━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2022/12/18(第974号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】──「私は在る」に導かれ♪──
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
〈自己〉は展開する宇宙的ドラマの壮大なショーを生み出し、
それを観ながら、そのなかに、そしてそれとして現れているが、
それは夢を見ている人が自分の夢を作り出すと同時に
それを見ながらそこに出演しているのと同じだ。
(『夢へと目覚める』レオ・ハートン)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。
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◇◇ もくじ ◇◇
1.すべてが今起こっているのなら
2.編集後記
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■ 1.すべてが今起こっているのなら
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今日は最初曇天でした。
わりあい寒い日ですがあまり風がない。
夕方から雨模様になるらしいというので、
しばらくぶりにデッキ下の端材などを
焼却をすることにしました。
畦畔下にあるドラム缶の焼却炉で
なるべく目立たないように
煙の出ない端材から燃やしてゆきます。
本当は地域の消防団に報告してから
燃やすべきであるらしいんだけど、
あまりそういうことをしたことがない。
以前、無報告で焼却しているときに
二度ほど消防団の人が下の坂道を駆け登って
来るのを見かけました。
どうやら火の元を確認するために来たらしい。
焼却炉の周りに水を撒いて
人間が番をしながら焼却している様子を
上の方から確認していったらしく、
特に注意されることはありませんでした。
まあ、あまり社会性のない人間がやることです。m(_ _)m
それ以後も相変わらず届け出もせず燃やしています。
今日は端材や、伐採した木の枝、
草刈りのあとの灌木などをかなり燃やせた。
畦畔の下がかなり綺麗になりました。
昼はパン屋さんのパンを食べて、
そのあと今日はユニクロに行ってきた。
と言っても運転はシャーラがするので、
わたしは助手席に乗っているだけですが。
まわりの風景の話題に相槌を打ったりしていると、
「やっと普通の話ができるようになったね」
などと褒められたりしています。(*^_^*)
あと何年、こんなふうにしていられるのか。(^_-)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”と
“「私は在る」噺”を紡ぐ今がきました。
『アセンション館通信』配達人のpariです。
みなさま、この永遠の<今>を
いかがお過ごしでしょうか?
求めることは何もないと言うと、
ちょっと嘘になるかもしれないけれど、
かと言って期待したからと言って
実際どうなるものでもないとも思う……。
まあ、ミナミAアシュタール情報では
どうなるものでもないと思っているから、
どうにもならないのだということになりますが。(*^_^*)
しかし、まあ、たとえばの話です。
以前、扇の喩えで運命について質問した質問者に
ラマナ・マハルシがした次の回答を
はじめて読んだときは、
実際ちょっと信じられない気がしました。
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質問者 人の人生において、彼の国、国民、家族、仕事、
職業、結婚、死などにおける顕著な出来事が、
彼のカルマによってすべて宿命づけられている
ことは理解できますが、しかし彼の人生の詳細
すべてに至るまで、取るに足らないことまで、
すでに決定されているのでしょうか?
例えば、今私は手のなかの扇を床の上に置きました。
それはこの日、この時間に、私がこのように扇を
動かし、このようにここに置くということまで、
すでに決定されているということなのでしょうか?
マハルシ
もちろんだ。
何であれこの身体がすること、
そして何であれそれが通り抜ける体験は、
その身体が存在を現したときにすでに
決定されているのである。
『あるがままに』(p388)
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そんなことがありうるものだろうか!?(@_@)
と思いました。
でもそれだけに、
この回答は強烈な印象とともに記憶に残り、
以後何かかにかのときに思い出されたものです。
ラマナ・マハルシがこんなことで
嘘など言うはずがないからです。
それから90年代の後半だったか
青山 圭秀さんの
『アガスティアの葉』という本を読んだときは、
そういうこともあるのかもしれない、
という感じにもなりました。
そうしたら、2008年だったか
『神の使者』の著者のゲイリー・R・レナードさんの
『不死というあなたの現実』という本に
彼が実際に体験した状況が、
じつは意図的に見せられた未来だった
みたいな状況が描かれていて、
なるほどなぁ、そういうこともあるのか、
なんて感想も湧いてきた。
船井幸雄さんは晩年、
地球人の行動はすべて前世紀までは
運命として誕生時に定まっていたけれど、
21世紀からは自分の意志で決められるようになる、
という見解を持つに至っていたみたいですね。
そして、今度は2019年に
ミナミAアシュタール情報に出会ったわけです。
アシュタール情報によれば、
実際はわれわれの未来は何ひとつ決まっていないらしい。
なぜなら、
わたしの未来は今の瞬間のわたしの思考によって
創造されているからだ、というのです。
これはこれで、
なにか論理的にとっても納得のゆく話でした。
それだけに、
ラマナ・マハルシの言葉や、
ゲイリー・R・レナードさんの体験は
いったいどう考えたらいいんだろう?(-_-;)
と思わないでもなかったです。
しかし、誰にかぎらず、
スピリチュアルな教師たちは異口同音に、
時間というものは存在しない、と言います。
つまり過去や未来というものは存在せず、
時間も空間も幻想であるということに関しては、
アドヴァイタの教師もニューエイジの教師も、
みなさん一致しているわけです。
ならば、
すべての現象は<永遠の今>
今、この瞬間に起こっているわけです。
それなら、
ラマナ・マハルシの言葉も、
ミナミAアシュタールの言葉も、
すべて別に矛盾はしていないのかもしれない。
なぜなら、
多次元宇宙全体が【一つの多次元波動構造体】なら、
全現象は<今この瞬間>に振動しているわけです。
それななら、
ラマナ・マハルシに扇の喩えで質問した質問者が
<今この瞬間>に扇を置いたその振る舞いは、
まさに波動宇宙全体の中で
<今この瞬間>に起こっているわけで、
彼のその行為が多次元波動構造体全体の
調和(都合)の中で許容されて
起こっていることは間違いない。
まさに、<今この瞬間>に
そうでしかありえない運命であるわけです。
と同時に、
その質問者が<今この瞬間>にその質問をしたことは、
まさに彼のその瞬間の思考から生まれたことも
紛れもない事実でもあります。
すべては波動宇宙全体の中で
運命的に定まっているとも言えるし、
同時にすべての波動部分が自ら発振する思考によって
“自らの運命を創造している”とも言えるわけです。
それは単に
「個人」というものが存在するという立場で
起こっている全現象を見るのか、
「個人」とは単なる概念であり、
波動宇宙全体の中に
分離・独立した「個人」という実体は存在しえない
という立場に立って描写するかの違いでしかない。
そして、一つ確かなことは、
「個人」が存在するという立場に立つかぎり、
何らかの欲望と期待を持たざるをえなくなることです。
では、何かを欲望し、期待するとは、
いったい何を欲望し、何を期待するのか?
もちろん、“自分”が幸福であること、
“自分”が自由であることを欲望し、
期待する以外にはありえません。
では、
“自分”が幸福であるとは、
“自分”が自由であるとは何なのか?
それは自分が満たされていて、
これ以上、何も求める必要がないということでしょう。
それならです……、
そのための条件なら……、
今ここに既に在るわけです!(*^_^*)
なぜなら、
「私」は既に存在していて、
<今この瞬間>に自分が存在していること、
<今この瞬間>に自分の存在に気づいているのですから。
それ以上何が必要でしょうか?
現象するものはすべて、
つかの間のものでしかありえません。
<永遠の不動>が<永遠の不動>として
現れることなどできるはずもないからです。
「色即是空」とは、
現象はすべてつかの間のものであり、
常在ではありえないということです。
現象はすべて“永遠の変化”でしかありえないのです。
<永遠の不動>が
<永遠の不動>を対象物として確認することは
不可能なのですから。
しかしまた、その“現象”は
すべて<永遠の不動>に裏打ちされなければ
そもそも現象できないわけです。
“現象”は背景の「気づき」の光に照らし出されて
はじめて現象することができる。
そしてその背景の<気づき>は
“何か”ではありえないのです。
それは“何者”でも“何事”でもありえない。
それは<無>でしかありえない。
しかしその<無>によって
すべての“現象”は“現象”でありえているのです。
では、その<無>、
その<空(くう)>なるものは、
現象することはできないのか?
いや、<空>は現象できるのです。
“全現象”は<空>の表現そのものとも言えます。
それが
「空即是色」です。
“全現象”は<絶対的主観性>があって
はじめて存在できる。
“全現象”は<絶対的主観性>の表現だとも言えます。
そしてまた、
<絶対的主観性>は“全現象”以外の表現を
もつことはできないのです。
“全現象”こそが<絶対的主観性>の表現なのです。
そうでありながら、しかし、
<絶対的主観性>は“全現象”の中の一部として
顕現することはできません。
なぜなら、“全現象”は
<絶対的主観性>の想像の中に現れているからです。
そのため、
“全現象”としては
まさに<絶対的主観性>の表現ではあるけれども、
“全現象”の中の一部となるとは、
想像の中の“対象物”に墜落することで、
それはもはや、
<絶対的主観性>の表現ではありえないからです。
その意味では、
<絶対的主観性>は“全現象”の中で
欲望することはできません。
“全現象”の中で欲望したとたんに、
<絶対的主観性>は“全現象”の中の
“対象物”に成り下がっている。
王者から乞食への変身です。
そのとき<絶対的主観性>は
その成り下がった“対象物”の
背景に退いているのです。(^_-)
何が悲しゅうて王者が乞食になるのか?(*^_^*)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、
それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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何かを欲望することが
とても面倒になってくるようです。
ま、肉体年齢もあるし、
これは仕方がないですね。(^_-)
今日も晩くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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