができるというのか?

>  今、
>  あなたはこの基本的理解を
>  自分のまさに存在に浸透させる代わりに、
>  あなたがやっていることは
>  それを単なる観念的な理論として受け入れ、
>  そして、
>  質問することだ。
>  観念的見かけは
>  自分がその観念的解放に向かって、
>  観念的進歩しているのかどうか、
>  どうして知ることができるだろうか?」

あなたは長く私の話を聴きに

ここに通っているのだから、

この基本的理解を

自分のまさに存在に浸透させる

べきであったかもしれない。

だがあなたがやっていることは、

私の言葉を

単なる観念的な理論として受け入れ、

自分の瞑想の進歩を確認する方法を

質問することだった。

その瞑想の進歩を気にしているのが

「あなた」の意識の中の

単なる観念的対象物であることなど、

まったく理解の埒外だったようだ。

その単なる観念的対象物が、

自分の観念的解放に向かって

観念的進歩をしているかどうかを、

どうやって知ることができるというのだろう?

> ここでマハラジはマッチの箱を取り上げ、
> それを持ち上げ、
> こう尋ねました。
> 「これはあなただろうか?
>  もちろん、
>  そうではない。
>  そのことを理解するのに
>  時間が必要だろうか?
>  この事実の直感的認識は
>  即時ではないだろうか?

(撤退戦を戦うエゴへの不意打ち!)

「ところでこのマッチ箱は

 あなたかね?」

こう聞かれて、

あなたは返答に準備が必要だろうか?

もちろん、

このマッチ箱はあなたではない。

これは「あなた」が知覚する対象物だ。

このことを理解するのに

時間が必要だろうか?

それとも、

このマッチ箱があなたではないことは、

即時の直感的認識だろうか?

>  それでは、
>  あなたが肉体−マインドと呼ばれている
>  その現象的対象物でないと
>  直感的に認識することに、
>  なぜ時間がかかるべきなのだろうか?」

マッチ箱が「あなた」でないことが、

直感的認識として自明なら、

肉体−マインドという現象的対象物が

「あなた」ではないと

直感的に認識することに、

なぜ時間がかかる必要があるのか?

> マハラジは続けて言いました。
> 「どうか次のことを理解してほしい。
>  直感的認識は
>  知性の基本である意識の到着以前にある。
>  直感的認識は漸進的練習の問題ではない。
>  それは自然に起こることができるだけだ
>  ──
>  意図的進歩がなされるどんな段階もない。
>  どんな進歩をするどんな『人』もいない」

もし「あなた」が

自分の存在を疑っていないのなら、

もし「あなた」が

自分が存在することを

直感的に認識しているのなら、

この直感的認識は

あなたの質問の枠組である知性の

基盤である意識の到着以前にあることを

どうか理解してほしい。

直感的認識は、

二元性の原理の中で相対的な問いを捏造しては

その中で問と答えを盥回しする

漸進的な練習問題とは違うのだ。

あなたの霊的探求における

進化を気にする前に、

まず「あなた」は

その現象的対象物ではない、

というこの基本的理解を

自分のまさに存在に浸透させなさい。

(-||-)

以下のコメントは、

ここまで状況の叙述者であった

ラメッシ・バルセカールが

自分の言葉として記述したものです。

> 「進歩」の最も確実な兆候は、
> ──もし人がどうしても
> その観念を諦めることができないならは──
> 「進歩」に関する心配の完全な欠如と、
> 「解放」といったようなことに関する
> 不安の完全な欠如、
> つまり、
> 自分の存在の中のある種の「空っぽさ」、
> ある種の弛緩、
> 何が起こっても
> それに対する非意図的明け渡しであると、
> おそらく言えるのではないかと、
> 私には思われるのです。

霊的探求における「進歩」、

といった観念をどうしても

忘れられないというのなら、

最も確実な兆候があるとすれば、

それは「進歩」とか「解放」

といったことをまったく心配しなくなる

ことではないでしょうか、と。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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   ………○…………○…………○………


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   ………○…………○…………○………

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■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

マハラジのマッチ箱には、

虚を突かれました。

ありがとうございます。

(-||-)

もう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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