━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/10/02(第963号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.何も望むことがないため(R.マハルシ)
2.編集後記
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■ 1.何も望むことがないため(R.マハルシ)
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今日はまた暑いですね。
秋の景色ではあります。
いろんな秋が通り過ぎてゆきましたが、
それはすべて夢の中のことでした。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
みなさま、この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
『ラマナ・マハルシとの対話2』を読んでいると、
やっぱり
『ラマナ・マハルシとの対話3』も読みたくなります。
それでamazonを開いてみたら、
今は不思議な時代ですねぇ。
どうも「Kindle Unlimited」というサービスの
会員になるとこれは無料で読めるらしい。
今までは何となくこういう有料サービスの
会員になることは敬遠していました。
でもこれは
いつでも解約できることも知っていたので
すぐ読みたくてつい会員になりました。
そしたらなんと、
『ラマナ・マハルシとの対話』の三巻は
今ではすべて無料で読めるらしい。
その他にも読んでみてもいいかも
という本がいろいろありました。
そういう時代なんですね。
今回はこの『ラマナ・マハルシとの対話3』
https://amzn.to/3RyHkFz
で読んだ内容をご紹介したいと思います。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長い引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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1939年2月7日
対話625
英国から訪れたメルストン嬢が尋ねた。
「私は『私は誰か?』という小冊子を読みました。
『私』とは誰かと探究したのですが、
一瞬でさえ『私』をとらえることができません。
また私は自分が置かれた環境に対して
何の興味も持てずにいます。
それでも、
人生に何らかの興味が持てるようになることを
期待しているのです」
マハルシ
何の興味もないのなら、それは良いことです。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p267)
──────────────────
このマハルシの応答
> 何の興味もないのなら、それは良いことです。
という言葉を読んだら
もう疑問の余地はありませんね。
つまり、
それが成熟ということなのでしょう。
質問者の英国人女性は
pariなどと同じでそのあたりがまだ甘い。
かくて通訳の方が彼女の真意を伝えます。
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(通訳は質問者が人生に
何らかの興味が持てるようになることを
期待していると指摘した)
マハルシ
それはそこに心の潜在的傾向(ヴァーサナー)が
あることを示しています。
ある人が夢を見ます。
それは喜びや苦しみをともなった夢の世界です。
しかし目を覚ますとともに、
夢の世界に対する興味はすべて失われます。
目覚めの世界もそれと同じことです。
自分自身の一部であり
自分自身と異ならない夢の世界に対して
興味を失うのと同じように、
もしあなたが目覚めと呼ばれる夢(サンサーラ)
から目を覚ませば、
この現在の世界に対しても興味を失うことでしょう。
そして世界は自己の一部であって、
客観的現実ではないということを悟るでしょう。
自分の周りにある物事が
自分自身から分離していると考えるため、
あなたは物を欲しがるのです。
しかし、
もしすべての物事は「想念でできた形態」
でしかないことを理解すれば、
もはや物を欲しがることもなくなるでしょう。
すべての物事は水の泡のごときものです。
あなたは水で、
物事は泡です。
泡は水を離れて存在することはできませんが、
水とまったく同じものではないのです。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p267-268)
──────────────────
> (通訳は質問者が人生に
> 何らかの興味が持てるようになることを
> 期待していると指摘した)
彼女は興味を持てない自分は
どこかがおかしいのだと思って、
マハルシに矯正してもらいたい
と願っていたようです。
> マハルシ
> それはそこに心の潜在的傾向(ヴァーサナー)が
> あることを示しています。
まさにpariと同じ状態です。
> ある人が夢を見ます。
> それは喜びや苦しみをともなった夢の世界です。
> しかし目を覚ますとともに、
> 夢の世界に対する興味はすべて失われます。
朝目覚めて起きたときのことを思えば、
さっきまで観ていた夢の世界が
実際はどこにも存在していないことは明らかです。
それはただ自分という個人の記憶から
材料を見繕って織り込んだ作り話にすぎません。
それが分かりきっているので
そんな世界への興味はすぐに失せます。
> 目覚めの世界もそれと同じことです。
> 自分自身の一部であり
> 自分自身と異ならない夢の世界に対して
> 興味を失うのと同じように、
> もしあなたが目覚めと呼ばれる夢(サンサーラ)
> から目を覚ませば、
> この現在の世界に対しても興味を失うことでしょう。
> そして世界は自己の一部であって、
> 客観的現実ではないということを悟るでしょう。
個人的な夢の世界が、
自分という人格の記憶庫から材料を取り出して
それをアレンジして捏造しただけの
作り物のお話であるのと同じように、
この目覚めて観る(現実世界という)夢もまた
実在しない空間と時間という意識構造へ投影された
ただの観念的作り話であることは明白です。
そしてもし、
現象(世界)というものが
実在である自分から生じた
観念的作り話であることに一点の疑いもなければ、
現象に対する興味も消え失せるわけです。
要するに、
現象世界とは自分が想像した与太話であって
客観的に存在する現実ではありません。
> 自分の周りにある物事が
> 自分自身から分離していると考えるため、
> あなたは物を欲しがるのです。
> しかし、
> もしすべての物事は「想念でできた形態」
> でしかないことを理解すれば、
> もはや物を欲しがることもなくなるでしょう。
まわりに見えている事物が
自分から分離している客観的現実だと思うから、
それを欲しがったりするわけです。
すべてが「私は在る」という
存在感を根拠に創造された「想念でできた形態」
にすぎないことが明白なら、
それを手に入れたいという欲望も立ち上がりません。
> すべての物事は水の泡のごときものです。
> あなたは水で、
> 物事は泡です。
> 泡は水を離れて存在することはできませんが、
> 水とまったく同じものではないのです。
現象として現れる姿は
すべて実在する透明な海である自分から生じたもの。
その海が自分だとわかっている状態から
波しぶきを欲しがることは起こりません。
もっとも、
想念はたしかに真我なしにありえないけれど、
立ち上がる想念の創造力はとほうもないもの、
それは真我は同じものとは言えません。
──────────────────
質問者
私は自分が泡であるように感じています。
マハルシ
実在でないものと自己を同一視するのはやめなさい。
そしてあなたの真の本性を知りなさい。
そうすれば、
もはや揺らぐことも
疑いが起こることもなくなるでしょう。
質問者
しかし私は泡なのです。
マハルシ
そのように考えるから悩むことになるのです。
それは誤った想像です。
実在というあなたの真の本性を受け入れなさい。
泡ではなく水として在りなさい。
それは深く潜ることによって為されるのです。
質問者
潜れば、私は見いだすのでしょうか……。
マハルシ
本当は潜らずとも、
あなたは「それ」なのです。
あなたが自己の真の本性を受け入れないかぎり、
内面や外面という概念は存在するでしょう。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p268-269)
──────────────────
> 質問者
> 私は自分が泡であるように感じています。
この物理次元の深い分離幻想の中では、
われわれはどうしても
自分が全体から切り離されていると
感じてしまいます。
> マハルシ
> 実在でないものと自己を同一視するのはやめなさい。
> そしてあなたの真の本性を知りなさい。
> そうすれば、
> もはや揺らぐことも
> 疑いが起こることもなくなるでしょう。
実在でないものとは、
現れたり消えたりするものです。
そして「現れたり消えたりするもの」は自分ではない。
自己とは「私は在る」ですから。
> 質問者
> しかし私は泡なのです。
それでもやっぱり、
自分は全体から分離しているような気がします。
> マハルシ
> そのように考えるから悩むことになるのです。
> それは誤った想像です。
> 実在というあなたの真の本性を受け入れなさい。
> 泡ではなく水として在りなさい。
> それは深く潜ることによって為されるのです。
感覚を信じてそう考えるから悩むことになるのです。
それは感覚に誘発れた想像で、
それ自体は誤解です。
あなたは常在です。
常在という自分の真の本性を受け容れることです。
そして分離した個人としてではなく、
遍満する海として存在すればいいのです。
それは自分の中に深く潜れば実現します。
> 質問者
> 潜れば、私は見いだすのでしょうか……。
潜れば、自分が見つかるのですね。
> マハルシ
> 本当は潜らずとも、
> あなたは「それ」なのです。
> あなたが自己の真の本性を受け入れないかぎり、
> 内面や外面という概念は存在するでしょう。
実際は、潜るまでもなく
あなたは「それ」なのです。
ただあなたが自分の真の本性を自覚しないかぎり、
内側だの外側だのといった
概念が存在することでしょう。
──────────────────
質問者
しかし私に潜りなさいと言われたのはあなたなのです。
私はあなたからそのアイデアをいただいたのです。
マハルシ
そう、そのとおりです。
そう言われたのは、
あなたが自分を水ではなく
泡と同一視していたからです。
このようにあなたが混乱しているので、
注意をその混乱に向け、
それからあなたを我が家に連れ戻すための
答えが与えられたのです。
真我は無限であり、
見るものすべてがその中に含まれています。
「それ」を超えるものはなく、
「それ」から分離した物もありません。
このことを知れば、
あなたは何も望まなくなるでしょう。
何も望むことがないため、
あなたは満足するのです。
真我は常に実現されています。
すでに、
そして常に実現されているものを
探す必要はありません。
なぜなら、
自分自身の存在を否定することはできないからです。
その存在が意識であり、
真我なのです。
あなたが存在しなければ、
質問することさえできません。
それゆえ、
あなたは自分の存在を認めるはずです。
その存在が真我です。
それはすでに実現されています。
それゆえ実現のためにする努力は、
「真我を実現していない」という
現在の誤った思い込みに気づくことにあるのです。
新たな実現というものはありません。
ただ真我が明らかにされるだけです。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p269)
──────────────────
> 質問者
> しかし私に潜りなさいと言われたのはあなたなのです。
> 私はあなたからそのアイデアをいただいたのです。
でも、
潜りなさいとおっしゃったのはあなたですよ。
> マハルシ
> そう、そのとおりです。
> そう言われたのは、
> あなたが自分を水ではなく
> 泡と同一視していたからです。
たしかに、そのとおりですが、
そういう返答が返ってきたのは、
あなたが自分を分離した個人だと
思っていたからです。
> このようにあなたが混乱しているので、
> 注意をその混乱に向け、
> それからあなたを我が家に連れ戻すための
> 答えが与えられたのです。
あなたのその混乱した自覚が
分離した個人にフォーカスしていたので、
その混乱した自覚に合わせて、
そこからあなたを本来の位置に連れ戻すために
その回答が与えられたのです。
> 真我は無限であり、
> 見るものすべてがその中に含まれています。
> 「それ」を超えるものはなく、
> 「それ」から分離した物もありません。
> このことを知れば、
> あなたは何も望まなくなるでしょう。
> 何も望むことがないため、
> あなたは満足するのです。
実在するのは真我だけです。
なので存在するものはすべて真我に含まれています。
真我を超えるものも
真我から分離したものもありません。
それがはっきりとわかったら、
あなたはもう何も望まなくなるでしょう。
何も望むことがないため、
あなたは満足するのです。
現れの中に何かを望むのは、
あなたが満足していないからなのです。
だから何かを手に入れることで、
満足できるかもしれないと想像するのです。
> 真我は常に実現されています。
> すでに、
> そして常に実現されているものを
> 探す必要はありません。
> なぜなら、
> 自分自身の存在を否定することはできないからです。
> その存在が意識であり、
> 真我なのです。
実際は、
真我は常に実現されています。
だから、
実際に永遠に実現されているものを
改めて探す必要はないのです。
あなたはすでに
自分が存在することを知っているのですから。
またたとえ、
あなたがそれを否定しようとしても、
その否定自体があなたの存在を反証するでしょう。
なぜなら、
自分自身の存在を否定することはできないからです。
その「存在」が「意識」です。
それが「真我」なのです。
> あなたが存在しなければ、
> 質問することさえできません。
> それゆえ、
> あなたは自分の存在を認めるはずです。
> その存在が真我です。
> それはすでに実現されています。
> それゆえ実現のためにする努力は、
> 「真我を実現していない」という
> 現在の誤った思い込みに気づくことにあるのです。
> 新たな実現というものはありません。
> ただ真我が明らかにされるだけです。
あなたが存在しなければ、
質問することすらできないでしょう。
そういうわけですから、
あなたは自分の存在を認めるはずです。
その存在が「真我」と呼ばれるものです。
真我はすでに実現されています。
自分自身の存在を知っているあなたが
その真我です。
真我であるあなたが
真我を実現する必要はないし、
そんなことは可能でもありません。
つまり
真我を実現するための努力と言っているのは、
現在実現していない真我を
未来のどこかで実現するという意味ではなく、
「真我を実現していない」という
現在の誤った思い込みに気づくことなのです。
新たに実現されるものなどありません。
ただ永遠に実現している真我が
何であるかが明らかにされるだけです。
──────────────────
質問者
それには何年もの時がかかるでしょう。
マハルシ
なぜ何年もなのですか?
時間という概念は
あなたの心の中にだけ存在しているのです。
真我の中に時間という概念は存在しません。
真我にとって時間は存在しないのです。
時間は自我が現れた後に概念として現れます。
しかしあなたは時間と空間を超越した真我です。
あなたは時間と空間が存在しなくても
存在しているのです。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p269-270)
──────────────────
> それには何年もの時がかかるでしょう。
この上まだ時間がかかる必要があるかなぁ。(-_-)
> マハルシ
> なぜ何年もなのですか?
> 時間という概念は
> あなたの心の中にだけ存在しているのです。
> 真我の中に時間という概念は存在しません。
> 真我にとって時間は存在しないのです。
> 時間は自我が現れた後に概念として現れます。
> しかしあなたは時間と空間を超越した真我です。
> あなたは時間と空間が存在しなくても
> 存在しているのです。
なぜ何年もかかる必要がありますか?
その時間という観念は
あなたの想念として存在しているだけです。
意識発生の源泉である真我の中には
時間という概念は存在しません。
真我にとって時間は存在しません。
時間という概念が誕生したのは
自我が現れた後のことです。
しかし自分が存在することを知っているあなたは
時間と空間を超越した真我です。
現在のあなたは
自分を時間と空間に定義された存在と
思っているのかもしれません。
しかし、
自分が存在することを知っているあなたは
時間と空間が現れる以前から存在しているのです。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
「ニサルガ辞書」はここです。
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「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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■ 2.編集後記:
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いつもこんなふうに
覚者の言葉を復唱しています。
そこで語られている内容に
まったく違和感がないのなら、
それは自分の言葉でもあるような
気分が湧かないこともありません。
とはいえ、
朝起きるとき、
自分がそれまで夢を見ていたことも知っている。
だからこうして、
一日中、夢を見ていることを知っている。
ただ、何に執着しているのかは、
いまいちよくわからなくなることもあります。
今日も暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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