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書名:
『アイ・アム・ザット 私は在る
ニサルガダッタ・マハラジとの対話』
書誌:
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英訳者 モーリス・フリードマン
編集者 スダカール・S・ディクッシット
翻訳者 福間 巌
発行所 株式会社ナチュラルスピリット(2005年6月8日初版発行)
http://www.naturalspirit.co.jp/
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私評:
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すっかりはまりました。
この本はナンダンからもらったのだけれど、いまこの翻訳本の発行日を知ってちょっと驚いた。
去年2005年の6月8日に発行されている。
この日は、我が家で丹沢合宿なるものを催した日だった。
その時、ナンダンはその催しに参加していた。
ということは、ナンダンはその後で、この本を買っているわけだ。
まだあのときは、ナンダンはそれくらい元気だったんだ……。
今は、御殿場の復生会病院というキリスト教系の病院のホスピス病棟に入院している。
点滴はしているけれど、もう二回ほど意識のある会話はできない状態だから、たぶん、もうあまりながくはないだろう。
……ナンダンの分も、この本からいただかなくては。
とにかく、この本を読んでいると、わからないながらに、一番安心する。
これこそは“岩盤”という気がする。
菩提達磨の「廓然無聖」というのを老婆親切の論理的な言葉にすれば、こんなような言葉になるのではという勝手な感想さえ湧いてくる。
本を読むことは必ずしも無駄ではないと思わせてくれる、最後の砦のような本だ。
もっとも、この先、本が要らなくなればのことだが。
どこをとっても、まるで奇跡のように直截で、かつ集積度の高い文章が現れる。(2006,4,20)
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引用:
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苦痛と快楽に無関心でありなさい
『アイ・アム・ザット 私は在る』の目次
最強の破壊者からの言葉
通りの往来を見るように、あなたの思考を見守りなさい。人々は来ては去っていき、あなたはそれに反応することなく、印象をとどめていく。はじめのうちは楽ではないかもしれないが、いくらかの修練で、マインドがいくつもの層で機能し、あなたはそれらすべてに気づくことができると知るだろう。ただ、あなたがある特定の層で、あることに関心をもつとき、それに注意を捕らわれてほかの層が忘却されるのだ。そのときでさえ、意識界の外側では忘却された層への働きかけが続いている。あなたの記憶や思考と闘ってはならない。「私は誰か?」「どのようにして私は誕生したのか?」「私を取り巻くこの宇宙はどこからやってきたのか?」「何が実在であり、何が一時的なものなのか?」といった、より重要な質問をあなたの注意の領域に取り入れなさい。
もしあなたが興味を失えば、いかなる記憶も持続はしない。束縛を持続させるのは感情的なつながりなのだ。あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。いつも幸福と平和を追いつづけているのだ。あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからないだろうか? ほかの方法を試してみなさい。苦痛と快楽に無関心でありなさい。求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あなたのすべての注意を払いなさい。すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性であることを悟るだろう。何か特定の経路を通してそれを探し出そうとすることがあなたをかき乱すのだ。障害を避けなさい。ただそれだけだ。探す必要はないのだ。すでにもっているものを探すことはない。
あなた自身が神、至高の実在なのだ。まず私を信頼しなさい。師を信頼することだ。それがあなたに第一歩を踏ませる。そうすれば、自らの体験によってあなたの信頼が正しかったことを認めるだろう。人生を歩んでいくには、最初の信頼は欠かせないものなのだ。それなしでは何もできない。いかなる仕事も信頼の行為だ。日々の食事さえ、あなたは信頼をもとに摂っている。
私の言うことを憶えていることで、あなたはすべてを達成するだろう。今一度あなたに言おう。あなたはすべてに遍在し、すべてを超越する実在なのだ。それにしたがってふるまいなさい。全体との調和のなかで考え、感じ、行為しなさい。そうすれば、私が言ったことの実際の体験は、すぐにあなたに現れるだろう。努力は必要ない。信頼をもってそのとおりに行動しなさい。(p258-259)
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好み:★★★★
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(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度。一押し、二押し、三押し、特薦。)
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