━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/11/06(第968号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.フィルムを変えることはできない
2.編集後記
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■ 1.フィルムを変えることはできない
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今日はずいぶん身体を動かしました。
毎日台所の生ゴミを外の畦畔の下の
ドラム缶で作ったコンポストに入れていました。
でもこの手作りコンポストが小動物に倒されたりして
けっこう苦闘しているのです。
それで今度は手近の
デッキの直ぐ下に作ることにしたのです。
今日は朝から奮闘しましたが、
生ゴミ入れに予定していた階段下の空間の
そのサンデッキの柱がなんと腐食している。
このまま放置できないので、
急遽、取り替えることにしました。
この柱の代替品を探したり、
太い柱を切る道具を準備したりと
これがなかなか手間取りました。
考えること、やることが多すぎて、
身体も頭も追いつかない。
すぐに何を探しているのか忘れるしね。(^_-)
でまあ今日は柱の取り替えまではできたけど、
コンポスト部分は完成に至らなかった。
でも、このなんの役にも立たない仕事って
ムキになるもんだから、ほんとに面白くて。
まあ、仕上げは明日ですね。
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
みなさま、この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
ジャン・クラインの『われ在り I AM』って、
すばらしいです。
読むとほんとにストレートで。
今回は中程にある「6」節の
前半三分の一ほどをご紹介したいと思います。
(相変わらず
常識の範囲を超えた長い引用ですが、
これが本書の出版に関われた方々の
ご迷惑になる無断引用ではなく、
本書の販促に貢献する
無料宣伝となることを願っています。(-||-) )
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6
自己の本質を知りたいと思う人はまず、
「私はこれである」、
「私はあれである」などという
対象との同一視は間違いであることを
理解しなくてはなりません。
あらゆる同一視、
あらゆる状態は一時的であり、
それゆえに非現実です。
「私」をあれこれのものと同一視することによって
無知が生じます。
人生のどんな場面でも変わらないものは何か、
自問してください。
すると「私は誰か?」という問いには
何の答えもないことがわかるでしょう。
知覚できるものとは違い、
永続するものは
主体と対象の関係の中で経験できません。
あなたにできるのは、
ただ、
何が自分ではないかを公式化し、
説明することだけです。
根本的かつ永続的な自己が何であるかを
言葉で表現したり、
推論によって導き出したりすることはできません。
いかに状況が変わろうとも、
存在は非二元的かつ絶対的であり、
普遍であり常に現存(プレゼンス)しています。
私たちが知る者を知られるものから切り離して考えると、
それは純粋な観照者として現れます。
知識と知る者が一体化してしまうと、
もはや観照者の現れる余地がありません。
あらゆる想像は記憶に基づいており、
非現実的です。
しかし、
予期せぬ出来事、
想定外のこと、
私たちを驚かせることはすべて
生ける現実から湧き出てきます。
快楽や満足の追求は苦しみは記憶から生まれます。
ですから、
何が起ころうとそのままの人生を歓迎してください。
世界に重点を置かず、
それに対する自分の態度を変えてください。
世界や社会についてのはあなたの考えは、
自分は分離した自我(エゴ)であるという
信念から生じます。
完全な自分になってください。
そうすれば、
世界は変わるでしょう。
世界とはあなたに他なりません。
世界はあなたの中にありません。
社会はあなたとともに始まります。
『われ在り I AM』(p63)
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ジャン・クラインは、
もし本当に自分の本質を知りたいのなら、
自分を何らかの対象物と同一視する癖を
まずやめなければならないと言います。
すべての対象物は一時的な現象であり、
それゆえそれは非現実なのだと。
そもそも永続するものは
主体と対象といった関係の中で
経験できるようなものではないと。
自分に関して言えることは、
> 知覚できるものとは違い、
> 永続するものは
> 主体と対象の関係の中で経験できません。
> あなたにできるのは、
> ただ、
> 何が自分ではないかを公式化し、
> 説明することだけです。
これは、マハラジと同じ言い方ですね。
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「あれ」や「これ」から
「私は在る」を分離しなさい。
そして「あれ」や「これ」として在るのではなく、
ただ在るということが
どういった意味をもつのか感じ取ってみなさい。
私たちの習慣のすべてがそれに逆らう。
それらと闘うことはときには長く、
困難な仕事だ。
だが、明確な理解は大きな助けとなる。
マインドのレベルでは、
あなたは否定的な言語でしか
言い表わすことができないということを
より明確に理解するほど、
探求はより早く終焉を迎える。
『私は在る』(p79)
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(-||-)
そしてジャン・クラインは
【快楽や満足の追求は
苦しみや記憶から生まれる】と言います。
いくら快楽や満足を追求しても
それはただ苦しみや記憶を
復習しているだけだというわけです。
そしてここでのジャン・クラインの
提案はこうです。
> ですから、
> 何が起ころうとそのままの人生を歓迎してください。
【何が起ころうとそのままの人生を歓迎する】
……そういうことなんですねぇ。
けっきょくできることはそれだけ。
> 世界に重点を置かず、
> それに対する自分の態度を変えてください。
変えられるのは「自分の態度」だけです。
> 世界や社会についてのはあなたの考えは、
> 自分は分離した自我(エゴ)であるという
> 信念から生じます。
疑う余地もないです。
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【質問者】
世界を変えようとするのではなく、
まず世界に対する自分自身の態度を変えよ
ということですね。
以前、あなたは
「存在は映画のフィルムだ。
しかし、私たちはフィルムではない。
私たちはフィルムを照らす光である」
とおっしゃいましたが、
それは今の話と同じことを意味しているのですか?
【ジャン・クライン】
そうです。
あなたはフィルムを変えることはできません。
なぜなら、
フィルムを変えようという試みはすべて
フィルムそのものに属しているからです。
自己を肉体や個性と同一視すると、
あなたはそれらに縛られ、
依存することになります。
私たちの感覚的な知覚は記憶でできていますが、
知る者を暗示してもいます。
私たちは知る者の性質を
じっくりと調べなくてはなりません。
それにはすべての意識を集中し、
私たちの愛をすべて注ぐ必要があります。
そうすれば、
本当の自分は何なのかがわかります。
それこそが唯一のサーダナです。
そして、
真我(セルフ)の気づき(アウェアネス)を統合すれば
自由になれます。
真我はすべてをつかさどるからです。
意識の鏡の中にさまざまなイメージが
現れては消えていきます。
そして、
記憶は連続性という幻想を生み出します。
しかし、
記憶は思考の一形態であり、
一時的なものに過ぎません。
私たちはそのような不安定な土台の上に
さまざまな性質を持つ世界全体を構築しているのです。
この幻想は私たちの視野を曇らせます。
進歩しよう、
向上しようと努力すればよけいに混乱するだけです。
外面的な部分だけを見ていると、
自分は不動の状態に達したとか、
自分にはさまざまな変化が起こっているとか、
私たちは進歩しているから恩寵は目の前だとか
思うかもしれません。
しかし、
実際には何も変わっていません。
私たちは自分の持っている家具を並べ替えただけです。
これらはすべて心(マインド)の中で起こる活動であり、
想像の産物です。
本当にするべきことは、
それよりもはるかに簡単です。
なぜ、
それをそんなにややこしくするのですか?
本来のあなたは、
いつもここにあり、
いつも完璧です。
それを浄化する必要はありません。
それは決して変わりません。
なぜなら、
真我には暗闇がないからです。
あなたは真理を発見することも、
それになることもできません。
なぜなら、
あなたは真理だからです。
真理に近づくために
すべきことは何もありません。
学ぶべきこともありません。
自分は絶えず、
本当の自分から遠ざかろうとしているのだと
気づいてください。
投影するために
時間とエネルギーを浪費するのをやめてください。
それらをやめて生きてください。
怠けるのでも受動的になるのでもなく、
清明で目覚めた意識で生きるのです。
この目覚めた意識は、
予想したり期待したりするのをやめると見つかります。
これもまた、
あなたにとってのサーダナです。
現実には改善の余地などありません。
それは完璧そのものです。
それなのに、
いったいどうすれば、
あなたは今以上に
完璧さへ近づくことができると言うのでしょうか?
あなたが完璧さに近づく方法などありえません。
『われ在り I AM』(p64-65)
──────────────────
ジャン・クラインは
【存在は映画のフィルムだ。
しかし、私たちはフィルムではない。
私たちはフィルムを照らす光である】
と言ったそうですが、
じつに明確な定義ですね。
しかし次のジャン・クラインの回答は
それにもまして素晴らしい。
> 【ジャン・クライン】
> そうです。
> あなたはフィルムを変えることはできません。
> なぜなら、
> フィルムを変えようという試みはすべて
> フィルムそのものに属しているからです。
【あなたはフィルムを変えることはできません。
なぜなら、
フィルムを変えようという試みはすべて
フィルムそのものに属しているからです】
(*_*) ⌒★?
われわれの幸福を求めるすべての努力は
間違いなく「フィルムを変えようという試み」です。
ところが、
ジャン・クラインは
われわれには【フィルムを変えることはできない】
というのです。
なぜなら、
フィルムを変えようという試みそのものが
【フィルムそのものに属しているからだ】と。
フィルムを変えようという試みこそが、
まさに人生とは幸福を求めることです。
言い換えれば、
フィルムを変えようという試みそのものです。
それこそが夢の内容なのだから、
【フィルムを変えることはできない】わけです。
ワテホンマニヨイワンワ!(*@_@*)
> 本来のあなたは、
> いつもここにあり、
> いつも完璧です。
> それを浄化する必要はありません。
> それは決して変わりません。
> なぜなら、
> 真我には暗闇がないからです。
> あなたは真理を発見することも、
> それになることもできません。
> なぜなら、
> あなたは真理だからです。
【本来のあなたは、いつもここにあり、
いつも完璧です】
【それを浄化する必要はありません】
【それは決して変わりません】
【なぜなら、
真我には暗闇がないからです】
【あなたは真理を発見することも、
それになることもできません。
なぜなら、
あなたは真理だからです】
なんか、ぜんぜん疑問の余地がない。
(-||-)
> 真理に近づくために
> すべきことは何もありません。
> 学ぶべきこともありません。
> 自分は絶えず、
> 本当の自分から遠ざかろうとしているのだと
> 気づいてください。
【真理に近づくために
すべきことは何もありません】
【学ぶべきこともありません】
そして極めつき!
【自分は絶えず、
本当の自分から遠ざかろうとしているのだと
気づいてください】
ガーン!(@_@) ⌒★?
それ以外のことは
われわれは何もやっていない!
夢の中で起こっているのは、
それが夢であることを忘れる試みだけ。
> この目覚めた意識は、
> 予想したり期待したりするのをやめると見つかります。
> これもまた、
> あなたにとってのサーダナです。
【予想したり期待したりするのをやめる】
それがサーダナ。
> 現実には改善の余地などありません。
> それは完璧そのものです。
> それなのに、
> いったいどうすれば、
> あなたは今以上に
> 完璧さへ近づくことができると言うのでしょうか?
> あなたが完璧さに近づく方法などありえません。
【現実には改善の余地はない】
【それは完璧そのもの】
完璧にあらゆる夢を照らし出している。
その暗闇のない光を、
照らし出された夢の登場人物が
どうやって完璧さに近づけようというのか?
できることがないって
ほんとにすばらしい!
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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これでまだエゴは
いろいろ画策するのを
やめられないのでしょうか?
何をか言わんやですね。
今日も暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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