━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/05/22(第944号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.演劇は続く(『PFNM』から)
2.いただいたお手紙から:カエルさん
3.編集後記
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■ 1.演劇は続く(『PFNM』から)
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ずっと長くいた金魚たちが
去年の暮のわたしの不注意な水替えで
一挙に全滅してしまって以来、
しばらく金魚を入れていませんでした。
また春になって
少しにぎやかな感じにしたいと思って、
最近庭の水瓶(みずがめ)に
また金魚を飼いはじめました。
新しい金魚たちは
みんな若いので元気がいいです。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
ラメッシ・バルセカールが描く
『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』
(Pointers From Nisargadatta Maharaj:PFNM)
https://amzn.to/2J4Pbtr
の最初のほうに
【11 演劇は続く】
というごく短い章があります。
今回はこの章をご紹介したいと思います。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長い引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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11 演劇は続く
驚くべきことのように思えるかもしれませんが、
マハラジは最高の俳優です。
彼の外見は生き生きと動き、
彼の目は大きく表現豊かです。
出来事を語ったり
何かの話題について議論したりするとき、
彼の外見は自然に言葉と行為に反応します。
彼の言葉は非常に精確で、
自由に身振り手振りをつけながら話すのです。
そのため、
録音された彼の話を聴くのと、
ふさわしい身振り手振りをともなった
生の声を聞くのとは全然違います。
彼は実に一流の役者なのです。
ある朝、
聴き手の中に有名なヨーロッパの俳優がいました。
マハラジは、
人が自分自身についてもっているイメージは
ずっと同じものではないとことを説明していました。
つまり、
それは変わりゆく環境にしたがって
常に変わり続けます。
マハラジは、
人がもつ様々なイメージを描写しながら、
人の通常の全人生を俯瞰(ふかん)しました。
母親の乳房を吸い、
それ以外は何も欲しいものがなかった
赤ん坊としてのイメージから、
健康と力がほとばしり、
世界を征服しようという野心をもった10代として、
それから愛を失った男として、
そして、
家族に対して責任をもった
家計を支える疲れた人として、
そして、
最後にはほとんど口を開けたり、
自分の肉体的機能を
コントロールしたりすることもできない
病気の老人としてのイメージ。
「そのどれが本当のあなただろうか?
これらの様々なイメージの中で
どれがあなただろうか?」
とマハラジは尋ねました。
マハラジの語りは、
彼が描写する様々な人生の段階にふさわしい
仕草と音響効果で臨場感に満ちていました。
それは完全なドラマでした!
私たちは沈黙し称賛しながら彼の言葉を聞き、
そのプロの俳優も驚愕していました。
彼はマハラジがそれほど効果的に話すその言語を
一言も理解しなかったにもかかわらず、
「私は今までこんなに素晴らしい役者を
見たことがない」と言いました。
彼はまったく魔法にかかったかのようでした。
その俳優は驚く一方で、
マハラジは目にイタズラっぽい輝きを浮かべて、
彼に言いました。
「私はいい役者である。
そうだろう?」
『ニサルガダッタ・マハラジが
指し示したもの』(p67-68)
https://amzn.to/2J4Pbtr
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ラメッシ・バルセカールが
こういう場面も報告してくださるのは
ありがたいですね。(-||-)
> そのため、
> 録音された彼の話を聴くのと、
> ふさわしい身振り手振りをともなった
> 生の声を聞くのとは全然違います。
そうなんですね。
DVDで聴くマハラジの声は
ちょっとけたたましい感じで
このへんの感じはわかりません。(*^_^*)
> マハラジは、
> 人が自分自身についてもっているイメージは
> ずっと同じものではないとことを説明していました。
個人的な経験からも、
エゴが常に自らを正当化し
自分のイメージを修正し続けているのは
間違いありませんよね。
> マハラジは、
> 人がもつ様々なイメージを描写しながら、
> 人の通常の全人生を俯瞰(ふかん)しました。
> 母親の乳房を吸い、
> それ以外は何も欲しいものがなかった
> 赤ん坊としてのイメージから、
誰もが間違いなくこうだった。
> 健康と力がほとばしり、
> 世界を征服しようという野心をもった10代として、
pariの場合は
それほどでもなかったかな。
> それから愛を失った男として、
ああ……なるほど。
> そして、
> 家族に対して責任をもった
> 家計を支える疲れた人として、
ふふ。
> そして、
> 最後にはほとんど口を開けたり、
> 自分の肉体的機能を
> コントロールしたりすることもできない
> 病気の老人としてのイメージ。
プ!(>_<)
> 「そのどれが本当のあなただろうか?
> これらの様々なイメージの中で
> どれがあなただろうか?」
> とマハラジは尋ねました。
まったく。
> マハラジの語りは、
> 彼が描写する様々な人生の段階にふさわしい
> 仕草と音響効果で臨場感に満ちていました。
> それは完全なドラマでした!
さぞや見事だったんでしょうね。
> 私たちは沈黙し称賛しながら彼の言葉を聞き、
> そのプロの俳優も驚愕していました。
> 彼はマハラジがそれほど効果的に話すその言語を
> 一言も理解しなかったにもかかわらず、
> 「私は今までこんなに素晴らしい役者を
> 見たことがない」と言いました。
> 彼はまったく魔法にかかったかのようでした。
演技を職業とする人にしかわからない
稀有な凄さがあったのでしょう。
> その俳優は驚く一方で、
> マハラジは目にイタズラっぽい輝きを浮かべて、
> 彼に言いました。
> 「私はいい役者である。
> そうだろう?」
起こっていることは
全体からわきだす自由な表現ですが、
さてメッセージのメインはここからです。
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それからマハラジは付け加えて、
「ところで、
私が何を言わんとしているか、
あなたは本当に理解したかな?
私は、
あなたが私のこのささやかな演技を
賞賛してくれたことを知っている。
しかし、
あなたがたった今見たものは、
私にできることのほんのわずかな部分でさえない。
全宇宙が私の舞台だ。
私は演じるだけではなく、
舞台と小道具も作る──
私は脚本を書き、
俳優達を演出する。
私は何百万という人の役割を演じている
ただ一人の俳優であり、
さらに言えば、
このショーは決して終わることがない!
脚本は常に書かれ、
新しい役割が考え出され、
非常に様々な状況のために
新しい背景が作る作られる。
私は素晴らしい俳優兼監督兼演出家
ではないだろうか?」
マハラジは次のように付け加えました。
「しかしながら、
真実はといえば、
あなた方一人ひとりが同じことを
自分自身に言えるのだ。
しかし皮肉なことには、
いったんあなたが
これはまさにそうなのだと
深い確信をもって感じることができるとき、
そのショーは
あなたのためには終わったのだ!
この世界のあらゆる人物の役割を演じているのは、
あなただけなのだということが
認識できるだろうか?
それとも、
あなたは自分が自分に割あてた
たった一つの限定的な役割に自分を閉じ込め、
その小さい役割の中で生きて、
死んでいくのだろうか ?」
『ニサルガダッタ・マハラジが
指し示したもの』(p68-69)
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> あなたが私のこのささやかな演技を
> 賞賛してくれたことを知っている。
> しかし、
> あなたがたった今見たものは、
> 私にできることのほんのわずかな部分でさえない。
私の演技の“無限分の一”
という感じでしょうか。
> 全宇宙が私の舞台だ。
> 私は演じるだけではなく、
> 舞台と小道具も作る──
> 私は脚本を書き、
> 俳優達を演出する。
多次元宇宙の森羅万象を
再帰的に創造するための
一大プログラム内蔵ドラマ制作機構。
> 私は何百万という人の役割を演じている
> ただ一人の俳優であり、
> さらに言えば、
> このショーは決して終わることがない!
常に新たな経験の組み合わせが誕生し、
それぞれが新規ゲーム参入希望者となり、
エネルギー場参入の意図の待ち行列が
縮小することがありえない。
> 脚本は常に書かれ、
> 新しい役割が考え出され、
> 非常に様々な状況のために
> 新しい背景が作る作られる。
> 私は素晴らしい俳優兼監督兼演出家
> ではないだろうか?」
多次元宇宙版「キネマの天地」。
> マハラジは次のように付け加えました。
> 「しかしながら、
> 真実はといえば、
> あなた方一人ひとりが同じことを
> 自分自身に言えるのだ。
実際はそのすべてが、
製作者と観客の全体が
あなた独りによるあなたの独演会だ。
> しかし皮肉なことには、
> いったんあなたが
> これはまさにそうなのだと
> 深い確信をもって感じることができるとき、
> そのショーは
> あなたのためには終わったのだ!
すべてが自分の
“一人芝居”とわかっていながら、
夢中になることがあなたにできるだろうか。
> この世界のあらゆる人物の役割を演じているのは、
> あなただけなのだということが
> 認識できるだろうか?
他に誰かがいると思っているからこそ、
“あなた”のその“現実”がある。
> それとも、
> あなたは自分が自分に割あてた
> たった一つの限定的な役割に自分を閉じ込め、
> その小さい役割の中で生きて、
> 死んでいくのだろうか ?」
“あなた”が生きている
その今の“現実”が、
“あなた”自身の執着と
一体化の表現に他ならないことが
わからないだろうか?
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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■ 2.いただいたお手紙から:カエルさん
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▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
前号の記事に関連して
カエルさんからご投稿いただきました。
早速ご紹介します。
【件名】:パリさん、ありがとうございました
──────────────────
パリさん、
ご返答ありがとうございました!
つまるところ、求めるべき姿勢と、
そこから必然的に出てくる、
あるいは付随する
現象とでもいうべきものですかね。
要するに
メソッドではないということでしょうか・
まさに身もふたもないですね。
ところでマイケル師の文章を見ると、
これをメソッドととらえるなら、
まったく同じ疑問
(主体に注意を向けるとはどういうことか?)
を感じるのですが、
メソッドととらえることは間違いですかね?
──────────────────
> パリさん、
> ご返答ありがとうございました!
(^^)/
> つまるところ、求めるべき姿勢と、
> そこから必然的に出てくる、
> あるいは付随する
> 現象とでもいうべきものですかね。
個々の行為をしている
個別の行為者というものは存在しない
という立場に立つなら、
すべては自然過程ということなんでしょうね。
> 要するに
> メソッドではないということでしょうか・
マハラジやラメッシ・バルセカールは
そのようにおっしゃると思います。
> まさに身もふたもないですね。
たしかに。
> ところでマイケル師の文章を見ると、
> これをメソッドととらえるなら、
> まったく同じ疑問
> (主体に注意を向けるとはどういうことか?)
> を感じるのですが、
> メソッドととらえることは間違いですかね?
いえ、
間違いということはないと思います。
現にマイケル・ラングフォード師は
メソッドとして確立しようとして
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
を書かれたわけですから。
(もし世界は存在する
という観点から言うなら)
多次元宇宙の一隅には
そのように考えるエネルギーも誕生した
という言い方もできるかもしれません。
マハラジの
──────────────────
方法について語ってはならない。
方法などないのだ。
『私は在る』(p474)
──────────────────
という応答は、
このときの質問者のエネルギーに対して
マハラジの口から自然に漏れ出た
言葉だと思います。
この言葉だけ聞いて、
マハラジの『私は在る』一冊の
メッセージをそこに集約し、
「方法なんかないんだ」、
と安心する理解の仕方もあるでしょうし、(^_-)
また同じ本を読んでも、
「私は在る」というメッセージの本意を
トコトン突き詰めて、
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
の一冊に仕上げるに至るまで
収斂させるエネルギーもあるわけです。
では、
マハラジが、そこを渡るための
「方法などない」と語ったギャップ、
そしてマイケル・ラングフォードが
このマニュアルで方法論にまで仕上げた
そのギャップとは何のことなのか?
それについてマハラジは
次のように語っています。
──────────────────
そしてこのひと束の記憶と習慣との
無用な自己同一化から自由となる
緊急の必要性を見なさい。
この無用な自己同一化に対する
揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。
『私は在る』(p528-529)
──────────────────
超えがたいギャップとは
【無用な自己同一化から自由となる
緊急の必要性を見】ることです。
つまり、
自己同一化からの解放が
いますぐ絶対に必要だと理解すること、
水中の溺れる者が空気を求めるように
必死で解放を求める状態に至ることです。
この理解に到達することについて、
マハラジは「方法などない」と語り、
マイケル・ラングフォードは、
方法化できると考えたわけです。
もともとマイケル・ラングフォードは、
スピリチュアルな家庭に
生まれた人ではありません。
父親の不動産業を継ぐために
金持ちになるための
最短通路を求めていた人です。
それがあるとき
ラマナ・マハルシの本に出会って、
自分の求めるものを意識的に変えた人、
いわば改心した人です。
そして手当たり次第に
世界中の膨大な霊的文献を読破し、
解放されるための最適解を
全身全霊で求めた人です。
そしてあるところで、
ニサルガダッタ・マハラジの
「私は在る」の真意を自得し、
2年間の実習の末に解脱に至った人です。
マイケル・ラングフォードは、
自分の霊的探究の経験から、
エゴがスピリチュアルな情報を
いかにして回避するか、
スピリチュアル情報の真意を
いかにして変造するか、
その手段・方法をトコトン研究しました。
そしてそれを突破する方法を
この本でマニュアル化したのでしょうね。
彼はこのマニュアルについて、
「陽の下(もと)に新しきものはあるのだ」
と言っています。
カエルさん、
ご投稿・ご質問
ありがとうございました。m(_ _)m
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 3.編集後記:
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【この世界のあらゆる人物の役割を演じているのは、
あなただけなのだということが
認識できるだろうか?
それとも、
あなたは自分が自分に割あてた
たった一つの限定的な役割に自分を閉じ込め、
その小さい役割の中で生きて、
死んでいくのだろうか ?】
わたしが生きている世界が、
わたしの執着そのものであることは、
どうやら自明になりつつあります。
攻め込まれていますね。(*^_^*)
今日も晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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