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書名: 『ラムサ――真・聖なる預言』 cover

書誌:
原題  RAMTHA (c)1986
著者  ラムサ
訳者  川瀬勝
発行  株式会社角川春樹事務所(1995年10月10日第一刷発行)
発売  株式会社ハルキ・コミュニケーション
私評:
 「私はラムサ、地球、あるいはテラと呼ばれるこの次元に遠い昔生きていた王者たる存在だ。その生では、私は死を迎えることはなかった」
 三万五千年という遠い昔の地上の偉大な征服者にしてヒンドゥー教の聖者、偉大なるラムが快調に語り出すこの本は面白い。
 この本の特別な面白さは、地上での自分の唯一の生涯を語るその語り口にある。
 アトランティス大陸の水没直前、「最後の百年間」と呼ばれる時代にアトランティア南部の最大の港湾都市オナイのスラムに、レムリア人の巡礼の子として生まれたラムサの生涯はいかにも強烈だった。
 当時のアトランティアは腐敗に腐敗を重ね、そこでレムリア人は「大地の排泄物、街を歩く野良犬にも劣る存在として扱われていた」という。
 母親と妹の亡骸を荼毘に付した幼い少年のラムサは、そのような運命を強いた「未知の神」を責めることはしなかったという。「責めはしない、心の底から憎んでいたのだ!」と。
 そのあまりにも激しい憎悪が、彼を“神人”に、地上の征服者にする。
 彼は憑かれたような存在となった。人間の暴政を軽蔑する野蛮人となった。人を憎み、つねに死を覚悟して戦った。だがおかしなことに、恐れがまったくないところには、勝利と征服が訪れた。かくして彼は偉大な征服者となった。
 そしてついに瀕死の重傷を負い、彼は深い内省の時を迎える。
 この世に生きる人間に彼が師と仰ぎたい者はいなかった。破壊と戦争の真っ直中にあって、彼はひたすら周囲の人間や自然を観察することで「未知の神」を求めた。
引用:
 生きる、というけっして止むことのないプロセスに思いをめぐらし、それをじっくりと観察してはじめて、私には「未知の神」が本当は誰なのかがわかった。私はこう考えた。「未知の神」とは、人間の変質した思考から創り出された神々ではない。人間の心にある神々とは、単に彼らが最も恐れ、敬愛するものが人格化した姿にすぎないと気付いたのだ。そして、真の神とは、けっして途絶えることのない本質の部分であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだ通りの幻を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。そして再び春がめぐり、人が次なる生を受け、またこの場所に戻ってきたときにも、それは依然として存在し続けているものなのである。生命の力と、けっして途絶えることのないその過程にこそ、まさに「未知の神」がおわすのだと私は気づいたのだった。
 「未知の神」とはいったい誰なのか。それは私……そして夜の巣にある鳥たちであり、葦に凍てついた霜、朝焼け、黄昏の空だったのだ。それは太陽であり、月であり、子どもたちであり、その笑い声であり、なめらかな脚であり、流れる水そしてニンニクと革と真鍮の香りだったのだ。それは常に目の前にあったのだが、私がこの理解を得るには長い時間がかかってしまった。(P29)
[別の引用]をお望みの方へ
好み:★★★★
(注:独断と偏見によるお薦め度、または記憶による感動度・ショック度。一押し、二押し、三押し、特薦。)

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