home > 通信 >「意味」とは?:『アセンション館通信』第886号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/04/11(第886号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在504名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「意味」とは?

2.編集後記
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■ 1.「意味」とは?
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今日もいい天気。

左手前方に見えている桜が風にそよぎ、

雲ひとつない青空の中へと

その花びらを舞い散らせています。

この季節は本当に美しい。

相変わらず飽きもせずに

恵まれた状況を夢見つづけています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariとの

一体化が緩みはじめている意識です。

このpariという精神身体機構は

北国の地方都市で

本屋の息子として生まれました。

文字を読むことを覚えてからは、

ただ読めそうな本に手を出していましたね。

自然に雑読傾向の個性が準備された。

子供のころはむろん、

物語にばかり手を出していました。

毎日学校から帰ってくると、

店からその日の一冊を決めると、

二階のおばあちゃんの部屋の縁側に潜り込み、

間仕切りの障子戸を締め切って

まわりの世界を締め出していました。(^_-)

そこに置かれた籐椅子に寝転んで、

ひとり物語の世界に入り浸っていました。

ポプラ社や偕成社のシリーズが提供する

世界文学の物語世界は滅茶苦茶面白かった。

こんなに面白いものがあるのに、

物語以外のものを読むなど想像もできませんでした。

やがて少し長じてから

東京という大都会に出ます。

昔『白馬の騎士』を読んで感動した少年は、

間もなくたくさんの挫折を経験し、

いまや自分の好みの物語世界は

ドストエフスキーの『白痴』だと

思いこむような青年になって……。

このpariという精神身体機構は

ラメッシ・バルセカールから又聞きした

人間の3タイプでいうと、

「筋肉緊張型」「内蔵緊張型」「頭脳緊張型」

の「頭脳緊張型」タイプだったようです。

身体を動かして体験することが人生、

感情を震わせて体験することが人生、

というよりは

知的に思考することが人生であるような

タイプの人間だった。

ドストエフスキーの

『カラマーゾフの兄弟』で言うなら、

長男ドミトリーは「筋肉緊張型」、

次男イワンは「頭脳緊張型」、

三男アリョーシャは「内蔵緊張型」

ということになるでしょうか。

『白痴』のムイシュキン公爵も

「内蔵緊張型」に分類されるのかもしれません。

ドストエフスキーという一人の作家が、

どうしてこの三様の人間を

描き分けることができたのか、

まったくの謎とでも言うしかありませんが。

ドストエフスキーもあれを書くべくして

準備された精神身体だったのでしょう。

経験を苦しむ対象物としては

本当に大変な人生だったでしょうね。

「頭脳緊張型」に属するpariの場合は、

何の目処もなく雑読の領域を拡大させるために

用意された道具だったのかもしれません。

というと、

それを意図し企画をした当人がいるようですが、

そうとも言えるし、そうでないとも言える。

ただ事実として、身体が動く前にどうしても

「いったい世界はどうなっているのか?」

と考えてしまうような人間になっていた。

同じタイプに属していても

“DNAの配合比率”や“育った環境”で、

一人ひとりまったく異なる人生を歩むでしょうね。

ひとつとして同じ人生はないのだから、

真似もできなければ、比較しても意味がない。

このpariという精神身体構造体は

実際には何の人生経験もない内から、

まるで【意味】を考えることが

人生であるかのように生きていました。

「本屋の息子」という育った環境は

そのためにはうってつけだった。

自分を顧みずに領域のわからぬ本に

手を出す習慣という“匙加減”は

そのために用意されていたのか。(^_-)

身分不相応に思考範囲の手を広げ、

とどのつまりは

<何故にすべては始まってしまったのか?>

といった途方もない思考を抱えて……。

「頭脳緊張型」が担当する思考の

その大前提とは【意味】です。

ある種の「頭脳緊張型」人間は、

人生の【意味】がわからなければ、

そもそも歩み出すことすらできないわけです。

可哀想といえば可哀想です。(*^_^*)

かくて「頭脳緊張型」に巣食う

「偽実体」の指令を受けて

pariは闇雲に思考領域の範囲を拡大します。

ただ配達される情報の刺激に反応して、

即物的に突き動かされて、

興味の範囲を広げていきました。

たとえば、

ドストエフスキーの『白痴』が好きなら、

小林秀雄の「『白痴』について」を

読むことにもなったでしょう。

そしてそれを読んだら読んだで、

その読みの深さに圧倒された。

またドストエフスキーの『悪霊』が

どうやら一番の愛読書であるらしい

埴谷雄高さんの『死靈』を読めば、

一種可能性の萌芽に出会ったような

不思議に高揚した気分も味わったでしょう。

それぞれの作品は、

他の表現で代替することのできない

固有の世界を展開していました。

しかしだからといって

この人生が何のためにあるのかを

教えてはくれません。

pariの人生の目的は

pariが自分で見つけなければならない。

その時々に触れる刺激に合わせて

何の節操もなく別の情報領域を

渉猟する運命にあったわけです。

どこから手を付けたらいいのか

わからなかったはずです。

地方の「本屋の息子」として

取次店の膨大な棚を眺め歩いたものでした。

あるときはマルクス学者の本を覗いたり、

地政学的あるいは陰謀論的な

情報空間にまで興味の範囲を広げながら、

そういうもの全体が必要な

どんな本質的な意味がありうるのか?と

ただいたずらに彷徨っていた。

あれは映画「黒いオルフェ」で

青年オルフェが消えてしまった

ユリディスを求めて

深夜の街を、病院から警察へと

彷徨い歩く姿にも似ていたかもしれません。

実際はただ未熟な感情体を抱えて

この世で自分が生きられそうな

気がしなかっただけでした。

自分の人生に意味を見出すことは

できそうにもありませんでした。

自分の人生がまったくの無駄だったと

証明するために生きなければならない。

そんなふうに思い固めるようになっていた。

……

生命世界にどんな意味があるとしても、

その瞬間はその瞬間以外ではない。

その瞬間を解釈すれば、

また別の瞬間が創造されるだけです。

どんな人間のどんな瞬間も

それ以外の別のもの(たとえば意味)

によって保障可能だったり、

代替可能だったりすることはありえない。

どんな瞬間のどんな体験も、

それはまさに【それだけのもの】です。

その瞬間のその固有の体験そのものが、

どんな解釈も拒むその瞬間の【意味】です。

その時空の一点の真実は、

解釈された瞬間に

また別のものに転化するのですから。

夢見られた一つの対象物であるpariが

どうやって宇宙空間で創造される

すべての体験の真実、その【意味】を

発見できるというのでしょうか?(*^_^*)

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 あなたにこれ以上の体験は必要ない。
 過去のものだけで充分だ。
 そして、
 もしそれ以上が必要だというのなら、
 周囲の人びとのハートのなかに見入るがいい。
 何千年かけても不可能な多様な体験の数々を
 あなたは見いだすだろう。
 他者の悲しみから学びなさい。
 そしてあなた自身を救うがいい。
 あなたに必要なのは体験ではなく、
 すべての体験から自由になることだ。
 体験に貪欲になってはいけない。
 あなたには何も必要ないのだ。
 
 『私は在る』(p336)
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(-||-)

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 すべては苦しみ
 果てのない三重苦だ!
 まったく何の価値もない
 
 これを知りなさい
 すべてをあきらめなさい
 そして静かに在りなさい
 
 人間はいったい、いつになったら
 ひとつのことを
 別のことに対立させるのをやめるのか?
 
 あらゆる対立を棄て去りなさい
 何が起ころうと幸せでありなさい
 そして、あなた自身を満たしなさい
 
 
 師や聖者や探求者たち
 彼らはみな違ったことを言う
 
 誰であれ、これを知る人は
 無執着とともに、静かになる
 
 
 真の師は冷静に考え
 すべてはひとつだと見なす
 
 彼はものごとの本性
 覚醒の本質を理解したのだ
 
 彼がふたたび生まれ変わることはない
 
 
 変化するものごとの中に
 それらの純粋な姿だけを見なさい
 
 自己の本性の内にとどまりなさい
 あなた自身を解き放ちなさい
 
 
 世界はただ偽りの印象の集まりにすぎない
 あきらめなさい
 
 幻を手放しなさい
 世界を手放しなさい
 
 そして自由に生きるのだ
 
 『Ashtavakra Gita』(p77-79) 
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(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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【人間はいったい、いつになったら
 ひとつのことを
 別のことに対立させるのをやめるのか?】

(-_-)

すっかり夜になりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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