home > 通信 >Oshoの「真実」と「現実」:『アセンション館通信』第877号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/02/07(第877号)
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している夢の場面の報告です。

 非現象が私たちの本質であり、現象は意識の中で私たちが
 分離した対象物として見えるものである。
 (『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在508名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.Oshoの「真実」と「現実」

2.編集後記
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■ 1.Oshoの「真実」と「現実」
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今日も春のような温かな晴天。

今日も庭の南側に造ったフェンスの

ペンキ塗りをしました。

土日はお遊び日。

仕事はせずにただ遊んでいます。

夢の中でとても恵まれている。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”にお付き合いいただく

今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

頭(と想像されるあたり)に

湧いてくる言葉に……

何らかの意味があると思わなければ

文章などかけません。(*^_^*)

そういう当然あった感覚が

どうも少し怪しくなってきている。

そもそも

何かを言いたいとか、

何かを考えたいという内圧がない。

長いこと土曜はマインド無礼講で

言いたいことはずっと

言いっぱなしで出してきました。

そしたらほんとに

普段から言いたいことが、

だんだん無くなってきてしまいました。

不平・不満や怒りなどは湧いてきません。

もちろん、折に触れて

不安や心配がいっさい湧いてこない

というわけでもありません。

でも、なんとなく、

夢の中で起こっていることに、

夢の登場人物ができることは何もない

という観念が湧いてきて、

夢の中の状況を中和してしまうのか、

たいていはそれで終わりです。

湧いてくる言葉に対する価値観が

ずいぶん低下したものです。

言葉をあまりありがたがらなくなった。

何よりも、

それを【自分が考えている】という

当然あった思い込みが薄弱になった。

たしかに、その場その場で

マインドはいろいろ理屈を編み出してきます。

そういうものはすべて

知覚的な刺激に対してその場で

もっともらしく振る舞おうとする

自動的機械過程だという了解が

なんとなくあるような気がします。

たとえば、

いろいろな情報や観念に触れると、

どっちの情報が正しいんだろうとか、

どの観念がより包括的なんだろう、

などという想念が湧いてきます。

それがマインドの役割ですから。

既知の中で比較考量を巡らせば、

なにか意味のある結論に到達できる、

かのように立ち回る……のが。

でもどうなんでしょう?

たとえば、

マハラジが展開する観念と、

ミナミAアシュタールが披露する観念の

どちらのほうがより包括的だとか、

どちらのほうがより真実に近い、

などという判断を下せる基準、

そんなものがありうるでしょうか?

誰か(……存在するとして)が

何かの観念を表現したとき、

その観念の正しさを

誰(どんな想念)が

どんな資格(どんな想念)で

判断するのか?

そしてその判断(想念)の正しさを

誰(想念)が誰(想念)に証明するのか?

言葉でこう書くと、

えらく七面倒臭い屁理屈にも聞こえますが、

そんななんとなくの感じがあるのでしょう。

言い方を換えると、こんな感じです。

たとえば、知ったかぶりがしたくて、

せっかくマインドが立ち上がろうとしているのに、

マハラジのこんな言葉が聞こえてきて、

凋むとでも言ったらいいのか。(*^_^*)

──────────────────
 私のグルに出会うまでは、
 私は非常に多くのことを知っていた。
 今、私は何ひとつ知らない。
 なぜなら、
 すべての知識は夢のなかだけにあり、
 根拠の確かなものではないからだ。
 私は自己を知っている。
 そして、
 私のなかには死も生もなく、
 ただ純粋な存在
 ――これでもあれでもなく、
 ただ在ることだけがある。
 
 『私は在る』(p281)
 http://tinyurl.com/s747u
──────────────────

> 私は非常に多くのことを知っていた。

私もかなり多くのことを

知っているつもりでした。(*-_-*)

ところが、いちどマハラジの

この言葉を聴くと……。

> 今、私は何ひとつ知らない。

え!(?_?)

> なぜなら、
> すべての知識は夢のなかだけにあり、
> 根拠の確かなものではないからだ。

こう言われちゃうと……。

知ったかぶりもだんだん肩身が狭くなる。

夢の中の物知り自慢ですからねぇ。

まあ、そういう言葉が

マインドの防御壁の隙間から

滴り落ちてきて積もってきたのでしょう。

最近Oshoの言葉を読む

機会があるんですが、

そのなかに

Oshoが「真実」と「現実」の

違いを語っている言葉があります。

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 真実は私のものでもなければ、
 あなたのものでもない。
 真実は誰にも属さないが、
 誰もが真実に帰属する。
 真実とは存在するものを意味する。
 それがこの言葉の厳密な意味だ。
 それはラテン語の語根「verus」から来ている。
 「Verus」は「存在するもの」を意味する。
 英語にはラテン語の語根「verus」の
 派生語である単語がわずかだがある。
 「was」「were」がそうだ。
 これらは「verus」から来ている。
 ドイツ語では「war」だ。
 それは「verus」から来ている。
 「Verus」とは、解釈されずに、
 存在するものを意味する。
 ひとたび解釈が入ってくると、
 あなたが知るのは現実だ。
 真実ではない。
 それが真実と現実の違いだ。
 現実とは解釈された真実だ。
 だからあなたが「真実とは何か?」
 という質問に答えた瞬間、
 それは現実になる。
 それはもはや真実ではない。
 解釈がそれに入った。
 マインドがそれを着色した。
 そして現実はマインドと同じ数だけ存在する。
 つまり多重現実が存在するわけだ。
 真実は一つだ。
 なぜなら真実が知られるのは
 マインドが存在しないときだけだからだ。
 あなたを私から分離し、他人から分離し、
 存在から分離しつづけるのはマインドだ。
 もしあなたがマインドを通して見るなら、
 マインドはあなたに
 真実の描像を与えることになる。
 それはただの描像、
 存在するものの写真にすぎない。
 そしてもちろん、
 写真はカメラによって、
 使われたフィルムによって、
 化学薬品によって、
 現像方法によって、
 印刷方法によって、
 撮影者によって異なる。
 そこには無数の要素が入ってくる。
 それが現実になる。

  『The Heart Sutra』
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博学のOshoですから語り口は饒舌ですが、

要するに、

【解釈されずに、存在するもの】

それが「真実」だというのです。

そして

【現実とは解釈された真実】のことだと。

だから、

このメルマガで話題にされることは

むろんすべて「現実」です。(^_-)

そして、

【現実はマインドと同じ数だけ存在する】

人の数と同じだけあるというのなら、

これはもう夢と言ったほうがいい。

つまり「現実」とは「夢」だ、

と言ってもいいわけでしょう。

だから「真実」を知りたいなら、

> 真実は一つだ。
> なぜなら真実が知られるのは
> マインドが存在しないときだけだからだ。

観念化はいっさいやめたほうがいい。

まあ、そういうことが

だんだん自明になってくるんですよね。(*-_-*)

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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何かができるような

自分という分離した実体は存在しない、

ということが身にしみてくると、

その程度に応じて楽になってくるようです。

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 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、
 あなたが夢のなかのある部分が好きで、
 別の部分が嫌いだということだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、
 為すべきことはすべて為し終えたのだ。
 
 『私は在る』(p135)
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> すべてを愛すがいい。
> あるいは何も愛さないことだ。

まったくです。

> あなたが夢を夢として見たとき、
> 為すべきことはすべて為し終えたのだ。

(-||-)

もう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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