home > 通信 >すべては<いま>起こっている:『アセンション館通信』第937号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2022/04/03(第937号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショー生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.すべては<いま>起こっている

2.編集後記
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■ 1.すべては<いま>起こっている
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今日は気温は低いけれど

晴れていますね。

今日はすっかり

ファンタジーの世界に浸っていました……。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

私たちは物語世界に魅せられています。

──────────────────
 何にもまして、
 私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、
 意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、
 顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 
 『私は在る』(p346)
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(-||-)

私たちが生きている現象世界は、

基本的にはエンタテインメントです。

文脈によって紡がれる物語世界です。

マインドの上下動を楽しむ世界なのです。

それが単に想像されだけの

架空の世界だとわかっていても、

私たちが映画を観、ドラマを観、

スポーツを観戦し、

イベントを楽しむのはそのためです。

自分の楽しみにするのだと思っていますが、

今のあるがままに安らがれてしまっては、

生き延びることができない

“分離した自己”が無理やり捏造する

火のないところに立てた煙なのでしょう。

ミナミAアシュタールは

現在私たちは5次元領域にいるといいます。

そしてその5次元領域について

こんなふうに言っています。

【今あなたがいる世界】
──────────────────
「こんにちは 
 こうしてお話し出来ることに感謝します。

 何度も言いますが・・
 あなたはもう5次元領域にいるんです。
 
 だから、
 どんなところですか?・と言うご質問には、
 
 そんなところです・・
 とお答えするしかないんですね(笑)
 
 5次元領域は特別なところではありません。
 
 いまあなたのいるところと
 かけ離れた世界をイメージしないでください。
 
 それは、ミスリードされた幻です。
 
 はっきり言ってしまうと、
 5次元領域は、
 お花畑のような世界ではありません。
 
 もちろん、あなたの思考が
 それを本気で望んでいるのならば、
 
 その世界を創造することは出来ます。
 
 でも、
 あなたが想像しているお花畑の世界は、
 
 現実的なものではありませんね。
 
 ですから、
 いま実際に現実的に生きているあなたは、
 そのお花畑の世界を
 イメージすることが出来ないので、
 
 それを創造することも出来ません。
 
 あなたが思う?理想としている?
 5次元領域は、
 楽なところではないですか?
 
 何もしなくてもすべてがオートメーションで、
 あなたに都合よく流れて行く世界・・
 そんなところをイメージしていませんか?
 
 そうではないのです。
 
 はっきり言って、
 あなたが想像しているような
 “楽な世界”はありません。
 
 何もしなくていい世界・・
 身体を動かさなくていいい世界・・
 
 あなたが煩わしいと思う
 ことを誰かが変わってやってくれる世界・・
 
 それを目指しているのであれば、
 そんな世界は、幻だということです。
 
 そして、いまなぜあなたが
 そんな世界を望んでいるのかというと・・・・
 疲れているからです。
 
 身体も心も疲れ切ってしまっているので、
 そういう“楽な世界”に行きたいと
 望んでいるだけなのです。
 
 何もしなくていい・・
 細々とした生活の苦労などない・・

 “楽な世界”は”楽しい世界”ではありません。
 
 “楽な世界”と“楽しい世界”は違うのです。
 
 5次元領域は“楽しい世界”です。
 
 特別なところではなく、
 楽しく生きられる世界です。
 
 身体を持っているので
 細々したこともあります。
 
 でも、その生活の細々したことも
 楽しいと思える世界なのです。
 
 それは、どこかにあるのではなく、
 あなたの中にあります。
 
 生活の細々したことをつまらないと思うか、
 楽しいと思えるか・・
 
 ただそれだけの違いなのです。
 
 人が空を飛んだり、
 物を消したり出したり・・する
 超能力的なことが出来るのが、
 5次元領域ではないのです。
 
 いまのあなたの生活の中に
 5次元領域があります。
 
 そんな生活はイヤですか?
 ・・特別なところでなくてはいけませんか?
 
 ちょっと考えてみてください。
 
 いまのあなたの生活を
 特別な生活だと思える領域もあるのです。
 
 毎日争いや暴力の次元に
 共振している人たちにとって、
 あなたがいま生活している平和なところは、
 とても特別で素晴らしいところに思えます。
 
 比べているわけではありませんし、
 
 どちらが良いと言っているわけでもありません。
 
 でも、あなたがいま共振している世界を
 もう一度見直してみてください。
 
 いまあなたがいる世界に不満を持ち、
 違う世界に行きたいと望んでも
 それは無理です。
 
 なぜなら、不満のエネルギーが
 その現実を創造しているからです。
 
 言っている意味が通じているでしょうか?
 
 どこかに、いまとはまったく違う
 5次元領域が存在しているのではなく、
 あなたの中が平和と満足で満たされれば、
 そこが5次元領域なのです。
 
 そして、あなたはもうすでに
 そこに共振しています。
 
 それを信じてください。
 
 もう一度言いますが・・”
 楽な世界”に憧れるのは、
 ただあなたがいま疲れているだけなのです。
 
 あなたのハートは“楽な世界”ではなく、
 “楽しい世界”を望んでいます。
 
 ですから、最初のご質問に関して私は、
 いまあなたがいる世界が5次元領域です・・と
 お答えするしかないことを
 ご理解いただけるとうれしいです。
 
 あなたに愛をこめてお伝えいたします」
 
 http://5am5.blog.fc2.com/blog-date-20181202.html
──────────────────
 
(-||-)

世界には楽しい世界もあれば、

楽しくないどころか、

ただ苦しいだけの世界もある。

でも

何もしなくてもいい世界はない……。

これは本当でしょうねぇ。

何もしなくていいのなら、

何のために世界が必要でしょうか?

何もしなくていい存在なら、

その存在にとっては

……世界は消えるでしょうね。

> そして、いまなぜあなたが
> そんな世界を望んでいるのかというと・・・・
> 疲れているからです。

これもまったく疑問の余地がありません。

アシュタールの言うことに

まったく矛盾は感じられません。

そしてそれを聴いて

その楽しい世界に行きたいのか、

それとも

何もしなくてもよくなりたいのか

ではないでしょうか。

それを自分に問うしかありません。

物語の中に意味を求めたいのか?

それともすべてが

<いま・ここ>で起こっていることを

知ってしまいたいのか?

前にもルパート・スパイラの

『プレゼンス―第1巻』の中から

比較的初めの方にある章

「永遠の今」を

ご紹介したことがありましたね。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol850.html#1

──────────────────
 
 永遠の今
 
 
 すべての体験は、
 今、起こっています。
 
 ……
 
 今は疑いなく知られ、
 体験されています。
 では、時間はどうでしょう?
 
 時間はふたつの出来事の間の継続期間です。
 たとえば、
 今日の朝食と明日の朝食との間には
 二十四時間があることになります。
 けれど、
 この継続期間の、
 私たちの実際の体験とは
 どのようなものなのでしょう?
 今この瞬間における、
 今朝の朝食の体験とは何なのでしょう?
 
 それは、
 思考やイメージでしかありません。
 そして、
 明日の朝食もまた
 思考やイメージでしかありません。
 すべての思考やイメージは、
 過去や未来ではなく、
 今、起こっています。
 
 言い換えるなら、
 今、ここには、
 今朝の朝食や明日の朝食の
 実際の体験はありません。
 私たちは朝食についての
 思考やイメージを体験していて、
 それが今、起こっているのです。
 
 今朝、
 朝食を食べたとされている時間も、
 明日、
 朝食を食べるだろうとされている時間も、
 どちらも想像にすぎません。
 実際に体験されているわけではないのです。
 
 実際の朝食の体験が起きるのは、
 今、食べているときだけです。
 朝食についての思考が立ち上がるのもまた、
 今です。
 
 言い換えるなら、
 私たちが真に知っているのは、
 今だけです。
 私たちは、
 未来や過去について実際には知りません。
 未来や過去について実際に知らないのなら、
 どうやって時間について
 知ることができるのでしょう?
 そう、
 私たちは時間を知ることはできないのです。
 
 時間を知らないのなら、
 この体験が起きている今が、
 すべての体験が起きている今と
 同じではないとどうしてわかるのでしょう?
 赤ん坊としての私たちの
 生まれてはじめての体験が起こった今と、
 この本の文字があらわれている今とが
 同じではないと、
 どのようにして知るのでしょう?
 
 あの今とこの今は違うというのは思考です。
 そして、
 その思考もまた、
 今、起こっています。
 私たちは今から逃れることはできません。
 今以外の今が存在し得る時間はないのです。

 『プレゼンス―第1巻』(p89-90)
──────────────────

> 時間を知らないのなら、
> この体験が起きている今が、
> すべての体験が起きている今と
> 同じではないとどうしてわかるのでしょう?

実際は、知らないんですよね。

> 赤ん坊としての私たちの
> 生まれてはじめての体験が起こった今と、
> この本の文字があらわれている今とが
> 同じではないと、
> どのようにして知るのでしょう?

この身体が誕生した瞬間と、

これを書いている今は、

実際は<いま・ここ>に起こっている。

それは時間という

架空のスペースの中に展開されている

と想像されているだけなのです。

実際に時間が実在することを

体験することはできないのですから。

> あの今とこの今は違うというのは思考です。
> そして、
> その思考もまた、
> 今、起こっています。
> 私たちは今から逃れることはできません。
> 今以外の今が存在し得る時間はないのです。

起こっていることを

物語として体験するために……です。

──────────────────
 何にもまして、
 私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、
 意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、
 顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 
 『私は在る』(p346)
──────────────────

(-||-)

私がいないかぎり、

私の世界は存在しません。

当たり前です。

世界を体験している者がいなければ、

世界は存在しようがないでしょう。

誰のものでもない世界というものが

あり得るでしょうか?

誰のものでもない世界は

……ありえません。

世界が体験されているかぎり、

そこに体験している誰かがいます。

それは誰かの世界です。

それは誰の世界でしょうか?

それは……

世界を体験している者の世界です。

世界を体験している者とは誰でしょうか?

それはその世界に……

興味をもっている誰か、

その世界にたいする興味です。

もしその誰かが、

自分が体験している世界と、

それを体験している自分は

別のものだと思っているのなら、

その誰かはその世界の中に

偽りの“自分”を見つけることでしょう。

なぜなら、

自分が体験している世界の中に

“自分”を発見できないかぎり、

その体験者は、

体験しているものと自分を

区別することはできないからです。

それは寝ている間に見る

個人的な夢に似た状態とも言えます。

夢の中では、

夢を見ている者は

客観的な対象世界をもつことはできません。

個人的な夢の中で見られている夢は

ただ体験として起こっているだけです。

個人的な夢の中に登場する“自分”は、

起きているときに見られる

客観的な対象世界としての夢の

その中に現れる自分の

遠い反響にすぎないでしょう。

いわゆる目覚めた状態で観られる夢、

つまり日常世界の中では、

夢を見ている“自分”自身が

その夢の中に登場します。

目覚めた状態で観られる夢、

いわゆる日常世界の中では、

知覚の対象物は客観的に存在する

と想像されています。

この私たちの身体というVRゴーグルの

あまりの超高性能さのゆえに、

視覚効果と聴覚効果から

想像される世界像があまりにもリアルで、

その世界像を補強する触覚効果や、

娯楽性を高める味覚効果が相まって、

そこで起こる解釈に溺れてしまうのです。

このVRゴーグルを纏った状態から

脱出することはきわめて困難です。

この世界の堅固さを支える最大の強みは

そこに体験者自体が登場することです。

そこに“自分”が登場していることが

この世界の客観的存在を疑わせない。

しかしまた同時に、

この体験者自体が登場することこそが、

この世界の最大の弱点でもあります。

“知覚する者”が“知覚されるもの”でもある

という矛盾が露呈しているからです。

“知覚者”が“知覚されている”わけです。

しかし、

「知覚者」が知覚されているということ、

「知覚の主体」が「知覚の客体」

でもあるということが

いったいありうるものでしょうか?

知覚の「主体」=「客体」であるというなら、

「主体」と「客体」という言葉自体が

意味をなさなくなります。

ラマナ・マハルシは言います。

──────────────────
 それは映画のようなものだ。
 スクリーン上には光があり、
 その上を去来する影が、
 何かのドラマが演じられているような印象を
 観客に与えるのである。
 もし映画のなかで、
 観客もまたドラマの一部として
 スクリーン上に見られたとしたら、
 見る者と見られるものが
 ともにスクリーン上にあることになる。
 それをあなた自身に当てはめてみなさい。
 あなたはスクリーンだ。
 真我が自我をつくり出した。
 そして自我とは
 あなたが尋ねている世界や、植物や、
 樹木として現れた想念の総体なのである。
 実際には、
 それらはみな真我以外の何ものでもない。
 もしあなたが真我を見るなら、
 いつでもどこでもすべてが
 真我として現れるだろう。
 真我以外の何ものも存在しないのである。
 
 『あるがままに』(p50)
──────────────────

(-||-)

この私たちの体験の場である

「世界」とはワンダーランドなのです。

それは物語の登場人物になることを

許されたエンタテインメントの世界です。

意識波動の上下動を楽しむための装置です。

もちろん気晴らしに楽しんでいいわけですが、

苦しみ続ける必要もない。

ただしとても中毒性の高い世界でもある。

「行きはよいよい、帰りは怖い」です。

マインドは分散系の迷路を創造する仕組みなので、

マインドがそこからの脱出路を

創造することはありえません。

分散系の迷路を歩みつづけてきた個性が、

それぞれの途上でそれぞれの仕方で

力尽きる必要があります。

これは努力の結果ではないけれど、

一見とても努力と似ているかもしれない。(^_-)

すべては<いま・ここ>で起こっている、

というのも一つの強力な道だと思います。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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動き続けるものに焦点を合わせていれば、

すべては変化し続けています。

しかし、

それは永遠に動かないものがあるから

起こりうることでもあります。

あらゆることは

その永遠の不動の上で踊っている。

永遠の不動には何も起こっていない。

ありがたいことです。(-||-)

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
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