home > 通信 >心の制御は生得権ではない(R・マハルシ):『アセンション館通信』第958号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2022/08/28(第958号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇


 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.心の制御は生得権ではない(R・マハルシ)

2.編集後記
──────────────────

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■ 1.心の制御は生得権ではない(R・マハルシ)
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今日も比較的暑かったですね。

なにか一日ぼんやり過ごしました。

最近ちょっと仕事をしすぎているので。

でも、白内障の手術の後

また急速に視力が落ちていたのが、

レーザー手術でまたバッチリ

視力が戻ったのはありがたいです。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

みなさま、この永遠の<今>を

いかがお過ごしでしょうか?

最近『ラマナ・マハルシとの対話2』
https://amzn.to/3AuOmUX

を入手したものですから、

ところどころ開いて眺めています。

なんか、とても

普通のことを仰っているんですよね。

普通のこととして理解できるように

なってきたということなのでしょうが。

ちょっとご紹介しますね。

こんな感じです。

──────────────────
 質問者
 私たちの修練はどうあるべきでしょうか
 
 マハルシ
 修行者のための修練は、
 成就した人にとっての自然な状態(サハジャ)です。
 サハジャとは本来の状態です。
 それゆえ、
 修練とはこの不変の真理の実現を妨げるものを
 取り除くことに尽きるのです。
 
 質問者
 精神集中は修練(サーダナ)の一つなのでしょうか?
 
 マハルシ
 集中とは一つのことを考えることではありません。
 その反対に、
 それは私たちの真の本性のヴィジョンを妨げる
 すべての想念を取り除くことなのです。
 私たちの努力は
 無知のヴェールを剥ぎ取るためだけにあります。
 今は、
 想念を静めることが難しく見えますが、
 霊的に生まれ変わった状態では、
 想念を起こすこと自体が難しくなります。
 実際、
 考えなければならないようなことが
 何かあるでしょうか?
 ただ真我だけが存在しているのです。
 想念が活動するのはそこに対象物があるときだけです。
 しかし対象物は存在しないのです。
 どうして想念が起こりえると言うのでしょう?
 
 習慣のせいで、
 私たちは思考を止めるのは難しいと信じ込んでいます。
 それが過ちだと分かりさえすれば、
 不必要に努力を重ねるような
 愚かしいこともしなくなるでしょう。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p207-208)
──────────────────

> 実際、
> 考えなければならないようなことが
> 何かあるでしょうか?

こう言われると

ほんとになぁ、という気がしてきます。

> ただ真我だけが存在しているのです。

はい。

> 想念が活動するのはそこに対象物があるときだけです。

起こっていることが

客観的に存在すると思っているからこそ、

それをああだこうだと

言いたくなってしまうんですよね。

まあ、それ以前に、

この身体を生かし続けるために

“自分”が何かしなければならないという

「聖なる催眠」が解けていないからですが。

> しかし対象物は存在しないのです。
> どうして想念が起こりえると言うのでしょう?

想像が現象させているホログラム以外に、

客観的に存在している対象物など

存在しないと知っているのに……。

正確に言えば、統覚されていない、

知らないということなのでしょうね。

> 習慣のせいで、
> 私たちは思考を止めるのは難しいと信じ込んでいます。
> それが過ちだと分かりさえすれば、
> 不必要に努力を重ねるような
> 愚かしいこともしなくなるでしょう。

その“不必要に努力を重ねる”ことも

していませんけど。

──────────────────
 質問者
 恩寵は修練よりも効力があるのではないでしょうか?
 
 マハルシ
 グルはただ無知を消し去ることを助けるだけです。
 彼があなたに真我実現を手渡すとでも言うのですか?
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p208)
──────────────────

これほど平明なことが語られている。

> 彼があなたに真我実現を手渡すとでも言うのですか?

まったくです。

──────────────────
 質問者
 私たちは無知なのです。
 
 マルシィ
 自分を無知だと認めているのですから、
 あなたは賢いのです。
 自分を狂人だという人が
 本当に狂人だと言えるでしょうか?
 グルの恩寵とは、
 あなたを水の中から救い出そうと
 差し出す手のようなものです。
 つまり、
 それはあなたが無知を取り除きやすくなるように
 手助けしているのです。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p208)
──────────────────

疑問の余地もありません。

──────────────────
 質問者
 それは無知という病気を癒す
 薬なのではないでしょうか?
 
 マハルシ
 薬は何のためにあるのでしょうか?
 それはただ
 患者を元の健康な状態に戻すためにあるのです。
 このグルや、恩寵や、
 神についての話はいったい何なのでしょう?
 グルはあなたを手でつかまえて
 耳元に何かささやくとでも言うのでしょうか?
 あなたは彼が自分と同じだと想像しています。
 なぜなら、
 あなたは自分を身体だと思っているため、
 グルもまた身体であり、
 自分に身体を通して何かをしてくれると思うのです。
 しかし彼の仕事は内面で起こります。
 
 グルはどのようにして得られるのでしょうか?
 すべてに遍在する神は愛する帰依者を哀れに思い、
 自分自身を帰依者の次元(レベル)に
 相応させた姿で現れるのです。
 帰依者は彼を人間だと思い、
 二つの身体の間に
 何らかの関係を結ぶことを期待します。
 しかし神であり真我の化身であるグルは
 帰依者の内面から働きかけ、
 彼が道を誤っていることに気づかせ、
 内なる真我を実現するまで正しい道へと彼を導きます。
 
 そのような実現の後、
 弟子は、
 「これまで私は心配し、
  悩んでばかりいた。
  私は結局のところ真我なのだ。
  何も以前と変わってはいない。
  ただ何にも影響されなくなっただけだ。
  惨めだった自分はどこに行ったのか?
  もう姿は見えない 」
 と感じるです。

 では、
 私たちは何をすべきでしょうか?
 ただ師の言葉にしたがい、
 内面に働きかけるだけです。
 グルは内面と外面の両方に存在しています。
 それゆえ、
 彼はあなたが内面に向かうような条件を
 外側に作り出し、
 あなたを中心へと引き込むように内面を準備します。
 こうしてグルは外側からあなたを押入れ、
 内側から引き込んで中心に固定させるのです。
 
 眠りの中では、
 あなたは内面に中心を置いています。
 目覚めると同時に心は外に飛び出して、
 あれやこれ、
 その他すべてについて考え始めます。
 これが止められなければなりません。
 それができるのは内面と外面の両方から
 働きかけることのできる人だけです。
 そのような人を身体と見なすことができるでしょうか?
 
 私たちは努力しだいで世界を征服できると考えます。
 外側の世界で挫折し、
 内側に向ったとき、
 初めて私たちは感じるのです。
 「おお!
  人間よりも高次の力が存在している」
 と。
 このように高次の力の存在が
 認められなければなりません。
 自我は実に強力な象であるため、
 ライオンにも劣らぬ力でなければ制御できません。
 それはグルより他にありません。
 グルが見つめただけで、
 象は震え慄(おのの)いて死ぬのです。
 
 時が経つにつれて、
 私たちの栄光は
 私たち自身が存在を消し去った時にこそ
 在るということを知ります。
 その境地に達するには、
 人は「主よあなたこそ私の救い主です!」と言って
 自己を明け渡さなければなりません。
 そのとき、師は
 この人が教えを受けるにふさわしいことを見抜き、
 彼を導くのです。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p208-210)
──────────────────

> このグルや、恩寵や、
> 神についての話はいったい何なのでしょう?
> グルはあなたを手でつかまえて
> 耳元に何かささやくとでも言うのでしょうか?

こういうパフォーマンスが

流行った時代もありました。

> あなたは彼が自分と同じだと想像しています。
> なぜなら、
> あなたは自分を身体だと思っているため、
> グルもまた身体であり、
> 自分に身体を通して何かをしてくれると思うのです。
> しかし彼の仕事は内面で起こります。

グルの仕事というのは

内面で起こっているのですね。

> 帰依者は彼を人間だと思い、
> 二つの身体の間に
> 何らかの関係を結ぶことを期待します。

はい。

> しかし神であり真我の化身であるグルは
> 帰依者の内面から働きかけ、
> 彼が道を誤っていることに気づかせ、
> 内なる真我を実現するまで正しい道へと彼を導きます。

たえずその働きは起こっているのでしょう。

> そのような実現の後、
> 弟子は、
> 「これまで私は心配し、
>  悩んでばかりいた。
>  私は結局のところ真我なのだ。
>  何も以前と変わってはいない。
>  ただ何にも影響されなくなっただけだ。
>  惨めだった自分はどこに行ったのか?
>  もう姿は見えない」
> と感じるです。

たしかに、

「惨めだった自分はどこに行ったのか?」

と感じる瞬間がないでもありません。

> では、
> 私たちは何をすべきでしょうか?
> ただ師の言葉にしたがい、
> 内面に働きかけるだけです。

これが本格的に起こっていない。

> グルは内面と外面の両方に存在しています。
> それゆえ、
> 彼はあなたが内面に向かうような条件を
> 外側に作り出し、
> あなたを中心へと引き込むように内面を準備します。
> こうしてグルは外側からあなたを押入れ、
> 内側から引き込んで中心に固定させるのです。

まだそれにふさわしい条件が

起こっていないということですね。

いや、エゴの気づかないところで、

薄紙をはぐように起こっているのかもしれません。

> 眠りの中では、
> あなたは内面に中心を置いています。

はい。

> 目覚めると同時に心は外に飛び出して、
> あれやこれ、
> その他すべてについて考え始めます。

たしかに。

> これが止められなければなりません。

そうなんですよね。

> それができるのは内面と外面の両方から
> 働きかけることのできる人だけです。
> そのような人を身体と見なすことができるでしょうか?

そうか。

> 私たちは努力しだいで世界を征服できると考えます。

小学生のころは

そんな感じだったのかなぁ。

それほどでもないか。(^_-)

> 外側の世界で挫折し、
> 内側に向ったとき、
> 初めて私たちは感じるのです。
> 「おお!
>  人間よりも高次の力が存在している」
> と。

なるほど。

それほど勾配の早い理解ではなくて、

ずいぶん外側の世界に文句がありました。

いつ内側に向くものやら。

> このように高次の力の存在が
> 認められなければなりません。

ギブアップするには、

何らかの形で「高次の力の存在」を

認めるということがあるんですね。

> 自我は実に強力な象であるため、
> ライオンにも劣らぬ力でなければ制御できません。
> それはグルより他にありません。
> グルが見つめただけで、
> 象は震え慄(おのの)いて死ぬのです。

そのような信仰がある世界では

そういう形があるのですね。

> 時が経つにつれて、
> 私たちの栄光は
> 私たち自身が存在を消し去った時にこそ
> 在るということを知ります。

はい。

何かの想念が起こっている状態より

どんな想念も起こっていない状態のほうが

いいとい感じはあります。

> その境地に達するには、
> 人は「主よあなたこそ私の救い主です!」と言って
> 自己を明け渡さなければなりません。
> そのとき、師は
> この人が教えを受けるにふさわしいことを見抜き、
> 彼を導くのです。

そういう具合なのか……。

──────────────────
 質問者
 自己を明け渡すとはどういうことでしょうか?
 
 マハルシ
 それは自己制御と同じことです。
 制御は自我の機能であるサンスカーラを
 取り除くことで成果が得られます。
 自我が開け渡すのは、
 高次の力の存在を認めたときだけです。
 そのような認識が、
 明け渡し、降伏、自己制御なのです。
 さもなければ、
 塔に刻まれた像があたかも自分の肩で
 必死に塔を支えていると見せるかのように、
 自我も虚勢を張り続けるでしょう。
 高次の力を離れて自我が存在することはできません。
 それにもかかわらず、
 自我は自分の意思で行為していると考えるのです。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p210)
──────────────────

> 制御は自我の機能であるサンスカーラを
> 取り除くことで成果が得られます。

放っておけば現象に向かいがちな

マインドの傾向を取り除くということですね。

> 自我が開け渡すのは、
> 高次の力の存在を認めたときだけです。

それまではマインドの支配下にあるから、

自分が頑張っているから何とかなっている

という幻想が抜けきらないわけか。

> そのような認識が、
> 明け渡し、降伏、自己制御なのです。

わかりました。

> さもなければ、
> 塔に刻まれた像があたかも自分の肩で
> 必死に塔を支えていると見せるかのように、
> 自我も虚勢を張り続けるでしょう。

ああ、

まだその段階だということか。

> 高次の力を離れて自我が存在することはできません。

空無のなかから

瓢箪から駒が出るように、

エゴが飛び出すということはありえません。

それはわかります。

> それにもかかわらず、
> 自我は自分の意思で行為していると考えるのです。

そうか……。

そういうことになるわけですね。

──────────────────
 質問者
 どうすれば反抗的な力を制御できるでしょうか?
 
 マハルシ
 自我の源を探りなさい。
 そうすればそれをそれは消え去るでしょう。
 さもなければ、
 明け渡しなさい。
 そうすればそれは打ち倒されるでしょう。

 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p210)
──────────────────

> 自我の源を探りなさい。
> そうすればそれをそれは消え去るでしょう。

どちらかと言えば

自分はこっちのタイプかと思っていたけれど。

> さもなければ、
> 明け渡しなさい。
> そうすればそれは打ち倒されるでしょう。

「明け渡す」なんて

自分にはできっこないと思っていたけれど。

どんなものかなぁ。

──────────────────
 質問者
 それでも心は私たちの制御をすり抜けてしまうのです。
 
 マハリシ
 それならそれでいいでしょう。
 考えずにいなさい。
 我に帰ったときに心を持ち直し、
 それを内側に向けなさい。
 それで十分です。
 
 努力なしに成功する人など誰もいません。
 心の制御は生得権ではないからです。
 成功をおさめた少数の人たちは
 忍耐力を持って成功したのです。

 列車の中の乗客が
 頭の上に荷物を載せているとしたら、
 それは自分の愚かさゆえです。
 荷を下ろさせなさい。
 それでも荷物は目的地に到着するということを
 彼は知るでしょう。
 同じように、
 私たちも行為者であるふりをするのはやめましょう。
 そして高次の力の導きにこの身をゆだねるのです。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p210)
──────────────────

> 質問者
> それでも心は私たちの制御をすり抜けてしまうのです。

この状態だな。

> マハリシ
> それならそれでいいでしょう。

はい。

> 考えずにいなさい。

たしかに、何も考えていないときも

……ありますね。

> 我に帰ったときに心を持ち直し、
> それを内側に向けなさい。
> それで十分です。

その努力は……していないかな。

あまり心配はしなくなったな。

> 努力なしに成功する人など誰もいません。

やっぱり。

> 心の制御は生得権ではないからです。

あ!(@_@) ⌒★?

そういうことか。

そうだよなぁ。

自分が現象界に現れてきたと思っている思考は、

現象界を維持するための旬の燃料だものなぁ。

> 成功をおさめた少数の人たちは
> 忍耐力を持って成功したのです。

そういうことですよね。

一生油を売っていて、

サンスカーラを取り除くことはできない。

> 列車の中の乗客が
> 頭の上に荷物を載せているとしたら、
> それは自分の愚かさゆえです。

愚かな“自分”という実体は存在しないけれど、

自分が頑張っているという“愚かさ”は

夢の中には存在するわけだ。

> 荷を下ろさせなさい。
> それでも荷物は目的地に到着するということを
> 彼は知るでしょう。

荷は下ろしてもいいという

思考が湧いてくるようになるんだ。

> 同じように、
> 私たちも行為者であるふりをするのはやめましょう。

そうだよなぁ。

> そして高次の力の導きにこの身をゆだねるのです。

わかりました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

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 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
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今日もすっかり晩くなりました。

ガラス戸を開けると涼しいです。

もう寝ます。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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