home > 通信 >マハラジの生涯をかけた追求:『アセンション館通信』第893号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/05/30(第893号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在504名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.マハラジの生涯をかけた追求

2.編集後記
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■ 1.マハラジの生涯をかけた追求
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今日は温かいですね。

午後になってかなり晴れ上がりました。

相変わらず飽きもせずに

恵まれた状況を夢見つづけています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariとの

一体化が緩みはじめている意識です。

土曜日になって

またラメッシ・バルセカールが

残してくださった

『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』

を書き写すことができるのが嬉しいです。

以前から、

是非ご紹介したいと思いながら、

書き写そうとすると、

はて、いったいどこだったかと、

わからなくなっていたところがあります。

なんと、

ほとんど最初の方にありました。

ここにはまさに

これこそがマハラジという

マハラジの観念化の核の核が

吐露されているのです。

全宇宙で

この音色の観念化を聴くことができるのは

このときのマハラジのこの言葉、

そしてそれが物質形態に移されている

この書物の中のここにしか

存在しないと言えるでしょう。

では早速ご紹介しましょう。

【17 非現象と現象】

今回はこの章の前半部分をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

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 17 非現象と現象
 
 
 ある朝、
 たぶん月曜日のことでしたが、
 その朝は私たち常連の
 「マハラジ中毒者」が数人いるだけでした。
 マハラジは目を閉じて座り、
 銅像のように静かでした。
 しばらくしてから、
 彼は静かに話し始め、
 あまりに静かだったので、
 私たちは無意識のうちに
 彼のそばに近寄ったほどです。
 彼はずっと目を閉じて話し続けました。
 というより、
 むしろ声に出して考えていました。
 
 人々は私をジュニャーニだと思っている。
 彼らは世界中から私に会いに来る
 ──カナダ、オーストラリア、
 ニュージーランドから、
 そしてイギリス、日本から。
 彼らのほとんどが
 『アイ・アム・ザット 私は在る』を読んで、
 ただ私に会うためだけに
 はるばるボンベイへやってくる。
 彼らは大変な思いをしてやっと、
 この汚い狭い通りにある
 私のこの小さい家を探しあて、
 それから階段を上ると、
 簡素な服を着て、
 隅に座っている小柄な浅黒い男を発見する。
 で、彼らは思うのだ。
 この人はジニャーニにのようには見えない。
 彼は印象的な服も着ていない。
 ニサルガダッタ・マハラジとして
 知られている人なら、
 もっと豪華な服を着ているはずではないかと。
 彼が本当にその人だろうか?
 
 こういった人々に
 私は何を話すことができるだろうか?
 私は彼らに非常に正直に、
 自分の教育はほとんど
 文盲の範疇に入る程度までしかないと言う。
 私は偉大な伝統的聖典の
 どれも読んだことがないし、
 私が知っている唯一の言語は
 母国語のマラティー語だけだ。
 私が追求してきたこと、
 唯一の問いかけ、
 絶え間なく追求してきた問いかけは
 ──狩猟者が自分の獲物を追求するように
   次のことだ──
 私は、
 「私は在る」と知っている。
 そして、
 私は一個の肉体をもっている。
 どうしてこのことが、
 私の知らないうちに、
 私の同意もなく起こりえたのだろうか?
 そして、
 「私は在る」というこの知識とは何なのか?
 これが私の生涯をかけた追求であり、
 私は自分が到達した答えに完全に満足ししている。
 これが私の唯一のジニャーナであるのだが、
 それにもかかわらず、
 人々は私のことをジニャーニにだと信じている。
 私のグルは私にこう言った。
 「あなたはブラフマンである。
  あなたはすべてであらゆるものである。
  あなた以外に何も存在しない」
 私はグルの言葉を真実として受け入れ、
 それから四〇年余り、
 まさにこの部屋に座って、
 それを話す以外の何もしてこなかった。
 それなのになぜ人々は遠くの国々から
 私のところへやってくるのだろうか?
 なんという奇跡だろうか! 
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p104-105)
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──────────────────

(-||-)

数人の常連たち

「マハラジ中毒者」しかいない

月曜日の朝のマハラジのロットに

いまわたしたちも潜り込んでいます。

奇跡的な瞬間です。

そこに銅像のように

目を閉じて座っていたマハラジの口から

微かな言葉が漏れ出てきます。

むしろ彼は声を出して考えている。

それでなくとも

個人として存在していない意識から

いま地上的配慮がほとんどない

独り言とも言える言葉が漏れ出てきます。

マハラジとして現象化した意識は

どんな探求を抱えていたのか?

> 私が追求してきたこと、
> 唯一の問いかけ、
> 絶え間なく追求してきた問いかけは
> ──狩猟者が自分の獲物を追求するように
>   次のことだ──
> 私は、
> 「私は在る」と知っている。
> そして、
> 私は一個の肉体をもっている。
> どうしてこのことが、
> 私の知らないうちに、
> 私の同意もなく起こりえたのだろうか?
> そして、
> 「私は在る」というこの知識とは何なのか?

なんと!

マハラジは絶え間なく

それも狩猟者が獲物を追うように、

ただ一つの問いかけを追求していた……。

マハラジが抱えていたその問いを

こうして如実に知るだけで、

この肉体精神器官で起こった理解が

どれほど桁外れのものだったのかが

理解されてきます。

【私は「私は在る」と知っている。】

われわれもそれは知っています。

【私は一個の肉体をもっている。】

われわれも一個の肉体をもっています。

しかし、

われわれの誰一人として、

【どうしてこのことが、
 私の知らないうちに、
 私の同意もなく起こりえたのだろうか?】

などという疑問を抱えたことはありません。

そしてまた、

【「私は在る」というこの知識とは何なのか?】

などと探求したこともありません。

マハラジの肉体精神器官は

まさにこれらの問いを解くために

「私」が誕生させた道具だったのでしょう。

あらゆる問いは、

その内在エネルギーに見合った理解に

遭遇することになる。

それ以外の可能性はありません。

> これが私の生涯をかけた追求であり、
> 私は自分が到達した答えに完全に満足している。

(-||-)

これがマハラジの生涯をかけた追求だった。

マハラジの肉体精神器官は

課せられた問いの探求者として

その役割を完走します。

そしてマハラジの肉体精神器官が

担った問いの内在エネルギーは

最後に到達した答えに完全に満足し、

問いは対消滅を起こして

そのエネルギーは完全に解消します。

身体が生きているあいだ、

マハラジはその探求エネルギーの残響を

夢の中にいる私たちに届けてくれたのです。

マハラジが抱えたその問いとは、

【私は「私は在る」と知っている。
 私は一個の肉体をもっている。
 どうしてこのことが、
 私の知らないうちに、
 私の同意もなく起こりえたのだろうか?
 「私は在る」というこの知識とは何なのか?】

まるで……、

マハラジのたどり着いた理解の

ネガを見るようですね。

もしそう感じることができるなら、

マハラジの理解は

われわれの手の届くところにあります。

> これが私の唯一のジニャーナであるのだが、
> それにもかかわらず、
> 人々は私のことをジニャーニにだと信じている。

じつに正直な表現だと思いませんか?

マハラジは

自分が疑問に思ったのはこれだけだし、

自分がもっている知識はこれだけなのに、

人々は私を賢者だと思っていると

不思議がっている。

> 私のグルは私にこう言った。
> 「あなたはブラフマンである。
>  あなたはすべてであらゆるものである。
>  あなた以外に何も存在しない」

あなたが究極の現実だ。

あなたが存在するすべてであり、

あなたが森羅万象だ。

あなた以外には何も存在していない。

> 私はグルの言葉を真実として受け入れ、
> それから四〇年余り、
> まさにこの部屋に座って、
> それを話す以外の何もしてこなかった。

マハラジはこのグルの言葉を受け入れた。

そしてそれが真実であることを実現し、

40年間そのことを伝えてきた。

> それなのになぜ人々は遠くの国々から
> 私のところへやってくるのだろうか?
> なんという奇跡だろうか! 

それだけのことだったが、

人々が遠くからこの陋屋を

訪ねてくるようになった。

なんという不思議だろう!

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 私の問いかけを論理的結論まで追求したあと、
 私はどこへ到達したのだろうか?
 もし人がその全体像を見さえすれば、
 事は非常に単純なのだ。
 私が関心をもっているこの「自分」とは何か?
 その即座の答えはもちろん、
 「この自分、この肉体である」
 というものになる。
 しかし、
 この肉体は肉体精神器官にすぎない。
 それを感覚ある存在として知らしめている、
 この器官の中の重要な要素とは何なのか?
 それは疑いもなく意識であり、
 それなくしては、
 この器官はおそらく理論的には生きていても、
 機能に関するかぎり役に立たないことだろう。
 明らかにこの意識は肉体的構造物を必要とし、
 その中でそれ自身を顕現する。
 だから、
 意識はその肉体に依存している。
 しかし、
 肉体は何からできているのか?
 どうやって肉体は実存するようになったのか?
 肉体は女性の子宮の中で、
 約一〇ヶ月の間成長しただけのもので、
 それは男女の性的流動物の結合によって
 妊娠されたものが成長したものだ。
 それらの流動物は
 両親が消費した食物のエキスである。
 それゆえ基本的に、
 意識と肉体はともに食べ物によって構成され、
 支えられている。
 実に肉体それ自身が食物なのだ──
 一つの肉体は別の何かの食物である。
 食物−エキスである生命力の性的流動体が、
 妊娠から小さい肉体へと成長し、
 母親の子宮から取り出され、
 それが「誕生」と呼ばれている。
 そして、
 この食物−エキスが
 年齢や病気のせいで衰えていき、
 肉体精神器官が破壊されるとき、
 それは「死」と呼ばれる。
 それが始終起こっていることだ。
 対象宇宙は無数の形態を投影し、
 消滅させている。
 つまり、
 そのイメージは始終変化し続けている。
 しかし、どうして「私」が
 このことを気にするだろうか?
 私はこのすべての出来事の
 単なる観照者にすぎない。
 出来事の最中に起こることが何であれ、
 それぞれの場合に、
 ただ肉体精神器官に影響するだけで、
 「私は在る」の「私」には影響はないのだ。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p105-106)
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私が想念の煙幕を鎮めきって

実現した真実とは、

もしそれを論理的に突き詰めて表現すれば

どういうことになるだろうか?

もし全体像を見さえすれば、

それはごく単純なことなのだ。

あなたが気にしているその「自分」とは

いったい何なのかと聞かれたら、

あなたはもちろん、すぐに

「この身体だ」と答えるだろう。

だが、そのあなたの身体とは

他の人間や動物たちの身体と同じく

個々の肉体精神現象が起こるための

ただの器官(道具)でしかないことが

あなたにもわかるのではないだろうか?

あなたが気にしているその「自分」とは

その肉体精神器官自体のことではなく、

その肉体精神器官で起こっている

感覚や想念のことではないのか?

もしそうであるなら、

あなたが本当に気にしているのは

その肉体精神器官自体ではなく、

その肉体精神器官を

実際に感覚ある生きた存在として

実現させているもののことではないのか?

いまそれを「意識」と呼ぶことにしよう。

そのとき、

あなたが「自分」だと言うその器官のなかで

最重要な要素がその「意識」、

そこで起こっている体験であることに

疑問の余地はないだろう。

もしその「意識」、

その体験の要素がなければ、

あなたの肉体精神器官は

他人や動物たちの肉体精神器官と

区別すらできないことだろう。

あなたの肉体精神器官が

あなたにとって重要なのは、

そこであなたの「意識」体験が

起こっているからだ。

つまりあなたが気にしているのは、

あなたの肉体精神器官ではなく、

あなたの「意識」体験のほうなのだ。

肉体精神器官で実現されている要素で

いちばん重要なのは「意識」だ。

その「意識」がなければ、

肉体精神器官だけでは何の役も果たせないだろう。

逆に言うなら、

肉体精神器官に機能を果たさせているのは

「意識」だと言える。

つまり、

「自分」とは「意識」のことなのだ。

しかし、

その(あなたという)「意識」が起こるために、

肉体精神器官が必要であることも確かだ。

意識は肉体精神器官のなかで自らを顕現する。

たから意識は肉体に依存している。

では、

その肉体はどんなふうに実現しているのか?

赤ん坊として誕生する肉体は

母親の子宮の中で約10ヶ月のあいだ

胎児として育まれる。

その胎児は

父親の精子と母親の卵子の結合によって

妊娠されたものが成長したものだ。

父親の精子と母親の卵子とは

両親が消費した食物のエキスだ。

これを要するに、

意識も肉体も食物から構成され

食物が支えているということだ。

しかも肉体そのものもまた、

他の肉体にとっての食物なのだ。

元はと言えば食物から成る肉体が、

母親の子宮から出てくるのが「誕生」であり、

その肉体が衰え、

破壊されるのが「死」だ。

この食料の変転、転換の様相が

森羅万象として現象されている対象宇宙だ。

現象宇宙は無数の形態を出現させては

消滅させている。

それは「意識」の顕現的側面だ。

その顕現的側面は

その背後にある非顕現的側面によって

裏打ちされ実現している。

非顕現的側面なしには

現象という顕現的側面は実現しえない。

そしてその非顕現的側面は

けっして顕現的側面にはなりえない。

非顕現的側面が自らを見るには

顕現的側面として自らを現し

それを非顕現的側面として観照する以外に

他の方法はありえないからだ。

実在するのは「意識」の非顕現的側面だ。

顕現的側面は非顕現的側面の影だ。

「意識」の顕現的側面は

非顕現的側面なしには在りえないが、

非顕現的側面は顕現的側面なしにも在りうる。

「私」とは「意識」の非顕現的側面だ。

その「私」が

どうして「意識」の顕現的側面を

気にすることがあるだろうか?

「私」は

このすべての出来事の

単なる観照者にすぎない。

食物連鎖宇宙の中で何が起ころうとも、

それはただ肉体精神器官に影響するだけで、

「私は在る」の「私」には影響はないのだ。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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ニサルガダッタ・マハラジが

説くところは、とても単純です。

それは究極の暴虐が行われている

この地球という極端な環境の中でしか

起こりえなかったジニャーナかもしれません。

しかしその究極の暴虐もまた

顕現宇宙の中の物語の

内容物であることも確かでしょう。

もっと他に知りたいことがあるなら、

それに興味が起こることでしょう。

それに逆らえる誰も存在しません。

興味が起きるときには起きます。

だが興味が起こらなくなれば、

それに逆らえる誰かも存在しません。

興味が尽きるときには尽きるのでしょう。

自然に任せるより仕方ありません。

今日は暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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