home > 通信 >「意図」の矛盾:言葉の粗雑さ:『アセンション館通信』第955号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2022/08/07(第955号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「意図」の矛盾:言葉の粗雑さ

2.編集後記
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■ 1.「意図」の矛盾:言葉の粗雑さ
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今日はもう夜になっているので

涼しいです。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

みなさま、この永遠の<今>を

いかがお過ごしでしょうか?

実際、書くことなど何も無いものだから

今日は特に急いでする必要もない

いろんなことをして今になりました。

こうしてモニターに向かって

さて何を書いたものやら?(*^_^*)

何も書くことが起らないのなら、

何も書かなくてもいいんじゃね?(^_-)

なるほど。

いや、おっしゃるとおり。

それもそうかも。(-_-;)

ラメッシ・バルセカールがどこかで、

自分にできることは何もないということを

自分は子供のときから知っていた、

という意味のことを言っていました。

彼のような人が

嘘を言うということはありえないので、

実際、生まれたときから

彼にはその知識があったのでしょう。

またそうであるなら、

彼にかぎらず

この身体が意図してできるようなことは

実際は何も無いのだと思います。

と同時に、また別の観点からは、

自分がこうしようと思ったら、

その意図に沿った方向に沿って行為が現れ

その意図に関連した現実が起こるように

思われるのも事実です。

そしてこの

(1)“自分”が意図するからこそそれが起こる

という観点と

(2)“自分”が意図して起こせることなど何も無い

という二種類の観点は

両立し得ない相互に矛盾した観点のようでありながら

じつは必ずしもそうではないかもしれません。

たとえば、

こんな単純なケースを考えてみましょう。

もし現象世界で

独立した主体だと信じ込んでいるわれわれが、

(1)“自分”が意図するからこそそれが起こる

と考えるように運命的にそう定められていて、

しかも、実際は、

(2)“自分”が意図して起こせることなど何も無い

とします。

その場合、

(2)“自分”が意図して起こせることなど何も無い

われわれにとって、

(1)“自分”が意図するからこそそれが起こる

という信念のもとに行為することは不可避です。

しかも、実際は、

(2)“自分”が意図して起こせることなど何も無い

わけですから、

たとえ、そのわれわれが、

ラマナやマハラジからの知見を漏れ聞いて、

(1)“自分”が意図するからこそそれが起こる

と信じるような「無知」から脱出したいと望んでも、

実際は、

(2)“自分”が意図して起こせることなど何も無い

ので、その願望は叶わないということになります。

見ておわかりの通り、

これはいわばわれわれの現状そのものです。

ということは、

(1)“自分”が意図するからこそそれが起こる

という観点と

(2)“自分”が意図して起こせることなど何も無い

という二種類の観点は相互に矛盾していないどころか、

まさに二つ合わさって

見事にこの【見かけ】の現象世界の仕組を

描写しているとも言えそうです。

言葉というのは本当に大雑把な道具ですね。(^_-)

波動世界のありようを

言葉で映し出そうという試み自体が

無謀なのでしょう。

そしてそれは誰が意図したのでもなく、

ただそうなるように運命づけられていたのかもしれません。

つまりそうなる運命のときはそうなる、

ということです。(*^_^*)

『意識に先立って ― ニサルガダッタ・マハラジとの対話』

の中でマハラジはこんなことを言っています。

──────────────────
 肉体は五大元素からできていて、
 それぞれの肉体は
 五大元素の組み合わせの割合に応じて行動する。
 そのため、
 人が五大元素の本質と一体化している間は、
 理解することは不可能だ。
 なぜなら、
 理解しようとしている者は偽実体だからだ。
 理解に対する最大の障害は、
 私は一個の実体であるという概念であり、
 二番目は私が持つすべての概念は
 真理だという概念なのだ。
 
 どんな実体も存在せず、
 起こっていることは、
 単に意識の機能のプログラムにすぎず、
 それを起こしている実体も
 苦しんでいる実体もないことが
 最大の信念をもって理解されるとき、
 そのとき初めて一体化の解除が起こる。
 それ以外はあらゆる種類の間違った概念が起こる。
 
 自分は理解したと思う人の謎を解くまで、
 あなたは理解していないのだ。
 
 あなたは鼻クソと自分自身を一体化するだろうか?
 この肉体が作られた材料も、
 それと何か違いがあるだろうか?
 
 私はこの肉体が創造された材料でもなければ、
 その材料の中に内在する意識でもない。
 
 『意識に先立って ― 
  ニサルガダッタ・マハラジとの対話』(230)
──────────────────

> 肉体は五大元素からできていて、
> それぞれの肉体は
> 五大元素の組み合わせの割合に応じて行動する。

肉体にまつわるすべての活動は

五大元素の組み合わせという

ある意味で自動プログラムで決定された運命の

展開にすぎない。

> そのため、
> 人が五大元素の本質と一体化している間は、
> 理解することは不可能だ。

したがって

われわれが

その自動プログラムで決定された運命の展開に

一体化している間は、

肉体にまつわる見かけ上の自動的な展開を

“自分”の意図と思いこんでいるわけだから、

実際に起こっていることを理解することは不可能だ。

> なぜなら、
> 理解しようとしている者は偽実体だからだ。

なぜなら、

その自動的な展開を

“自分”の意志的行為と思いこんでいる当人自体が

ただの想像上の捏造された概念にすぎないからだ。

> 理解に対する最大の障害は、
> 私は一個の実体であるという概念であり、
> 二番目は私が持つすべての概念は
> 真理だという概念なのだ。

実際に起こっていることを

理解するための最大の障害は、

自分は一人の主体的個人だという概念であり、

二番目の障害は、

自分が考えることは真理だという概念だ。

> どんな実体も存在せず、
> 起こっていることは、
> 単に意識の機能のプログラムにすぎず、
> それを起こしている実体も
> 苦しんでいる実体もないことが
> 最大の信念をもって理解されるとき、
> そのとき初めて一体化の解除が起こる。
> それ以外はあらゆる種類の間違った概念が起こる。

肉体に関連して起こる現象の中には、

どんな独立した主体的実体も存在しない。

起こっているのは、

単に意識の働きの自動プログラム上の展開にすぎず、

それを起こしている独立した主体的実体も存在しなければ

また苦しんでいる独立した主体的実体も存在しない。

そのことが最大の信念をもって理解されたとき

初めてこの肉体活動の自動展開過程への

一体化の解除が起こる。

さもないかぎりは、

この肉体活動の自動展開過程に対する

あらゆる種類の間違った解釈や観念が起こる。

> 自分は理解したと思う人の謎を解くまで、
> あなたは理解していないのだ。

もしあなたが“自分は理解した”と思っているのなら、

そう“思っている人”に関する謎を解くまでは、

あなたは理解していないのだ。

> あなたは鼻クソと自分自身を一体化するだろうか?
> この肉体が作られた材料も、
> それと何か違いがあるだろうか?

あなたは“自分”が鼻クソだと信じ込みたいだろうか?

そんなことはあるまい。

むしろ、“自分”は悟ったとか、

“自分”にはイエス・キリストの過去世がある、

などと思いたいはずだ。

だが実際は、

あなたがしきりに一体化したがっている

あなたの肉体が作られている材料は、

鼻クソの材料とまさに同じものなのだ。

> 私はこの肉体が創造された材料でもなければ、
> その材料の中に内在する意識でもない。

「私」はこの肉体を構成する材料でもなければ、

その材料の中に内在する意識でもない。

私は私であるものだ。

他のすべては私ゆえに存在している。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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すっかり晩くなりましたが、

ガラス戸を開けていると涼しいです。

もう寝ます。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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