home > 通信 >再論「意識は誕生できない」:『アセンション館通信』第883号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/03/21(第883号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在509名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.再論「意識は誕生できない」

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.再論「意識は誕生できない」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なにか微かな唸りのような

木を切るチェーンソーの音が

遠くから響いてきます。

今日は雨が降る天気予報だったようだけれど、

きっと夜になってから降り出すのでしょう。

いまはまだ明るい曇天です。

庭の正面南端のレンギョウが

黄色い花をつけ始めました。

これからが一年中でいちばん

庭が華やかになる時期です。

相変わらず飽きもせずに

恵まれた状況を夢見つづけています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariへの

一体化が緩みはじめている意識です。

先週につづいて今週も

Kubo さんから個人メールをいただきました。

こうして反応いただけることは

『アセ通』を書きつづける上で

とてもありがたいです。

何の反応もない中で

よくぞこんなに書き続けられるものです。(^_-)

pariとはそのような微妙な塩梅で

創造されている道具なのでしょう。

ミナミAアシュタールふうに言うなら

そのような組み合わせのツールを

選んできたとでもいうか…。

今回も Kubo さんの許可を得て

書きはじめのスプリングボードの

役割を担っていただこうと思います。

件名:【三次元仮想現実】
──────────────────
 Pari様
 
 今回のメールは、
 いつもよりも増して、ワクワクしました。
 
 ありがとうございました。
 
 以前、娘も私にその話をしていました。
 
 「もし、
  我々が身体と脳だけであったとしたら、
  我々の自我がこの世界をリアルに見せ、
  この世界に閉じ込めようとして、
  あらゆるテクニックを使っているなんて
  ちょっとでも考えられるだろうか?」
 
 ミナミAアシュタールの表現を借りれば、
 
 もし、我々が超高性能の
 3DVR(三次元仮想現実)視聴ゴーグルのみであり、
 この道具は解放を求めてもいなければ
 解放される必要もないのだとしたら、
 当の道具がこの世界を仮想現実だと想像し、
 解放されることを求めるだろうか?
 
 これに対する即物的な応答は一つ考えられます。
 
 人間以外の脳の発達していない生命体は
 まさにそういう状態であり、
 この世を三次元仮想現実とは
 一切考えていないだろう。
 ということは我々の進化が
 どこかで常軌を逸してしまったのだ。
 この世を仮想現実と想像してしまうこと自体、
 精神の病なのだ。
 現実逃避であり、
 パラノイア(妄想症)なのだ。
 これは我々の脳が発達したことによる
 望ましからぬ副産物だ。
 しかし我々に文明をもたらしたのも
 この脳の発達であることは紛れもない事実だ。
 要はバランスの問題なのだ。
 ちょうど核が原爆とクリーンエネルギーを
 もたらすのと同じこと。
 
 これはなかなか説得力のある意見です。
 
 しかしここで
 再度別の問いかけを自分にしてみます。
 
 「もし我々が肉体精神機構のみであり、
  脳の異常な進化によって
  妄想を引き起こすのだとしたら、
  この肉体精神機構(自我)を
  俯瞰することができるということ、
  それを突き詰めて行くと
  そこには純粋な気づきがあることを
  体験することができるだろうか?」
 
 系の外にある自分を発見すること、
 頭で思い描くのではなく、
 体験すること。
 実感すること。
 それがけっして掴めるものではなく、
 言葉で表現できない、
 手ですくいあげた砂のようなもの、
 つまり「空」であるからこそ、
 かえってリアルなのだということに
 ならないでしょうか。
 なぜなら形になっているもの、
 掴めるもの、
 概念化できるものは
 必ず疑うことができるからです。
 
 Kubo
──────────────────

Kubo さん

今回もメールをいただき

また話題として取り上げることを

許可していただいてありがとうございます。

今後は投稿フォームから
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

ご投稿いただけるとのこと

感謝しています。(-||-)

こうして反応していただけると

超越的な鏡にも還っていない身としては

本当に書くエネルギーになります。

> Pari様
> 
> 今回のメールは、
> いつもよりも増して、ワクワクしました。

そうですか。嬉しいです。(^^)/

> ありがとうございました。

こちらこそです。

> 以前、娘も私にその話をしていました。
> 
> 「もし、
>  我々が身体と脳だけであったとしたら、
>  我々の自我がこの世界をリアルに見せ、
>  この世界に閉じ込めようとして、
>  あらゆるテクニックを使っているなんて
>  ちょっとでも考えられるだろうか?」

娘さんは、

そういうタイプの方なんですね。

> ミナミAアシュタールの表現を借りれば、
> 
> もし、我々が超高性能の
> 3DVR(三次元仮想現実)視聴ゴーグルのみであり、
> この道具は解放を求めてもいなければ
> 解放される必要もないのだとしたら、
> 当の道具がこの世界を仮想現実だと想像し、
> 解放されることを求めるだろうか?

ミナミAアシュタール的には

特注の3DVR視聴ゴーグルを選んできたのは

「わたし」というスピリットという

ことになるんでしょうね。

そして、

それらたくさんのスピリットは

絶対無限の存在が夢見ている夢の中の

存在だという言い方になるようです。

> これに対する即物的な応答は一つ考えられます。
> 
> 人間以外の脳の発達していない生命体は
> まさにそういう状態であり、
> この世を三次元仮想現実とは
> 一切考えていないだろう。
> ということは我々の進化が
> どこかで常軌を逸してしまったのだ。
> この世を仮想現実と想像してしまうこと自体、
> 精神の病なのだ。
> 現実逃避であり、
> パラノイア(妄想症)なのだ。
> これは我々の脳が発達したことによる
> 望ましからぬ副産物だ。
> しかし我々に文明をもたらしたのも
> この脳の発達であることは紛れもない事実だ。
> 要はバランスの問題なのだ。
> ちょうど核が原爆とクリーンエネルギーを
> もたらすのと同じこと。
> 
> これはなかなか説得力のある意見です。

フーム。

pariが慣れ親しんできた観念構成からいうと

いろいろ思考がわき起こりますが。(*^_^*)

まずはお話を伺いたいと思います。

> しかしここで
> 再度別の問いかけを自分にしてみます。
> 
> 「もし我々が肉体精神機構のみであり、
>  脳の異常な進化によって
>  妄想を引き起こすのだとしたら、
>  この肉体精神機構(自我)を
>  俯瞰することができるということ、
>  それを突き詰めて行くと
>  そこには純粋な気づきがあることを
>  体験することができるだろうか?」

この部分でも同じような感じが浮上するので

後で触れたいと思います。

> 系の外にある自分を発見すること、
> 頭で思い描くのではなく、
> 体験すること。
> 実感すること。
> それがけっして掴めるものではなく、
> 言葉で表現できない、
> 手ですくいあげた砂のようなもの、
> つまり「空」であるからこそ、
> かえってリアルなのだということに
> ならないでしょうか。

なるほど。

> なぜなら形になっているもの、
> 掴めるもの、
> 概念化できるものは
> 必ず疑うことができるからです。

それはありますよね。

今回のメールの内容を伺って、

pari的なマインドに浮上してくるのは、

【<意識>は誕生できない】

という観念にまつわる思いでした。

これはおそらくこの夢の中にpariが

一つのツールとして持ってきた何か、

波動世界全体の中での

ある種のゲーム上の役割として

持ってきたものだろうと思います。

このメルマガでは

これまで何度もご紹介していますが、

以前、『21世紀へ指導原理 OSHO』
https://amzn.to/2EOmyyg

という本を書いたことがありました。

そのなかに「海辺の家」という章があります。
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_08umibe.html

そしてこの「海辺の家」という文章が

結局どういうことを意味しているのか

その結論部分を次の

「物質過程は表現手段にすぎない」
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_13m-process.html

という文章に書いたわけです。

この文章を書いたときは、

pariというマインドの中では

エネルギーが活性化していて

当人は非常に高揚しています。(*^_^*)

文章の中の意気込みというかハイテンションでも

お察しがつくかもしれませんが、

大きな論理的証明をしたようなつもりでした。

ところがその後で少しずつ

澱のようにpariに溜まってきたのは、

この文章が何を言っているのかは、

もしかしたら人にはあまり通じないのかもしれない

という印象でした。(*^_^*)

そしてじょじょに

そもそもここで書かれているようなことは、

同意が得られるような人々の間では

あまりにも当たり前のことなので

ことさら取り立てて言うようなことでもなく、

また同意が得られない人々の間では

いくら言っても通じるような話ではないのだ、

と思うようになりました。

まあミナミAアシュタールが

語るような物語的文脈になりますが、

このテラという惑星では

長年に亘って強烈なマインドコントロールが

体制的に行われてきたわけです。

宇宙広しといえども

生命はこの惑星上にしか存在しない、

などと信じ込ませるために展開されている

この惑星上の教育システムです。

もともと地球上の現人類自体が

この惑星上の固有種とレプティリアンの

DNAハイブリッド種として

レプティリアン自身の手になるDNA操作で

創造されたの奴隷種族だそうですから。

むろんこういう話はすべて

夢の中の風景の話ではありますが。

話しが逸れたのでもとに戻します。

要するに、

「海辺の家」と

「物質過程は表現手段にすぎない」

という二つの文章が言っていることは、

【<意識>は誕生できない】

という一つのフレーズに

まとめることができる内容でした。

出口王仁三郎的な表現で言うなら、

「霊主体従」です。

どういうことかというと、

pari的マインドの一言で言うなら、

【無意識の物理過程から

 意識が誕生することなどありえない】
 
ということです。

ここで「無意識の」というのは

「偶発的過程で」と言い換えられる意味合いです。

つまり、

「無意識」であるものの中から、

「無意識」の偶発的過程をつうじて

「意識」が誕生することなどありえない、

ということを述べたものです。

いまのpariの知見で端的に表現するなら、

(無意識の)知覚対象物の偶然の展開過程から、

どうやって知覚主体が発生できるのか?

ということです。

地球という惑星上のアカデミックな世界では、

生命というのは、大なり小なり

「無意識」であるものの中から、

「無意識」の偶然過程をつうじて

誕生したというお話になっています。

たとえば、

【生命の誕生】というクエリで

サイバー空間をググってみると

このようなウェブサイト↓が検索されてきます。
https://tinyurl.com/dy49jyty

たとえば中には

絵画的にわかりやすく説明したサイトとして

「地球46億年の歴史と 生命進化のストーリー」
https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/04/

があって、その中に

いくつかの画像を添えて

「初めての生命は海の中で生まれた?」

というような文脈が展開されます。

「JAMSTEC 国立研究開発法人海洋研究開発機構」

サイトの説明ページですから、

アカデミックな機関が一般人向けに

叙述展開した生命誕生のイメージ

と言ってもいいだろうと思います。

またもう少し学術的な雰囲気の説明ページとしては

ニュートン別冊 生命の誕生と進化の38億年
https://tinyurl.com/mm56h7hm
だとか、

『ウィキペディア(Wikipedia)』の

生命の起源
https://tinyurl.com/umvbw4th

が見えています。

中を見るとこんなふうな叙述があります。

──────────────────
 現在、地球上の生命の起源に関しては
 大別すると三つの考え方が存在する。
 第一は、
 超自然的現象として説明するものであり、
 例として挙げると
 神の行為によるものとする説や
 インテリジェント・デザイン説がある[2]。
 第二は、
 地球上での
 化学進化の結果と考える説である。
 第三は、
 宇宙空間には
 生命の種のようなものが広がっており、
 それが地球に到来した結果
 生命が誕生したという説
 (パンスペルミア説)である。
 
 出典: フリー百科事典
      『ウィキペディア(Wikipedia)』
 https://tinyurl.com/umvbw4th
──────────────────

ああ、現在ではアカデミックな世界観でも、

「インテリジェント・デザイン説」なんてのが

出てきているんですね。(@_@)

しかしこの「超自然説」
https://tinyurl.com/4483849x
というのを見ると……、

なんと……これは主として

「神話」や「創世神話」など

代表としては

ユダヤ教『トーラー』(『モーセ五書』)の

『創世記』が挙げられているのですから、

もっとも未開な説として軽く最初に

触れられている感じです。

まあ、その意味では「海辺の家」が

書かれたころと変わっていない。

このページでその下に紹介されているのは

「化学進化説」
 ・新たな有機物生成過程
 ・衝突によるアミノ酸の合成
 ・地球外からのアミノ酸の飛来
 ・表面代謝説
「ワールド仮説」
 ・DNAワールド仮説
 ・RNAワールド仮説
 ……

といった説ですから……、

これらの“生命誕生過程”仮設はすべて

要するに

無意識の物質的材料(の偶発的過程)から

生命(&意識)が誕生したというお話です。

まあそういった

無機的(無意識的・偶発的)物質運動から

生命が誕生して、

その生命体の進化の歴史の中で

自省的な意識が誕生したというお話が

いかに荒唐無稽でありえない作り話であるかを

視覚的イメージで描いたつもりだったのが

「海辺の家」という文章でした。

ここで書かれた内容が何を意味するかを

まとめたのがその後に書かれた

「物質過程は表現手段にすぎない」とい文章です。

──────────────────
 単なるフィルムの逆回しではなく、
 現に海辺の一軒の家が立ち現れたのが、
 私たちのこの生命世界が現象しているのが
 現実だとすれば、
 その背後には必ずその家をイメージし、
 ビジョンし、
 そして作り上げた<意識>を
 前提せざるをえない。

 これは数学的に確実なことだ。
 ……
 いかに膨大な時間で化粧しようとも、
 物質過程からの<意識>の“発生”など
 「竜巻がジェット機を吹き寄せる」
 可能性よりもありえない。
 ……
 コンピュータの発展を、
 シリコンチップの自律的な発展と
 考えることができないのと同じように、
 人間の自省的<意識>に到るまでの
 地球上の生命の展開を、
 DNA二重螺旋のような、
 いわばある種の部品の自律的発展と
 考えることはできない。
 自省的<意識>に到るまでの生命の発展を、
 物質次元での無意識的な、
 偶然の自律運動に還元することなど
 できないということだ。
 自省的<意識>に到るまでの
 全生命の“発展”の背後には、
 どうしても最初から<意識>の存在が
 前提されなければならない。
 <意識>は、誕生できないのだ。
 
 『21世紀への指導原理 OSHO』(p163-166)
 https://www.ascensionkan.com/work/04comp_13m-process.html
──────────────────

まあ、気取ったというか、

堅苦しい物言いですが気持ちはわかります。

たとえば、

JAMSTEC 国立研究開発法人海洋研究開発機構
「地球46億年の歴史と 生命進化のストーリー」の

「初めての生命は海の中で生まれた?」では

──────────────────
 その後、
 海が安定して存在できるようなった38億年前頃、
 ついに生命が海の中で誕生したようです。
 ……
 時を経て5億4000万年前「カンブリア紀」になると、
 生物は海の中で目覚ましい進化をとげ、
 現在いる動物の体の
 基本的な構造を持つ動物も誕生しました。
 爆発的にさまざまな種が生まれ進化したことから、
 「カンブリア紀の生命大爆発」と呼ばれています。
 
 https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/04/
──────────────────

というような記述がなされています。

しかし地上の教育システムを通り抜けて

アカデミックな世界までたどり着けるような方々は、

こういうお話に疑問を持つことはできないでしょう。

失うものなど何もない人間だけが

こういう作り話に反論できるのです。

とはいえ、もちろん、

どこからも相手にはされませんが。(*^_^*)

まあそれはともかく、

「海辺の家」という文章を書いたとき、

それが本当にストレートに意味していることを

pariは理解していませんでした。

つまり、

もし物質過程から意識が誕生する

という事態が実際にありえないとするなら、

そのことが端的に暗示しているのは

どういうことかということを、

明確には認識できていませんでした。

【物質過程】 ⇒ 【意識】

が本当にありえないのなら、

実際に残っている可能性は

【意識】 ⇒ 【物質過程】

しかありません。

つまり、

【物質過程】を生じさせているのは

【意識】だということです。

より端的に単純な表現で言い換えるなら、

【物質過程(現象世界)】というのは

【意識】が見ている【夢】だということです。

そういうことを

ゆっくり時間をかけて理解するために

pariは生きられていたようです。

長い長い前置きをさせてもらいました。

Kubo さんの次のような文面を読んで

> しかし我々に文明をもたらしたのも
> この脳の発達であることは紛れもない事実だ。
> 要はバランスの問題なのだ。
> ちょうど核が原爆とクリーンエネルギーを
> もたらすのと同じこと。
> 
> これはなかなか説得力のある意見です。

pariにどんな思考が生じてきたか

何となくお察しいただけるかもしれません。

けっして

揚げ足を取ろうとしているのではありません。

ただ Kubo さんの上記の文面からは

「脳の発達」が「文明をもたらした」

「ことは紛れもない事実だ」という思考が

透けて見えるのは事実です。

これはこの惑星上の物言いとしては、

ごく普通の考え方ですし論理展開です。

でも「海辺の家」的な観点からすると、

そのような抽象化の論理そのものが

ありえない現象を前提にしているように

思われるわけです。

無意識的・化学的・偶発的過程から

意識世界「文明」が発生したというのですから。

揚げ足取りではないので

そのつもりで読んでくださいね。

地球ではごく普通の論理展開ですから。

> しかしここで
> 再度別の問いかけを自分にしてみます。
> 
> 「もし我々が肉体精神機構のみであり、
>  脳の異常な進化によって
>  妄想を引き起こすのだとしたら、
>  この肉体精神機構(自我)を
>  俯瞰することができるということ、
>  それを突き詰めて行くと
>  そこには純粋な気づきがあることを
>  体験することができるだろうか?」

ここで展開されている論議は、

物質的・偶発的・自然過程と想定される

「脳の異常な進化」が

「妄想」という意識過程を展開する

という事態についての思考です。

ここでは

「脳」という物質的部品が、

無意識的・偶発的自然過程によって進化を遂げ、

それがついには「純粋な気づき」の存在に

「気づく」ことがありうるという思考です。

単純化して言うなら、

知覚の対象物間に偶発的に発生した

様々な相互干渉の中から知覚主体が誕生した

という物語です。

無意識の物質的部品の偶発的過程から

どうやって「気づき」が誕生できるでしょうか?

無意識の物質的部品が

どうやって意識を構成できるでしょうか?

そもそも無意識がどうやって

意識に憧れることができるでしょうか?

「コンピュータの発展を、
 シリコンチップの自律的な発展と
 考えることができない」
 
と書いたのはそういう意味合いでした。

pariの思考が

マハラジの言葉に引き寄せられ、

マハラジから生じる方便に

納得し晒されざるを得なかったのは

そういうわけです。

しかしだからと言って、

pariの思考が正しく

Kubo さんの思考が間違っている

と言いたいわけではありません。

pariの思考がただの認識の対象物であるように

Kubo さんの思考もただの認識の対象物です。

今というこの永遠の中に

そのpariの思考が含まれているように、

Kubo さんのこの思考も含まれている。

どちらもこの永遠の波動というユニシティの

一瞬の様相の模様の一部にすぎません。

pariという生命過程の

昔の姿を思うことがあります。

ああ、

あの思いも、

今この瞬間の波動シャボン玉の模様の一部なんだと。

あらゆる瞬間に

気づいている意識は「私」しか存在しない。

> 系の外にある自分を発見すること、
> 頭で思い描くのではなく、
> 体験すること。
> 実感すること。
> それがけっして掴めるものではなく、
> 言葉で表現できない、
> 手ですくいあげた砂のようなもの、
> つまり「空」であるからこそ、
> かえってリアルなのだということに
> ならないでしょうか。

そうなんでしょうね。

何であれ定義を担ったものは、

「私」ではありえないのでしょう。

現象への興味がまったく消えたら、

そして意識の内容物がすべて消滅したら、

マハラジたちがよく言うように、

【何も起こっていない】

のだと思います。

Kubo さん、

お付き合いいただき

ありがとうございました。<(_ _)>

もしまたご投稿いただけるようなら嬉しいですが。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

   ………○…………○…………○………

▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


   ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

相変わらず、

土曜日だけ

めちゃくちゃマインド無礼講が

起こっているようです。

断食が起こるまで。

暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2021 paritosho
──────────────────

home】 【挨拶】 【本棚】 【映画】 【N辞書】 【R辞書】 【随想】 【仕事】 【通信】 【連絡