行為 と あなた
どうして行為について話すのかね?
あなたが行為をしているというのだろうか?
ある未知なる力が行為をし、あなたはあなたが行為をしていると想像するの
だ。
いかなる形であっても、影響を与えることのできないまま、あなたは単に起
こることを見ているだけなのだ。(p256)
爆発への期待
ある特別で劇的な、何か素晴らしい爆発が起こることへの期待は、ただ単に
あなたの真我の実現を妨害し、遅れさせるだけだ。
爆発を期待すべきではない。
なぜなら、あなたの誕生の瞬間、あなた自身を在ること―知ること―感じる
こととして自覚したときに、爆発はすでに起こったからだ。
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p257-258)
内面 と 外面
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
内側 と 外側
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
マインドと感情は外側
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
感情は外側にある
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
混乱の根本
たったひとつ、あなたには誤りがある。
あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
あなたの内側にあると見なしているのだ。
マインドと感情は外側にあるのだ。
だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
あなたは世界が外界のものだと信じている。
だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
ほかに道はない。(p258)
興味 と 記憶
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
束縛の永続
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
幸福への探求
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
本性
もしあなたが興味を失えばいかなる記憶も持続はしない。
束縛を永続させるのは感情的なつながりなのだ。
あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
特定の経路
あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
いだろうか?
ほかの方法を試してみなさい。
苦痛と快楽に無関心でありなさい。
求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべて
の注意を払いなさい。
すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを悟るだろう。
何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたをかき乱すの
だ。
障害を避けなさい。
ただそれだけだ。
探す必要はないのだ。
すでにもっているものを探すことはない。(p258)
忍耐強く
もっとも正しいのは「私は在る」という純粋な感覚だ。
忍耐強くそのなかにとどまりなさい。
ここにおいては忍耐が智慧なのだ。
失敗を思ってはならない。
この仕事に失敗はありえないのだ。(p259)
思考の妨害
放っておきなさい。
闘ってはいけない。
それについて何もしないことだ。
それが何であれ、あるがままにしておきなさい。
抗うこと自体がそれに生命を与えるのだ。
ただ無視しなさい。
見過ごすのだ。
「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
ていなさい。(p259)
私が在るゆえに
「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
ていなさい。
すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
体験するにはあなたがいなければならないということを充分利用するがいい。
関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
しがみつかないこと、それだけだ。
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。
(p259-260)
無関心 と 自由
すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
体験するにはあなたがいなければならないということを充分利用するがいい。
関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
しがみつかないこと、それだけだ。
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。(p259)
世界の輪(リング)
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。(p259)
リング と フック
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。(p259)
放棄するもの
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。(p206)
必要がある
する必要があることはしなさい。
抵抗してはならない。
あなたのマインドのバランスは、的確に正しいことをすることを基本に、瞬
間から瞬間へと活動的でなければならない。
成長することに反抗する子供のようであってはならない。
型にはまった身振りや態度は助けにならないだろう。
完全にあなたの思考の明晰性、動機の純粋さ、行為の高潔さのみを頼りにし
なさい。
あなたが道を誤ることは、けっしてありえない。
超えていきなさい。
そしてすべてを置き去りにしなさい。(p260)
エクスタシー
あなたは二十四時間休みなしのエクスタシーのような何かが欲しいのだ。
エクスタシーは来ては去っていく。
人間の脳は、必然的に長期の緊張に耐えられないからだ。
長引くエクスタシーは、非常に純粋で微妙なものでないかぎり、脳を焼き切
ってしまうだろう。
自然のなかでは何ひとつ停止しているものはない。
あらゆるものが脈打ち、現れては消えていく。
心臓、呼吸、消化。
睡眠と目覚め――誕生、そして死、すべては波のように来ては去っていく。
循環反復運動、周期性、両極の調和のとれた交替が法則なのだ。
生命のパターンに対抗しても無益なだけだ。(p260)
戻ってきなさい
もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。
私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそ
れに戻ってきなさい」という意味なのだ。
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
特定の思考
もしあなたが不変なるものを求めるならば、体験を超えていきなさい。
私が「私は在る」をつねに覚えていなさいと言うとき、それは「繰り返しそ
れに戻ってきなさい」という意味なのだ。
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
自然な状態A
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
沈黙だけが
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
沈黙の背景
いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。(p260)
愛 と 幸せ
どのように表現しようとも、あなたが愛するまで幸せはありえないのだ。
しかし、愛はつねにあなたを幸せにするだろうか?
愛が幸せと結びついているのは、むしろ初期の、幼稚な段階ではないだろう
か?
あなたの愛する人が苦しむとき、あなたも苦しむのではないだろうか?
そして、あなたが愛するのをやめるのは、あなたも苦しむからではないだろ
うか?
愛と幸せはともに来て、ともに去っていくものだろうか?
愛とは単に快楽への期待なのだろうか?(p264)
愛 と 不幸せ
(なぜ私の人生は不幸せなのか、というなら)
なぜなら、あなたはあなたの存在の根底まで行きついていないからだ。
あなた自身についての完全な無知が、愛と幸せを覆(おお)い隠し、あなた
にけっして失わなかったものを探求するようにさせたのだ。
愛とは意志だ。
すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。
幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。(p264)
愛とは意志だ
愛とは意志だ。
すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。
幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。(p264)
愛のリズム
愛とは意志だ。
すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。
幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。(p264)
有用な気分
(すべては疑わしく、すべてが無駄なように見えてしまう、というなら)
それはとても有用な気分だ。
すべてを疑い、すべてを拒絶し、他者から学ぶことを望まないこと。
それはあなたの長いサーダナ(修練)の成果なのだ。
つまり、人はいつまでも学ぶばかりではないということだ。(p265)
子供として終える
(自分は以前いた子供の場所から一歩も動いていない、というなら)
あなたは子供としてはじめ、子供として終えるだろう。
何であれその間に得たものは失われ、はじめから出発しなければならないの
だ。(p265)
はじめから出発
(自分は以前いた子供の場所から一歩も動いていない、というなら)
あなたは子供としてはじめ、子供として終えるだろう。
何であれその間に得たものは失われ、はじめから出発しなければならないの
だ。(p265)
唯一の解決法
(しかし不幸せだったり否定されたりすると子供は反抗する、というなら)
反抗させればいい。
ただその反抗を見ていなさい。
もしあなたが社会に対して確信をもって反抗するのを恐れるようならば、そ
れもまた見ていなさい。
それがつらいことなのは知っている。
だが、解決法を探すのをやめるという唯一の解決法を除いて、解決法はない
のだ。(p265)
物理的な出来事
もし怒りや痛みがあるならば、その怒りと痛みからあなた自身を切り離しな
さい。
客観化は解放への第一歩なのだ。
物理的な出来事は起こりつづけるだろう。
だが、それら自体には何の重要性もないのだ。
重要なのはマインドだけだ。(p265)
彼らのやり方
もし彼らのやり方が気に入らないのなら、あるいは我慢しきれないなら、飛
行機に乗らなければいい。
あるいはお金を持っていかなければいい。
歩きなさい。
もし歩けないならば、旅行をあきらめるがいい。
社会と折りあってやっていくならば、彼らのやり方を受け入れなければなら
ない。
なぜなら、それはあなたのやり方がでもあるからだ。
あなたの必要性と要求がそれらをつくり出してきたからだ。
あなたの欲望はとても複雑で矛盾しているため、あなたのつくり出した社会
もまた複雑で、矛盾しているのも無理はない。(p265)
混沌を招いて
もしあなたが期待や記憶を取り払い、ただ静にしていることができるならば、
出来事の織り成す美しい模様を見極めることができるだろう。
混沌(こんとん)を招いているのは、あなたの落ち着きのなさなのだ。(p266)
落ち着きのなさ@
もしあなたが期待や記憶を取り払い、ただ静にしていることができるならば、
出来事の織り成す美しい模様を見極めることができるだろう。
混沌(こんとん)を招いているのは、あなたの落ち着きのなさなのだ。(p266)
魔術を行って
あなたは即席の結果を求めているのだ!
私たちはここで魔術を行っているのではない。
誰もが同じ過ちをする。
手段を拒みながら結果を求めるのだ。
あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなたの自身のなかにそれ
をもつことは拒んでいるのだ。
私の助言に、ただ盲目的にしたがってみるといい。
けっしてあなたを落胆させはしないだろう。
あなたの問題をただ言葉だけで解決することはできない。
私が言ったことにあなたが働きかけ、たゆまずやりつづけなければならない
のだ。
正しい助言がではなく、その助言をもとにしたあなたの行為が解放をもたら
すのだ。
医師が患者に注射をした後、「さあ、静かにしなさい。何もせずに、ただ静
かにしなさい」と言うように、私もあなたに言っているのだ。
私はあなたに注射をした。
さあ、静かにしなさい。
ただ、静かにしなさい。
あなたはほかに何もしなくていいのだ。
私のグルも同じことをした。
彼は私に何かを語り、そして言ったのだ。
「さあ、静かにしなさい。いつまでも思いめぐらしていてはいけない。止ま
りなさい。沈黙しなさい」と。(p266)
医師が患者に注射を
正しい助言がではなく、その助言をもとにしたあなたの行為が解放をもたら
すのだ。
医師が患者に注射をした後、
「さあ、静かにしなさい。
何もせずに、ただ静かにしなさい」
と言うように、私もあなたに言っているのだ。
私はあなたに注射をした。
さあ、静かにしなさい。
ただ、静かにしなさい。
あなたはほかに何もしなくていいのだ。
私のグルも同じことをした。
彼は私に何かを語り、そして言ったのだ。
「さあ、静かにしなさい。
いつまでも思いめぐらしていてはいけない。
止まりなさい。
沈黙しなさい」と。(p266)
静かにしなさい
あなたの問題をただ言葉だけで解決することはできない。
私が言ったことにあなたが働きかけ、たゆまずやりつづけなければならない
のだ。
正しい助言がではなく、その助言をもとにしたあなたの行為が解放をもたら
すのだ。
医師が患者に注射をした後、「さあ、静かにしなさい。何もせずに、ただ静
かにしなさい」と言うように、私もあなたに言っているのだ。
私はあなたに注射をした。
さあ、静かにしなさい。
ただ、静かにしなさい。
あなたはほかに何もしなくていいのだ。
私のグルも同じことをした。
彼は私に何かを語り、そして言ったのだ。
「さあ、静かにしなさい。
いつまでも思いめぐらしていてはいけない。
止まりなさい。
沈黙しなさい」と。(p266)
為すべきことは
為すべきことは、すべて平和と沈黙の中で為すことができる。
心を乱される必要はないのだ。(p266)
静かにする
もしあなたがただ静かにするように試みるならば――仕事、仕事のための能
力、正しい動機、すべてはやってくるだろう。
すべて、前もってあなたが知っていなければならないのかね?
未来のことを心配してはならない。
今、静かでありなさい。
そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。
予期しなかったことが、かならず起こるだろう。
期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。(p267)
性質 と 制御
あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
制御する必要はないのだ。
それを海に投げ捨ててしまうがいい。
闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけ
ることはないだろう。(p267)
経験 と 習慣
あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
制御する必要はないのだ。
それを海に投げ捨ててしまうがいい。
闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけ
ることはないだろう。(p267)
深遠な原因
あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
すべてはあなたが在るゆえに在る。
この要点を深く、確実につかみなさい。
そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。(p267)
絶対的な真実@
あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
すべてはあなたが在るゆえに在る。
この要点を深く、確実につかみなさい。
そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。(p267)
自然 と 至福
自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
それはみな、知性と美にあふれているのだ。
苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。(p267)
苦痛と快楽C
自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
それはみな、知性と美にあふれているのだ。
苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。(p267)
快楽と苦痛C
自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
それはみな、知性と美にあふれているのだ。
苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。(p267)
感覚を乱すもの
自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
それはみな、知性と美にあふれているのだ。
苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
あなたの価値観の尺度を変えなさい。
そうすれば、すべては変わるだろう。
快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
それらを同等に扱いなさい。
そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。(p267)
満足だけが
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
満たされた欲望
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
欲望に近づかず
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
必須の状態
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
一見空虚で不毛
満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
欲望を満たすこと
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
だ。(p267)
完全な無執着
もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。
しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなの
だ。
それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。(p267)
無執着と無関心
もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。
しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなの
だ。
それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。(p267)
解放の入り口
もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。
しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなの
だ。
それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。(p267)
意味も確信も失ったまま
しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続け
るだろう。
しかし、この時期は過ぎていく。
そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
はじめたことを意味するからだ。
古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
れが無執着だ。
もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
教えを思い出しなさい。
何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。(p268)
この時期は過ぎていく
しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続け
るだろう。
しかし、この時期は過ぎていく。
そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
はじめたことを意味するからだ。
古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
れが無執着だ。
もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
教えを思い出しなさい。
何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。(p268)
心が虚ろで離れていく
心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
はじめたことを意味するからだ。
古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
れが無執着だ。
もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
教えを思い出しなさい。
何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。(p268)
望まれる瞬間
しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続け
るだろう。
しかし、この時期は過ぎていく。
そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
はじめたことを意味するからだ。
古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
れが無執着だ。
もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
教えを思い出しなさい。
何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。(p268)
無執着
しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続け
るだろう。
しかし、この時期は過ぎていく。
そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
はじめたことを意味するからだ。
古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
れが無執着だ。
もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
教えを思い出しなさい。
何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。(p268)
記憶の破壊者
あらゆる状況が欲望と恐れの嵐をもたらすとき、思い出すのは易しいことで
はない。
記憶から生まれた切望は、記憶の破壊者でもあるのだ。(p268)
生命の水
生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号ととも
に打ちつけている。
洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。
そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
しかもより力強く、より大量に。
それについて理論的になることはないのだ。
充分考慮するだけの時間をもつがいい。
もしあなたが自由を望むならば、もっとも身近な一歩をおろそかにしてはな
らない。
山を登るときのように、一歩もはずすことはできない。
一歩でも足りなければ、山頂には到達されないからだ。(p268)
対象物の岩
生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号ととも
に打ちつけている。
洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。
そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
しかもより力強く、より大量に。(p268)
岩を取り除く
生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号ととも
に打ちつけている。
洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。
そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
しかもより力強く、より大量に。(p268)
偽り と 苦しみ
あなたを苦しめるものは、つねに偽物だ。
偽りの欲望と恐れ、偽りの価値と観念、偽りの人間関係だ。
偽りを放棄しなさい。
そうすれば、苦痛から自由になれる。
真実は幸せをもたらす。
真実は解放するのだ。(p271)
他者
(互いを夢見合うこと)それこそ人びとがしていることだ。
誰もが「他者」を想像し、その間につながりを探し求めている。
探している人こそがつなぎ目なのだ。
他者というものは存在しない。(p275)
心配事
あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。
何にもしがみつかなければ、何の心配もない。
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。(p276)
しがみつく
あなたが何かにしがみつくときだけ、心配事は生まれる。
何にもしがみつかなければ、何の心配もない。
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。(p276)
あきらめなさい
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。
そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。
世界はその輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。(p276)
無尽蔵の源
より劣ったものを放棄することは、より偉大なものを得ることなのだ。
すべてをあきらめなさい。
そうすれば、あなたはすべてを得るだろう。
そのとき、人生はその目的通り、無尽蔵の源からの純粋な輝きとなる。
世界はその輝きのなかに、夢のようにぼんやりとかすんで現れるのだ。(p276)
夢 と 問題A
それが続くかぎり、夢は一時的な存在をもっている。
問題をつくり出すのはあなたがそれにしがみついて離さないからだ。
手放しなさい。
夢があなたのものだと想像することをやめるのだ。(p276)
夢 と 実在
夢に最後までそれ自体を繰り広げさせるがいい。
あなたにはどうすることもできない。
だが、夢を夢として見、実在の痕跡として拒否することはできるのだ。(p277)
つながり
あなたを目覚めさせようという私の目的がつながりなのだ。
私のハートはあなたに目覚めてほしい。
私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。
そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているの
だ。(p277)
不幸の終焉
私のハートはあなたに目覚めてほしい。
私はあなたが夢のなかで苦しんでいるのを見ている。
そしてあなたが不幸の終焉へと目覚めなければならないことを知っているの
だ。
夢を夢としてみるとき、あなたは目覚める。(p277)
夢の人生
夢を夢として見るとき、あなたは目覚める。
だが、私はあなたの夢自体には興味がない。
私にとっては、あなたが目覚めなければならないと知ることだけで充分だ。
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。(p277)
一定の成果
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。(p277)
夢 と 成果
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。(p277)
夢を見ているA
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
想像すること
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
矛盾と不調和
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
虚偽と悲しみ
夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
もない。
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
意識の原子
あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
想像することをやめなさい。
信じるのをやめなさい。
矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
意識 と 宇宙
無限の空間のなかに微小な意識の原子が浮遊している。
そして、宇宙はそのなかに包含されているのだ。(p277)
夢 と 愛
夢のなかで、あなたは誰かを愛し、ほかの人は愛さない。
目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知
るのだ。(p277)
目覚め と 愛
夢のなかで、あなたは誰かを愛し、ほかの人は愛さない。
目覚めとともに、あなたはあなた自身がすべてを包含する愛そのものだと知
るのだ。(p277)
個人的な愛
個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛すること
になる。
自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。(p277)
自由 と 愛
個人的な愛は、いかに強烈で真正なものであっても、かならず束縛すること
になる。
自由のなかでの愛は、すべての愛なのだ。(p277)
夢の存続
あなたは過去と未来に関心をもちすぎている。
それはみな、あなたの存在を継続させたい、自分自身を消滅から守りたいと
いう切望から起こるのだ。
あなたは継続することを求めるために、ほかの人たちに一緒にいてもらいた
い。
それゆえ彼らの存続に関心をもつのだ。
しかし、あなたが呼ぶ存続とは、夢の存続にすぎない。
それよりは死のほうが望ましい。
そこには目覚めるチャンスがあるからだ。(p278)
欲望 と 永遠
すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
すべての執着は恐れを暗示している。
なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
執着 と 恐れ
すべての欲望から自由であることが永遠なのだ。
すべての執着は恐れを暗示している。
なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
この執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
愛 と 執着
すべての 執着は恐れを暗示している。
なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
この 執着からの自由は、修練によってもたらされるものではない。
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に 執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
執着 と 愛
人が自己の真の存在を知ったとき、自然に 執着から自由になるのだ。
愛は執着しない。
執着は愛ではないのだ。(p278)
無欲 と 永遠
私はすでに死んでいるのだ。
私の場合、身体的な死は何の違いももたらさない。
私は永遠の存在だ。
私は欲望と恐れから自由なのだ。
なぜなら、私は過去を思い出さず、未来を想像しないからだ。
何の名前も形もないところに、どうして欲望や恐れが存在できるだろうか?
無欲とともに永遠がもたらされるのだ。(p278-279)
安全
私は安全だ。
なぜなら、存在しないものが存在するものに触れることはできないからだ。
あなたは安全ではない。
なぜなら、あなたは危険を想像するからだ。
もちろん、あなたの現在の身体は複雑で傷つきやすく、保護を必要としてい
る。
しかし、あなたがではない。
ひとたび、あなたが難攻不落の存在であると自覚したなら、マインドは平和
になるだろう。(p279)
行為 と 必要
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
行為 と 行為者@
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
存在 と 行為
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
窓は壁の不在
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
空っぽ
行為が必要なときには、行為は起こる。
人は行為者ではないのだ。
彼は起こっていることに気づいて在る。
彼の存在そのものが行為なのだ。
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
想像 と 努力
窓は壁の不在だ。
そして、それが空気と光を与える。
なぜなら、それが空だからだ。
すべての精神的内容、すべての想像と努力を空っぽにしなさい。
そうすれば、その障害の不在そのものが、実在が流れこんでくる場を与える
のだ。(p279)
純粋な明け渡し
あなた自身のためには、何も必要ない。
あなたは純粋な明け渡しだ。
無始無窮(むきゅう)であり、無尽蔵なのだ。
あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。
性急に行動に走ってはならない。
学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。
悲しみとともに在りなさい。
そして、その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
理解することを助けることが本当の助けとなるのだ。(p279-280)
学ぶことも行動も
あなた自身のためには、何も必要ない。
あなたは純粋な明け渡しだ。
無始無窮(むきゅう)であり、無尽蔵なのだ。
あなたが悲しみや苦しみを見るときは、それとともに在りなさい。
性急に行動に走ってはならない。
学ぶことも行動も、本当の意味での助けにはならないのだ。
悲しみとともに在りなさい。
そして、その根底にあるものを露(あら)わにしなさい。
理解することを助けることが本当の助けとなるのだ。(p279-280)
時間が足りない
時間が足りないのはあなたの身体だ。
あなたではない。
時間と空間はマインドのなかにのみある。
あなたは束縛されてはいないのだ。
ただ、あなた自身を理解しなさい。
そのこと自体が永遠なのだ。(p280)
死後
彼が信じるところにしたがって、それは起こる。
死以前の生が単なる想像にすぎなかったように、死後もまたそうなのだ。
夢は続いていく。(p280)
ジニャーニ と 死@
ジニャーニは死なない。
なぜなら、彼はけっして生まれてこなかったからだ。(p280)
知らない
私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
今、私は何ひとつ知らない。
なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
からだ。
私は自己を知っている。
そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
なく、ただ在ることだけがある。
しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。
現在の誕生でさえ知らない私が、どうして過去生を知っているというのだろ
う?(p281)
知識 と 夢
私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
今、私は何ひとつ知らない。
なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
からだ。
私は自己を知っている。
そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
なく、ただ在ることだけがある。
しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。(p281)
意識の揺りかご
全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
きのなかにあるのだ。
それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
あなたは何も求めなくてもいいのだ。
すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。(p281)
求めなくていい
それ自身が動きのなかにあるマインドは、すべてを動いていると見てしまう。
そうして時間をつくり出しておいてから、過去や未来について心配するのだ。
全宇宙は意識(マハー・タットヴァ)の揺りかごに揺られている。
それは完全な秩序と調和のあるところに立ち現れる。
すべての波が海のなかにあるように、すべての物質的、精神的なものは気づ
きのなかにあるのだ。
それゆえ、気づき自体が重要なのであって、その内容ではない。
あなた自身の気づきをより深め、広めていきなさい。
そうすれば、すべての祝福はあふれ出すだろう。
あなたは何も求めなくてもいいのだ。
すべてはあなたのもとに、自然に努力することなくやってくるだろう。
五つの感覚と四つのマインドの機能である記憶、思考、理解、自我。
五大元素である地、水、火、空、エーテル。
創造の二つの相である物質と魂――すべては気づきのなかに包括されている
のだ。(p281)
生まれ変わり
転生とは自分の生まれ変わりを意味する。
そのようなものはないのだ。
「私」と呼ばれるひと塊(かたまり)の記憶と期待が、それ自体を永遠に存
在すると想像し、その偽りの永遠性につじつまを合わせるために時間をつく
り出すのだ。
在るためには、過去も未来も必要ない。
すべての体験は想像から生まれてくる。
私は想像しない。
だから、誕生も死も私には起こらないのだ。
生まれたと考える人だけが、生まれ変わると考える。
あなたは生まれたということで私を告発しているが、私は無罪を主張する!
すべては気づきのなかに存在している。
そして、気づきは死にもしなければ、生まれ変わりもしない。
それは不変の実在そのものなのだ。(p281)
体験の宇宙
すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
はっきりと見るだろう。
そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。(p281)
線香 と 煙
すべての体験の宇宙は、身体と共に生まれ、身体と共に死ぬ。
そのはじまりと終わりは気づきのなかにある。
しかし、気づき自体は始まりも終わりも知らない。
もしそれについて時間をかけて慎重に熟考すれば、あなたは気づきの輝きを
はっきりと見るだろう。
そして、世界はあなたの視野から消え去るだろう。
それは、燃えている線香を見つめるようなものだ。
最初は、線香と煙を見ている。
あなたが火の付いた点に注目するとき、それが線香の山を焼き尽くす力をも
ち、宇宙を煙で覆(おお)い尽くすことを認識するだろう。
自己はその永遠の可能性を使い尽くすことなく、永遠にそれ自身を具象化し
ていく。
線香の直喩では、線香が身体を表し、煙がマインドを表している。
マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
ない。
グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
がある。
源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
はじまりなのだ。(p282)
マインド と 源
マインドが曲解に忙しいかぎり、それはそれ自身の源を知覚することができ
ない。
グルはやってきて、あなたの注意を内なる生命の輝きへと向けさせる。
マインドはその本性からして外側に向かっているものだ。
それはつねに、ものごとの源をものごと自体のなかに見いだそうとする傾向
がある。
源を内面に見いだすようにと言われること自体、ある意味では新たな人生の
はじまりなのだ。(p282)
気づき と 意識@
気づきは意識のなかに立ち現れる。
意識のなかには、意識している「私」が存在している。
一方、気づきは分割されることがない。
気づきはそれ自身に気づいているのだ。
「私は在る」はひとつの想いだ。
一方、気づきはひとつの想いではない。
気づきのなかに「私は気づいている」という想いはない。
意識は属性だ。
一方、気づきはそうではない。
人は意識していることに気づくことができる。
だが、気づきを意識することはできないのだ。
神は意識の全体性だ。
だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。(p282)
神 と 意識
人は意識していることに気づくことができる。
だが、気づきを意識することはできないのだ。
神は意識の全体性だ。
だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。(p282)
感覚 と 知覚
感覚とは単なる知覚の様式にすぎない。
粗雑な様式が消えるとともに、繊細な意識の状態が出現する。(p282)
意識 と 気づき
意識から気づきへの変化はありえないのだ。
なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。
意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
そしてそれが死後に起こることなのだ。
人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
姿を消す。(p282)
無意識@
無意識を去来する何かのように語るあなた自身を見てみなさい!
無意識を意識する誰がそこにいるというのだろうか?
窓が開いているかぎり、日の光は部屋のなかにある。
窓が閉じられても、太陽はそのままだ。
だが、それは部屋のなかの暗闇を見るだろうか?
無意識などというものはないのだ。
なぜなら無意識は体験不可能だからだ。
私たちは記憶を喪失したとき、あるいは伝達が不可能なとき、それを無意識
であると推定する。
もし私が反応しなくなったら、あなたは私のことを無意識だと言うだろう。
現実には、記憶や伝達が不可能なだけで、私は鋭敏に意識しているかもしれ
ないのだ。(p282)
世界 の 見方
もちろん、私たちはひとつの世界に住んでいる。
ただ私だけがあるがままに見ていて、あなたはそう見てはいないのだ。
あなたは世界のなかにあなた自身を見ている。
私は私自身のなかに世界を見ているのだ。
あなたにとっては、あなたは生まれ、そして死んでいく。
片や、私にとっては、世界が現れては消えていくのだ。
私たちの世界は実在のものだ。
だが、あなたの見方がそうではないのだ。
あなたが築いた壁以外に、私たちの間に壁は存在しない。
感覚には何の誤りもない。
あなたの想像があなたを惑わせるのだ。
それはあるがままの世界を、あなたが想像したように――あなたから独立し
て存在し、しかもあなたが受け継ぎ、習得してきたパターンにしたがってで
きた世界として覆い尽くしてしまう。
あなたの態度には、あなたが理解していない苦しみの原因である深い矛盾が
ある。
あなたは苦痛と苦しみの世界のなかに生まれたという考えにしがみついてい
るのだ。
私は世界が愛の子供であり、それにははじまりがあり、成長し、愛の成就を
遂げることを知っている。(p283)
相対的な言語
身体の視点に立てば、あなたの言うとおりだ。
しかし、あなたは身体ではないのだ。
真実ではないものを真実として決めつけてはならない。
そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
苦痛と快楽、善と悪、正と邪。
これらはみな相対的な言語であって、絶対的なものと見なしてはならない。
それらは限定され、一時的なものなのだ。(p283)
宇宙 と 神 と 私
もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
う。
しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
ある王国が王を探していた。
彼らはふさわしい人を見つけだし、彼を王にした。
だが、彼はけっして変わっていない。
彼は王位の称号と権利、そして職務を与えられただけだ。
変わったのはただ彼の行動だけで、彼の本性は影響を受けてはいないのだ。
同様に、悟りを得た人も彼の意識の内容は根本的な変容を遂げる。
しかし、彼は惑わされない。
彼は不変なるものを知っているのだ。(p284)
意識 と 物質@
意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
いだろう。
どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
意識は自発的に現れる。
有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
けっして生まれることも死ぬこともなく、そのなかでは物質も意識も単なる
相にすぎない、あれが残るのだ。(p284)
有機体 と 意識
意識それ自体としては、物質の微妙な片割れなのだ。
不活発性(タマス)とエネルギー(ラジャス)が物質の属性であるように、
調和(サットヴァ)は意識それ自体として現れる。
ある意味では、それを非常に神秘的なエネルギーの一形態として考えてもい
いだろう。
どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
意識は自発的に現れる。
有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。(p284)
及ぼす効果によって
(物質も意識も超えている)それはその影響が物質と意識の両方に及ぼす効
果によって知ることができる。
美と至福のなかにそれを探してみるがいい。
だが、その両方を超えていかないかぎり、あなたは身体も意識も理解するこ
とはないだろう。(p284)
覚者 と 気づき
悟りを得た人(ジニャーニ)はその(意識と無意識の)どちらでもない。
だが、彼の悟り(ジニャーナ)のなかにすべては包括されている。
気づきはすべての体験を含んでいる。
しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
彼は気づき自体をも超えている。(p285)
物質 と マインド@
その(物質とマインドの)間にある隙間そのものが橋なのだ。
その一端からは物質として見え、反対側の一端からはマインドとして見える
それ、それ自体が橋なのだ。
実在をマインドと身体に分けてはならない。
そうすれば、橋の必要はなくなる。
意識が現れるとともに、世界が現れる。
世界の美と智慧について考えるとき、あなたはそれを神と呼ぶのだ。
あなた自身のなかにある、そのすべての源を知りなさい。
そうすれば、あなたはすべての質問の答えを見いだすだろう。(p285)
見ることだけが
ただ、見ることだけが在る。
そのなかに見る者も、見られるものも含まれるのだ。
区別のないところに区別をつくり出してはならない。(p285)
運命の支柱
生まれる前に、あなたはあなた自身が立てた計画にしたがって生きることを
期待していたのだ。
あなた自身の意志が、あなたの運命の支柱だったのだ。(p285)
カルマ と 態度
カルマは環境を形づくる。
態度はあなた自身のものだ。
結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
ただけなのだ。(p285)
人格 と 人生
カルマは環境を形づくる。
態度はあなた自身のものだ。
結局は、あなたの人格があなたの人生を作り出し、人格を形づくるのはあな
ただけなのだ。(p285)
人格を形づくる
(人格を形づくるのは)それをあるがままに見ることによって、そして誠実
に心から感じることによってだ。
この見ることと感じることの統合が奇跡的な働きをする。
それはブロンズの像を鋳造するようなものだ。
金属だけでも、火だけでも無理だし、鋳型だけでも役に立たない。
あなたは金属を火で熱し、溶解して、鋳型へ流し込まなければならないのだ。(p285)
直接の知識@
あなたはあなた自身を感覚とマインドを通してのみ知っている。
あなたはそれらが示唆することをあなた自身として受け入れ、自己の直接
の知識をもっていない。
あなたのもっているのは単なる観念だけだ。
すべて平凡で、使い古しのうわさによるものにすぎない。
あなたは何であれ、あなたであると考えたことを真実として受け入れてしま
う。
あなた自身が知覚可能で、描写可能なものだと想像する習慣が非常に強固に
なってしまっているのだ。
(p286)
地平線の彼方
私はあなたが見るように見、あなたが聞くように聞き、あなたが味わうよう
に味わい、あなたが食べるように食べる。
私はまた喉の渇きや空腹を感じ、時間通りに食事が給仕されることを期待す
る。
飢えたとき、また病気をしたとき、私の身体とマインドは弱まる。
これらすべてを私はまったく明確に知覚するが、どういうわけか、私はその
なかにはいないのだ。
私は自分がその上を漂い、超然として離れているように感じるのだ。
超然として離れていると言うことさえ本当ではない。
そこに空腹や渇きがあるように、超然と分離の感覚がそこにあるのだ。
そこにはまた、気づきと計り知れない距離の感覚がある。
あたかも、身体とマインド、そしてそれらに起こるすべてが、どこか遙か地
平線の彼方で起こっているかのようだ。
私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
それはフィルムと何の関わりもない。
フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
だが、私の運命ではない。
スクリーン上の人びとの運命だ。(p286)
映画のスクリーン@
私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
それはフィルムと何の関わりもない。
フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
だが、私の運命ではない。
スクリーン上の人びとの運命だ。(p286)
スクリーン と 画像
私は映画のスクリーンのように明白で空っぽだ。
画像はその上を通り過ぎ、明白で空っぽのままの状態を残して消えていく。
どの点においてもスクリーンが画像に影響されることはない。
また、画像もスクリーンによる影響を受けはしない。
スクリーンは画像を遮(さえぎ)り投影する。
スクリーンが画像を形づくるのではないのだ。
それはフィルムと何の関わりもない。
フィルムはフィルムとしてひと塊(かたまり)の運命なのだ。
だが、私の運命ではない。
スクリーン上の人びとの運命だ。(p286)
登場人物 と 個人
彼が人生を起こるがまま受け入れる代わりに、自分でそれを形づくりはじめ、
彼自身をそれと同一化するとき、登場人物は個人となるのだ。(p287)
苦痛 と 苦しみ
苦痛は身体的なもの、苦しみは精神的なものだ。
マインドを超えたところに苦しみはない。
苦痛は身体が危険にあり、注意を要求しているという単なる信号なのだ。
同様に、苦しみは個人と呼ばれる記憶と習慣の構造が、喪失、あるいは変化
によって脅かされていると私たちに警告しているのだ。
苦痛は身体の存続のために欠くことのできないものだ。
しかし、誰もあなたに苦しむよう強要してはいない。
苦しみは完全に、執着すること、あるいは抵抗することを理由に起こる。
それは私たちが人生とともに流れ、進んでいくことを自ら欲しないことの兆
候なのだ。
健全な人生が苦痛から自由であるように、聖人の人生は苦しみから自由なの
だ。(p289)
生まれたもの
生まれたものは死なねばならない。
生まれなかったものは死ぬことはできないのだ。
すべては彼が彼自身を何であると見なしているかによるのだ。(p289)
観察するという事実
観察するという事実自体が、観察者と観察されるものを変えるのだ。
結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
にあるのだ。
私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
させていくのだ。
その変化は目ざましいものである必要はない。
それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。(p290-291)
マインドの弱さ
結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
にあるのだ。
私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
させていくのだ。
その変化は目ざましいものである必要はない。
それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。(p290-291)
粗大なものにのみ
結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
にあるのだ。
私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
させていくのだ。
その変化は目ざましいものである必要はない。
それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。(p290-291)
私の提案
結局、自己の真の本性への洞察を妨げるのは、マインドの弱さと愚鈍さ、そ
して粗大なものにのみ焦点を当て、把握しがたいものは抜かしてしまう傾向
にあるのだ。
私の提案にしたがい、マインドを「私は在る」だけにとどめるように試みれ
ば、あなたはマインドとその気まぐれに完全に気づくようになる。
行為のなかの透明な調和(サットヴァ)である気づきは、愚鈍さを消し去り、
マインドの落ち着きのなさを静め、穏やかに、しかし着実にその実体を変化
させていくのだ。
その変化は目ざましいものである必要はない。
それはほとんど人目を引かないものかもしれない。
それでも、それは暗闇から光へ、不注意から気づきへの根本的な移行なのだ。(p290-291)
意識の焦点
意識の焦点を、唯一の手がかりであるあなたの存在の確実性に、着実に保つ
のだ。
それとともに在りなさい。
それと戯(たわむ)れなさい。
それを熟考しなさい。
それに深く沈潜していきなさい。
無知の皮が破れ、あなたが実在の領域に現れでるまで。(p291)
時節が調うまで
自分自身を見いだそうとする衝動は、あなたに用意ができたことのしるしな
のだ。
衝動はいつも内面からやってくる。
時節が調うまでは、あなたが全身全霊で真我の探求をするための
欲望も強さも得ることはないだろう。(p291)
内なる師(サットグル)@
母親が子供を教師に連れていくように、外側の師にあなたを連れていくのは
内なる師(サットグル)なのだ。
あなたのグルを信頼し、彼にしたがいなさい。
なぜなら、彼はあなたの真我のメッセンジャーなのだから。(p291)
グル と 信頼
(信頼できるグルをどうやって探せばいいのか、というなら)
あなた自身のハートがあなたに告げるだろう。
グルを見いだすことは困難なことではない。
なぜなら、グルはあなたを探しているからだ。
グルはいつも用意ができている。
あなたは準備ができていない。
あなたに学ぶ準備ができていないと、あなたのグルに出会っていても、まっ
たくの怠慢と強情さでせっかくの機会を無駄にしてしまうかも知れないのだ。
私を例にとれば、私には見込みがあるわけではなかった。
だが、グルに出会ったとき、私は聴き、信頼し、したがったのだ。(p291)
グルを吟味する
(明け渡す前にグルを吟味すべきではないか、というなら)
もちろん吟味するがいい!
だが、何を見いだせるというのだろう?
彼はあなた自身のレベルでしか現れないのだ。(p291-292)
グルを吟味する
(明け渡す前にグルを吟味すべきではないか、というなら)
もちろん吟味するがいい!
だが、何を見いだせるというのだろう?
彼はあなた自身のレベルでしか現れないのだ。
あなたは数多くの不調和を見つけだすかもしれない――それが何だというの
だろう?
それは何も証明しない。
ただ、動機だけが問題なのだ。
どうやって彼の動機を知るというのだろうか?(p291-292)
唯一判断できる
グルはあなたの真我へ帰り着く道をあなたに示すことができる。
それがその人の人格や性質といった外見と、どんな関係があるというのだろ
うか?
彼は彼が個人ではないことを、あなたに明確に告げてはいないだろうか?
唯一判断できるのは、あなたが彼と共に在るときに起こる、あなた自身の変
化だ。
もし、あなたがより平和で幸福に感じるならば、そしてあなた自身を通常よ
り明晰(めいせき)に、より深く理解するならば、それはあなたが正しい人
を見つけたということだ。
急ぐことはない。(p292)
グルを信頼する
だが、ひとたび彼を信頼すると決心したならば、絶対的に彼を信頼しなさい。
そしてすべての教えに完全に、誠実にしたがいなさい。
あなたが彼を師として受け入れず、彼と共に在ることだけで満足だとしても、
それは大した問題ではないのだ。
もしマインドが純粋で混じり気がなく、乱されることがなければ、サットサ
ン(聖者と共に在ること)だけでもあなたを目的地へと連れていけるのだ。
だが、ひとたびあなたがある人をグルとして受け入れたならば、聴き、覚え、
したがいなさい。
中途半端な心構えは深刻な障害となる。
そして、多くの悲しみを自らつくり出す原因となるのだ。
その過ちはけっしてグルのものではない。
弟子の愚鈍さと強情さに過失があるのだ。(p292)
グルの動機
(何がグルの動機なのか、なぜそれほどの困難を受け入れるのか、というなら)
悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。
彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。
愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。
グルの忍耐には限界がない。
それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
グルはけっして失敗しない。(p292-293)
宇宙全体が
(最初の師はまた最後の師でもあるのか、それとも師から師へと渡り歩かな
ければならないのか、というなら)
宇宙全体があなたのグルだ。
もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。
あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
りがかりの人たちから学ぶだろう。
あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。(p293)
グルは不可避か
(グルは不可避なのか、というなら)
それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
なものだ。
意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
要だ。
助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。
それは名状しがたい存在かもしれない。
あるいは直感のひらめきかもしれない。
しかし、助けは来なければならない。
内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。
時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
るのだ。(p293)
身体・真我・マインド
身体があり、真我がある。
その間にマインドがあるのだ。
そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。
マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。
必要なことはマインドを浄化することだけだ。
マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。
それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
その道具としてとどまる。
身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
ことだ。
あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。(p293)
自己発見には
(自己発見には終わりがないのか、というなら)
そこにはじまりがないように、終わりもない。
だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
のできるものではないということだ。
私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
これは絶対不動だ。(p293-294)
宇宙の構造
(果てしない自己発見の旅はどこに現れるのか、というなら)
これらはすべて顕現の領域に属する。
それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。(p294)
低次 と 高次@
(何が低次で、何が高次なのか、というなら)
それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
より広く、深いほど、意識が高いのだ。
生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。(p294)
ヨーガの道場
(何が低次で、何が高次なのかというなら)
それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
より広く、深いほど、意識が高いのだ。
生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。(p294)
完成は運命か
(完成はすべての人間にとっての運命なのか、というなら)
究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。
悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
忘れはしない。
なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。
それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。(p294)
マインドの救済
(私たちは皆マインドの救済に関わっているのか、というなら)
それ以外の何だというのだろう?
マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
「迷う」という言葉さえ的確ではない。
マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。(p294)
迷う
マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
「迷う」という言葉さえ的確ではない。
マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。(p294)
気分A
マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
「迷う」という言葉さえ的確ではない。
マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。(p294)
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