home > 通信 >意志の力(R・マハルシ):『アセンション館通信』第960号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2022/09/04(第960号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
-☆☆────-☆☆─────────────────────
 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.意志の力(R・マハルシ)

2.いただいたお手紙から:あきさん

3.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.意志の力(R・マハルシ)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

午後になってすっかり晴れ上がると

やはり山懐も暑くなってきました。

一日ぼんやり過ごしています。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

みなさま、この永遠の<今>を

いかがお過ごしでしょうか?

今朝方も寝床のなかで

ベッド下から取り上げた

『ラマナ・マハルシとの対話2』
https://amzn.to/3AuOmUX

を眺めていました。

まだ醒めきっていないその状態だと

やっぱり分かり方がなにか違うんですよね。

1行、目を通すごとに

その行の意味が立ち上がってくる。

その行は前にも読んだことがあって、

情報としては初めて聞くわけでもない。

でも、その意味を

いま了解しているように理解していたとは

とても思えないという感じです。

今朝方見たのはこんな文面でした。

──────────────────
 対話423
 
 
 ある若者が訪ねた。
 「私は意志の力を培おうと試みるのですが、
  成功しません。どうするべきでしょうか?」
 
 マハルシ
 (沈黙)
 
 質問者
 私は三年前にここに来ました。
 シュリー・バガヴァーンは精神力を得るには
 意志の力が必要だとおっしゃいました。
 それ以来、私は意志の力を養おうとしてきたのですが
 成功しませんでした。
 
 マハルシ
 (沈黙)
 
 質問者
 この数年間には四、五回の失敗がありました。
 この失敗は私を深く挫折させました。
 何かを試みるために失敗の恐れがつきまとうのです。
 その結果自信を失ってしまい、
 それが私の努力が失敗に終わることを運命づけるのです。
 成功ほど成功をもたらすものはなく、
 失敗ほど挫折をもたらすものはありません。
 だからこそ、質問しているのです。

 マハルシ
 (沈黙)
 
 質問者
 成功するためには意志の力が必要なのでありませんか?
 それは成功を確実なものにし、失敗を拭い去るです。
 
 マハルシ
 (沈黙)
 
 質問者
 私は意志の力を得ようとするのですが、
 何年経っても出発して出発してに後戻りしている自分を
 見いだすのです。まったく進歩が見られません。
 
 マハルシ
 (沈黙)
 
 質問者
 意志の力を得る方法とは何でしょうか?
 
 マハルシ
 あなたが抱いている意志の力という観念は、
 成功を確保するためのものです。
 成功であろうと失敗であろうと
 平静に受け止めることのできる心の強さ、
 それが意志の力というものであり、
 それは成功と同義語ではないのです。
  
 なぜ試みが
 いつも成功しなければならないというのでしょう?
 成功は高慢さを助長し、
 それゆえ霊的な成長を止めてしまいます。
 
 その反対に、
 失敗は自己の限界に目を開かせ、
 自己を明け渡す心構えをもたらす
 ということにおいて有益なのです。
 自己を明け渡すということと永遠の幸福は同義語です。
 それゆえ、
 いかなる状況においても
 動じない心を得るように心がけるべきです。
 それが意志の力というものです。
 しかも、
 成功や失敗は意志の力ではなく、
 プラーラブダの結果です。
 
 清く正しい行為だけをしながら、
 失敗する人もいます。
 その反対の行為をしながら、
 成功ばかりをおさめる人もいるでしょう。
 だからといって、
 一方の人に意志の力があり、
 もう一方にはないということではないのです。
 
 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p251-252)
 https://amzn.to/3AuOmUX
──────────────────

「意志の力」ということが

ここで取り上げられました。

この質問者の方の気持ちはわかりますよね。

三年間真面目に努力したということなら、

こういう疑問が浮かび上がってきて

当然ではないでしょうか。

わたしなどは、

あまり努力ということはできない方の人間ですが、

それでも、たとえば、

ラマナの理解に沈潜していこうとするにも

なにか「意志の力」的なものが

育っていないと難しいのではないか……

みたいなことは思ってしまいます。

ところがどうもそうではないらしい。

マハルシの言葉はあまりに明確です。

> マハルシ
> あなたが抱いている意志の力という観念は、
> 成功を確保するためのものです。

たしかに。

考えてみれば、

それは言うまでもなさそうです

> 成功であろうと失敗であろうと
> 平静に受け止めることのできる心の強さ、
> それが意志の力というものであり、
> それは成功と同義語ではないのです。

あ。(*@_@*) ⌒★?

「意志の力」というのは

「成功」には関係がない。

成功とか失敗とかにまったく惑わされない、

あるいはまったく関心を持たないことが、

【意志の力】というものだと。

……そういうことか。(-_-;)

> なぜ試みが
> いつも成功しなければならないというのでしょう?

「いつも成功しなければならない」

のは間違いなくエゴの都合ですよね。(^_-)

それ以外の何かがあるはずがない。

言葉の上では「エゴ」を超克したいとのたまいながら、

実際は成功を望んでいる“エゴ本人”の

都合にすぎないわけです。

これはもう自明です。

しかし実際はそうはいかないわけで、

それは……

> 成功は高慢さを助長し、
> それゆえ霊的な成長を止めてしまいます。

というわけです。

ビジネス上の成功であれ、

霊的世界での成長であれ、

もし何かを“意志の力”で達成できたと

当人が理解するような状況が起こったら、

間違いなく高慢さを助長するでしょうね。

霊的な成長もそこで止まるのでしょう。

エゴの力は強まることはありえても、

弱まることはありえないでしょう。

> その反対に、
> 失敗は自己の限界に目を開かせ、
> 自己を明け渡す心構えをもたらす
> ということにおいて有益なのです。

ところが「失敗」には明確な利益がある。

それは「自己の限界に目を開かせ」、

「自己を明け渡す心構えをもたらす」わけです。

(-_-;)

いやー、これはもう間違いありませんね。

われわれは、

どうやっても“自分”にはどうにもできない、

とわからないうちに“明け渡す”なんて

できるわけがないですよね。

どうにもできないからこそ、

諦めるわけですから。

エゴにはそれ以外の諦め方などありません。

> 自己を明け渡すということと永遠の幸福は同義語です。

“自分”には何もできないから

「すべておまかせします」というのと、

「永遠の幸福」というのは同義語なのか。

> それゆえ、
> いかなる状況においても
> 動じない心を得るように心がけるべきです。
> それが意志の力というものです。
> しかも、
> 成功や失敗は意志の力ではなく、
> プラーラブダの結果です。

どんな状況でも【動じない心】。

それが「意志の力」というものなのか。(-_-;)

さらに言うなら、

成功とか失敗というものは

「意志の力」によるものではなく、

「プラーラブダ」の結果なのだと。

この本の巻末の「用語解説」に

──────────────────
 プラーラブダ・カルマ prarabdha karma:
 過去世での行為によって定められた、
 現世で果たされるべき運命。
 
 カルマの法則は人間の活動における決定論を意味するため、
 プラーラブダはしばしば「運命」と訳されている。
──────────────────

とあります。

このことは人生は決定されている

という決定論的な見解と理解することもできるでしょうが

別の見方からすると

これは同時にミナミ A アシュタール的な

非決定論的な立場とも両立する、

と理解することもできるでしょう。

運命的に定められた道を、

自由意志で創造していくわけです。

マハルシは次のようにコメントしています。

> 清く正しい行為だけをしながら、
> 失敗する人もいます。

こういう方もいるでしょうね。

会田雄次が書いた『アーロン収容所』で読んだ、

「いいやつから死んでいった」という言葉を

思い出します。

> その反対の行為をしながら、
> 成功ばかりをおさめる人もいるでしょう。

それもいそうですね。(*^_^*)

> だからといって、
> 一方の人に意志の力があり、
> もう一方にはないということではないのです。

まったくです。

次いで問答はこんなふうに続いてゆきます。

──────────────────
 質問者
 『実在についての四十頌』の中に、
 「世界は心の産物だ」と述べられてはいませんか?
 
 マハルシ
 そうです。
 
 質問者
 そうだとすれば、
 心が強くなるにしたがって、
 世界をコントロールすることも
 できるようになるのではないでしょうか?
 
 マハルシ
 外的な活動に従事する心が世界を生じさせるのです。
 そのような活動は心の強さを減少させてしまいます。
 心の強さは快適な活動を止めて、
 それ自身の内にとどまることにあるのです。
 
 質問者
 十まで数を数えることもできない白痴がいます。
 彼の心は思慮深い人よりも
 さ迷い出すことがないでしょう。
 前者の方が後者よりも優位だと言えるでしょうか?
 
 マハルシ
 彼のことを白痴だと呼ぶのは誰でしょうか?
 さ迷い出すあなたの心がそう言うのです。
 
 質問者
 意志の力は想念を拭い去ることによって
 得られるのでしょうか?
  
 マハルシ
 それはむしろ一つの想念に
 心をとどめることによって得られるのです。
 最終的には、
 その一つの想念も
 純粋意識を後に残して消え去るでしょう。
 精神集中がそれを助けるのです。
 
 質問者
 それでは、
 心を制御し集中させることによって
 意志の力を得ることができるのですね。
 人格はそれと何の関わりもないのですね。
 
 マハルシ
 人格は外的な活動の根本原因です。
 「最高善」を得るためには、
 それは消え去らなければならないのです。

 『ラマナ・マハルシとの対話2』(p252-253)
──────────────────

> 質問者
> 『実在についての四十頌』の中に、
> 「世界は心の産物だ」と述べられてはいませんか?
> 
> マハルシ
> そうです。
> 
> 質問者
> そうだとすれば、
> 心が強くなるにしたがって、
> 世界をコントロールすることも
> できるようになるのではないでしょうか?

ついこんなふうに考えたくなりますよね。

でもそのとき、

いつの間にかその言葉が、

明らかに「エゴ」の立場からの言葉に

なっていることを思い出すことができると

いいのかもしれません。

誰がそれを言っているのかと。

> マハルシ
> 外的な活動に従事する心が世界を生じさせるのです。

思考を現象に向けて放出することが

世界を生じさせているわけですものね。

> そのような活動は心の強さを減少させてしまいます。

ここが、

たとえば、多次元宇宙の頭部である

ミナミ A アシュタールのメッセージと、

例えばラマナ・マハルシや

ニサルガダッタ・マハラジの言葉と

正反対なところでしょうね。

> 心の強さは快適な活動を止めて、
> それ自身の内にとどまることにあるのです。

【心の強さは快適な活動を止めて、
 
 それ自身の内にとどまることにある】。
 
まあこういう言葉は、

この地球でしか聞けない言葉なのかもしれません。

> 質問者
> 十まで数を数えることもできない白痴がいます。
> 彼の心は思慮深い人よりも
> さ迷い出すことがないでしょう。
> 前者の方が後者よりも優位だと言えるでしょうか?

面白い質問ですね。

> マハルシ
> 彼のことを白痴だと呼ぶのは誰でしょうか?

ああ。

> さ迷い出すあなたの心がそう言うのです。

まさに。

> 質問者
> 意志の力は想念を拭い去ることによって
> 得られるのでしょうか?

この質問は、

マハルシから素晴らしい回答を引き出してくれました。

> マハルシ
> それはむしろ一つの想念に
> 心をとどめることによって得られるのです。

自己探究も、バジャンも、

まさにそのための方法なのでしょう。

> 最終的には、
> その一つの想念も
> 純粋意識を後に残して消え去るでしょう。
> 精神集中がそれを助けるのです。

(-||-)

> 質問者
> それでは、
> 心を制御し集中させることによって
> 意志の力を得ることができるのですね。
> 人格はそれと何の関わりもないのですね。

質問者は最後の確認をしています。

> マハルシ
> 人格は外的な活動の根本原因です。

はい。

> 「最高善」を得るためには、
> それは消え去らなければならないのです。

わかりました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


「ニサルガ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号は
すべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/

   ………○…………○…………○………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.いただいたお手紙から:あきさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセ通』へのご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

   ………○…………○…………○………


前回の遅れた掲載に対して、

あきさんからまたご投稿をいただきました。

このご意見投稿フォームからでは

なかったのですが、

遅ればせながらご了解を求めて、

ここに掲載させていただきます。

【件名】:お返事ありがとうございます^_^
──────────────────
 Pari 様
 
 こんにちは。
 お返事ありがとうございます^_^
 
 まず、Pariさんの疑問についてお答えしたいと思います。
 
 「止まるということ」についてですが、
 Pariさんのブログの件名です。
 その件名に対して、返信をしたのだと思います。
 その本は読んだことがありませんでしたが、
 感銘を受けたのでしょう。
 直ぐに忘れてしまうので、ごめんなさい?
 
 それから、タクさんについてですが
 Life is like children playing house
 という題名のはてなblogです。
 一読してみて下さい。
 
 Pariさんは、長年悟りを求めて来られたのですね。
 私は悟りとは、インドやヒマラヤ聖者の様な
 遠い世界の話しだと思っていました。
 
 1、2年前位から、興味を持ち、
 本を読み出したのですが、一つの目安として
 ヒロさんの翻訳本は殆ど読みました。
 
 「夢へと目覚める」は、
 以前読んで難しかった印象があったのですが、
 最近のPariさん の誰がショーを見ているのか 
 のblogを読んで、
 今一度読み返してみたら、
 とてもすんなり入ってきました。
 
 15 受容、無条件の愛、至福、このすべて 
 の項目も好きです。
 
 この本も、Pariさんのおかげで
 お気に入りになりました。
 
 ☆「全てが想像の産物」とありましたが
 思考の中にだけ未来と過去があるのですね。
 ホントになかなか腑に落ちるまではいかないですけど…
 
 また時々、合いの手を入れさせていただきますね。
 ではでは            あきより
──────────────────

> Pari 様
> 
> こんにちは。
> お返事ありがとうございます^_^

あきさん、メールありがとうございました。

内容的に特に問題ないと思ったので、

遅ればせながら、あきさんに、

メールで掲載許可をお願いしながら、

こうしてこの欄に掲載させていただきました。<(_ _)>

> まず、Pariさんの疑問についてお答えしたいと思います。

はい。

> 「止まるということ」についてですが、
> Pariさんのブログの件名です。

やっぱり、そうですよね。

フォームの[ニックネーム]欄に書かれていたのですが、

たぶん、そういうことではないかと拝察しました。

> その件名に対して、返信をしたのだと思います。

了解です。

> その本は読んだことがありませんでしたが、
> 感銘を受けたのでしょう。
> 直ぐに忘れてしまうので、ごめんなさい?

ジョーン・トリフソンさんの文章は

素晴らしいです。

ただこの「止まるということ」は、

ヒロさんの翻訳本『つかめないもの』

の中の文章ではなくて、

ヒロさんのサイトの中に掲載されている文章です。
https://resonanz360.wordpress.com/2012/07/12/joan-resting/

> それから、タクさんについてですが
> Life is like children playing house
> という題名のはてなblogです。
> 一読してみて下さい。

あ、やっぱりそのタクさんですか。

わたしもタクさんのファンで

以前時々覗かせてもらっていたのですが、

ただ、タクさんのブログで

pariの痕跡があるはずもないしなぁ……、(-_-;)

と思ったのでした。

なにか、タクさんのところから

『アセンション館通信』につながるような

導線がありましたか?

> Pariさんは、長年悟りを求めて来られたのですね。

以前は人間が求めて悟ることができるのかと

思っていました。

ただし、どうやら実際は

求めてはいなかったようです。(^_-)

求めることができるpariという実体など

存在しなかったと言うと、

ちょっと格好いいですが。

> 私は悟りとは、インドやヒマラヤ聖者の様な
> 遠い世界の話しだと思っていました。

まあ、あまり必要がなければそうですよね。

> 1、2年前位から、興味を持ち、
> 本を読み出したのですが、一つの目安として
> ヒロさんの翻訳本は殆ど読みました。

そうでしたか。

> 「夢へと目覚める」は、
> 以前読んで難しかった印象があったのですが、
> 最近のPariさん の誰がショーを見ているのか 
> のblogを読んで、
> 今一度読み返してみたら、
> とてもすんなり入ってきました。

レオ・ハートンの『夢へと目覚める』は、

あれ以上上手くは書けないだろうというくらい

見事な作品ですね。

> 15 受容、無条件の愛、至福、このすべて 
> の項目も好きです。
> 
> この本も、Pariさんのおかげで
> お気に入りになりました。

さて、これはどんな本のことなのか。

> ☆「全てが想像の産物」とありましたが
> 思考の中にだけ未来と過去があるのですね。

これはじつに本当のことですね。

> ホントになかなか腑に落ちるまではいかないですけど…

でも、事実なので仕方がないです。(^_-)

> また時々、合いの手を入れさせていただきますね。

はい、よろしくお願いいたします。(^人^)

> ではでは            あきより

半ば勝手にこちらに掲載させていただきました。

またご投稿をいただければ嬉しいです。

ありがとうございました。m(_ _)m

(-||-)


   ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


   ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

マハルシの言葉というのは、

理屈にならないのが素晴らしいですね。

ああいうふうに端的に言われると、

こちらもそうだということが

わかってしまうところがあります。

でも昔、山尾三省さんの訳本

『ラマナ・マハリシの教え』を読んだころは、

まったくわかりませんでした。

それも確かです。

なかなか一つの想念に集中することが起こらなくて……。

今日もすっかり晩くなりました。

ガラス戸を開けると涼しいです。

もう寝ます。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
──────────────────
mag2:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2022 paritosho
──────────────────

home】 【挨拶】 【本棚】 【映画】 【N辞書】 【R辞書】 【随想】 【仕事】 【通信】 【連絡