home > 通信 >探求者が求められているもの:『アセンション館通信』第900号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/07/18(第900号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在495名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.探求者が求められているもの

2.編集後記
──────────────────

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■ 1.探求者が求められているもの
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今日は晴れ上がりましたね。

しかも外は暑いようです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariとの

一体化が緩みはじめている意識です。

一週間に一度こうして

人間に一体化していない意識から

流れてくる言葉を口真似しています。

そういうことが必要だから

それが起こっているのだと思われます。

こういう言葉を口真似していると

気持ちがいいんですよね。

安心するんです。

それだけです。

まだ安心が必要な“自分”がいるわけでしょう。

それだって、

それをどうにかできる“自分”が

いるわけでもないのですから。(^_-)

今回は

『ニサルガダッタ・マハラジが
 指し示したもの』
https://amzn.to/2J4Pbtr

の後半部分にある

【47 探求者が求められているものである】

という一節をご紹介しましょう。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
 47 探求者が求められているものである
 
 
 あるヨーロッパの夫婦が
 一週間マハラジを訪問するためにやって来ました。
 長年、
 夫も妻もヴェーダーンタ形而上学に関心をもち、
 その話題を深く学んできました。
 しかしながら、
 彼らの表情と一般的態度には
 多少の疲労感と
 ほとんど挫折感とも言うべきものが見られ、
 そのあと彼らが語ったことから
 それは明らかでした。
 長年にわたる彼らの根気強い探究にもかかわらず、
 彼らは真理についての
 明確な理解をもっていませんでした。
 彼らはその間、広く旅行し、
 たくさんのグルから教えを求めましたが、
 成功しませんでした。
 たぶん今彼らは、
 今回も空しい修行とさらなる挫折(!)
 になるのではないかと思っていたのです。
 
 マハラジの通常の質問に対して
 自分たちの背景について情報を与えたあと、
 彼らは落ち着きなく座っていました。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p259)
 https://amzn.to/2J4Pbtr
──────────────────

まあ、

内なる衝動に突き動かされて

懸命に探求の旅を続けたら

そういう状態になるのもわかりますよね。

夢見られたそれらの身体にとって、

他にやりようはないわけですから。

マハラジが語りかけます。

──────────────────
 マハラジは彼らを数瞬眺めたあと言いました
 ──
 私はあなた方に差し上げるものを
 何ももっていないことを理解しなさい。
 私がすることはただ、
 あなたの本質をあなたに示す霊的鏡を
 あなたの前に置くことだけだ。
 もし私の言うことが、
 単に言葉だけではなく
 明確に直感的に理解され、
 最深の確信ともっとも緊急の即時性をもって
 受け入れられるなら、
 それ以上の知識は必要ないことであろう。
 この理解は時間の問題ではないし
 (実にそれは時間の観念以前のものである)、
 それが起こるとき、
 ほとんど時間のない
 理解のショックのように突然起こる。
 実際、それはほんの一瞬のことで
 経過のプロセスの突然の休止を意味し、
 時間経過の機能が一時的に中断される。
 そのとき相対性以前にあるものとの調和が起こり、
 絶対的理解が起こる。
 いったん理解の種が値付けば、
 想像的束縛からの相対的解放は
 それ自身のコースを取るが、
 理解それ自身は常に瞬間的である。
 
 私が言うことを理解するプロセスのキーワードは
 「自然発生的」というものだ。
 全宇宙の顕現は夢、
 宇宙的夢のようなもので、
 それは 個人の小宇宙の夢と
 まったく同じようなものである。
 それが睡眠中に個人的夢として
 自然発生的に起こるものであれ、
 その中で私たちすべてが夢見られ、
 生きられている人生という生きた−夢であれ、
 すべての対象物は夢見られた対象物で、
 すべては意識の中の見かけである。
 すべての対象物、
 すべての見かけは
 意識の中の感覚のある生き物によって夢見られている。
 
 それゆえ、 
 感覚のある生き物は
 夢見られた人物であるだけではなく、
 また夢見る者でもある
 ──
 ただし、
 単一の夢見る者といったものはいないのだ。
 宇宙の現在のおのおのの夢見は意識の中にあり、
 その意識は特定の肉体精神装置の内部にある。
 特定の肉体精神装置は
 それを通じて認識と解釈が送る媒介であり、
 それが個人的実体として間違えられている。
 熟睡しているとき、
 どんな夢もなく、
 それゆえ、
 どんな宇宙もない。
 あなたが分裂したマインドを使うときだけ
 「他者」と「世界」から離れて存在するのだ。
 
 あなたの夢の中で「あなた」である対象物も含めて、
 あなたの個人的夢の中に出現する対象物に対して、
 あなたは何のコントロールもできない。
 あらゆるものは自然の発生的であり、
 それにもかかわらず、
 あなたの個人的な夢のあらゆる対象物は
 あなたに他ならない。
 人生−夢においてもまた、
 たとえ彼らが夢の中ではお互いに対立していても、
 すべての対象物(すべての個人)は、
 あなたそのものでしかありえない。
 それゆえ、
 人生のすべての機能、
 すべての行為は自然発生的行為でしかありえない。
 なぜなら、
 どんな行為が行うどんな実体もいないからだ。
 あなた(私)はその機能であり、
 夢であり、
 シヴァの宇宙的ダンスなのだ!
 
 最後に覚えておくべきことは、
 どんなタイプのすべての夢見も
 必然的に現象的であり、
 意識の中の見かけにちがいなく、
 そのときは意識が目覚めている、
 つまり意識がそれ自身を
 意識しているときであるということだ。
 意識がそれ自身を意識していないときは、
 熟睡しているときのようにどんな夢見もありえない。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p259-261)
──────────────────

> 私はあなた方に差し上げるものを
> 何ももっていないことを理解しなさい。

まずお二人が現在期待しているものを

自分は提供できないということを、

こうして伝えました。

> 私がすることはただ、
> あなたの本質をあなたに示す霊的鏡を
> あなたの前に置くことだけだ。

ありがたいことです。(-||-)

> もし私の言うことが、
> 単に言葉だけではなく
> 明確に直感的に理解され、
> 最深の確信ともっとも緊急の即時性をもって
> 受け入れられるなら、
> それ以上の知識は必要ないことであろう。
> この理解は時間の問題ではないし
> (実にそれは時間の観念以前のものである)、
> それが起こるとき、
> ほとんど時間のない
> 理解のショックのように突然起こる。
> 実際、それはほんの一瞬のことで
> 経過のプロセスの突然の休止を意味し、
> 時間経過の機能が一時的に中断される。
> そのとき相対性以前にあるものとの調和が起こり、
> 絶対的理解が起こる。
> いったん理解の種が値付けば、
> 想像的束縛からの相対的解放は
> それ自身のコースを取るが、
> 理解それ自身は常に瞬間的である。

もしそれだけ煮詰まったタイミングの

エネルギーがあるなら、

私が提供する言葉の鏡によって

単に言葉だけではない明確な洞察が

直感的に理解されるということが起こる可能性もある。

だがこの知識は、

知的に時間をかければ理解できる

といった知識ではない。

切迫したエネルギーさえあるなら、

タイミングが合えば

理解はショックのように瞬時に起こる。

架空の観念はただ置き去りにされ、

意識以前にある絶対的沈黙が顕われるからだ。

いちど理解の種が植え付けられれば

意識的理解という相対的解放は

その肉体精神装置の個性に応じた

独自のコースをたどることになるだろうが、

理解そのものは瞬時の現象だ。

> 私が言うことを理解するプロセスのキーワードは
> 「自然発生的」というものだ。

これから私が言うことに対する

理解が起こっているかどうかの判断は、

それが「自然発生的」かどうかだ。

それを理解することは

あなたのマインドができることではない。

> 全宇宙の顕現は夢、
> 宇宙的夢のようなもので、
> それは 個人の小宇宙の夢と
> まったく同じようなものである。

現象宇宙のすべては一つの夢だ。

あなたは宇宙という夢を見ているのだ。

それはあなたが毎夜見る

個人的な夢とまったく同じようなものなのだ。

> それが睡眠中に個人的夢として
> 自然発生的に起こるものであれ、
> その中で私たちすべてが夢見られ、
> 生きられている人生という生きた−夢であれ、
> すべての対象物は夢見られた対象物で、
> すべては意識の中の見かけである。
> すべての対象物、
> すべての見かけは
> 意識の中の感覚のある生き物によって夢見られている。
> それゆえ、 
> 感覚のある生き物は
> 夢見られた人物であるだけではなく、
> また夢見る者でもある

毎夜自然発生的に起こる

睡眠中に見る個人的な夢の中でも、

また私たち自身が

夢の登場人物として夢見られている

いわゆる人生という生きた夢の中でも、

あらゆる知覚の対象物は

すべて夢見られた意識の中の見かけだ。

あらゆる対象物、あらゆる見かけは、

意識の中の感覚のある生き物によって夢見られている。

だから、

動物や人間など感覚のある個々の生き物たちは

夢の中の登場者であるだけでなく、

夢を見ている当人でもある。

> ただし、
> 単一の夢見る者といったものはいないのだ。

ただし、

最終的なただ一人の単一の

絶対的な夢見る者といった者は存在しない。

(もしそういう存在がいるとしたら、

 そしてその存在がマインドを使って言葉を発したとしたら、
 
 その言葉は……
 
 「何も起こっていない」
 
 という言葉になることだろう。)

> 宇宙の現在のおのおのの夢見は意識の中にあり、
> その意識は特定の肉体精神装置の内部にある。
> 特定の肉体精神装置は
> それを通じて認識と解釈が起こる媒介であり、
> それが個人的実体として間違えられている。
> 熟睡しているとき、
> どんな夢もなく、
> それゆえ、
> どんな宇宙もない。
> あなたが分裂したマインドを使うときだけ
> 「他者」と「世界」から離れて存在するのだ。

宇宙の中で現在起こっている

個々の夢見は意識の中にある。

その意識は個々の肉体精神装置の内部にある。

個々の肉体精神装置は

認識と解釈が起こるための道具として機能している。

その道具が個人という実体と混同されて、

経験という架空の苦しみが起こっているのだ。

その道具が熟睡しているときは

どんな夢見も起こらない。

それゆえどんな宇宙も存在しない。

生き物の身体という夢見の道具が目覚めて、

夢の中の登場人物たちが

分裂したマインドを使いはじめると、

そのときだけその登場人物たちが

「他者」と「世界」から離れて存在するという

解釈が生じるのだ。

> あなたの夢の中で「あなた」である対象物も含めて、
> あなたの個人的夢の中に出現する対象物に対して、
> あなたは何のコントロールもできない。
> あらゆるものは自然の発生的であり、
> それにもかかわらず、
> あなたの個人的な夢のあらゆる対象物は
> あなたに他ならない。

あなたは

自分が寝ているときに見る夢の中の

「あなた」を含めたすべての対象物に

どんな影響も及ぼせない。

というのもその夢は

「あなた」という肉体精神装置がもつ記憶から

自然発生的に紡ぎ出されているからだ。

しかしそれにもかかわらず、

その個人的な夢のなかの対象物がすべて

あなた自身であることは明らかだ。

> 人生−夢においてもまた、
> たとえ彼らが夢の中ではお互いに対立していても、
> すべての対象物(すべての個人)は、
> あなたそのものでしかありえない。
> それゆえ、
> 人生のすべての機能、
> すべての行為は自然発生的行為でしかありえない。
> なぜなら、
> どんな行為が行うどんな実体もいないからだ。
> あなた(私)はその機能であり、
> 夢であり、
> シヴァの宇宙的ダンスなのだ!

それと同じく、

起きているときに夢見られる人生という夢も、

宇宙的集合意識というデータベースこそ違え、

その情報内容から自然発生的に紡ぎ出されている。

一見その夢の中では互いに対立しているようでも

夢見られている対象物(個人)はすべて

意識の内容物でしかありえない。

そこで起こるすべての機能、

すべての行為は登場人物としてのあなたを折り込みながら

自然発生的に起こっているのだ。

なぜなら、その集合的な夢の中でも

登場する個人はすべて夢見られている対象物であって、

行為をおこなうどんな実体も存在しないからだ。

あなたはその夢見の機能であり、

夢であり、

宇宙的なダンスなのだ。

> 最後に覚えておくべきことは、
> どんなタイプのすべての夢見も
> 必然的に現象的であり、
> 意識の中の見かけにちがいなく、
> そのときは意識が目覚めている、
> つまり意識がそれ自身を
> 意識しているときであるということだ。
> 意識がそれ自身を意識していないときは、
> 熟睡しているときのようにどんな夢見もありえない。

そして最後に覚えておくべきことは、

あらゆる夢見はすべて

必然的に現象的だということだ。

それは意識の中の見かけなのだ。

意識の中の見かけ(夢)を見ているとき

意識は目覚めている。

そのとき意識は自分自身を意識している。

そして熟睡状態のような

意識が自分自身を意識していないときは、

どんな夢見もありえない。

──────────────────
 この段階で、
 その夫婦の夫の側から質問がありました。
 彼が言ったポイントは、
 「もし私たちすべてが
  決定や行為の独立した選択をもたない
  夢の登場人物にすぎないなら、
  なぜ私たちが束縛とか解放に
  関心をもつべきなんでしょうか?
  そもそもなぜ私たちは
  マハラジのところへくるべきなんでしょうか?」
 ということでした。

 マハラジは笑って言いました──
 あなたは間違った方法(!)で
 正しい結論に到達したようだ。
 もしあなたの言わんとしていることが、
 あなたが一体化してきた対象物は、
 実際は実体にも独立にも欠けている現象物
 ──他の誰かの意識の中で夢見られた
 単なる見かけ──にすぎず、
 それゆえそんな影にとっては、
 束縛の問題も解放の問題も決してありえず、
 したがってあなたが私のところに来て、
 私の話を聞く必要などまったくないと、
 あなたが一片の疑いもなく
 今確信しているということなら、
 あなたは完全に正しい!
 もしそうなら、
 あなたは完全に正しいだけでなく、
 すでに解放されている。
 しかし、
 あなたの言うことが、
 自分がどんな独立も自立もない
 単なる夢見られた登場人物であることを、
 あなたが受け入れられないという
 ただそれだけの理由で、
 あなたが私を
 訪問し続けるべきではないという意味なら、
 残念ながらあなたはまだ
 最初の一歩さえも踏み出してはいない。
 実際、
 解放を求める実体がいるかぎり、
 その人はそれを決して発見しないことだろう。
 
 これを単純なやり方で見てみよう。
 行為の基本とは何だろうか?
 必要である。
 あなたは食べる。
 なぜなら、その必要があるからだ。
 あなたの体は排泄する。
 なぜなら、その必要があるからだ。
 あなたは私を訪問する。
 なぜなら、あなたは私を訪問して、
 私の言うことを聴く必要があるからだ。
 必要があるとき、
 どんな行為者の介入もなく、
 行為が自然発生的に続く。
 誰が必要を感じるのだろうか?
 もちろん、
 意識が肉体精神装置の仲介を通じて
 その必要を感じるのだ。
 もしあなたが自分はこの装置であると思うなら、
 それは束縛の重荷と解法の探求を想定している、
 間違えられたアイデンティティの
 ケースではないだろうか?
 しかし本当のところ、
 質問者、
 探求者こそが求められているものなのだ!
 
 マハラジが言ったことについて
 みんなが黙想しているとき、
 絶対的静寂さが部屋に行き渡りました。
 訪問した夫婦は周囲を忘れて、
 目を閉じて座り、
 その間、
 他の訪問者たちは
 一人また一人と部屋を出て行きました。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p261-263)
──────────────────

> この段階で、
> その夫婦の夫の側から質問がありました。
> 彼が言ったポイントは、
> 「もし私たちすべてが
>  決定や行為の独立した選択をもたない
>  夢の登場人物にすぎないなら、
>  なぜ私たちが束縛とか解放に
>  関心をもつべきなんでしょうか?
>  そもそもなぜ私たちは
>  マハラジのところへくるべきなんでしょうか?」
> ということでした。

このときその訪問者のご主人から

「もし私たちが夢の登場人物にすぎず、
 
 どんな選択肢ももっていないのなら
 
 なぜこんなふうに
 
 束縛や解放を気にする必要があるのでしょうか?
 
 それなら、
 
 そもそもあなたを訪ねてくる
 
 必要すらないのではないでしょうか?」

という、ちょっと論理的とは言えない

質問が出されたようです。

> マハラジは笑って言いました──
> あなたは間違った方法(!)で
> 正しい結論に到達したようだ。

あなたの質問は

論理的とはまったく言えないが、

言っている言葉の内容そのものは

まさに正しい結論に達している。

> もしあなたの言わんとしていることが、
> あなたが一体化してきた対象物は、
> 実際は実体にも独立にも欠けている現象物
> ──他の誰かの意識の中で夢見られた
> 単なる見かけ──にすぎず、
> それゆえそんな影にとっては、
> 束縛の問題も解放の問題も決してありえず、
> したがってあなたが私のところに来て、
> 私の話を聞く必要などまったくないと、
> あなたが一片の疑いもなく
> 今確信しているということなら、
> あなたは完全に正しい!
> もしそうなら、
> あなたは完全に正しいだけでなく、
> すでに解放されている。

もしあなたが

今言葉で言った通りの文字通りの意味を

一片の疑いもなく本心から言っているのなら、

あなたは完全に正しい。

それどころか

あなたはすでに解放されている。

> しかし、
> あなたの言うことが、
> 自分がどんな独立も自立もない
> 単なる夢見られた登場人物であることを、
> あなたが受け入れられないという
> ただそれだけの理由で、
> あなたが私を
> 訪問し続けるべきではないという意味なら、
> 残念ながらあなたはまだ
> 最初の一歩さえも踏み出してはいない。
> 実際、
> 解放を求める実体がいるかぎり、
> その人はそれを決して発見しないことだろう。

だがもしそうではなく、

探求者としての自己意識の観点から、

夢の中の登場人物といった言葉など

とうてい受け入れがたいという

不満の表現として発言された言葉なら、

あなたはまだ理解の最初の一歩も

踏み出していない。

開放を求める実体がそこにいるかぎり、

私が伝えたメッセージは

けっして受け取られることはないからだ。

> これを単純なやり方で見てみよう。
> 行為の基本とは何だろうか?
> 必要である。
> あなたは食べる。
> なぜなら、その必要があるからだ。
> あなたの体は排泄する。
> なぜなら、その必要があるからだ。
> あなたは私を訪問する。
> なぜなら、あなたは私を訪問して、
> 私の言うことを聴く必要があるからだ。
> 必要があるとき、
> どんな行為者の介入もなく、
> 行為が自然発生的に続く。
> 誰が必要を感じるのだろうか?
> もちろん、
> 意識が肉体精神装置の仲介を通じて
> その必要を感じるのだ。

少し表現を変えて考えてみよう。

あなたが自分の行為だと主張するその行為とは

基本的に何を意味しているのだろうか?

それはじつは必要を意味しているのだ。

たとえば、

食べるという行為を例に取ろう。

あなたは食べるという行為は

自分がしているのだと言うかもしれない。

たが、あなたが食べるのは、

食べる必要があるからなのだ。

あなたの体が排泄するのは、

体にその必要があるからなのだ。

あなたが私を訪問するのは、

あなたには私を訪問して、

私の言うことを聴く必要があるからなのだ。

そこに必要があれば、

いかなる行為者の介入がなくとも

行為は自然発生的に起こる。

では誰がその必要を感じるのか?

もちろん、

意識が肉体精神装置という道具を使って

その必要を感じるのだ。

> もしあなたが自分はこの装置であると思うなら、
> それは束縛の重荷と解法の探求を想定している、
> 間違えられたアイデンティティの
> ケースではないだろうか?

もしあなたが

自分はこの肉体精神装置という道具だと

自認していると言うのなら、

それは誤解にもとづくアイデンティティが

自分のものでもない束縛と重荷の

解放を求めているということにならないだろうか?

> しかし本当のところ、
> 質問者、
> 探求者こそが求められているものなのだ!

だが、本当のことを言えば、

あなたがひたすら求めているのは

本来の自分の立場であるその探求者自身なのだ。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
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今日もまた暗くなるまで。

こんなことを書き続けて

900回にもなってしまいました。

ふ。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
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