home > 通信 >「私」は何にも成れない:『アセンション館通信』第927号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2022/01/23(第927号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在493名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「私」は何にも成れない

2.編集後記
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■ 1.「私」は何にも成れない
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今日は晴れて暖かい日なので

しばらくぶりに朝から外に出て

敷地西端の後始末整理を少し進めました。

電源ケーブルと電動チェーンソー、

そして竹に角穴を開けるために電動ドリルと

電動ジグソーといったいつもの道具を運んで

じっくり腰を据えてやる作業です。

今日進めたのは

防護柵の外側の斜めになったまま倒れない杉を

途中から切って高さを縮める作業や、

これまた切ったあと倒れない竹を

引き抜いて倒して反対側に倒す作業。

なぜわざわざ竹の向きを反転させたかと言うと、

この竹を防護柵の鉄の支柱の上に載せて

防護柵全体の補強と見た目を整えたいわけです。

これがなかなか思うように進まない。(^_-)

体力の不足を頭で勝負。(*^_^*)

なんちゃって。

とはいえ、思ったことは実現しました。

夢の中で嬉しい。(^_-)

身体を動かすと草臥れますが、

やっぱり元気になりますね。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

身体が生きているあいだ、

身体の感覚やいろいろな想念は浮かんできます。

興味、期待感、嫌悪感……そんなものが浮上してくる。

これを避けられない。

肉体年齢に応じて

比率は変わるかもしれませんけど。

肉体が若いうちは興味、期待なんてのが

多いかもしれない。

これが古びてきて身体の疲労感が増してくると

それに応じて倦怠感、嫌悪感なんてのが

多くなってくる。

まあ、

「聖なる催眠」が懸かっているかぎり

これはいわば自然現象です。

吉本隆明さんもどこかで

「老人になるというのは、

 面白いことが何もなくなることだ」って、

おっしゃっていましたものね。

身体の疲労感や倦怠感に対する自然反応として

生きていることに対する

自然な嫌悪感が湧いてくるわけです。

それはそれで現象世界の表面の

ごく自然な傾向でしょう。

素晴らしい芸術作品を眺めても

それに深く共振しようなどという

意欲が起こってこない。

それが意識の時空間の中で想像された

ストーリーだという感覚がこれまた自然に

浮上してきます。

こういう症状は

ルパート・スパイラが言う

非二元が新たな宗教になってしまう

可能性でもあるのかもしれません。

とはいえ同時に、

これらの疲労感や倦怠感あるいは嫌悪感が

自分でないことも自明です。

もしその嫌悪感が自分だったら、

嫌悪感は嫌悪感として現象できません。

嫌悪感が嫌悪感として現象できるためには、

何かが嫌悪感に気づいていなくてはならない。

そしてその気づいている何かは、

嫌悪感ではありえない。

これはまったく理屈ではありません。

誰も否定できない単なる事実です。

「私」は何かであることはできない。

マインドは未知には耐えられなくて

何かに片づきたがります。

“自分”を何かに決めつけたがる。

でもどんな何かも、

いかなる既知も「私」ではありえない。

「私」はそれに気づいている者だから。

マインドはすぐに

何かの気分になりたがるんだけど、

何かの気分はその瞬間の風景、

その瞬間のフォーカス、その瞬間の縮尺です。

「私」は何にも成れない。

どんな光景になって現れることもできるけれど、

それとして留まることはできない。

不動は不動を映しだせないから。

考えてみれば、

「私」は寂しいのかも。

だから“「私」は寂しい”という気分となって

一瞬現れることもできる。

でも「私」はいかなるもにも成ることはできない。

いかなる光景も「私」の自由連想の一場面。

「私」のつかの間の表現。

気づきが波立つとき「私は在る」。

気づきが鎮まるとき

「私」は「私が在る」ことを知らない。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
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(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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まあまあ、今日も楽しかった。

けっこう草臥れたけど。

今日は暗くなってから書き始めました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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