home > 通信 >夢見た自分と和解する:『アセンション館通信』第904号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/08/15(第904号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在494名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.夢見た自分と和解する

2.編集後記
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■ 1.夢見た自分と和解する
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また雨が降っていますね。

涼しいのはありがたいです。

雨が降っている時は雨が降っているのがいい。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人pariとの

一体化が緩みはじめている意識です。

毎週こういうものを書いていると、

文章が自然にいくらでも出てくることもあれば、

ふんづまったように何も出てこないときもあります。

ただ何も出てこないときもありますが、

アクセルブレーキのようなときもあります。

何かを言おうとするとどうしても

それがただ一瞬の思いにすぎないという感じが

起こってくるわけです。

そうも言えるけど、

それはただ今起こっている思いで、

そう思えないときもあるわけだし、などと。

あとから湧いてくる思いが、

前の思いを応援してくれないみたいな感じです。

別に気にすることもないんですけどね。

ただのいっときの観念なんですから。

こんな文章を書いたり、

賢者のモノマネみたいなことを十数年もやってきて、

わかったことって何かあるんでしょうか?

すべてはただのスクリーン上の光の点滅なんだ……

と思われることもあります。

どのパターンが正しいという基準も無いですし。

基準そのものが一瞬のパターンですから。

そこではそれが起こったというだけです。

いいとか悪いとか言う者は

そこで起こっているパターンのなかにいるだけで、

そのパターンの背景にはスクリーンが在るだけです。

そのパターンが消えたら

スクリーン上には判断する者は誰もいません。

スクリーン自体は何も判断しないでしょう。

もしそのスクリーンが消えることがあったら、

そこにはもともと何もない。

スクリーンが在るのと

スクリーンも無いのとでは

違いがあるか無いかと言えば、

そこにはそんなことを気にする者がいない。

Who cares? 誰が気にするの?

というわけです。

何かがいいとか良くないとかいう判断は、

ただスクリーン上に現われた架空の物語の中で

想像上の誰かに浮かんだ一瞬の観念にすぎない。

ま、そんな観念が配達されてきたら、

やっぱりはかばかしくは何も言えない感じです。

いろんな観念が配達されてきます。

こんなのはどう?

これ、気にしたほうがいいかも、というように。

みんな色気満々の観念たちですが、

はてさて、だからどうだと言うの?

というマインド自警団の火消し部隊……

みたいなのが出てきて水を差すこともあります。

身体が生きているあいだは、

なんかかんかの想念が配達されてくるのでしょう。

……。(-_-;)

こう言うとまるで悟った干物みたいな感じですが、

普段はもっと生活上のレベルで

ただ普通に生き物としての反応をしています。

ただ……、

以前は欲望することの当然さを

もう少し疑っていなかったような気もします。

今だって

欲望が湧いたり心配が湧いたりします。

でも、以前ほど

欲望を追求しようとしたり

心配を避けようとしたりしないような。

これは精神関連というよりは

むしろ肉体関連の変化なのかもしれません。

ただ身体のその感覚を感じているというか。

欲望するって

それほど道理にかなったことかとも思うし。

たしかに、

現象世界の設計仕様では

(もし、そんなものがあるとしたらですが)

人間という生き物は

欲望するのがデフォルトかもしれないけれど、

別に、起こるままでいいじゃない、という気分も、

一定の確率のもとで

起こることになっているのかもしれません。

ひとつの人間の身体が誕生したら、

その身体が崩壊するまでは

夢の物語が展開するんでしょうね。

そう言えば、

『誰が夢のバスを運転している?』
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というDVDを観ました。

夢のバスを運転している誰かは

その夢を見ている誰かと同じなんでしょうか?

あ、いや、

夢を見ているのは

その夢のバスに乗っている自分だな。

あるいはその夢を見せられているというか。

またあるいは、

その夢のバスを運転している誰かに委託されて

その誰かの代わりにその夢を見ているというか。

言葉を換えれば、

その夢のバスを運転している誰かが

夢のバスに乗っている誰かに一体化して

その乗り手として夢を見ているというか。

その乗り手は知覚の対象物だから、

本当は夢の中の登場人物であって

実際はその夢を見ることができない。

その乗り手がそのことを理解したら

観られる夢は

その夢のバスを運転している誰かの

観点からの風景になる。

夢のバスを運転している誰かがいないのに、

見られる夢だけが存在することはありえない。

でも夢が見られていなくても、

夢のバスを運転している誰かに

なる可能性は潜在している。

「それ」は在るんでしょうね。

絶対的存在、

ミナミAアシュタールの言い方で言う

絶対無限の存在は在るわけです。

「私は在る」。

ということは、

別の言い方をするなら、

夢のバスを運転している誰かと

夢のバスの乗り手は同じだということです。

夢の中の登場人物であるわれわれと、

その夢を観ている主体性は同じものなのでしょう。


pariという対象物に一体化した意識は、

感謝ということがどうも理解できませんでした。

それは、

「感謝」という言葉を

誰かが別の誰かに向ける感情のように

理解していたからです。

しかし、

感謝とは自分を夢から救い出すための

感情だったのかもしれません。

なぜなら、

自分以外には誰もいないからです。

たしかに、

自分は自分を夢見ることをしたかもしれない。

オッチョコチョイの自分なら

いかにも自分を夢見るようなことをしそうだと、

自分を夢見た自分を許せるとき、

ただ自分を救うために、

ただ夢の中のデフォルトの

分離の幻想を破壊するために、

夢見られた自分が夢見た自分と和解するのです。

ことさら「感謝」という言葉を

使う必要はないかもしれない。

ただ、

夢を許すだけでいいのでしょう。

その夢を望んだ者が

他にいるわけではないのだから。

そして現に、

自分がまだその夢に興味をもって、

まだその夢を観たがっているのだから。

アーメン。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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ふふ。

夢中になってこんな言葉を書きまくって。

そなたはバカじゃぞ。(*^_^*)

今日もまた暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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