home > 通信 >望みうる唯一の望み(J.K):『アセンション館通信』第971号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2022/11/27(第971号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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 ☆☆   ☆☆   https://www.ascensionkan.com
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

 〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
 それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
 それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
 それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
 (『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
 
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.望みうる唯一の望み(J.K)

2.編集後記
──────────────────

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.望みうる唯一の望み(J.K)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日は曇天、けっこう寒い日ですね。

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”と

“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。

『アセンション館通信』配達人のpariです。

みなさま、この永遠の<今>を

いかがお過ごしでしょうか?

ジャン・クラインの『われ在り I AM』。

すごいです。

今回は

「8」節の後半部分をご紹介したいと思います。

(相変わらず

 常識の範囲を超えた長い引用ですが、
 
 これが本書の出版に関われた方々の

 ご迷惑になる無断引用ではなく、

 本書の販促に貢献する

 無料宣伝となることを願っています。(-||-) )

──────────────────
 【質問者】
 日常生活を続けながら、それと同時に
 真に存在するにはどうすれば良いですか?
 
 【ジャン・クライン】
 あなたはまだ、
 日常生活を続けることと「存在すること」は
 別だと思っていますが、
 そうではありません。
 なぜなら、
 意識とその対象や行為や思考などは一体だからです。
 日常生活は意識の中に現れます。
 あなたはこの意識であって、
 日々、意識の中に現れてくるものではありません。
 自分によく聞いてみてください。
 「これらの物事は誰に向かって現れるのか?
  誰がそれらを判断し非難するのか?
  好きと嫌いの間に揺れ動くのは誰か?
  しかも、
  現れてくるすべてのものにとって、
  必要不可欠な部分でもあるのは誰なのか」
 と。
 
 あなたは拒絶や受容、
 選択などを行う人格を知っています。
 あなたは自分が選択する瞬間も、
 しない瞬間も知っています。
 根源的なあなたはこれらすべてを
 完全に超越しているのです。
 
 自分の中で、
 選択に巻き込まれている人格、
 つまりある一つの観点に立って機能している者と、
 決して選択をしない観察者とを区別してください。
 そして、
 もっともっと非個人的な観点に立って生きてください。
 そうすれば、
 いつの日かあなたは、
 意図的にこの非個人的な現存(プレゼンス)の中に
 いられるようになります。
 そこに、
 いわゆる「日常生活」はしっかりと根を張り、
 豊かに生い茂るでしょう。
 そこにはもう恐れや欲望、
 心配などに縛られ、
 生命の自然な流れを阻害するような人格はありません。
 あなたの話から察するに、
 あなたにとって日常生活は
 ただの重荷でしかないようですね。
 誰のせいですか?
 その誰かを捨ててください。
 そうすればすぐに、
 背負うべき重荷など何もないとわかるでしょう。
 
 『われ在り I AM』(p93-94)
──────────────────

> 【質問者】
> 日常生活を続けながら、それと同時に
> 真に存在するにはどうすれば良いですか?

こういうことができるなら、

知りたいですよね。

> 【ジャン・クライン】
> あなたはまだ、
> 日常生活を続けることと「存在すること」は
> 別だと思っていますが、

あ、はい。(@_@)

たしかに。

> そうではありません。
> なぜなら、
> 意識とその対象や行為や思考などは一体だからです。
> 日常生活は意識の中に現れます。

現れるものはすべて意識の中に現れる。

> あなたはこの意識であって、
> 日々、意識の中に現れてくるものではありません。

はい。

> 自分によく聞いてみてください。
> 「これらの物事は誰に向かって現れるのか?
>  誰がそれらを判断し非難するのか?
>  好きと嫌いの間に揺れ動くのは誰か?
>  しかも、
>  現れてくるすべてのものにとって、
>  必要不可欠な部分でもあるのは誰なのか」
> と。

はい。

> あなたは拒絶や受容、
> 選択などを行う人格を知っています。

はい。

> あなたは自分が選択する瞬間も、
> しない瞬間も知っています。

たとえ無意識であっても……知っている。

> 根源的なあなたはこれらすべてを
> 完全に超越しているのです。

はい。

> 自分の中で、
> 選択に巻き込まれている人格、
> つまりある一つの観点に立って機能している者と、
> 決して選択をしない観察者とを区別してください。

【選択に巻き込まれている人格】と

【決して選択をしない観察者とを区別】する。

わかりました。

> そして、
> もっともっと非個人的な観点に立って生きてください。

【非個人的な観点に立って生きること】を

わたしは躊躇しているのですね。

> そうすれば、
> いつの日かあなたは、
> 意図的にこの非個人的な現存(プレゼンス)の中に
> いられるようになります。

自分の態度次第ということか。

> そこに、
> いわゆる「日常生活」はしっかりと根を張り、
> 豊かに生い茂るでしょう。
> そこにはもう恐れや欲望、
> 心配などに縛られ、
> 生命の自然な流れを阻害するような人格はありません。

そういうものは一挙に突破されるのか。

> あなたの話から察するに、
> あなたにとって日常生活は
> ただの重荷でしかないようですね。

たしかに。

> 誰のせいですか?
> その誰かを捨ててください。

ああ。

> そうすればすぐに、
> 背負うべき重荷など何もないとわかるでしょう。

そうか。

──────────────────
 【質問者】
 欲望がなくても、
 世界は存在しうるのでしょうか?
 
 【ジャン・クライン】
 世界はあなたの中に存在します。
 あなたは世界の一部ではありません。
 あなたが世界を生み出しているのです。
 いったい誰がそれを欲求しているのでしょうか?
 あなたが世界の存在を欲求する理由はただ一つ、
 あなたが自分自身、
 つまり自我を確かめ、
 その存続を信じるためです。
 では、
 この欲求はどこから湧き上がってくるのでしょうか?
 この欲求は、
 存在したいと思いつつも
 世界はつまらないと感じている
 誰かのために存在するのです。
 
 【質問者】
 ということは、
 世界の存在を求めることは、
 単に世界を求めることではなく、
 もっと深い何かを求めること、
 つまり「在ること」への欲求なのですか?
 
 【ジャン・クライン】
 そうです。
 それこそ、
 私たちが望みうる唯一の望みです。
 それ以外の欲求はすべて、
 その代用品に過ぎません。
 
 『われ在り I AM』(p94)
──────────────────

> 【質問者】
> 欲望がなくても、
> 世界は存在しうるのでしょうか?

ちょっと変な質問。

世界に存在してほしいのか、

存在してほしくないのかがちょっと曖昧。

> 【ジャン・クライン】
> 世界はあなたの中に存在します。
> あなたは世界の一部ではありません。
> あなたが世界を生み出しているのです。

わかります。

> いったい誰がそれを欲求しているのでしょうか?

もちろん、自我であるわたしです。

> あなたが世界の存在を欲求する理由はただ一つ、
> あなたが自分自身、
> つまり自我を確かめ、
> その存続を信じるためです。

自我としての

自分の存続を確かめ信じるために、

わたしが世界の存在を欲求している。

> では、
> この欲求はどこから湧き上がってくるのでしょうか?

世界の存続を願うこの欲求は

どこから湧き上がってくるのか?

> この欲求は、
> 存在したいと思いつつも
> 世界はつまらないと感じている
> 誰かのために存在するのです。

とても不思議な表現。

世界の存続を願うこの欲求は、

自分の存在を望みながらも、

しかしこの世界はつまらないと感じている誰かから

生じている。

> 【質問者】
> ということは、
> 世界の存在を求めることは、
> 単に世界を求めることではなく、
> もっと深い何かを求めること、
> つまり「在ること」への欲求なのですか?

へえ、

この方、じつに鋭いですね。(@_@)

> 【ジャン・クライン】
> そうです。
> それこそ、
> 私たちが望みうる唯一の望みです。
> それ以外の欲求はすべて、
> その代用品に過ぎません。

なんと!(@_@) ⌒★?

すべての欲求は、

「在ること」への欲求の代用品にすぎない。

そして今回の引用部分のクライマックスに入ります。

──────────────────
 【質問者】
 この存在したいという欲求は本質的なものなのですか?
 
 【ジャン・クライン】
 そうです。
 
 【質問者】
 それならば、体系的にすべての欲求を
 消してしまってはならないのですか?
 
 【ジャン・クライン】
 はい。
 それはだめです。
 欲望は一つの指標になるからです。
 一つの代用品からまた別の代用品へと移るとき、
 私たちは散漫になります。
 この散漫さをありのままに見つめると、
 欲望の方向性を見定めることができます。
 
 あなたは自分の欲求をはっきりと見定め、
 実際にはそれが、
 「在りたい」という欲求であると気づきました。
 それは、
 あなたに識別力があることを意味しています。
 あなたは無条件に在ること、
 つまり父や役者、
 恋人や弁護士、
 大臣などにはならずに、
 ただ在ることを予感しているのかもしれません。
 在ることはそれらのすべてに先立つ源です。
 一度でもこのことを深く感じたら、
 あなたはもう、
 あれこれの者になるための努力をやめるでしょう。
 なぜなら、
 それは代わりの目標、
 あるいは投影、
 補償に過ぎないからです。
 では、
 あなたが何者かになることを
 いっさいやめたらどうなるでしょうか?
 あなたはもう、
 いかなるものとも関係ありません。
 もはや過去も未来もありません……。
 あるのはただ、
 無、
 あるいは静寂だけです。
 時間と空間の中に
 この静寂を位置づけることはできません。
 あなたは完全に現存(プレゼンス)しています。
 そしてこの観点から、
 在ることへの欲求が生まれます。
 
 【質問者】
 なぜこの静寂は続かないのでしょうか?
 
 【ジャン・クライン】
 静寂は続いています。
 それは常にありますが、
 あなたがそれと決別するのです。
 
 『われ在り I AM』(p95-96)
──────────────────

> 【質問者】
> この存在したいという欲求は本質的なものなのですか?
> 
> 【ジャン・クライン】
> そうです。

「存在したいという欲求は本質的なもの」!

このことが明確になっていませんでした。

ニサルガダッタのお陰で

「私は在る」が通路だとは信じていたけれど、

それがゴールでもあることが明確でなかった。

> 【質問者】
> それならば、体系的にすべての欲求を
> 消してしまってはならないのですか?

存在すること自体への欲求を

否定し去るのかと思っていた。

> 【ジャン・クライン】
> はい。
> それはだめです。

存在すること自体への欲求を否定しては

だめなんですね。

> 欲望は一つの指標になるからです。

おお。

【欲望は一つの指標になる】(@_@) ⌒★?

(-||-)

> 一つの代用品からまた別の代用品へと移るとき、
> 私たちは散漫になります。

たしかに。

> この散漫さをありのままに見つめると、
> 欲望の方向性を見定めることができます。

なるほど。

> あなたは自分の欲求をはっきりと見定め、
> 実際にはそれが、
> 「在りたい」という欲求であると気づきました。
> それは、
> あなたに識別力があることを意味しています。

そうか。

> あなたは無条件に在ること、
> つまり父や役者、
> 恋人や弁護士、
> 大臣などにはならずに、
> ただ在ることを予感しているのかもしれません。
> 在ることはそれらのすべてに先立つ源です。

「在ること」は、

個々の個性エネルギーであること

すべてに先立つ源。

たしかに。

> 一度でもこのことを深く感じたら、
> あなたはもう、
> あれこれの者になるための努力をやめるでしょう。

あーあ。

自分が何を望んでいるのかを明確に識別し、

その欲求を一度でも深く感じたら、

あれこれの者になるための努力が落ちると。

> なぜなら、
> それは代わりの目標、
> あるいは投影、
> 補償に過ぎないからです。

個性エネルギーの表現であろうとする欲求は、

「在ること」への欲求の代替物にすぎないから。

> では、
> あなたが何者かになることを
> いっさいやめたらどうなるでしょうか?

何者かであろうとしなくなったら、

どうなるか?

> あなたはもう、
> いかなるものとも関係ありません。
> もはや過去も未来もありません……。
> あるのはただ、
> 無、
> あるいは静寂だけです。

どのような個性エネルギーとも関係なくなる。

過去や未来への関心もなくなる。

そこにはただ無があるだけ。

静寂があるだけ。

> 時間と空間の中に
> この静寂を位置づけることはできません。
> あなたは完全に現存(プレゼンス)しています。
> そしてこの観点から、
> 在ることへの欲求が生まれます。

そしてこの静寂は

意識内容の配属要素である

時間と空間の中に位置づけることはできない。

そして

「在ること」への欲求は

この観点から生まれる。

(-||-)

> 【質問者】
> なぜこの静寂は続かないのでしょうか?
> 
> 【ジャン・クライン】
> 静寂は続いています。
> それは常にありますが、
> あなたがそれと決別するのです。

この「静寂」は常に存在している。

ただ自分の仮想された個性エネルギーへの執着が

その「静寂」から逃れようとするだけ。

──────────────────
 【質問者】
 私は本当の自分を表現できるようになりたいです。
 
 【ジャン・クライン】
 しかし、
 いつもそれを表現していたら、
 あなたではないものを表現することはできません。
 
 【質問者】
 私はいつも他人に作られた自分を
 表現しているような気がするのです。
 
 【ジャン・クライン】
 なるほど。
 では、
 他人に作られた自分を捨ててください。
 そうすればありのままの自分になれます。
 自分自身を完全にさらけ出してください。
 後天的に身につけた性質をすべて消し去ってください。
 それらは本当のあなたではありません。
 それらは記憶によって植えつけられた
 多くの習慣に過ぎないのです。
 
 庭仕事をしたり車の運転をしたりするとき、
 あなたはただ機能します。
 誰も「私は穴を掘っている」とか
 「私は運転をしている」とか言う者はいません。
 その瞬間、
 他人によって作られた人格はあるでしょうか?
 まったくありません。
 人格はそれについて考えたときにだけ現れます。
 それは他の考えと全く同じ、
 一つの観念です。
 その考えが起こる瞬間、
 つまり「私」が飛び出してきて
 行動を乗っ取る瞬間をよく見ていてください。
 そうすればあなたが何も努力しなくても、
 ひとりでに変化が起こります。
 
 『われ在り I AM』(p97)
──────────────────

> 【質問者】
> 私は本当の自分を表現できるようになりたいです。

さて、それはどうかな。

「本当の自分」の表現などありえないのでは。

> 【ジャン・クライン】
> しかし、
> いつもそれを表現していたら、
> あなたではないものを表現することはできません。

これはとても変わった表現。(*^_^*)

「自分ではないもの」の表現を

否定はしていないような。

> 【質問者】
> 私はいつも他人に作られた自分を
> 表現しているような気がするのです。

「表現させられている」という意味の

もうひとつの言い方ですね。

> 【ジャン・クライン】
> なるほど。
> では、
> 他人に作られた自分を捨ててください。
> そうすればありのままの自分になれます。

たしかに。

> 自分自身を完全にさらけ出してください。

そういう言い方にもなるか。

> 後天的に身につけた性質をすべて消し去ってください。
> それらは本当のあなたではありません。

知覚の対象物であるいっさいの自己表現は

本当の自己ではない。

わかります。

> それらは記憶によって植えつけられた
> 多くの習慣に過ぎないのです。

はい。

> 庭仕事をしたり車の運転をしたりするとき、
> あなたはただ機能します。
> 誰も「私は穴を掘っている」とか
> 「私は運転をしている」とか言う者はいません。

あまり自慢にならない。(^_-)

> その瞬間、
> 他人によって作られた人格はあるでしょうか?
> まったくありません。

たしかに。

> 人格はそれについて考えたときにだけ現れます。

はい。

> それは他の考えと全く同じ、
> 一つの観念です。

わかります。

> その考えが起こる瞬間、
> つまり「私」が飛び出してきて
> 行動を乗っ取る瞬間をよく見ていてください。
> そうすればあなたが何も努力しなくても、
> ひとりでに変化が起こります。

(-||-)

──────────────────
 【質問者】
 人生の大部分が
 より深い何かの代償に過ぎないと分かってから、
 私は自分の人生に興味を失ってしまいました。
 仕事や家族にさえ興味が持てません。
 昔のままの状況にとどまっていることはとても不快です。
 私はゴータマ・シッダールタのように
 自分のすべての時間とエネルギーを
 存在の本質を発見するために使いたいのです。
 それには時間が足りないと思います。
 妻や職場の人は私の憧れを理解してくれませんが、
 もちろん、
 だからといって彼らを捨てていくことはできません。
 何かアドバイスはありませんか?
 
 【ジャン・クライン】
 たった今までずっと、
 あなたは自分を
 カテゴリーの中に入れてきたということ、
 つまり自分を夫や父親、
 銀行家などであると考えてきたということを
 理解してください。
 なぜ、
 自分をそれらすべての機能と同一視するのですか?
 なぜ、
 それに制限するのですか?
 あなたがこの機械的な行動を本当に理解すれば、
 真の背景があなたの中に現れ、
 あなたからこれらすべてのカテゴリーとの同一視を
 一掃するでしょう。
 あなたは人生におけるすべての機能の背景となり、
 それらの機能はもはや
 型にはまったものではなくなります。
 そして、
 あなたの行動は記憶から自由になります。
 あなたには自分の行動が
 まったく初めてのもののように思われるでしょう。
 もう、
 閉じ込められている感じや
 制限されている感じもしなくなります。
 人生における、
 さまざまな役割はあなたの中にありますが、
 あなたがそれらの役割の中にあるのではありません。
 それらはあなたに属するのであって、
 それらがあなたなのではないのです。
 ですから、
 あなたがそれらの中に
 消えてしまうこともありません。
 
 そして、
 このようになったときに初めて、
 明瞭なビジョンを持ち、
 創造的な行動を取ることができるのです。
 
 『われ在り I AM』(p98-99)
──────────────────

> 【質問者】
> 人生の大部分が
> より深い何かの代償に過ぎないと分かってから、
> 私は自分の人生に興味を失ってしまいました。
> 仕事や家族にさえ興味が持てません。
> 昔のままの状況にとどまっていることはとても不快です。
> 私はゴータマ・シッダールタのように
> 自分のすべての時間とエネルギーを
> 存在の本質を発見するために使いたいのです。
> それには時間が足りないと思います。
> 妻や職場の人は私の憧れを理解してくれませんが、
> もちろん、
> だからといって彼らを捨てていくことはできません。
> 何かアドバイスはありませんか?

まあ、この方ほど強烈な表現はしませんが、

このメルマガの配達人も受信人も

似たようなものかもしれませんね。(^_-)

> 【ジャン・クライン】
> たった今までずっと、
> あなたは自分を
> カテゴリーの中に入れてきたということ、
> つまり自分を夫や父親、
> 銀行家などであると考えてきたということを
> 理解してください。

なるほどです。

> なぜ、
> 自分をそれらすべての機能と同一視するのですか?

そうか。

> なぜ、
> それに制限するのですか?

なぜなんでしょうね?

> あなたがこの機械的な行動を本当に理解すれば、
> 真の背景があなたの中に現れ、
> あなたからこれらすべてのカテゴリーとの同一視を
> 一掃するでしょう。

そうか。

それをさせないために、

自分を存続させたい架空の自我が

懸命になって架空の制限を

さも真実らしく展開しているんですね。

それを一度見破りさえすれば、

眼前に現れた目立った表現の

真の背景が現れて、

それらの架空の物語を一掃する。

> あなたは人生におけるすべての機能の背景となり、
> それらの機能はもはや
> 型にはまったものではなくなります。

人生におけるすべての機能の背景である自分が

それらの現れを見ていることが自明になる。

> そして、
> あなたの行動は記憶から自由になります。

これがなぁ……。

> あなたには自分の行動が
> まったく初めてのもののように思われるでしょう。

そうか。

> もう、
> 閉じ込められている感じや
> 制限されている感じもしなくなります。

そうなんですね。

これが欲求が指標になる

という言葉の意味することですね。

> 人生における、
> さまざまな役割はあなたの中にありますが、
> あなたがそれらの役割の中にあるのではありません。

はい。

概念としてはよくわかります。

> それらはあなたに属するのであって、
> それらがあなたなのではないのです。
> ですから、
> あなたがそれらの中に
> 消えてしまうこともありません。

たしかに。

> そして、
> このようになったときに初めて、
> 明瞭なビジョンを持ち、
> 創造的な行動を取ることができるのです。

ああ……。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、
 それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


   ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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【欲望は一つの指標になる】

> 一つの代用品からまた別の代用品へと移るとき、
> 私たちは散漫になります。
> この散漫さをありのままに見つめると、
> 欲望の方向性を見定めることができます。

とても大切なことを教えていただきました。

ありがとうございました。

(-||-)

今日も晩くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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