━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/02/06(第929号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在493名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.介入もせず、批判もせず
2.編集後記
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■ 1.介入もせず、批判もせず
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今日は薄曇り
けっこう寒々しいです。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
もしそれが可能なのであれば
浮かんでくる思考を
ただ見守っていられたらいいですね。
嫌悪感も興味ももたずに……。
しかし、
そんなことはなかなか起こりません。
それが起こることになっているのでなければ。
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解放への道には何も立ちはだかっていない。
そしてそれは今ここで起こることができる。
だが、
あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、
それを見抜き、
それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
それ自体が自ら暴くのを
見守らなければならないのだ。
『私は在る』(p475)
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(-||-)
自分の興味と闘うことができないのは
興味こそが自分だからですよね。
わたしたちは自分以上に賢くはなれない。
そして自分の興味こそが
自分の賢さというわけなのですから。
そこに自分がいるかぎり……。
マハラジが肉体の中にあったときの様子を
ラメッシ・バルセカールは
『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』の
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「5 気づきと意識」という章の中で
こんなふうに描いています。
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5 気づきと意識
マハラジと
訪問者たちの対話についての際立つ特徴は、
それらの対話がまったく自然発生的に生じる
という感覚が浸透していたことでした。
話題があらかじめ選ばれることは決してありませんが、
マハラジの言葉は独特の弾力性があり、
そのことが対話に毎回新鮮な活気を与えます。
そして、
マハラジが死ぬまでの長年、
何の準備もなく日曜日も含めて
毎日二回のセッションの中で
こんなふうに話していたことを思い出すとき、
なおさら驚いてしまうのです。
そのうえ、
マハラジは愉快そうに言ったものです。
「私は何について話しているのだろうか?
たったひとつの同じ話題だ──
あなたと私、
外側の世界、
そして、
神についてだ」
一般的にマハラジは、
自分のマインドにわき起こる
何かの話題を開始する前に
訪問者たちをわざわざ待つことはしません。
ときには、
彼の小さいロフトは
一五分以内に満員になることもありますし、
また彼が話し始めるとき
──それは、
マハラジが大声で考える
とも言えるかもしれません──
わずか三人か四人しかいないときもあります。
しかし、
何人いようと、
彼にとっては何の違いもありません。
たとえ訪問者が一人しかいなくても、
彼がそうしたいと思うなら、
彼はその一人に向かって話し、
自分の教えの根本原理をお互いに関連づけ、
それらを真の視点に置きながら、
その根本原理を熱心に説明することでしょう。
彼のマインドは
実用主義を超えた完全なマインドであり、
彼が考えることは全体的に考えることなのです。
『ニサルガダッタ・マハラジが
指し示したもの』(p41)
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夢のような光景ですね。
夢の中にはこんな光景もありました。
そしてそれに興味をもった意識を
強烈に引き寄せてくださっているのでしょう。
さもなければ通常マインドは
ひたすらわいてくる思考に一体化し、
かつそれへの判断や嫌悪感へと誘導するのです。
毎日そのロフトで展開されたマハラジの教えを
ラメッシ・バルセカールはこんなふうに叙述しています。
──────────────────
マハラジは、
私たちがいつもいっしょにいる仲間は意識であり、
自分の意識の流れに継続的に注意を払うことが、
私たちを絶対
──根本的実存、生命−愛−喜び──
へ連れて行くということを、
私たちに決して忘れさせません。
マハラジによれば、
意識していることをまさに意識することが、
すでに絶対に向かう運動であるということです。
マインドはそのまさに性質によって、
外向きで、
物事の源泉を
物事それ自身の内部に求める傾向があります。
マインドが内なる源泉に向けられるとき、
それはほとんど
新しい生活の始まりのようなものです。
絶対が意識にとって替わるのです。
意識の中の一つの思考である
「私は在る」が停止します。
気づきの中においてはどんな思考もありません。
気づきは意識の源泉です。
マハラジは
「静かに座って、
マインドの表面に何が来るかを眺めているのは、
素晴らしい霊的練習である」
と私たちに提案します。
私たちが思考と呼んでいるものは、
水の表面のさざ波のようなものです。
思考は常に一体化や非難へと導きます。
それらは先入観念の産物であり、
本当の理解を邪魔します。
さざ波がないとき、
水の表面は静かであるように、
思考がなく受け身で、
完全に受容的であるとき、
マインドは静かです。
マハラジは言います。
「あなたのマインドの鏡に
あらゆる種類の映像が現れて、
しばらく止まり、
そして、消えていく。
静かにそれらが
来ては去っていくのを眺めなさい。
注意深くあり、
しかし、
決して何も心惹かれたり、
嫌悪感を抱いたりしないようにしなさい。
こうした静かな観照は、
歓迎されざるお客を無視するように、
あらゆる無益な思考を
しだいに追い払うという効果があることだろう。
このように、
公平な観照者として、
介入することなく、
批判することなく、
自分自身の内側にいることによって、
つまり、
「私は在るという性質」の中にいることによって、
「深い」未知が意識の表面に
やってくることが促され、
未使用のエネルギーを解放し、
そのおかげであなたは
生命の起源の神秘を理解するようになるのだ」
『ニサルガダッタ・マハラジが
指し示したもの』(p43-44)
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> マハラジは、
> 私たちがいつもいっしょにいる仲間は意識であり、
> 自分の意識の流れに継続的に注意を払うことが、
> 私たちを絶対
> ──根本的実存、生命−愛−喜び──
> へ連れて行くということを、
> 私たちに決して忘れさせません。
【自分の意識の流れに継続的に注意を払うこと】
このことが実在が
生命−愛−喜びという本来の状態に
回帰する道なのですね。
> マハラジによれば、
> 意識していることをまさに意識することが、
> すでに絶対に向かう運動であるということです。
【意識していることを意識していること】
たしかに……、
たった今のこの瞬間だけのことだけど、
意識していることを意識していたら、
他のことは考えられない。(*^_^*)
> マインドはそのまさに性質によって、
> 外向きで、
> 物事の源泉を
> 物事それ自身の内部に求める傾向があります。
聖なる催眠によって
夢見られている登場人物は
つねに現象という夢の中での対処に取り憑かれている。
> マインドが内なる源泉に向けられるとき、
> それはほとんど
> 新しい生活の始まりのようなものです。
意識していることを意識していたら……。
> 絶対が意識にとって替わるのです。
意識の内容よりも
その内容に気づいている気づきに焦点が移る。
> 意識の中の一つの思考である
> 「私は在る」が停止します。
> 気づきの中においてはどんな思考もありません。
> 気づきは意識の源泉です。
(-||-)
> マハラジは
> 「静かに座って、
> マインドの表面に何が来るかを眺めているのは、
> 素晴らしい霊的練習である」
> と私たちに提案します。
意識の興味がそこに向かうならば……。
> 私たちが思考と呼んでいるものは、
> 水の表面のさざ波のようなものです。
> 思考は常に一体化や非難へと導きます。
【思考は常に一体化や非難へと導く】
これはもう間違いありません。
> それらは先入観念の産物であり、
> 本当の理解を邪魔します。
何が起こっているかに気づいているのではなく、
起こっているその出来事そのものになっている。
> さざ波がないとき、
> 水の表面は静かであるように、
> 思考がなく受け身で、
> 完全に受容的であるとき、
> マインドは静かです。
【思考がなく】【受け身で】、
【完全に受容的】であるとき、
【マインドは静か】になる。
> マハラジは言います。
> 「あなたのマインドの鏡に
> あらゆる種類の映像が現れて、
> しばらく止まり、
> そして、消えていく。
> 静かにそれらが
> 来ては去っていくのを眺めなさい。
> 注意深くあり、
> しかし、
> 決して何にも心惹かれたり、
> 嫌悪感を抱いたりしないようにしなさい。
【注意深く】
【決して何にも心惹かれることなく】
【嫌悪感を抱いたりしない】……。
> こうした静かな観照は、
> 歓迎されざるお客を無視するように、
> あらゆる無益な思考を
> しだいに追い払うという効果があることだろう。
【歓迎されざるお客を無視するように】
【あらゆる無益な思考をしだいに追い払う】
> このように、
> 公平な観照者として、
> 介入することなく、
> 批判することなく、
> 自分自身の内側にいることによって、
> つまり、
> 「私は在るという性質」の中にいることによって、
> 「深い」未知が意識の表面に
> やってくることが促され、
> 未使用のエネルギーを解放し、
> そのおかげであなたは
> 生命の起源の神秘を理解するようになるのだ」
【介入することなく】、
【批判することなく】、
【自分自身の内側にいる】……。
それが起これば、
【「深い」未知が意識の表面にやってきて】
【未使用のエネルギーを解放し】
【生命の起源の神秘が理解されるようになる】
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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土曜日ばかりいつもこんなふうに、
独りよがりの中でかなりハイになって
終えられます。
まあまあ今日も楽しかった。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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