home > 通信 >その夢自体への興味を失うこと:『アセンション館通信』第889号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/05/02(第889号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在504名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.その夢自体への興味を失うこと

2.編集後記
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■ 1.その夢自体への興味を失うこと
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GWに入りましたね。

といっても日常は何も変わりませんが。

正面の花桃はほとんど花を落としました。

眼前の光景としては

デッキ際の赤とピンクのツツジが

いちばん色鮮やかです。

庭に出て東南の端に行くと、

鈴蘭の香りをかぐことができます。

庭にはその他たくさんの野の花が

咲いているのですが、

教えてもらっても憶えられない。

目の前のツツジのすぐ先にも

むかし隣のおじさんからいただいた

ミツバツツジがあるんだけれど、

これがほとんど花をつけません。

あまり手入れもしないから仕方がないか

と言っています。

相変わらず飽きもせずに

恵まれた状況を夢見つづけています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariとの

一体化が緩みはじめている意識です。

いまこの文章を書かされている

pariという対象物は、

「意味」を求める劇を演じるために

創造された身体だったらしく、

一生「意味」を求めさせられました。

そしてとどのつまりpariが理解したことは

その瞬間その瞬間に体験された内実以外に、

どんな意味もありえないということでした。

その一方でこの現象世界は

あらゆる「意味」の創造に対応できる

魔術的な世界だったようです。

それはどんな観念化にも対応して

その観念化にふさわしい【見かけ】と

「意味」(解釈)を創造できるらしい。

というよりはむしろ、

この現象世界というのは、どうやら

無限のバラエティで展開できる

多様な観念化エネルギーを誕生させ、

それぞれ独自の観念化を誘いながら、

その観念化にふさわしい【見かけ】を

創造するために準備された

夢のワンダーランドのようにも思われます。

この現象世界は、

そこに何かの「意味」を求めるかぎり、

その求めに応えてふさわしい【見かけ】と

それに合致するじつに妥当な解釈を提供する

魔術的能力を具えた世界らしいのです。

そこに何かを求めるかぎり、

この現象世界は、

どんな求めにも応じられる実力と実績を

実証してきました。

これからも実証しつづけるでしょう。

この現象世界が手も足も出ないのは、

ここに何も求めない人です。

何も求められなければ、

この魔法の世界は何もできない。

ただ立ち上がっては……

そのまま立ち消えになるだけです。(^_-)

孤独な万能者(意識)が

自ら(意識)に仕掛ける万能の魔法……、

なのかもしれませんが、

もちろん、そういった解釈もまた、

提供される観念のひとつにすぎません。

誰が仕掛けたわけでもない。

仕掛けられる誰かがいるわけでもない。

だからこそ、マハラジは

知覚と解釈(観念化)に基づくがゆえに、

空間と時間の中にしか存在しえない
 
この魔術的世界を

「不妊の女性の子供」と呼んだのでしょう。

この魔術的世界は、

意識の焦点を磁場にして立ち上がります。

いま仮にこの現象世界そのものを

一つの実体に喩えてみるなら、

この架空の実体は自己増殖装置を内蔵した

一種の永久機関であることは間違いない。

そこに終焉装置は内蔵されていません。

このワンダーランドで遊ぶ

無限数の参加者たちが

一瞬一瞬に幻出される【見かけ】と解釈の

幻影の中で幻惑されながら、

一瞬一瞬に放出するその欲望が

無限数のシャボン玉となって

エネルギー場に浮遊しているのです。

そのすべてのシャボン玉が

顕現の場を求めて現実化請願者の列に

割り込もうとしているのですから、

列が途絶える暇などありうるはずもない。

世界の滅亡を心配する必要など

サラサラ無いにも関わらず、

世界を滅亡から救済せんとする願望までもが

無限に発生して現実化請願者の列に

潜り込もうとしているというわけです。

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 そこには想像があるだけだ。
 知性とエネルギーは、
 あなたの想像のなかで
 すべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく
 想像に夢中にさせられてしまったため、
 どれほど実在から遠く離れて
 さまよい歩いたのかさえ
 わからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、
 想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、
 それらはみな空間と時間、
 過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
 
 『私は在る』(p306-307)
 http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)

ではこの魔術的ワンダーランドからの

出口はどこかにあるのか?

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 (夢からの)出口の必要はないのだ!
 出口もまた夢の一部分だということが
 わからないのだろうか?
 あなたがするべきことは、
 夢を夢として見ることなのだ。
 
 どこであろうと、
 それが導くところ、それは夢だ。
 夢を超えていこうとする
 考えそのものが幻想なのだ。
 なぜどこかへ行かなければならないのか?
 あなたはただ世界という夢を見ているのだ、
 ということを悟りなさい。
 そして、出口を探すのはやめなさい。
 夢があなたの問題なのではない。
 問題は、
 あなたが夢のなかのある部分が好きで、
 別の部分が嫌いだということだ。
 すべてを愛すがいい。
 あるいは何も愛さないことだ。
 そして不平を言うのはやめなさい。
 あなたが夢を夢として見たとき、
 為すべきことはすべて為し終えたのだ。
 
 『私は在る』(p135)
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(-||-)

だからマハラジは、

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 待つことであなたが得るのは、
 さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、
 いつかの未来にではなく、今ここにある。
 
 『私は在る』(p437)
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と言ったのですね。(;_;)

とはいえ、

現象世界の中の一つの身体として

“何者か”を演じる夢に取り込まれ、

目まぐるしい変化に小突き回されながら

絶え間ない変化に焦点を合わせるなかで、

私たちは自分が何であるかを忘れ、

対象物の限界を受け容れ、

架空の束縛に絡め取られて途方に暮れます。

【見かけ】の世界を見ているのが

対象物の“自分の身体”ではなく

唯一の実在である

「私」であることを忘れて。

──────────────────
 マハラジ
 あなたが見ているものは、
 ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 ……
 あなた自身の光が
 スクリーン上に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、
 光であり、絵であり、
 スクリーンでもあるのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、
 自らに課されたものだ。
 その精神は
 障害を乗り越えることを楽しむ
 ひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、
 真我の実現はより深く広いものとなるのだ。
 
 『私は在る』(p497-498)
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(-||-)

いったい私はいつから夢を

見はじめたのか?

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 質問者 夢はいつはじまったのでしょうか?
 
 マハラジ
 それにははじまりがないように見える。
 しかし、事実はたった今だ。
 一瞬一瞬、
 あなたはそれを再生しているのだ。
 しかし、あなたは見ない。
 なぜなら、
 あなたはその夢が続いてほしいからだ。
 いかなる代価を支払ってでも、
 真剣にその夢が終わってほしいと
 一心に願う日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、
 その夢自体への興味を失うことだ。
 
 『私は在る』(p525)
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> なぜなら、
> あなたはその夢が続いてほしいからだ。

(>_<)

> いかなる代価を支払ってでも、
> 真剣にその夢が終わってほしいと
> 一心に願う日がやってくるだろう。

(-||-)

> その代価とは、無執着と冷静さ、
> その夢自体への興味を失うことだ。

(-_-)

──────────────────
 ひとたびあなたが、
 これが自分だ
 と指し示すことができるものは何もなく、
 「私は在る」ということ以外に
 自己を語ることができないと確信すれば、
 「私は在る」という指針の役目は終わる。
 もはやあなたは、
 自己が何なのかを言葉の上に
 置き換えようなどとはしないだろう。
 必要なのは、自己を定義しようとする
 傾向を捨て去ることだけだ。
 すべての定義づけは、
 身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、
 あなたは自然なあるがままの姿に
 努力することなく帰り着くだろう。
 
 『私は在る』(p27)
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> 必要なのは、自己を定義しようとする
> 傾向を捨て去ることだけだ。

わかりました。

> すべての定義づけは、
> 身体とその表現にしか当てはまらない。

了解です。

(-||-)

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 「私は在る」に
 気づきの焦点を合わせつづけなさい。
 あなたが在ることを覚えておきなさい。
 あなた自身を絶え間なく見守りなさい。
 そうすれば、
 あなたの努力なしに無意識は
 意識のなかに流れてくるだろう。
 誤った欲望や恐れ、
 偽りの観念、社会的抑制は
 意識との自由な相互作用を阻止し妨げる。
 ひとたび
 意識と無意識が自由に混ざりあえば、
 二つはひとつなり、
 ひとつはすべてとなる。
 個人は観照者のなかに溶け、
 観照者は気づきのなかに、
 気づきは純粋な存在のなかに溶ける。
 しかし、
 それでもアイデンティティは失われない。
 ただその限界が失われ変容されて、
 真我、サットグル(真の師)、
 永遠の友だち、
 そして導き手となるのだ。
 
 『私は在る』(p465)
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> 「私は在る」に
> 気づきの焦点を合わせつづけなさい。
> あなたが在ることを覚えておきなさい。
> あなた自身を絶え間なく見守りなさい。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日もすっかり暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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