home > 通信 >マハラジの三段階:『アセンション館通信』第915号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2021/10/31(第915号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在494名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.マハラジの三段階

2.編集後記
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■ 1.マハラジの三段階
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今日も雲ひとつないポカポカ陽気。

ありがたいことです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

この身体として生を享け、

人間という位置づけを受け容れて以来、

その人間としての自分の立場から

何かを期待しまた何かを避けようとして、

数え切れない問題を創造(想像)しつづけてきました。

そして人間の大部分がそうであるように、

その方法によって問題の根本的解消が

起こることはありませんでした。

かくて少なからぬ人間に起こるように、

探求という物語が起こったわけです。

そして今、

ある程度の論理的理解を通り抜けることで

意識の中に発生する問題のすべて、

またその問題発生の機序そのものが、

特段の犯人を問い詰めることなどできない

一種の自作自演の自然過程であることがわかりました。

現象の中の何かを求めるということが

現象の中の何かを忌避することと表裏一体であるように、

現象の中の何かを手柄にし舞い上がることは、

何か現象に罪悪感を感じ落ち込むことなしには不可能でした。

寄せる波があれば引く波があり、

一方の波だけを願うことはもともと無理な相談でした。

“誰”かに現象しているその世界は、

まさに“その人”そのものの願いと忌避、

“その人”という欲望と恐怖の表現以外ではありませんでした。

現象の中の他の実体の犠牲になる実体は

現象の中には存在しません。

しかしそんな理屈が

現象の中の他の“実体”の犠牲になっている

別の“実体”に理解されることもありません。

現象の中に想像された虚構の“実体”は

それぞれ固有の時節を演じており、

それら個々の観念がそれ自身以外を演じることはできないらです。

いかなる思考、いかなる観念も、

それ自身以外の思考、それ自身以外の観念を

代表することも代替することもできません。

どんな思考、どんな観念も固有の時節です。

それらはすべて一大観念構造体の部分集合であり、

一大観念構造体から離れては存在できません。

全現象はこの一大観念構造体に依拠して現われています。

一大観念構造体とはすなわち全想像です。

そこには想像以外のどんな実体もありません。

現象世界内のすべての“根拠”は

一大観念構造体内部での「盥回し」、

「責任転嫁」という観念操作に依存しています。

「責任転嫁」とは一大観念構造体内部での

「盥回し」と「判断停止」による目眩ましです。

別の言い方をするなら、

「エゴ」とは「責任転嫁」によってしか存在できない

観念的態度だと言えるでしょう。

もちろん、

「エゴ」という実体が存在するわけではないので、

意識が“創造の遊び”を始めるとき、

必然的に依拠せざるをえないのが

「エゴ」という意識的態度だと言えるでしょう。

かくて誰ひとりいない意識の内容物の中で

「盥回し」と「判断停止」による

「神の隠れん坊(リーラ)」が起こります。

いったん始まってしまった

この“手柄”と“罪悪感”の

そして“自惚れ”と“卑下”の虚構のゲームは

止め処もなく起こりつづけることになるかもしれません。

なにしろそれを停止させる誰もそこには存在しないからです。

しかしまた、

その偉大な「神聖遊戯」には

実際に誰かが閉じ込められているわけでもありません。

もしその中に想像された虚構の“誰か”が

ある限度を超えた状態になれば、

その虚構の“誰か”の自然消滅が起こるかもしれません。

とはいえそれは

ただ単に「もうやめたい」と言う程度の状態では

起こらないかもしれません。

なにしろその遊びには依存症的な側面があるからです。

まるで悪いヤクザに賭場に引き込まれた大店の若旦那のように、

自分は悪くないみたいな言い訳をしているかぎり、

簡単には賭場の借金は棒引きはしてもらえません。(^_-)

想像に次ぐ想像に付き合ってきたのは、

まちがいなく「自分」なのですから。

その「自分」が

“手柄”と“罪悪感”の愛着と憎悪を手放し、

「欲望」と「恐怖」の麻薬中毒から回復して

ただの素面に戻る必要があります。

これが、

マハラジが言う「意識の断食」ということなのでしょう。

つねに変転しつづける意識の【見かけ】に

焦点を合わせつづけているかぎり、

絶対的主観性という自分自身でいる退屈には耐えられません。

「エゴ」とはまさに

その実在の現前(つまり自分の死滅)を

回避する衝動として設定されているわけですから。

そしてその実在の現前の回避こそが、

絶えざるマインド娯楽への中毒状態というわけです。

そこにはたくさんの無意識的戦略が内蔵されています。

次々と新たな情報に興味を持つこと。

そして単純な理解が沈むのを許さないことは、

まず基本のキの戦略だと言えるでしょう。

【見かけ】のなかには

無限の目移りを促す重要そうな情報が溢れていますから。

そのなかで「盥回し」と「判断停止」を利用すれば

いくらでも油を売りつづけることは可能なわけです。

けれども、身体の命はそれほど長くもない。(^_-)

……まあ、人生というものは

そんなふうに展開することになってるのでしょう。

起こることになっていることしか起こらない。

すべては意識が見ている夢なのですから。

意識の外に夢を観る誰ががいるわけではありません。

それにもかかわらずなかなか深まらないものです。

あたかもこの身体の自分が

実際にこの状況の中に存在しているかのような感覚に

またいつの間にか戻っていたりするものです。

ただひとつしか存在しない意識が、

たくさんの窓を通してたくさんの夢を観ている。

けれども覚めなければならないのは

この身体を介して観ている夢からだけです。

たくさんの夢から覚めることなどできませんし、

そんな必要もありません。

たったひとつの、いま観ている夢から覚めたら、

すべての夢は存在していないことがわかります。

そして同時に、

どんな“自分”も他の人の理解を通じて

夢から覚めることはできません。

他の人の夢の解除方法によって目覚めることはできません。

“自分”の夢の解除はその“自分”の解体ですから。

「神聖遊戯」とは新たな夢を創造して

その夢固有の覚醒を創造する遊びなのかもしれません。

とはいえ理屈っぽい夢の紡ぎ手に対しては

ニサルガダッタ・マハラジが提供する二元性的方便は

とても汎用性が高いようにも思われます。

それは三段階で理解を深める方便です。


●第一段階:現象の中にあなたはいない
 
 あなたは他者や物という環境に囲まれた
 
 分離した個人として存在している。
 
 あなたは他人と自分というゲームを演じている。
 
 つまり、他人は自分ではないというゲームだ。
 
 あなたは他人を知覚している主体だ。
 
 他人はあなたという主体が知覚している対象物だ。
 
 あなたはまわり中の対象物を知覚している主体だ。
 
 あなたが知覚している対象物はあなたではない。
 
 五感を通じて体験できる対象物はあなたではない。
 
 あなたはあなたを取り巻く世界を体験している。
 
 ゆえにあなたは五感を通じて体験できる世界ではない。
 
 あなたは自分の身体も知覚することができる。
 
 ゆえにあなたは自分が知覚できる身体ではない。
 
 あなたは五感を通じてあなたの感覚を体験している。
 
 ゆえにあなたは五感を通じて体験できる感覚ではない。
 
 あなたは想像を通じてあなたの思考を体験している。
 
 ゆえにあなたはその想像を通じて体験できる思考ではない。
 
 あなたはあなたの意識を通じて感情を体験している。
 
 ゆえにあなたは意識を通じて体験できる感情ではない。
 
 ゆえにあなたが体験できる一切はあなたではない。
 
 全現象の中にあなたはいない。


●第二段階:現象しているものはすべてあなただ
 
 しかし体験する主体と体験される対象物というのは
 
 単に想像された観念にすぎない。
 
 実際はそこに「主体」と「対象物」という実体が
 
 存在しているわけではない。
 
 実際に起こっているのは体験することだ。
 
 あなたは現象を知覚している主体であると同時に
 
 知覚されている対象物でもある。
 
 知覚する主体と知覚されている対象物とは
 
 分離という単なる虚構の観念にすぎず、
 
 実際には「主体」も「対象物」も存在しない。
 
 実際に起こっているのは
  
 「主体」と「対象物」という【見かけ】上で分岐した
 
 ひとつの体験過程にほかならない。
 
 起こっているすべて、
 
 そこで体験されているすべてはあなただ。
 
 そこにはあなたという意識しか存在していない。
 
 
 ●第二段階:世界は存在しない
 
 顕現している世界は
 
 実際にはひとつの体験過程ですらない。
 
 それは時間と空間、
 
 記憶とその再生という概念装置を使った
 
 単なる虚構の想像でしかない。
 
 すべて想像された意識の内容物以外に、
 
 世界というものは存在しない。
 
 あなたを世界に拘束しているものは、
 
 あなたの世界に対する興味以外には何も存在しない。
 
 意識に対するあなたの興味が世界を存在させている。
 
 実際は、世界というものは存在しない。
 
 世界を存在させているのは、
 
 世界が存在するというあなたの信念なのだ。

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 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」
 という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、
 あなたはあるがままの
 非二元性のあなたとして残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は
 自己に関する偽りの観念によって
 妨げられているのだ。
 
 『私は在る』(p537)
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(-||-)

誰も悪くない。

私を拘束している誰かが存在するわけでもない。

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 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、
 それに参加したいと望むかぎり、
 それはそこに在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、
 それは溶け去る。
 それは原因がなく、
 何の目的にも仕えない。
 
 『私は在る』(p196)
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(-||-)

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 世界は続いていく。
 だが、ほんのつかの間だ。
 記憶が、
 世界は継続するとあなたに考えさせるのだ。
 記憶のなかに生きていない私にとって、
 世界は意識のなかのつかの間の現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p37)
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(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日は一日とてもいい天気でした。

今日はもう暗くなりました。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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