home > 通信 >見られた夢の中の台詞:『アセンション館通信』第875号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/01/24(第875号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

★★しばらく消えていたサイト「アセンション資料館」
  【https://www.ascensionkan.com/】が準備できました!★★

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している夢の場面の報告です。

 非現象が私たちの本質であり、現象は意識の中で私たちが
 分離した対象物として見えるものである。
 (『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在508名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.見られた夢の中の台詞

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.見られた夢の中の台詞
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

しばらくぶりに今日は雨模様。

明日は雪が降るそうな。

夢の中でとても恵まれている。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”にお付き合いいただく

今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

褐色系を基調とした冬枯れの景色が

視界の上半分を占める

薄明るい灰色の中に消えています。

何かを求めているのかどうかは

わかりませんが、

こうして土曜日が来ると

いそいそとPCのモニター画面に向かいます。

おそらくこんな機会でもなければ、

これほどまめに

ラメッシ・バルセカールによる

マハラジの言葉を

書き写したりはしなかったでしょう。

こうして夢の中で

仮想の束縛の薄紙一枚一枚が

剥がれているのかもしれません。

とはいえ、マハラジが

その師シッダラ・メシュバールの

教えに触れてから3年の後に確証を得たのに、

わたしはなぜ十数年もこうして

言葉を読み続けているのか?

という思いが湧かないでもない。

まあ、仕方がない。

何かをどうこうできる実体など

この夢の中には存在しないのだから。

今回はラメッシ・バルセカールの

『ニサルガダッタ・マハラジが
 指し示したもの』
https://amzn.to/2J4Pbtr

のかなりはじめのほうにある、

「12 顕現は夢である」

という短い章の全体をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────

 12 顕現は夢である


 無数の気楽な訪問者が
 マハラジとのダルシャン
 (グルと会うこと)
 のためにやってきますが、
 その理由はおそらく
 彼らのグループの中の誰かが
 マハラジのことを高く評価し、
 他にすることもなかったので、
 ちょっと立ち寄って、
 一体全体何の話をしているのか
 見るのもいいだろうと思うからでした。
 しかし、
 マハラジが語る話題に深く関心を
 もっている人たちも多くいます。
 彼らの多くは数回のセッションに参加し、
 マハラジが
 そんなにも熱心に語っていることを
 自分が確固と理解したと信じるのです。
 ところが、
 マハラジが彼らに
 自分が伝えようとしていることを
 理解したかどうかを尋ねると、
 彼らの中で
 こんなことを言う人がいるものです。
 「はい、マハラジ、
  私は明確に理解しました。
  でも、
  最後もう一つ質問があります……」

 その最後の質問は、
 非現象が現象として顕現すること
 についてであることはよくあります。
 質問者はこんなことを言います。
 「マハラジ、
  あなたは、絶対的非現象は
  意識がわき起こり始めて
  最初の思考『私は在る』が起こるまで、
  その気づきに気づかず、
  それから全体が二元性へと分裂して、
  宇宙の現象が起こると、
  言いました。
  で、私の質問は、
  なぜ最初の思考が起こったのか、
  そして、
  なぜそもそも現象が起こったのか?
  ということです」

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p70-71)
 https://amzn.to/2J4Pbtr
──────────────────

なにか……、

まるで自分を見るようだと

思いませんか?

この方は

>  なぜそもそも現象が起こったのか?

と尋ねています。

わたしの場合も

<何故にすべては始まってしまったのか?>

という疑問が起こったものでした。

ところで、

あなたはこの質問者の問いを読んで、

マハラジがどんなふうに感じ、

どんなふうに答えるのかが

明瞭にわかりますか?

それとも

この質問者の問いに共振して

その答えがほしいと思ったでしょうか?

わたしに関して言うなら、

わたしは間違いなく

これまでに少なくとも一度は

この箇所を読んでいるはずです。

にもかかわらず、

マハラジがこの問に

どんなふうに答えたのか、

わたしにはわかりませんでした。

わが偽実体の防御機能は

見事にその役割を果たしたようです。(^_-)

もしあなたも

わたしのような状態なら、

いまこそがチャンスです。

自分がこの質問者と

まったく同じ場所にいるのなら、

このマハラジ答えを

いま聴くことができるからです。

(-||-)

──────────────────
 マハラジは
 その質問者をある表情で眺め、
 その表情は
 いくつかの反応を示しています。
 それは、慈悲、
 質問者の誠実さに対する評価、
 質問者が
 自分はその話題を理解した
 という自信に対するある種の可笑しさ、
 そして、
 もっとも重要なことは、
 質問者がポイントを
 まったく理解していなかったという
 失望などが混じり合ったものです。
 「また失敗したか!」という感じです。

 それから、
 マハラジは非常に穏やかに言うのです
 ──
  残念ながら、
  あなたは自分が聞いていたことを
  本当には理解していない。
  あなたは聞いていたが、
  聴いてはいなかったのだ。
  あなたは私が言っていたことを
  小さなかけらと断片を集めるように
  聞いていたが、
  全体を聴いてはいなかったのだ。
  全体的マインドをもって
  意味を聴く代わりに、
  個人的分裂したマインドで
  言葉を聞いただけなのだ。
  つまり、
  分裂した聴き手として
  聞いていたのであって、
  自分とグルを統合した後で
  聞いたのではなかったのだ。
  私が言わんとしていることは、
  あなたがマインドで思い描く
  物理的肉体的グルのことではなく、
  あなたの中にいるサットグル
  (究極の師)のことだ。
  さもなければ、
  あなたの質問は
  起こらなかったことだろう。
  しかしある意味では、
  私自身はそういった質問を好んでいる。
  なぜなら、
  それは通常の思考を暴露するからだ。
  というより、
  思考がそれ自身を暴露するのだ。

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p71-72)
──────────────────

> もっとも重要なことは、
> 質問者がポイントを
> まったく理解していなかったという
> 失望などが混じり合ったものです。
> 「また失敗したか!」という感じです。

これまで十数年間

わたしはマハラジの言葉を読んできました。

でも、わたしは

【ポイントをまったく

 理解していなかった】わけです。(;_;)

マハラジとの縁は

せいぜい彼を【失望】させるだけ

なのでしょうか?

なにしろマハラジ自身が

こう確証しているのです。

>  残念ながら、
>  あなたは自分が聞いていたことを
>  本当には理解していない。
>  あなたは聞いていたが、
>  聴いてはいなかったのだ。

(>_<)

いったいわたしの聞き方は

何がまずかったのか?

>  あなたは私が言っていたことを
>  小さなかけらと断片を集めるように
>  聞いていたが、
>  全体を聴いてはいなかったのだ。

おお……。

>  全体的マインドをもって
>  意味を聴く代わりに、
>  個人的分裂したマインドで
>  言葉を聞いただけなのだ。

わたしもそれをやっていたのか。(>_<)

>  つまり、
>  分裂した聴き手として
>  聞いていたのであって、
>  自分とグルを統合した後で
>  聞いたのではなかったのだ。

全身全霊で聴いてはいなかったわけだ。

>  私が言わんとしていることは、
>  あなたがマインドで思い描く
>  物理的肉体的グルのことではなく、
>  あなたの中にいるサットグル
>  (究極の師)のことだ。

マハラジが

「私は個人に話しかけているのではなく、

 意識が意識に話しかけている」

というのはそういう意味だったか。

わたしもまたただの仮想の個人として

これまでマハラジの言葉を

聞き流してきたのか。(-_-;)

>  さもなければ、
>  あなたの質問は
>  起こらなかったことだろう。

うう。

>  しかしある意味では、
>  私自身はそういった質問を好んでいる。

ああ……。

>  なぜなら、
>  それは通常の思考を暴露するからだ。
>  というより、
>  思考がそれ自身を暴露するのだ。

【思考がそれ自身を暴露する】様子。

思考が偽実体を捏造する様子を

現行犯で捕えられるわけか……。

──────────────────
  この質問が誰に起こったのか?
  考えてみなさい。
  それはどこで起こったのか?
  その質問は、
  自分自身を
  独立した実存をもっている実体だと
  考えている「あなた」に、
  起こったのではないだろうか?
  そして、
  それは意識の中で
  起こったのではないだろうか?
  意識がなければ、
  どんな実体
  ──この想定された偽実体──
  もないことだろう。
  「意識」は
  どんな客観的質もない観念にすぎず、
  それ自体としては
  どんな現象的実存ももっていない。

  私たちが今到達したことは
  次のことだ。
  意識の基層がなければ、
  どんな現象もなく、
  それゆえ、
  どんな質問をするような
  分離した偽実体も
  そもそも存在しない!
  そして、
  意識は観念にすぎない。
  それゆえ、
  私は全現象を
  「不妊の女性の子供」と呼ぶのだ。
  こういった状況で、
  本質であるこれ、
  私たちの本質であるこれは、
  観念的偽実体の
  汚れたマインドによって
  理解されることができるだろうか?
  実にこの実体が消えるとき、
  その謎が解消するのだ。
  その単純な理由とは、
  探求者こそ
  彼が探求しているものであるからだ。

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p72)
──────────────────

>  この質問が誰に起こったのか?
>  考えてみなさい。
>  それはどこで起こったのか?
>  その質問は、
>  自分自身を
>  独立した実存をもっている実体だと
>  考えている「あなた」に、
>  起こったのではないだろうか?

まさに。

自分自身を独立した実存をもってい実体だと

考えている「わたし」に起こったのです。

>  そして、
>  それは意識の中で
>  起こったのではないだろうか?

はい、たしかに。

この思考は意識の中に湧きました。

思考の中身は意識ですから。

>  意識がなければ、
>  どんな実体
>  ──この想定された偽実体──
>  もないことだろう。

たしかに。

意識がなかったら、

この偽実体も存在していません。

意識がなかったら、

そもそもまったく何も起こりません。

何かを感じる主体そのものが

誕生していないので、

もちろん知覚の対象物もありません。

>  「意識」は
>  どんな客観的質もない観念にすぎず、
>  それ自体としては
>  どんな現象的実存ももっていない。

「意識」がなければ

どんな実体も存在しえない。

ところがそもそも「意識」そのものが

“自らの存在を自覚する”という観念にすぎず、

それ以外の何か客観的な実質によって

裏づけられているわけではない。

つまり「意識」それ自体には

どんな現象的実体も存在しない。

>  私たちが今到達したことは
>  次のことだ。
>  意識の基層がなければ、
>  どんな現象もなく、
>  それゆえ、
>  どんな質問をするような
>  分離した偽実体も
>  そもそも存在しない!

いまここで検討されたことで

私たちが問題にする現象は

すべて意識という基盤の上にあり、

この質問をしている

分離した偽実体そのものも

意識という基層のなかで

起こっていることは明らかだ。

>  そして、
>  意識は観念にすぎない。

ところが、

その意識そのものは

自分は存在しているという観念にすぎない。

>  それゆえ、
>  私は全現象を
>  「不妊の女性の子供」と呼ぶのだ。

だからどんな客観的根拠ももたない

一つの観念を始源とする現象全体を、

私は「不妊の女性の子供」と呼ぶのだ。

現象全体の中で仮想された

どんな偽実体がいかなる問いを発しようとも、

そもそもその問の受け手が存在しないからだ。

>  こういった状況で、
>  本質であるこれ、
>  私たちの本質であるこれは、
>  観念的偽実体の
>  汚れたマインドによって
>  理解されることができるだろうか?

想像の中で現象世界を呼び出したのは

自らの存在を自覚した一つの観念「意識」だ。

この「意識」が呼び出した現象の中で

仮想された観念的偽実体が、

その汚れたマインドの中で

どんな問いを捏造したからと言って、

その問いに答えるべき誰がいるというのか?

>  実にこの実体が消えるとき、
>  その謎が解消するのだ。

実際は、

その問いが解決を求めていた謎は、

その問を捏造している偽実体が

自らの非存在を理解して解体したとき、

はじめて解消する。

>  その単純な理由とは、
>  探求者こそ
>  彼が探求しているものであるからだ。

その理由は単純だ。

「意識」の中で

仮想された偽実体が求めていたものは、

すべての汚れが消えた後に

明らかになる「私」だからだ。

──────────────────
  あなたの質問はさらに根本的に
  顕現と非顕現は二つの異なったもの
  だと想定しているが、
  しかし、
  それらは異なっているわけではない。
  それらは本質的に同じ状態で、
  拡大した水面の波のようなものだ。
  存在しているという感覚によって
  色づけられるとき、
  意識の中で現象が
  その制限をもって現れる
  ──
  色はなく制限がないとき、
  それは絶対で
  その気づきに気づいていない。
  顕現は非顕現が
  映し出されたものにすぎず、
  それは別々のものではない。
  非顕現は、
  灯、扇風機、エンジンなどの
  無数の「展示品」を
  電気という一つの源泉が
  通過するようなものである。
  あるいは、
  ひとつしかない光の源泉が
  無数の鏡に反射されるようなものである
  (こうした説明も
   コミュニケーションを可能にするための
   概念にすぎないが)。
  意識が
  無数の感覚のある形態を通じて
  自分自身を顕現するのだ。

  で、今、
  あなたは自分の質問を
  正しい視点から
  見ることができるだろうか?
  ひとつの影が
  「なぜ?」を知りたがっているのだ。
  一人芝居の中で
  一人の役者が演じる
  様々な登場人物の一人が、
  「なぜ?」を知りたかっている。
  その答えとは、
  「なぜそうであってはいけないのか」
  となることだろう。
  実際はどんな質問もありえないのだ
  ──
  「なぜ」も
  「なぜそうであってはいけないのか」も。
  なぜなら、
  実際はどんな質問者もいず、
  ただ観念しかないからだ。
  顕現は夢のようなものである。
  なぜ夢は起こるのだろうか?

 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p72-73)
──────────────────

>  あなたの質問はさらに根本的に
>  顕現と非顕現は二つの異なったもの
>  だと想定しているが、
>  しかし、
>  それらは異なっているわけではない。

あなたの質問は、

顕現と非顕現は二つの異なるものであり、

顕現は非顕現なしに存在し、

非顕現は顕現なしに存在できるかのように

想定していることを伺わせる。

だがこの二つは異なる別物ではない。

>  それらは本質的に同じ状態で、
>  拡大した水面の波のようなものだ。

この二つは一つの同じものの

二様の自覚の現れ方にすぎない。

>  存在しているという感覚によって
>  色づけられるとき、
>  意識の中で現象が
>  その制限をもって現れる

一つの同じものが

存在の感覚によって色づけされるとき、

意識の中に個々に属性と制限を担った

分離した個物が存在するかのような姿を現す。

>  ──
>  色はなく制限がないとき、
>  それは絶対で
>  その気づきに気づいていない。

その一つの同じものが

存在の感覚で色づけされないとき、

そこには属性もなければ制限もない。

それは自らの存在に気づいていない

絶対状態だ。

>  顕現は非顕現が
>  映し出されたものにすぎず、
>  それは別々のものではない。

顕現とは

自らの存在に気づいた「意識」が

自らの無限の可能性の中から

顕れとして確認した姿だ。

>  非顕現は、
>  灯、扇風機、エンジンなどの
>  無数の「展示品」を
>  電気という一つの源泉が
>  通過するようなものである。

灯も扇風機もエンジンも、

電気という一つの源泉が通過しなければ

それぞれの機能を果たせないように、

顕現の世界を構成する森羅万象は

それを知覚の対象物として

認識する者がいなくては

顕れることができない。

>  あるいは、
>  ひとつしかない光の源泉が
>  無数の鏡に反射されるようなものである。
>  (こうした説明も
>   コミュニケーションを可能にするための
>   概念にすぎないが)。
>  意識が
>  無数の感覚のある形態を通じて
>  自分自身を顕現するのだ。

森羅万象としての多様な対象物が

互いに他者を対象物として認識するとき、

属性と制限を担った現象世界が顕現する。

これは自らの存在を知った「意識」が、

無数の感覚ある形態を通じて

自分自身を顕現している。

>  で、今、
>  あなたは自分の質問を
>  正しい視点から
>  見ることができるだろうか?

この状況を知ったいま、

あなたは、

  「なぜ最初の思考が起こったのか、
   そして、
   なぜそもそも現象が起こったのか?」

というあなたの質問を

どのような視点から見るのだろうか?

>  ひとつの影が
>  「なぜ?」を知りたがっているのだ。
>  一人芝居の中で
>  一人の役者が演じる
>  様々な登場人物の一人が、
>  「なぜ?」を知りたかっている。

自らの存在を自覚した「意識」が

自らを確認するために

時間と空間という意識の枠組みを使って

知覚可能にした対象物の一つが、

  「なぜ最初の思考が起こったのか、
   そして、
   なぜそもそも現象が起こったのか?」

と尋ねているのだ。

>  その答えとは、
>  「なぜそうであってはいけないのか」
>  となることだろう。

同じ意識の枠組みの中で

相応の答えを捏造するなら、

「なぜそうであってはいけないのか」

となることだろう。

>  実際はどんな質問もありえないのだ
>  ──
>  「なぜ」も
>  「なぜそうであってはいけないのか」も。
>  なぜなら、
>  実際はどんな質問者もいず、
>  ただ観念しかないからだ。
>  顕現は夢のようなものである。
>  なぜ夢は起こるのだろうか?

だが実際は、

どんな質問のありえない。

「なぜ」もなければ、

「なぜそうであってはいけないのか」

もない。

なぜなら、

そこにはもともと

どんな質問者も存在していないからだ。

ただ観念のパターンが

点滅しているだけだ。

顕現とは夢のようなものだ。

なぜ夢は起こるのだろうか?

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

   ………○…………○…………○………

▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


   ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

こうして長々と

ラメッシ・バルセカールの

本の中の言葉を写しながら、

見られた夢の中の台詞を

書き連ねています。

他にできることもないので。(*^_^*)

もう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2021 paritosho
──────────────────

home】 【挨拶】 【本棚】 【映画】 【N辞書】 【R辞書】 【随想】 【仕事】 【通信】 【連絡