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操り人形
Mさん

ご返事が遅れて、ごめんなさい。

早速読ませていただきました。

いい本を書かれましたね。

そして、Mさんもこのなかで書かれているように、
誰の本とか、誰の言葉とか、誰の思考とかいうことは
じつはないのでしょうね。

Mさんが、おっしゃるとおりです。

そのことは、当然、ただちに、どんな思考も、アイディアも
誰のものでもなく、ただ現れているだけだということを意味
するのでしょうね。

そして、そのことはまた、ただちに、どんな思考も、アイディアも、
ほかの思考やアイディアと比べて、特に優れてもいなければ、また
劣ってもいないということ、ただ「認識する空」のなかに現れてい
るだけだということを意味するでしょう。

このパターンがこのパターン(操り人形)として生きられているだけ
であるように、MさんもMさんというパターン(操り人形)として
生きられているだけだと思います。

DNAと条件付けによって、それぞれそのようにしか生きられない
わけですから。

もちろん、Mさんがそのビジョンを広めようとするのは、
それはそれでいいことだと思います。

それがMさんの意志なのでしょうし、それはとりも直さず、
Mさんを通しての源の意志なのでしょうから。

ただ、現在のこのパターン(操り人形)は、どんな思いも、
どんなアイディアも、どんな想像も、別に“自分”のものとは
思えなくなりつつあります。

自分について唯一言えることは、「私は在る」だけだと思って
います。

創造であれ、アセンションであれ、神であれ、善であれ、悪であれ、
すべては意識のなかの概念であり、想像だと思われます。

つまり、あらゆる概念や思考は【すべて正しい】ということです。

それが、そのように存在するわけですから。

「あるがまま」はすべて、変更不能、修正不能な「あるがまま」で
あって、それをどうこうすべきだとは思えません。

つまり、現在のこのパターン(操り人形)は、そのように
「認識する空」のなかで生きられているようです。

Mさんが、現在どんなことにも感謝なさるのは正しいと思います。

「認識する空」は、Mさんを現在そのように生きているのですから。

しかし、どんなことにも感謝できない誰かも、それとまったく同じ
ように正しいと思います。

「認識する空」は、その誰かさんを、現在そのように生きている
わけでしょうから。

宇宙のなかに【誰か】はたくさんいるでしょうが、実際には、
「認識する空」から分離した【誰か】は存在しえません。

「認識する空」が一瞬の絵空事を演じているだけだと思います。

Mさんのご提案に応える言葉ではないかもしれませんが、
これもまた「認識する空」がこの操り人形を通じて応じている
正直な「あるがまま」です。

このパターンからの御礼の言葉です。

ありがとうございました。(2012,6,14)

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