home > 通信 >根本的なことを概観する:『アセンション館通信』第903号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/08/08(第903号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在495名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.根本的なことを概観する

2.編集後記
──────────────────

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■ 1.根本的なことを概観する
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今この瞬間は霧雨が降っています。

涼しくていいですが、

ちょっと外に行ってくると

やっぱり手首に蛭をつけてきたりして。

人間も楽じゃない。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariとの

一体化が緩みはじめている意識です。

目乞食人間のpariとしては

いつでもついつい文字を追いたくなります。

他の本にも手を出してみるのですが、

いつの間にかやっぱり

ラメッシ・バルセカールの

『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』

を開いています。

もし個人というのが存在するのなら

この本を書いてくださった

ラメッシ・バルセカール師に感謝します。(-||-)

そしてこの本を日本語に翻訳してくださった

高木悠鼓さんに感謝します。(-||-)

ラメッシ・バルセカールの描写と

高木悠鼓さんの翻訳をつうじて語る

ニサルガダッタ・マハラジの言葉は

本当に素晴らしいです。

特に今回ご紹介しようと思う一節は、

マハラジがその教えのエッセンスを

これほど簡明な言葉に凝縮して

くださっていたことに驚嘆します。

今回はその

『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』
 
の中程にある

【24 根本的なことを概観する】

という一節をご紹介します。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、

 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 
 24 根本的なことを概観する
 
 
 ボンベイにたった三日間しか
 滞在することができない外国人が、
 朝と夕方のセッションの両方に
 毎日参加していました。
 最後のセッションで彼は、
 「三日間、
  自分は非常にたくさんのことを吸収したので、
  優先順位の区別がつかず、
  何を最初にやるべきで、
  何を延期することができるのかがわかりません」
 と言いました。
 それから、
 自分のマインドの中でそれらを整理して
 覚えておくことができるように、
 根本的なことを概観してくれるように
 マハラジに熱心に頼みました。
 
 マハラジは笑って、
 「自分が男か女かについて、
  自分が両親の息子であることについて、
  あるいは、
  自分の職業について
  マインドの中で混乱があるかどうか」
 を彼に尋ねました。
 もしそういったことについて混乱がなければ、
 なぜ自分の本質について
 混乱がなければならないのか!
 
 「いずれにせよ、
  あなたが頼んだことを取り上げてみよう」
 とマハラジは言いました──
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p152)
 https://amzn.to/2J4Pbtr
──────────────────

> 「三日間、
>  自分は非常にたくさんのことを吸収したので、
>  優先順位の区別がつかず、
>  何を最初にやるべきで、
>  何を延期することができるのかがわかりません」

彼は今回のマハラジ訪問の成果を

凝縮して持ち帰りたかったんですよね。

何かをできる人は存在せず、

ゆえに何をする必要もないことを

理解するのはそう簡単ではなかった。

> 「自分が男か女かについて、
>  自分が両親の息子であることについて、
>  あるいは、
>  自分の職業について
>  マインドの中で混乱があるかどうか」
> を彼に尋ねました。
> もしそういったことについて混乱がなければ、
> なぜ自分の本質について
> 混乱がなければならないのか!

別のところではマッチ箱を取り出して、

「これはあなただろうか?」

と尋ねていましたね。

しかし、マハラジが

自分が言っている内容は
 
それほど単純で自明なことと考えていた、

と思い出すのは大切かもしれません。
 
> 「いずれにせよ、
>  あなたが頼んだことを取り上げてみよう」
> とマハラジは言いました──

こういう内容を表現することは

マハラジという意識が

その理解内容を表現することですから、

マハラジにとって喜びなんですよね。

──────────────────
 あなたが本当に望んでいることは、
 自分の自己
 (行動について
  完全なコントロールをもった肉体−精神実体として
  あなたが見なすように条件づけられているもの)
 について、
 そして、
 自分が住む世界との関係について
 ──片側にあなたがいて、
   もう片側に世界がある──
 受容可能な理解に到達することだ。
 
 今あなたが自分だと思っているものは、
 父親の体の「物質的」要素に他ならず、
 それが母親の子宮の中で妊娠され、
 のちに骨、肉、血などをもった
 赤ん坊の形へと自然に成長した。
 あなたは自分の「誕生」について
 まったく相談されなかったのだ。
 人間の形態が創造され、
 それは赤ん坊から幼児となり、
 ある時期に、
 おそらく二歳頃にあなたは「自分」が生まれて、
 「自分」が名前と形をもっていると聞かされた。
 それ以後、
 あなたは自分の「存在性」の知識をもち、
 「あなた」は自分自身を
 残りの世界とは別の独立した実体をもつ
 分離した個人として見なし始めた。
 では、
 考えてみなさい。
 (1)あなたの両親は
    特別に意図的にあなたを創造したのか?
 (2)あなたの両親は
    妊娠が起こった瞬間を知っていたのか?
 (3)「あなた」は自分の両親として
    特定のカップルを特別に意図的に選んだのか?
 (4)あなたは「生まれる」ことを選択したのか?
 
 これらの質問への答えから明らかなことは、
 人間の形をした形態はほとんど偶然に
 (どんな人の側の同意も選択もなく)
 創造されたことであり、
 そのあとその形態を
 あなたは自分の自己として受け入れたのだ。
 それゆえ、
 「あなた」それ自体は「事実」としては、
 あるいは実体としては存在していない。
 これが第一の根本である。
 形態は自然のプロセスを通じて創造されたのだ。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p152-153)
──────────────────

> あなたが本当に望んでいることは、
> 自分の自己
> (行動について
>  完全なコントロールをもった肉体−精神実体として
>  あなたが見なすように条件づけられているもの)
> について、
> そして、
> 自分が住む世界との関係について
> ──片側にあなたがいて、
>   もう片側に世界がある──
> 受容可能な理解に到達することだ。

自分がここで教わったことの

根本的内容を概観してもらって、

これから自分が何を為すべきかの指針としたい、

と言うあなたが本当に望んでいるのは、

一つは、

あなたがこれまで自分だと思ってきた

その自分の自己について、

そしてもう一つは、

その自分が住んでいる世界について、

あなたが受け容れられる理解に到達したい、

ということだ。

> 今あなたが自分だと思っているものは、
> 父親の体の「物質的」要素に他ならず、
> それが母親の子宮の中で妊娠され、
> のちに骨、肉、血などをもった
> 赤ん坊の形へと自然に成長した。

まず、

現在あなたが自分と見なしている

あなたのその身体から始めよう。

そのあなたの身体は

あなたの父親の精子から始まっている。

それが母親の卵子と結合し、

受精卵として母親の子宮の中で育まれた。

やがて胎児となって出産されて

赤ん坊としてこの世に姿を現した。

今のあなたとはその赤ん坊の成長した姿だ。

これはあなたも認める事実であり、

あなたはこのことを否定しないだろう。

> あなたは自分の「誕生」について
> まったく相談されなかったのだ。

ということは、

この赤ん坊の「誕生」について

あなたはまったく感知していないわけだ。

> 人間の形態が創造され、
> それは赤ん坊から幼児となり、
> ある時期に、
> おそらく二歳頃にあなたは「自分」が生まれて、
> 「自分」が名前と形をもっていると聞かされた。

起こったことはただ、

一つの人間の種子の創造があり、

それが赤ん坊から幼児の形態となったこと。

そしてある時期、

(おそらくそれは二歳ごろのことだろうが)

その形態を基盤に起こっていた意識

(つまり「私は在る」という感覚)が、

お前はその身体として生まれてきた、

○○という名前の人間だと聞かされた……

というわけだ。

> それ以後、
> あなたは自分の「存在性」の知識をもち、
> 「あなた」は自分自身を
> 残りの世界とは別の独立した実体をもつ
> 分離した個人として見なし始めた。

それからというもの、

あなたは自分を

まわりの世界から切り離された

この自分の体という独立した実体をもつ

分離した個人と見なし始めたのだ。

> では、
> 考えてみなさい。
> (1)あなたの両親は
>    特別に意図的にあなたを創造したのか?

では、

ここでもう一度確認しておこう。

あなたの両親は、

特に意図して

今のあなたという属性の人間の創造を選択し、

それに関与したのだろうか?

> (2)あなたの両親は
>    妊娠が起こった瞬間を知っていたのか?

あなたの両親は

あなたを妊娠することを

その瞬間に意図的に選択していたのか?

> (3)「あなた」は自分の両親として
>    特定のカップルを特別に意図的に選んだのか?

「あなた」は特定のカップルを

自分の両親として意図的に選択したのか?

> (4)あなたは「生まれる」ことを選択したのか?

そしてあなたは

自分が「生まれる」ことを選択した覚えがあるか?

(もしここで、
 
 ミナミAアシュタールから聞いた話を加味するなら、
 
 またまったく別の解釈も成立することでしょう。
 
 物語は記憶によって成り立つわけですから。
 
 しかし、ここではもちろん、
 
 マハラジの論理展開を追います。)

> これらの質問への答えから明らかなことは、
> 人間の形をした形態はほとんど偶然に
> (どんな人の側の同意も選択もなく)
> 創造されたことであり、
> そのあとその形態を
> あなたは自分の自己として受け入れたのだ。

以上のそれぞれの質問に対する

あなたの答えから明らかなことは、

(ミナミAアシュタールふうに言うなら

 「少なくともこのテラでは」
 
 ということになりますが……)

人間の身体の創造は、

人間の側からのどんな同意も選択もなく

起こっていることを認めざるをえない。

あなたはただ、

そのようにして創造された形態を

自分の自己として受け容れたのだ。

> それゆえ、
> 「あなた」それ自体は「事実」としては、
> あるいは実体としては存在していない。

というわけだから、

事実として、その身体の誕生に関与した

「あなた」という実体は存在しなかった。

> これが第一の根本である。
> 形態は自然のプロセスを通じて創造されたのだ。

これが「あなた」に関する第一の要点だ。

あなたの形態は現象世界の中の

自然過程の中で創造されたものだ。

──────────────────
 それから質問は、
 私たち──私たちすべて──は何か、
 ということである。
 現象としては、
 私たち一人ひとりは、
 私たちを認識してる人たちの意識の中の
 単なる見かけにすぎず、
 それゆえ、
 そう見える私たちは現象なのだ──
 一時的で、制限され、
 感覚にとって認識可能なもの。
 一方、
 私たちの本質、
 私たちが今までずっとそうであってもの、
 これからもずっとそうであるもの、
 名前も形もないものは非現象である──
 時間がなく、空間がなく、
 認識不可能な存在。
 
 しかしながら、
 あなたはこの基本的事実を
 自分は「理解」したとどれほど確信しても、
 名前と形をもった一個の実体との
 一体化から自分自身を解除することは、
 ほとんど不可能だとわかるだろう。
 この解除が起こるのは、
 あなたが分離した実体と考えていたものが、
 完全に消滅させられたときだけである。
 これが二番目の根本、
 マーヤー(幻想)のパワーである。
 自分自身の独立した実存を
 何ももたない単なる一個の現象物が、
 「現実」だと考えられ、
 この幻影によって
 何かに「なろう」とする努力が為されている
 ──影がその本体を追いかけている。
 一方実際は、
 あなたは
 解放を欲しがっている束縛された影で
 あったことは一度もなく、
 ずっと本体であったのだ。
 何とも面白いことだが、
 しかしまあ、
 それがマーヤーというものだ!
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p154)
────────────────── 
 
> それから質問は、
> 私たち──私たちすべて──は何か、
> ということである。

あなたの質問の二番目の要点は、

私たちとは何かということだ。

> 現象としては、
> 私たち一人ひとりは、
> 私たちを認識してる人たちの意識の中の
> 単なる見かけにすぎず、
> それゆえ、
> そう見える私たちは現象なのだ──
> 一時的で、制限され、
> 感覚にとって認識可能なもの。

現れとしての私たちは

それぞれが他者の意識の中での

ただの見かけにすぎない。

それゆえ目に見える私たちとは

限界をもち属性を帯びた、

つかの間の単なる知覚の対象物にすぎない。

> 一方、
> 私たちの本質、
> 私たちが今までずっとそうであってもの、
> これからもずっとそうであるもの、
> 名前も形もないものは非現象である──
> 時間がなく、空間がなく、
> 認識不可能な存在。

一方、私たちの本質とは

どんな制限も、

どんな属性ももたないもの。

つねに変わらない永遠に不変の常在だ。

名前も形ももたないもの、

すなわち非現象だ。

それは時間と空間に属さない

認識不可能な存在だ。

> しかしながら、
> あなたはこの基本的事実を
> 自分は「理解」したとどれほど確信しても、
> 名前と形をもった一個の実体との
> 一体化から自分自身を解除することは、
> ほとんど不可能だとわかるだろう。

だがここで

言及しておかなければならないのは、

たとえあなたが

この基本的事実を自分は「理解」したと

どれほど確信したとしても、

あなたがこの名前と形をもった

“実体”との一体化から解除されることは

まずありえないことだ。

> この解除が起こるのは、
> あなたが分離した実体と考えていたものが、
> 完全に消滅させられたときだけである。
> これが二番目の根本、
> マーヤー(幻想)のパワーである。

この解除が起こるためには

あなたが分離した実体と考えているものが

完全に消滅することが必要なのだ。

これが二番目の要点、

この幻影(マーヤー)のパワーだ。

> 自分自身の独立した実存を
> 何ももたない単なる一個の現象物が、
> 「現実」だと考えられ、
> この幻影によって
> 何かに「なろう」とする努力が為されている
> ──影がその本体を追いかけている。

この幻影(マーヤー)の中では、

単なる一個の知覚の対象物にすぎないものが

自らを独立した実体と見なし、

その思い込みの中で

何かに「なろう」とする努力が為される。

非現象の影にすぎない現象の中で、

仮想の“実体”が本体(非現象)を求めるのだ。

> 一方実際は、
> あなたは
> 解放を欲しがっている束縛された影で
> あったことは一度もなく、
> ずっと本体であったのだ。
> 何とも面白いことだが、
> しかしまあ、
> それがマーヤーというものだ!

だがその間、

現象を自らの中に幻じている

「あなた」という非現象は、

実際は束縛された実体として

解放を求めていたことは一度もない。

そもそもあなたは

いかなる制限とも属性とも無縁な

非現象に他ならないからだ。

「私は在る」という知識をもったあなたは

常に自らを探求している。

現象を求めていると言ってもいい。

だがいったん見かけが現れると、

今度はその見かけの中で

個々の仮想の実体が迷子になるのだ。

何ともバカげた話だが、

それが幻力というものだ!

────────────────── 
 そして、
 三番目の根本──
 もし空間−時間がなければ、
 あなたは現象世界のどんな面も
 認識できただろうか?
 もし現象が空間へと拡大されず、
 三次元の「体積」が与えられないとしたら、
 そして、もしそれらが
 時間の経過の中で計測されないとしたら、
 あなたは
 見かけの宇宙の何も認識することはおろか、
 思い描くことさえできないだろう。
 すべての現象は
 意識の中で思い描かれ認識される、
 空間−時間の中の単なる見かけであることを
 マインドに留めておきなさい。
 そして、
 絶対の全体性というまさにその概念そのものが、
 意識の中の観念にしかなりえないのだ!
 意識が絶対と融合するとき、
 何かを知りたいと思う、
 あるいは、
 何かを経験したいと思う
 誰かや何かがありえるだろうか?
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p154-155)
────────────────── 
 
> そして、
> 三番目の根本──
> もし空間−時間がなければ、
> あなたは現象世界のどんな面も
> 認識できただろうか?

そしてあなたの質問に含まれている

三番目の要点だが、

もし空間−時間という

意識の観念装置がなければ、

あなたはいかなる現象世界も

認識できなかったということだ。

> もし現象が空間へと拡大されず、
> 三次元の「体積」が与えられないとしたら、
> そして、もしそれらが
> 時間の経過の中で計測されないとしたら、
> あなたは
> 見かけの宇宙の何も認識することはおろか、
> 思い描くことさえできないだろう。

たとえあなたが現象を想像できても、

もしその現象を空間に拡大して

三次元の「体積」を与えなかったら、

それを見つけられないだろう。

またそれを時間経過の中に延長せずには、

それを知覚することもできないだろう。

> すべての現象は
> 意識の中で思い描かれ認識される、
> 空間−時間の中の単なる見かけであることを
> マインドに留めておきなさい。

すべての現象は、

空間−時間という観念によって

コード化され、解読されて、

はじめて創造され、認識される

意識の中の単なる観念的見かけであることを

覚えておきなさい。

> そして、
> 絶対の全体性というまさにその概念そのものが、
> 意識の中の観念にしかなりえないのだ!

そしてまた、

「絶対の全体性」という概念自体も、

意識の中の観念でしかありえないのだ!

> 意識が絶対と融合するとき、
> 何かを知りたいと思う、
> あるいは、
> 何かを経験したいと思う
> 誰かや何かがありえるだろうか?

意識の内容物が

非現象である絶対に融合するとき、

そこに何かを知りたい誰かや、

何かを経験したい何かがありえるだろうか?

────────────────── 
 そして最後の根本──
 もし私が今までに言ったことが
 明確に理解されたなら、
 「あなた」が生まれる前の状態、
 あなたの本質を
 直感的に理解することができる
 はずではないだろうか?
 あなたは、
 意識が自然発生的に起こり、
 存在の感覚をもたらす以前の
 根本の状態へ戻ることができるだろうか?
 「存在の感覚」の状態は
 肉体が実存しているかぎり真実である。
 肉体の寿命が終わったとき、
 この意識している存在は原初の状態へと融合し、
 そこには存在しているという意識がない。
 誰も生まれず、
 誰も死なない。
 空間−時間の中で、
 生存期間として対象化された単なる出来事の
 経過と始まりと終わりがあるだけだ。
 現象としては、
 束縛されているどんな実体もなく、
 非現象としては
 解放を必要としているどんな実体もありえない。
 直感的に理解されるべきことは次のことだ──
 現象の夢−世界は単に観照されるべき何かである。
 その訪問者は、
 マハラジに頭を下げ、
 そして、
 「私は最初の言葉で
  最高の知識を受け取りました」
 と言い、
 さらに
 「自分の本質について知ったので、
  私はもう他に何も学ぶことがありません」
 と付け加えました。
 
 『ニサルガダッタ・マハラジが
  指し示したもの』(p155-156)
──────────────────

> そして最後の根本──
> もし私が今までに言ったことが
> 明確に理解されたなら、
> 「あなた」が生まれる前の状態、
> あなたの本質を
> 直感的に理解することができる
> はずではないだろうか?

そしてあなたが理解すべき

最後の要点だ。

もし私が今までに言ったことを

あなたが明確に理解したとするなら、

生まれる前の「あなた」が

何だったのか?

そのあなたの状態、

あなたの本質を直感的に

理解できるのではないだろうか?

> あなたは、
> 意識が自然発生的に起こり、
> 存在の感覚をもたらす以前の
> 根本の状態へ戻ることができるだろうか?

あなたは、

意識が自然発生的に起こり、

「私は在る」の感覚が生まれる以前の

本来の状態へ戻ることができるだろうか?

> 「存在の感覚」の状態は
> 肉体が実存しているかぎり真実である。

この身体が存在するかぎり

この存在感の状態は避けられない。

> 肉体の寿命が終わったとき、
> この意識している存在は原初の状態へと融合し、
> そこには存在しているという意識がない。

肉体がその寿命を終え、

この意識存在が原初の状態に還れば、

そこにはこの存在感は存在しない。

> 誰も生まれず、
> 誰も死なない。

そこでは

生まれる者もいなければ、

死ぬ者もいない。

> 空間−時間の中で、
> 生存期間として対象化された単なる出来事の
> 経過と始まりと終わりがあるだけだ。

空間−時間という概念装置の中でのみ、

寿命という単なる出来事の経過と

その始まりと終わりがあるだけなのだ。

> 現象としては、
> 束縛されているどんな実体もなく、
> 非現象としては
> 解放を必要としているどんな実体もありえない。

現象面から言うなら、

束縛されているどんな実体も存在しない。

また非現象面から言うなら

解放を必要とするどんな実体も存在しない。

> 直感的に理解されるべきことは次のことだ──
> 現象の夢−世界は単に観照されるべき何かである。

直感的に理解すべきなのは、

現象世界という夢は

ただ観照されるべきものだということだ。

巻き込まれて動揺するほどの

意味のあるものではない。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………


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   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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夢中になってこんな言葉をなぞって、

バカみたい。(*^_^*)

今日もまた暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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