home > 通信 >『アセンション館通信』第910号:止まるということ J・トリフソン



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/09/26(第910号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com/mm/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在494名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.止まるということ J・トリフソン

2.編集後記
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■ 1.止まるということ J・トリフソン
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右下の糸切り歯の歯茎に違和感があって

歯医者に行ってきました。

どうやら滑り込みセーフだったみたいで、

けっきょく神経を抜いてもらいました。

このまま痛くなって夜になると

一日我慢するのはけっこう大変だったかも、とか。

助かった。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

まだ暗い内にトイレに起きて

ベッドに戻ってくると、

すぐには寝られないことがあります。

もちろん眠るつもりで目をつぶっていると、

そのうち眠ってしまうのも確かなのですが、

ちょっと枕元の本などに手を出して、

しばらく読んでしまったりもします。

内容がとても良くわかって

それがかなり気持ちがいいことを

経験的に知っているからです。

今朝は本ではなくてスマホを手に取り

ヒロさんの翻訳サイトで

しばらくぶりにジョーン・トリフソンの文章

(というかその翻訳)を読んでみました。

【止まるということ ジョーン・トリフソン】

という文章でした。

──────────────────
 スピリチュアルな実践
 (ここからここへの道のない道)は、
 つまるところはとても単純なものだ。
 今にいて、目覚めていて、オープンでいること。
 あるがままのシンプルさにくつろぐこと。
 他のありようがありえないものとして存在すること、
 つまり、
 いまこの瞬間に起こっていること、
 ただそのままだ。
 https://resonanz360.wordpress.com/2012/07/12/joan-resting/
──────────────────

という文章から始まるページです。

──────────────────
 私は長年にわたって、瞑想をしたり、
 目覚めを経験したり、
 非二元についての本を書いたり
 ミーティングをしたりしてきた。
 だがそれでも、
 この瞬間に起こっていることに対して抵抗し、
 不快さ、心配、落ち着かなさ、不満足、
 不安、寂しさ、憂鬱、疑い、むなしさ、
 どのように表現してもいいのだが、
 そういう根本的な感覚から
 逃避しようとしていることが時々ある。
 突然、私は、
 無意味な虚空にただ独りでいるのだとか、
 自分の人生をめちゃめちゃにしてしまった、
 といったようなストーリーの説明に
 飲み込まれてしまう。
 なにかぞっとするほど気分の悪い状態の中に
 自分が溺れつつあるという、
 不確かで心をかき乱すような感覚が生じる。
 私は本棚に駆け寄って
 役立ちそうなスピリチュアルの本を探すか、
 テレビをつけて
 無分別にいろいろなチャンネルを見て回るか、
 インターネットで
 関心もないようなことについての
 記事を読み始める。
 あるいは、衝動的に指を噛みながら、
 指を噛むのを止めたいという強い欲求と、
 噛み続けたいという
 抗しがたい衝動との間の葛藤の内側に
 ますますきつく
 縛り付けられてしまったように感じる。
 身動きできないように感じ、
 逃げ道を必死に探しながらも、
 逃げることの出来ない
 うんざりする癖の中に
 はまりこんでしまったと感じる。
──────────────────

このジョーン・トリフソンという方の

他の先生たちと一味違った

メッセージのすばらしさは、

まさにこのような文面を

入れてくださることですよね。

まだこういう文章を読もうとする

人間(をやっている意識)にとって

これがどれほどありがたいことか。

書き手と読み手という仮想された敷居を

一挙に飛び越えることができます。

ジョーン・トリフソンという方が

どれほど情報を渉猟した方であるかは

彼女のサイトを見ればよくわかります。

そこには彼女お勧めの書籍
https://www.joantollifson.com/recommend.html

動画
https://www.joantollifson.com/movies.html

リンクが掲載されています。
https://www.joantollifson.com/links.html

数ある探求者の中でも

これほど多くの情報を渉猟した方は

あまりいないかもしれません。

もう本当に憑かれるように

やるだけやり尽くした方なのです。

そうするしかなかった。

このpariという身体の場合も

こうするしかなかったわけですから、

身につまされるという意味で

よく分かるという言い方もできるかもしれません。

とにかくジョーン・トリフソンという方は

人並み外れてエネルギッシュな方であることは間違いない。

そしてそのジョーン・トリフソンが、

この【止まるということ】という文章の中では

上述の部分に続いて次のように書いています。

──────────────────
 そのうち、こんなことが心に浮かぶ。
 何かをしようとするのを
 (または何かをしないようにするのを)止めよう、
 解決方法を探したり
 気晴らしをしたりするのを諦めよう、
 ただ今にあろう、
 あるいは、すべてが
 あるがままの状態にあることを認めよう、と。
 不意に、
 〈ここ・今〉の現実に完全に明け渡し、
 何にも抵抗しないでいられるようになる。
 それがいま起こっていることであるならば、
 強迫的に指を噛むことにさえも抵抗しない、
 ということができるようになる。
 すると即座に、
 私はハートがオープンになっているのを感じる。
 これが、統御しようとすること、
 探し求めようとすることが終わることであり、
 抵抗して避けようとすることが終わることであり、
 自分を直して誰か他の人になろうとすることが
 終わることであり、
 すべてを解き明かそうとしたり、
 正しい概念的な地図を見極めようとすることが
 終わることなのだ。
 これは何も知らないということであり、
 知ることを必要としていないということだ。
 急に、問題が何もなくなる。
 自分もない。
 あるのは、すべてをあるがままに含む、
 この分けることのできない広大な存在だけだ。
 すべて問題ない。
 指噛みも、不安や心配の感覚でさえも。
 いまある状態を変える必要があることは何もなく、
 いまあるそのままに完全にオープンであるとき、
 すべてはどんな状態にあるわけでもない
 ということが分かる。
 すべては動いていて、
 変化していて、消えていく。
 途方もない安心の感覚がある。
 問題は想像上のものだったのだ。
──────────────────

見事ですよね。

寝床の中という暗示のかかりやすい

曖昧な状態の中でこの文章を読んでいると、

ただちにこの状態になれるわけです。

書かれていることは、

実際そのとおりなのですから。

──────────────────
 そして実際、
 これが存在するものすべてなのだ。
 結局のところ、
 あるもののシンプルさということにつきる。
 この今起こっていることとしてあるということ、
 他のありようがありえないものである
 これとしてあるということ、
 ただあるということだ。
──────────────────

ジョーン・トリフソンの導きのままに、

一挙にここまで飛んでしまえるわけです。

まあ、彼女がここまで来るまで

どれほどの体験をさせられたことか。

──────────────────
 この、
 止まって穏やかでいることができる
 という可能性に気がつくまで、
 そして、止まるとか、
 ただあるということが
 何を意味するかが分かるまで、
 何年もかかるかもしれない。
 さらに、
 この可能性に気がついた後であっても、
 常にそれがあり続けるわけではない。
 もちろん、
 それは〈ここ・今〉であるものなのだから、
 ある意味では、
 それは常にあるのだし、
 私たちが見かけの上で収縮、抵抗、動揺の
 まっただ中にあるときでさえも、
 私たちがここにいないということは
 決してありえない。
 私たちは自分が考えるのとは違って、
 わだちにはまっているということはありえず、
 本当は、
 この瞬間に起こっていることから
 分離した何かとして
 私たちというものが
 存在しているわけではないのだ。
──────────────────

実際は、いつでも、常にそうなのです。

そしていついかなるときにも、

実際は、常に

──────────────────
 ただ、ついに私たちが止まるとき、
 そこには問題はない。
 そして、
 問題を抱えている分離した自己も存在しない。
──────────────────

ということが事実なのです。

この文章はかなり長い文章ですが、

最後にはこんなふうに締めくくられています。

──────────────────
 だから、もう一度言うが、
 これは本当にとても単純なことなのだ。
 目覚めていること。
 この瞬間に起きていること、
 まったくそのままの中でくつろぐこと。
 理解しようとしたり、
 いまある状態とは違ったようにしたいという
 気持ちを緩めること。
 ハートをオープンにすること。
 ただこれ。
 まさにここ、たったいま。
──────────────────

(-||-)

この事実を変えられるような

夢の中の登場人物は存在しません。

どんな夢の中の登場人物にも

【いまある状態とは違ったように】

できる能力をもった存在はいません。

そもそも起こっているそのことが、

その夢の内容そのものなのですから。

とてつもない愚かな心配性の登場人物がいたとして、

その愚かな心配性が彼の夢を悪化させることが

できるでしょうか?

いいえ、できません。

彼の身体は

彼の夢がまさにそのような夢として表現されるべく

誕生させられたわけですから。

わたしの夢をよりひどいものにできる

わたしという人物など存在しません。

わたしはただ慎重に考えて、

自分がしたいことをすればいいだけです。

それがわたしの身体が誕生させられた

理由といえば理由なのですから。

わたしはどんなに頑張っても

わたしという夢をより良い方向に改善することも、

より悪い方向に改悪することもできません。

わたしが演じるドタバタ

それこそがわたしの身体が誕生させられた

夢の中の理由なのですから。

なんというやすらぎでしょうか。(-_-)

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日はすっかり暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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