━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/07/31(第954号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.「興味」の話
2.編集後記
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■ 1.「興味」の話
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今日はしっかり暑いですね。
夏、真っ盛り。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
みなさま、この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
思えば……よくも長年こんなふうに
土曜日にだけ急に求道者を思い出して、
勝手に“マインド無礼講”などと言って
その時々に手当たり次第に言葉を掴みながら
そのときこっきりの理解を
捻出してきたものですよね。
実際は、
もし“求道”というものがありうるとしたら、
それはただ湧いてくる想念を無視して、
注意を向けないことだけなのでしょうに。
(覚醒が起こった後の意識には、
探究というものにおいては
実際は探究などいっさい起こっていなかった
ということがわかるそうですが、
なんか、探究している途中でも、
それがわかっちゃったりして。(*^_^*) )
ただ湧いてくる思考から注意を逸らす。
湧いてくる思考に注意を向けるとは
存在しない分離の中に彷徨い込んで、
存在しない不幸を捏造するという
ただそれだけのこと……。
しかし、
“求道”がそこまで煮詰まっている方は、
なかなかいないのかもしれません。
わたしの場合も例に漏れず、
実際にはいくらでもある時間を、
ただただこんなふうに
“目乞食”と“お喋り”に費やしてきました。
でもそのことを
自らの落ち度として恥じながら
やましく感じるべき実体も、
自らの手柄として自慢できる実体も
実際には存在していないわけですねぇ。
これまで人生にいろいろ文句がありましたが、
ここには「加害者」も「被害者」も
いないわけでした。
顕現の中ではすべての可能性があって、
そのなかの好みの意識波動の中で遊びなさい、
ということでしょうから。
そしてそこで遊んでいる自分というのは
間違いなく、対象物なわけですよね。
誰かであるわけではない。
多次元波動宇宙の中の
ある種の意識波動帯の思考に執着している意識、
それに興味を持ち、
それに一体化している意識波動なのですから。
思い出してみると、わたしの場合は
「興味」という言葉が
少しずつ大きくなって来た気がします。
「興味」という言葉が
わたしの人生に最初に現れたのは
ずいぶん昔のことです。
以前、【埴谷雄高さんと「興味」】という
タイトルで書いたことがあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol468.html#1
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あるとき四、五十人いた聴講者の誰かが……
「埴谷さんは、興味ということをどう考えますか?」
……みたいなことを聞いたんです。
当時たくさんの質問があっただろうに……
いま思い出せるのは……この質問だけですから……
よほど印象が強かったのでしょう。
と言っても正確には……
質問自体の印象が強かったのではない。
むしろ……その質問に対する……埴谷さんの反応で……
その質問が記憶に残ったのだと思います。
というのは……
そのとき埴谷さんが答えた具体的内容も……
じつはまったく覚えていませんから。
ただ……覚えているのは……
この質問を受けた時の……埴谷さんの反応だけです。
一瞬、間があって……
「これは大きな問題が出てきましたね」……
とまず言葉にしたんです。
当時のわたしなどは……その返答を聞いて……
“興味がどうしてそんなに大きな問題なのかな”……
と不思議に感じたものです。
興味は……ただの興味なのに、と。
マインドの発達具合が……
その程度だったのでしょうね。(^^;)
そのとき感じた違和感が……こうして今頃……
こんなことを思い出すきっかけになる……
印象を形成したのでしょう。
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当時、早稲田大学近辺で開かれた「自立学校」で
若いわたしの頭に「興味」という言葉の
最初の痕跡が刻みつけられたんですね。
その次に、これに匹敵するような意味合いで
「興味」という言葉に出会ったのは、
このメルマガではもう数えられないほど
何度も掲載しているマハラジの言葉です。
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解放への道には何も立ちはだかっていない。
そしてそれは今ここで起こることができる。
だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたは
その興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、
それを見抜き、
それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
『私は在る』(p475)
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この言葉を最初に掲載したのは
2009/4/12(第262号)のことですね。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol262.html#1
あれから13年くらいかけて
この文章を何度も掲載してきたんですね。
そしてこの文章の意味合いを再確認してきた……。
はてさて、
興味と闘うことはできないわたしは、
湧いてくる想念に注意の焦点を奪われては、
“自分”の興味に引きづられるままに
こうして右往左往してきたわけです。
何かを見抜けたか?(-_-;)
【それが単に判断と賞賛の誤りであること】が
わかっただろうか?
顕現の中には無限の可能性がある。
その無限の可能性の中で興味を引かれていたら、
無限のヤマタノオロチの胃袋の中で
当て処なくさまよわなければならない。
そのことがまだ腑に落ちていなかったわけです。
だからこそまた別の情報に目が行っていたら
今度はこんな言葉が入ってきました。
波動宇宙全体の「頭部」にも当たる
集合意識体だというアシュタールからの情報です。
http://5am5.blog.fc2.com/blog-date-20220726.html
奇しくもここでもまた「興味」という言葉が
使われていました。
わたしたちがここから出られないのは、
わたしたちがここに興味があるからだと彼は言います。
【実はあなたがそれに興味があるということです】
と。
【1994あなたに合った方法で】
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「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
覚悟が足りないのです。覚悟してください。
覚悟してそれを忘れますと宣言してください。
重いエネルギーの方が引っ張る力が強いと
いつもお伝えしています。
重いエネルギーにつかまってしまうと
そこから抜けるには大きなパワーがいるのです。
それは事実です。
そして、もう一つの大きな原因は
実はあなたがそれに興味があるということです。
あなた達は面白い趣味を持っていますね。
実はあなた達は怖いもの、重いエネルギーが好きなのです。
お化け屋敷が好きなのと同じです。
イヤだ、イヤだ、怖い、怖いと言いながら
喜んでお化け屋敷に入っていきます。
面白いですね。
本当に怖くてイヤな人は入らないと思います。
入るというのはそこに興味があるからです。
イヤだ、怖いという感情がある意味好きなのです。
ですから、引っ張られるのです。
前にかさぶたを例にお話したことがあります。
かさぶたはケガをしたときに身体が治すために作るものです。
そうですね。
血を固めて傷口を保護し、傷に合わせて
少しずつ小さくなりながら傷が治るまで保護します。
傷を治すには身体にまかせておけばいいのです。
それなのにあなた達はかさぶたが気になって
仕方がありません。
気になって気になってはがそうとするのです。
不思議ですね。
自分ではがして、また血を出して痛いと文句を言う。
放っておけばいいのに、ついついかさぶたに
目がいってしまい、はがしたくて仕方がない
衝動に襲われるのです。
それと同じだと思ってください。
イヤなものを見た、イヤな事を聞いた
イヤな体験をした・・人には忘却能力があります。
そのままイヤだから忘れるって思っていれば
忘れられるのです。
でも、イヤだと思いながら何度も追体験をするのです。
かさぶたをはがすのと同じ心理ですね。
だから、覚悟してくださいとお伝えしているのです。
かさぶたをはがしたいと思う誘惑を断ち切るためには
覚悟が必要なのです。
重いエネルギーはあなた達にとって
魅力的な部分があるのです。
イヤだと言いながら反対に魅力も感じるという
面白い性質があるということを理解してください。
だから、その誘惑をしっかりと断ち切らなければ
どんなに違うことをしようと思っても
かなかそれに集中できないということに
なってしまうのです。
もし、別のところにフォーカスを持っていくという方法で
どうしても断ち切ることができないと思うならば、
もう一つ方法があります。
それはそのイヤなことにどっぷりとはまるということです。
もういいと本気で思えるようになるまで
それを感じきるという方法です。
かさぶたが気になって仕方がない、はがしたくて
仕方がないならはがしてください・・ということです。
かさぶたができたらはがす、血を出して痛い思いをする
2度目、3度目は治りかけていた分
もっと痛みを感じますので
何度も何度も繰り返しかさぶたをはがして
何度も何度も痛い思いをすれば
さすがにイヤになると思います。
もう痛い思いはしたくないと思えるようになるまで
かさぶたをはがし続けるのもいいかと思います。
中途半端にはがすと欲求不満は残りますので
徹底的に血が吹き出るくらい、前の傷よりも
大きく傷つけるくらいはがして
(もうはがすというより傷つけるですね)みてください。
そうすれば納得できます。
もういいと思えることができます。
これも重いエネルギー
(イヤだと思う、怖いと思う、不安に思う)
から抜ける方法なのです。
誘惑を断ち切る覚悟をするのもいいですし
もういいと本気で思えるくらい
とことんかさぶたをはがすのもいいと思います。
後者の方法は私はあまりお勧めしませんが、
どちらの方法を選んでもそれはあなたの自由です。
もうひとつ方法がありました。
ずっとそこにいるという選択も出来ます。
そこから抜けようと思わず
ずっとそこを楽しむということもできますね。
どれを選ぶかはあなた次第だということです。
あなたに合った方法でやってみてくださいね。
あなたに愛をこめてお伝えいたします」
http://5am5.blog.fc2.com/blog-date-20220726.html
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われわれが
この次元世界にこれほど興味があるのは
それこそレプティリアンによる
思考操作の結果なのかもしれません。
アシュタールの話は、
もちろん、
ニサルガダッタやラマナ・マハルシの
話と同じ内容のものではありません。
アシュタールには
顕現宇宙の中での立場もあれば役割もあります。
しかしマハルシやマハラジには
そういうものはいっさいありませんから。
とはいえ、
アシュタールのメッセージが
ある意味とても実践的な内容であることは間違いありません。
「興味」とは実際は何なのか?
宇宙には「加害者」もいなければ「被害者」もいない。
多次元宇宙とはアシュタールの比喩によれば、
一面に砂鉄が振り撒いた紙の下から磁石を近づけると
砂鉄が磁石の形に吸着するように、
そんな感じで現象化しているのだそうです。
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宇宙のすべてはエネルギーで満たされています。
あなたのまわりも例外ではありません。
あなたのまわりに当たり前に空気があって
何も心配せずに息が出来るように
エネルギーも当たり前にどこにでもあります。
どこにでもあるというより
どこでもエネルギーに満たされているのです。
そして波動エネルギーは、意識エネルギーによって
どんな形にでもなります。
波動エネルギーを動かすのは意識のエネルギーなのです。
砂鉄をいろんな形にする磁石のようなものだと思ってください。
砂鉄がすべてを満たしている波動エネルギーで
磁石があなたの意識エネルギーです。
磁石を動かすと砂鉄も動きますし、丸い(円形の)磁石を使うと
砂鉄も円になりますね・・・
磁石の形が砂鉄の形(表現)を決めるのです。
これが思考が先・・現実があと、と言う理由です。
波動エネルギーは、今のあなたの目には見えません。
でも波動エネルギーの波を粗くしていくと
波動エネルギーが結着して
目に見える固体(物質)となるのです。
http://5am5.blog.fc2.com/blog-date-20171207.html
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果てしなく波動エネルギーが充満している空間に
思考という意識波動を当てることによって
多次元宇宙は現象している。
立ち上がってくるのはすべて波動エネルギーの姿。
それはもともと無限に充満している対象物、
砂鉄にも喩えられるようなものだと。
わたしたちが現実化するとは
まわり中に充満している波動エネルギーに
意識エネルギー(思考)を向けることなのだと。
それが現象(砂鉄が取っている一時的な姿)に
「興味」をもつということなのでしょう。
つまり、
「興味」をもつとは
意識(思考エネルギー)が
対象物(波動エネルギー)に向かうこと。
そして対象物の一時的な姿に自己同化することで
新たな意識(思考エネルギー)を紡ぎ出し、
その新たな想像(思考エネルギー)を
対象物(波動エネルギー)に放射することで
新たな現実(波動エネルギーの形)を創造するのだと。
「興味」とは、
まさに【意識が対象物に成る過程】そのもの
とも言えそうです。
これこそが自己同化の鍵です。
「意識」が「対象物」に変容する過程なのです。
顕現に興味をもつことで、
「あなた(非顕現)」は「もの(顕現)」になるのです。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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すべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
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今日は暗くなったので
もう涼しいです。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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