home > 通信 >二つの選択:『アセンション館通信』第885号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/04/04(第885号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在505名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.二つの選択

2.編集後記
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■ 1.二つの選択
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この季節は本当に美しいです。

この文字が現れるモニターから

顔を左にずらして前方を見ると、

右手に濃いピンクの花桃が見えています。

その下のレンギョウの黄色。

左手に薄桃色の山桜。

その背景右手にある猪の頭部のような近景の山。

鼻面の先を上に向けて縦に流れる川。

視界を限る遠景の山というか台地。

視界の上半分の空は今日は大部分が

ゆったりとした雲で覆われています。

ときどき雲間から日差しが現れて

一瞬眼前のデッキを照らし出します。

まあ身体を離れると

こういうものが見えなくなるのでしょうね。

見えている間はその光景を楽しめばいい。

相変わらず飽きもせずに

恵まれた状況を夢見つづけています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariへの

一体化が緩みはじめている意識です。

今回もKuboさんからご投稿いただきました。

こうして反応していただくと

立ち上がるマインドの焦点になるので

とても助かります。(-||-)

今回はとても短く書いていただいたので、

またこの冒頭でご紹介させていただきます。

──────────────────
 再度ゆっくりと読ませてもらいますし、
 ミナミAアシュタールについても
 知りたいと思いますが、
 とりあえず、
 すぐにお伝えしたくメールいたしました。
 (私は非二元もさることならがら、
  アセンションについても全く無知でした。)
 
 ありがとうございました。
 恥を忍んで質問してよかったです。
 意識について一つ整理できました。
 娘へのアドヴァイスもとてもありがたかった。
 とても実践的です。
 
 正直に言って、
 今の私の気分はゾクゾクしているという感じです。 
 
 その前に一つだけ教えてください。
 
 Pariさんの「アセンション館通信」
 という題名を見て、
 中身を読んでいくと
 最近の内容のほとんどは
 ニサルガダッタであり、
 「アセンション館通信」に行きついた人は
 「アレッ?」と思うんじゃないでしょうか。
 それともニサルガダッタと
 〇〇星人というのは必然的につながっているのに
 私だけが知らなかったのでしょうか?
 
 PariさんのミナミAアシュタールの話と
 ニサルガダッタの話はどのように
 Pariさんの中で位置しているのですか?
 ニサルガダッタが〇〇星人の話を
 したことがありましたっけ?
 パパジが
 この現象世界という夢から目覚めるという話は
 他のどの星の転生でも聞いたことがない
 と言っていたとは驚きでした。
 (恥ずかしながら「覚醒の炎」は
  買ってあるのにまだ読んでいなのです。)
 
 ニサルガダッタに言わせれば
 輪廻転生も何も起こっていないのですから、
 〇〇星人の話も起こっていないはず。
 「マインドのレベルでの理解は観念化を意味し、
  それゆえ、完全に幻想である」
 のなら、
 〇〇星人の話も幻想ですよね。
 
 でもゾクゾクしていると
 先ほど申し上げましたのは
 実はこの〇〇星人の話が
 変に気に入っている私がいることを
 発見したからです。
 
 また書くかもしれません。
 
 kubo
──────────────────

kuboさん、

今回もご投稿、ありがとうございました。<(_ _)>

こうして合いの手を入れていただくと、

あらためてこれまでの流れを

振り返ってみたりすることができて、

それはそれで楽しいことです。

現象世界は遊びですから、

楽しいのがいいかもしれません。(^_-)

もちろん、

深刻で大変なゲームも

それはそれでやり甲斐もあるでしょうが、

このpariという個性の場合は

それが少し長すぎたので、

もうとてもそういう展開で遊びつづける

エネルギーはありません。(*^_^*)

だから、まあ

こうしてkuboさんが参加してくださって、

お気軽で愉しいストーリー展開へと

切り替わっているのだろうと思われます。

こうして合いの手を入れていただくと

思い出話も愉しいですよね。

なにしろpariにはどんな責任もなく、

また絶対的主体の意識としては、

自動展開されるの束の間の光景を

ただ見ているだけなのですから。

そこで現象する知覚対象への

どんな一体化マインドが起ころうとも、

それもまた束の間の光景の一画面にすぎず、

当の知覚対象物であるpariにも

現象世界を展開して自らの内部に

映し出している意識の鏡にも、

責任とかいう問題はありえないわけです。

では誰が苦しんでいるのか?

知覚の対象物に一体化することで

全現象世界の中を泳いでいる

と想像しているその虚構の観念、

普通の言葉でいう「自我(エゴ)」、

マハラジがいう「偽実体」、

マイケル・ラングフォードがいう

「Imposter(詐称者)」だけが、

ひたすら新たな虚構の分離を再創造し、

“自己”と“他者”を識別しながら、

経験を苦しんでいるわけです。(*^_^*)

しかし「自我(エゴ)」というのが

虚構の観念であるなら、

そんな実際には存在もしていない

「偽実体」が苦しむことなどできるのか?(@_@)

存在してすらいないものが

どうして苦しんだり楽しんだりできるのか?

いったい誰が、何が苦しんでいるのか?

……というなら、

もちろん、

その「偽実体」に一体化して、

エネルギーを注いでいる

【あなた】が苦しんでいるのです。(*^_^*)

もし【あなた】が

その「偽実体」を掴んでいる手をパッと放したら、

もう経験を苦しむ者はどこにもいない。

<意識>は絶対的主体性でありながら、

同時に潜在可能性というエネルギーでもある。

そのエネルギーは「何か」ではない。

しかし「何に」でもなれる。

そしてそのエネルギーが「何か」に成るとき、

それは「何か」以外ではないことによってしか、

「何か」に成ることはできない。

それが顕現(=現象)という働きを統べる

「二元性の原理」の一つの側面でしょう。

この「二元性」の一面を

埴谷雄高さんは《自同律の不快》

という言葉で表現したわけです。

では、

Kuboさんに、

合いの手を入れてもらいましょう。

> 再度ゆっくりと読ませてもらいますし、
> ミナミAアシュタールについても
> 知りたいと思いますが、
> とりあえず、
> すぐにお伝えしたくメールいたしました。
> (私は非二元もさることならがら、
>  アセンションについても全く無知でした。)

そうでしたか。

pariという個性の場合は、

一頃しっかり“アセンションオタク”

をやっていました。

前世紀の終わり近く

『21世紀へ指導原理 OSHO』(1994年発行)
https://amzn.to/2EOmyyg

を上梓したころから、

当時急速に本屋の棚に並びはじめた

精神世界本を片っ端から手にとって読んだものでした。

そして仲間内で提供してもらった

ウェブ空間でそんな精神世界本の紹介記事を

載せはじめたのでした。

「アセンション資料館」というのは

「本棚」から始まったわけです。
https://www.ascensionkan.com/books/

> ありがとうございました。
> 恥を忍んで質問してよかったです。
> 意識について一つ整理できました。
> 娘へのアドヴァイスもとてもありがたかった。
> とても実践的です。

わかりませんが、

Kuboさんから伝えられた

娘さんの言葉からは、

ニサルガダッタよりはむしろ

ミナミAアシュタール情報のほうが

親和性があるのではと感じられたのです。

これからの世の中の方向性ですから。

> 正直に言って、
> 今の私の気分はゾクゾクしているという感じです。 

ありがとうございます。

> その前に一つだけ教えてください。

はい。

> Pariさんの「アセンション館通信」
> という題名を見て、
> 中身を読んでいくと
> 最近の内容のほとんどは
> ニサルガダッタであり、
> 「アセンション館通信」に行きついた人は
> 「アレッ?」と思うんじゃないでしょうか。

たしかに。(^_-)

> それともニサルガダッタと
> 〇〇星人というのは必然的につながっているのに
> 私だけが知らなかったのでしょうか?

古くからこのメルマガを

読んでくださっている方はご存知ですが、

『アセンション館通信』というのは

2004年2月末の創刊ですが、

最初の1号〜100号のタイトルからわかるように、
https://www.ascensionkan.com/mm/index_0.html#1

創刊当初はもろ“アセンション情報”的話題を

書き散らしていたのです。

マハラジの『私は在る』が

初めてメルマガタイトルに現れるのは

2005,10/30に配信された

『アセンション館通信』第88号でした。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol088.html#1

ふふ。

pariさんだいぶ慌てふためいていて。(*^_^*)

まあ、

pariのマハラジ理解は

このあたりから始まったわけです。

マハラジの言葉の確信の度合いは

まったく手が届かない感じがしましたが、

語られる内容はpariが求めるもののまさに核心でした。

でその次の『アセ通』101号〜200号のインデックス
https://www.ascensionkan.com/mm/index_1.html#1

を眺めていただくとわかりますが、

113 絶対的な完成は今ここ【写経開始】(2006,04/23)
https://www.ascensionkan.com/mm/vol113.html

あたりから「写経」と名づけて

マハラジの言葉を文字起こししながら

pariなりの理解を書きはじめるわけです。

良太さんという方に

「ニサルガダッタの『私は在る』を買って読んでも、

 いまいち意味がよくわからない。

 pariさんふうの解釈を聞かせてくれないか」

みたいなことを言われて、

すっかりその気になったのです。

まあpariという身体はそんなことの道具として

誕生させられたということなのかもしれません。

遠慮もしなければ、

誰にも断らずにそんなことをしてもいいのか?

なんて心配するほどの知恵もない。(^_-)

まあ、

そういう塩梅に調整された精神身体構造だったのでしょう。

もちろん、マハラジが知ったら許さないでしょう。

あるいは、許すのかもしれません。(*-_-*)

それはともかく、

その写経開始5ヶ月後(2006.9.17)、

突然『アセ通』の休刊が告知されます。

pariさん本人が急患になって。(*^_^*)

『アセンション館通信』第135(シャーラ配信)
https://www.ascensionkan.com/mm/vol135.html

途中で転院があったりして

合計一月半ほど入院するのですが、

ほぼ2ヶ月ほど休んだのち、

2006/11/12に

『アセンション館通信』vol.136で

【再開の弁、あるいはマントラ「私は在る」】

という記事を書きます。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol136.html

要するにそれまで

──────────────────
 ◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
 
 このメルマガは“アセンション情報の
 広告塔メルマガ”です。
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と書いていたそのままの路線では、

再開できなくなったと書いています。

そのままただ消えていく

という方向性はありえたはずですが、

pariさんの運命(興味)では

そうはなっていなかったようです。

また、

まぐまぐのメルマガタイトルは

書き手の都合で勝手に変更はできませんので、

『アセンション館通信』という

そのままのタイトルで

「私は在る」噺を続ける

という現在の形になったわけです。

そういう過程でほとんど

アセンション情報というものに興味を失い

触れることもなくなっていたのですが、

2019年の暮になぜか

「ところでアセンション情報というのは

 今はどうなっているんだろう?」

という疑問がよぎりました。

そして【アセンション情報】というクエリで

ググってみたというわけです。

そうやって出会ったのが

ミナミAアシュタール情報でした。

そこで披露されていた情報は

pariがこれまで触れてきたかぎりでは

とても上質なアセンション関連情報と感じられました。

いまはこれほどの情報が語られる時代になっているのかと

正直驚きました。

それで、

2019年暮れの最後に
https://www.ascensionkan.com/mm/index2019.html#1

【ミナミAアシュタールさんのこと】
https://www.ascensionkan.com/mm/vol819.html#1

という記事を書いたわけです。

> PariさんのミナミAアシュタールの話と
> ニサルガダッタの話はどのように
> Pariさんの中で位置しているのですか?

こういう本質的な話は、

ずっと読み続けてくださっている方は

(もしそういう方がいるとしてですが)、

ちょっと聞いてくれそうもないですね。(^_-)

こうして端的にズバッとは訊いてもらえないものです。

その意味でpariとしてはとてもありがたいです。

こうして訊いていただいたということは、

いちど整理するタイミングなのかもしれません。

ミナミAアシュタールの話と

ニサルガダッタの話のpariの中の位置づけ……。(-_-;)

マインドはすべて意識の内容ですよね。

この「ミナミAアシュタールの話」とか、

「ニサルガダッタの話」というのは、

それぞれ観念の集合だと思いますが、

それぞれの観念集合を束ねる

「ミナミAアシュタール」とか

「ニサルガダッタ」という名前は、

通常の括り方(符牒の付け方)では

「人格」と表現してもいいと思います。

でも、「人格」と言ってしまうと

たとえば、寿命(想定される時間範囲)とか

知識(アクセス可能な情報範囲)といった

この地球社会で想定されるいろいろな属性が

くっついて来る感じもあります。

「ミナミAアシュタール」と

「ニサルガダッタ」というこのお二人の場合は、

「人格」という符牒が

あまり似合わない方だとは言えそうです。

なのでもう少しニュートラルな感じで

意識空間での「立場」というスタンスで、

お二人の感じに触れてみたいと思います。

このお二人の「立場」は、

とても似たところと

正反対なところがあります。


  ………○………○………○………


●(1)「ミナミAアシュタール」と
   「ニサルガダッタ」の似たところ

それはこのお二人の言葉に

まったく個人性が感じられないことです。

つまり、

語っている観念に対する一体化が

ほとんど感じられないわけです。

「ほとんど」と言ったのは、

このお二人に主張がないわけでもない、

と感じられるからです。

明らかに、このお二人の意識エネルギーは

何らかの方向性をもって観念を放射している。

そしてその目指す方向性は

このお二人の中でとても違っている。


  ………○………○………○………


●(2)「ミナミAアシュタール」と
   「ニサルガダッタ」の正反対なところ

それはこのお二人の主張の方向です。

「ニサルガダッタ」という「立場」は

ご存知のとおり、

ジニャーニ(賢者)です。

ジニャーニとはナンノコッチャ、

ということになるかもしれないので、

ここではマハラジご本人に説明してもらうと。

──────────────────
 ジニャーニに重要な出来事というものはない。
 誰かが最高の目的を成就したときを除いては。
 そのときだけは、彼のハートも喜ぶ。
 それ以外のすべてに対して彼は関心がない。
 宇宙全体が彼の身体であり、
 すべての生命は彼の生命なのだ。
 都会でひとつの電球が消えたとき、
 それがネットワーク全体に影響を与えることはない。
 同じようにひとつの身体の死が
 全体に影響を与えることはないのだ。
 
 『私は在る』(p202)
──────────────────

とまあ、

こういう感じの意識の「立場」です。

では、このジニャーニは神をどう見ているか

ということですが、

マハラジはこんなふうに言っています。

──────────────────
 神はすべてを為すものであり、
 ジニャーニは無為の人だ。
 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
 神にとっては、ものごとは
 それ自体の本性にしたがって起こるのだ。
 ジニャーニにとっては、
 すべてが神によって為される。
 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
 神もジニャーニもともに、
 彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、
 移り変わるものの永遠の観照者であることを知っている。
 その中心は空なる点であり、
 観照者は純粋な気づきの点だ。
 彼らは、
 彼ら自身が無であることを知っている。
 それゆえ、
 彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
 
 『私は在る』(p105-106)
──────────────────

まあ、そういうことらしいのですが、

こういう言葉を聞いてpariに起こった連想は

物質的世界の根拠とも言える原子核の構造の話でした。

水素原子(軽水素)以外の原子核は

陽子と中性子という複数の核子が構成しているそうです。

それでどこで何を読んでできた連想なのか、

pariには

陽子から破壊と創造を司る動的側面が、

中性子から安定を司る観照的側面が

連想されるようになったようです。

つまり、

神という言葉から陽子的な何かが連想され、

ジニャーニという言葉からは中性子的な

何かが連想されるようになったということです。

宇宙(多次元現象世界)とは

<意識の海>という

永遠の不動に内在する潜在可能性が顕現した

永遠の変化(創造)とも言えるものでしょう。

するとそこには常に

永遠の変化を創造しようとするエネルギー方向と、

永遠の不動に回帰しようとするエネルギー方向が

あるのかもしれません。

ラマナ・マハルシもニサルガダッタも

すべての顕現がただの想像による

幻影にすぎないことを知っている

ジニャーニです。

そのため意識エネルギーのすべてを

内側に向けることを推奨し、

そのように働きかけます。

しかし、

同じだけのクリアな視界を持ち

あるいはより大きな情報に

アクセスできる能力を持っていながら、

ミナミAアシュタールが機能する

エネルギー方向は逆です。

ミナミAアシュタールは

より軽い波動の世界を望む人々に、

「エネルギーを外に向けてください」

と激励するわけです。

一頃pariがお付き合いしたEOさんなら
https://www.ascensionkan.com/mm/vol047.html#2

このミナミAアシュタールのような立場を

「医者」と呼んだかもしれません。

永遠の変化を管理運営する立場の方々、

動力の管理調整を司っていて

常に燃料供給の塩梅を管理しているという

とてもSFチックな図柄の中の役割ですが。(^_-)


  ………○………○………○………


●(3)二つの選択

現象世界として展開される意識内容の中で

異なる「立場」を比較することはできます。

というか地球の「偽実体」の誘導は

それだけを目指しているのかもしれません。

『プレアデス+かく語りき』の

メッセージの送り手たちは、

「一つの宇宙を完成させ宇宙から」

やってきたと告げています。

──────────────────
 私たちの祖先には、
 二つの選択がありました。
 一つは根本創造主のところに戻ること、
 それは、
 一つの動きにすぎないのですが、
 そして、
 根本創造主の振動数のなかに
 存在することでした。
 もう一つの選択は、
 継続でした。
 ある一つのかたちが完了したときには、
 さらにその活動を継続するのは普通なのです。
 彼らは、
 この宇宙に大使としてやってくる選択をしました。
 というのは、
 いつの日か、
 地球の人々もまた、
 完了の日を迎えるであろうことを
 知っていたからです。
 彼らは、
 プレアデス星雲にきました。
 それはプレアデス星雲は
 地球が最も困難なときに地球の人々に
 援助の手を差し延べるだろうことを
 知っていたからです。
 そして、
 その困難な危機を迎えたときに、
 あなた方、
 地球の人々は根本創造主とふたた
 一緒になる心構えができるであろうことを
 知っていたからです。
 
 『プレアデス+かく語りき』(p31-32)
 https://tinyurl.com/7t4xxv5y
──────────────────

ここでプレアデス人たちが

「根本創造主」という言葉で指し、

ミナミAアシュタールが

「絶対無限の存在」と言っているのは、

マハラジの言葉なら「純粋な意識」、

ラマナ・マハルシなら「真我」と

呼んでいる状態のことでしょうね。

> 私たちの祖先には、
> 二つの選択がありました。
> 一つは根本創造主のところに戻ること、
> 根本創造主の振動数のなかに
> 存在することでした。
> もう一つの選択は、継続でした。

と言っています。

言い換えるなら、

一つはあらゆる体験への興味を消尽させて、

ただ沈黙の安らぎの中に還ること。

もう一つは、

現象宇宙の中へと新たな創造の旅に

出ることだったのでしょう。

どちらの選択が優れているとか、

どちらの道を取るべきだと主張できる根拠は、

意識内容のどこを探しても

見つけることはできないでしょう。

すべては創造(=想像)なのですから。

> ニサルガダッタが〇〇星人の話を
> したことがありましたっけ?

いいえ。

マハラジはそういう話は語りません。

捨てることを決めたのなら、

そのゴミの内容について、

それほど詳しくなる必要はない、

という「立場」だろうと思います。

> パパジが
> この現象世界という夢から目覚めるという話は
> 他のどの星の転生でも聞いたことがない
> と言っていたとは驚きでした。
> (恥ずかしながら「覚醒の炎」は
>  買ってあるのにまだ読んでいなのです。)

そうでしたか。

この地球という惑星が

かなり特殊な世界であることは、

様々な意識体がそれぞれの観点から

語ってくれているようです。

日本の古神道系のご神示なども

それに入りますよね。

pariの身体の履歴のなかでは、

『火水伝文』(ひみつつたえふみ)

という世界とご縁がありました。

今回のアセンションが

七回目の最後のチャンスだというような

お話でした。

ミナミAアシュタールによれば、

それとはまた別のニュアンスのことが

伝えられていますが。

> ニサルガダッタに言わせれば
> 輪廻転生も何も起こっていないのですから、
> 〇〇星人の話も起こっていないはず。
> 「マインドのレベルでの理解は観念化を意味し、
>  それゆえ、完全に幻想である」
> のなら、
> 〇〇星人の話も幻想ですよね。

そういうことですね。

> でもゾクゾクしていると
> 先ほど申し上げましたのは
> 実はこの〇〇星人の話が
> 変に気に入っている私がいることを
> 発見したからです。

そうでしたか。

──────────────────
 解放への道には何も立ちはだかっていない。
 そしてそれは今ここで起こることができる。
 だが、
 あなたはほかのことにもっと興味がある。
 そしてあなたは
 その興味と闘うことはできないのだ。
 あなたはそれとともに行き、
 それを見抜き、
 それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
 それ自体が自ら暴くのを
 見守らなければならないのだ。
 
 『私は在る』(p475)
──────────────────

(-||-)

> また書くかもしれません。

また何か書いていただければ、

勝手な反応を起こすだろうと思います。

ありがとうございました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702


   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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「自由意志」と

「行為者はいない」ということ、

それは別に

矛盾したことではないのだな、

と思われてくるようです。

断食が起こるまで。

すっかり夜になりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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──────────────────

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