━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/10/09(第964号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.知性を自我の中に溶かしなさい(R.マハルシ)
2.編集後記
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■ 1.知性を自我の中に溶かしなさい(R.マハルシ)
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昨日までの寒さが去って、
今日は少し暖かくなりました。
お陰様で私が投影しているホログラムは
穏やかな秋の景色を映し出しています。
いろんな秋が通り過ぎてゆきましたが、
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
みなさま、この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
身分相応というのでしょうか、
このところマインドを忙しく使って
アセンション情報などを渉猟しました。
そして今また
ラマナ・マハルシの世界を
映し出すところまで戻ってきました。
ありがたいことです。(-||-)
すべてはそこでどんな信念、
どんな価値観が信頼されているのか、
というだけのことですよね。
そして、
わたしたちがフォーカスしている
惑星地球が展開する夢の中では
その特殊性ゆえに
その特殊性を反映したかなり特殊な範囲の知識が
フォーカス可能なのかもしれません。
『ラマナ・マハルシとの対話3』で
マハルシが言及している内容はきわめて端的です。
その言葉が意味するものの包含を垣間見るためにも
これまでの寄り道が必要だったのでしょう。
今回も『ラマナ・マハルシとの対話3』
で読んだ内容をご紹介したいと思います。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長い引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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1939年2月1日
対話618
ハリドワールから来た紳士がシュリ・バガヴァーンに
語りかけた。
質問者
私が自分自身を分析していくと知性を超えるところ
まで来ます。しかしそこには何の幸福もないのです。
マハリシ
知性は真我の道具でしかありません。
知性は知性を超えたものを知る助けにはなれないのです。
質問者
それは理解します。しかしそれを超えたところには
何の幸福もないのです。
マハルシ
知性とは未知の物事を知るための道具です。
しかしあなたはすでに知識そのものである真我なのです。
それゆえ、
あなたが知識の対象となることはありません。
知性は外側の物事を理解しても、
それ自身の源を理解することはないからです。
質問者
もう一度質問を繰り返します。
マハルシ
知性はあなた自身を分析するところまでは
助けとなりますが、
それ以上ではありません。
そこまで来たら知性は自我の中に
溶け去らなければならず、
それから自我の源を見いださなければなりません。
そうしたなら、
自我は消え去るでしょう。
その源としてとどまりなさい。
そうすれば、
自我が再び現れることはないのです。
質問者
その状態の中に幸福はないのです。
マハリシ
「そこに幸福はない」は単なる想像でしかありません。
真我は至福であり、
純粋でシンプルなものです。
あなたは真我です。
あなたは至福以外の何ものでもないのです。
至福として在りながら、
幸福がないと言うことはできません。
真我が「幸福はない」と言うことはありえません。
そう言うのは真我ではないものです。
真我の至福を実現するためには、
真我でないものを取り除かなければならないのです。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p254)
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> 質問者
> 私が自分自身を分析していくと知性を超えるところ
> まで来ます。しかしそこには何の幸福もないのです。
こうおっしゃる方の気持ちも理解できます。
しかし、
その言葉自体が単なる想念であることも確かです。
> マハリシ
> 知性は真我の道具でしかありません。
> 知性は知性を超えたものを知る助けにはなれないのです。
はい。
そのことを理解し始めています。
> 質問者
> それは理解します。しかしそれを超えたところには
> 何の幸福もないのです。
自我の支配下にあるわれわれマインドは
マインドの範囲内でそんなふうに想像するわけですよね。
> マハルシ
> 知性とは未知の物事を知るための道具です。
知性とは未知の物事を知るための道具です、と
とても基本的な知見が確認されます。
> しかしあなたはすでに知識そのものである真我なのです。
しかしあなたはすでに唯一の実在、
知られるべき未知の知識の源である真我なのです。
> それゆえ、
> あなたが知識の対象となることはありません。
> 知性は外側の物事を理解しても、
> それ自身の源を理解することはないからです。
つまり
知識の源そのものは
知識の対象とはなりえないということです。
知識の源から流れ出す知性は、
意識が主体と対象物に分岐した後の
対象物を理解することはあっても、
それ自身が流れ出してきた源を
対象物として理解することはできないわけですから。
> 質問者
> もう一度質問を繰り返します。
それでもやっぱり、
そこに幸福があるとは思えません。
> マハルシ
> 知性はあなた自身を分析するところまでは
> 助けとなりますが、
> それ以上ではありません。
> そこまで来たら知性は自我の中に
> 溶け去らなければならず、
> それから自我の源を見いださなければなりません。
> そうしたなら、
> 自我は消え去るでしょう。
> その源としてとどまりなさい。
> そうすれば、
> 自我が再び現れることはないのです。
意識の源から流れ出す知性は、
その分析能力を発揮することによって
知性自身の限界を理解するところまでは役立ちます。
しかしそれが知性という道具の能力の限界です。
知性に乗ってそれより先に進むことはできません。
知性の分析能力を駆使して、
知性が自我の支配下にあることがわかったら、
そこで知性は
自我の中に溶け去らなければなりません。
なぜなら、
そこからは(知性を駆使する)自我そのものの
源を見いださなければならないからです。
実体をもたない架空の自我が
想念として立ち上がってくるその現場を押さえなさい。
その想念がまだ現実を構築しないうちに。
もしあなたにそれができたら、
自我は立ち上がれません。
自我の種である想念が
「現実」を構築して「物語」を展開しはじめる以前に
見破られて崩壊してしまうからです。
そうなったら、
自我は消え去るしかなくなります。
その源の静寂のなかにとどまることです。
そうすれば、
自我が再び現れることはありません。
> 質問者
> その状態の中に幸福はないのです。
しかしそう伺っても、
その状態の中に幸福があるとは思えないのです。
> マハリシ
> 「そこに幸福はない」は単なる想像でしかありません。
> 真我は至福であり、
> 純粋でシンプルなものです。
> あなたは真我です。
> あなたは至福以外の何ものでもないのです。
> 至福として在りながら、
> 幸福がないと言うことはできません。
> 真我が「幸福はない」と言うことはありえません。
> そう言うのは真我ではないものです。
> 真我の至福を実現するためには、
> 真我でないものを取り除かなければならないのです。
「そこに幸福はない」というのは
単なる思考であるにすぎず、
ただそのような想像であるだけです。
真我とは至福であり、
純粋かつシンプルなものです。
そしてあなたは
その唯一の実在である真我なのです。
あなたは至福以外の何ものでもありません。
至福として在るものが
幸福がないと言うことはありえません。
真我が「幸福はない」と言うことはありえません。
「幸福はない」と言っているのは
実際は真我ではないものなのです。
そして真我の至福を実現するためには、
真我でないものを取り除く必要があるのです。
──────────────────
質問者
どうすればよいのでしょうか?
マハリシ
想念がどこから立ち現れるかを見いだしなさい。
それは心です。
心あるいは知性は誰にとって機能するのでしょうか?
自我です。
知性を自我の中に溶かし去りなさい。
そして自我の源を探し出しなさい。
そうすれば自我は消え去るでしょう。
「私は知っている」と「私は知らない」は、
主体と対象の存在を示唆しています。
それらは二元性ゆえに存在するのです。
真我は純粋で絶対、
単一で単独です。
一つの自己がもう一つの自己を知るというような
二つの自己が存在するわけではありません。
では二元性とは何でしょうか?
それは単一で単独である真我ではありえません。
それは真我ではないのに違いありません。
二元性は自我の特徴です。
想念が起こるとき、
そこには二元性があります。
それが自我なのです。
その源を探りなさい。
想念の不在の度合いが、
真我実現への進歩の度合いを示しています。
しかし真我実現自体は進歩というものを認めません。
それは常に同じです。
真我は常に実現されているからです。
障害は想念だけであり、
進歩の度合いは
真我が常に実現されているという理解への障害を
どの程度取り除いたかによって知られるのです。
それゆえ、
想念は誰に起こっているのかと探求することによって、
想念を止めなければなりません。
源に向かいなさい。
そこでは想念は起こらないのです。
質問者
疑問は常に起こり続けます。
それゆえの質問なのです。
マハルシ
疑問が起こり、
それは解決されます。
別の疑問が湧き、
それも解決され、
そしてまた新たな疑問が起こります。
すべての疑問を解くことは不可能です。
誰にその疑問が起こるのかを見てみなさい。
その源へ行き、
その中にとどまりなさい。
そうすれば疑問は起こらなくなるでしょう。
これが疑問を解消する方法なのです。
アートマ・サンスタン・マナハ・クリトヴァー・
ナ・キンチド・アビ・チンタイェー。
心を深夜の中に確立させるべきである。
他の何も考えてはならない。
質問者
ただ恩寵だけが唯一の救いです。
マハルシ
恩寵は外側にあるのではありません。
実際、
あなたが恩寵を求めているということ自体が、
すでにあなたの中に在る恩寵によるものなのです。
『ラマナ・マハルシとの対話3』(p255-256)
──────────────────
> 質問者
> どうすればよいのでしょうか?
それにはどうすればいいんですか?
> マハリシ
> 想念がどこから立ち現れるかを見いだしなさい。
> それは心です。
> 心あるいは知性は誰にとって機能するのでしょうか?
> 自我です。
> 知性を自我の中に溶かし去りなさい。
> そして自我の源を探し出しなさい。
> そうすれば自我は消え去るでしょう。
想念はどこから湧いてくるでしょうか?
それは心です。
心とか知性と言われるものは
誰に対して機能しているのでしょうか?
それは自我です。
知性と自我は同じものだということを
絶えず見破りつづけるのです。
そして自我が生まれるその源を探し出すことです。
そうすれば自我は消え去ります。
> 「私は知っている」と「私は知らない」は、
> 主体と対象の存在を示唆しています。
> それらは二元性ゆえに存在するのです。
> 真我は純粋で絶対、
> 単一で単独です。
> 一つの自己がもう一つの自己を知るというような
> 二つの自己が存在するわけではありません。
> では二元性とは何でしょうか?
> それは単一で単独である真我ではありえません。
> それは真我ではないのに違いありません。
> 二元性は自我の特徴です。
> 想念が起こるとき、
> そこには二元性があります。
> それが自我なのです。
> その源を探りなさい。
「私は知っている」とか
「私は知らない」という表現は、
そこに主体と対象という
二種類の実体が在ることを暗示しています。
つまりそこには二元性があるということです。
「真我」とは純粋で絶対であり、
唯一無二、二番目のない単独の存在です。
一つの自己がもう一つの自己を知るというような
二つの自己が存在するわけではないのです。
だとすれば二元性とは何でしょうか?
それは単一で単独である真我では
ありえないということです。
それは「真我」ではないに違いありません。
つまり二元性とは「自我」の特徴なのです。
想念が起こって自分の種が生まれ、
対象物が現れて「現実」が構築されるとき、
そこには二元性が生じています。
それが「自我」なのです。
その自我の源を探ることです。
> 想念の不在の度合いが、
> 真我実現への進歩の度合いを示しています。
> しかし真我実現自体は進歩というものを認めません。
> それは常に同じです。
> 真我は常に実現されているからです。
> 障害は想念だけであり、
> 進歩の度合いは
> 真我が常に実現されているという理解への障害を
> どの程度取り除いたかによって知られるのです。
> それゆえ、
> 想念は誰に起こっているのかと探求することによって、
> 想念を止めなければなりません。
> 源に向かいなさい。
> そこでは想念は起こらないのです。
それゆえ
どれほど想念が生じなくなったかが
真我実現への進歩の度合いを示しています。
とはいえ、
真我の実現というそのこと自体に
進歩などというものはありえません。
それは永遠に同じです。
真我は常に実現されているからです。
障害は想念の中にしかありません。
なので、
もし仮に進歩の度合いを言うとしたら、
それは
【真我は常に実現されている】という真実の
理解への障害がどれほど取り除かれているか
によって知られるのです。
それゆえ、
想念が起こったらただちに、
それは誰に起こっているのかと探求することで、
その想念を止めなければなりません。
想念が湧いてくるその源に向かいなさい。
そこでは想念は起こらないのです。
> 質問者
> 疑問は常に起こり続けます。
> それゆえの質問なのです。
常に疑問が湧いてくるものですから
ついつい質問してしまうのです。
> マハルシ
> 疑問が起こり、
> それは解決されます。
> 別の疑問が湧き、
> それも解決され、
> そしてまた新たな疑問が起こります。
> すべての疑問を解くことは不可能です。
> 誰にその疑問が起こるのかを見てみなさい。
> その源へ行き、
> その中にとどまりなさい。
> そうすれば疑問は起こらなくなるでしょう。
> これが疑問を解消する方法なのです。
疑問が起これば、
それは解決されるでしょう。
そしてまた別の疑問が起こり、
それも解決されるでしょう。
だがまた新たな疑問が起こってくるのです。
そしてすべての疑問を解くことは不可能です。
果てしないイタチごっこに巻き込まれるのではなく、
その疑問が誰に起こっているのかを調べなさい。
疑問が起こってくるその源にゆき、
その中にとどまりなさい。
そうすれば疑問は起こらなくなるでしょう。
それが疑問を解消する方法です。
> アートマ・サンスタン・マナハ・クリトヴァー・
> ナ・キンチド・アビ・チンタイェー。
> 心を真我の中に確立させるべきである。
> 他の何も考えてはならない。
湧いてくる想念に付き従って
現実を創造するのではなく、
その想念をそのまま
ただ真我の中に置いておけばいいのです。
そうすれば考えることは起こらないでしょう。
> 質問者
> ただ恩寵だけが唯一の救いです。
救いは恩寵の中にしかありません。
> マハルシ
> 恩寵は外側にあるのではありません。
> 実際、
> あなたが恩寵を求めているということ自体が、
> すでにあなたの中に在る恩寵によるものなのです。
恩寵は
想念の上に築かれた見かけの出来事の中には
ありません。
実際は、
そもそもあなたが恩寵を求めているそのことが
あなたの中に在る恩寵の現れなのです。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
──────────────────
永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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こうして復唱していると、
マハルシの言葉のパワーを感じます。
マハルシが使う論理はとても単純です。
でもこうしてその論理を
文字通になぞっていると、
実際そのとおりじゃないかと
感じられてくるのです。
それとも、
マハルシの言葉の論理性が
これほどにも感じられるほどに
地球の波動が上昇してきたというような
ことなのでしょうか?
よくわかりませんが……。
今日も暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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